↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
PR
128/144

第11話:祝福

公爵邸の夜は、妙なほど静かだった。

ほんの少し前まで、館のあちこちから声が聞こえ、メイドたちが忙しそうに行き交い、ライナーが何かを叫んでいたというのに、今はまるで別の場所のようだ。

もちろん、人の気配がなくなったわけではない。遠くには使用人たちの足音も聞こえるし、廊下の向こうでは誰かが話している。

ただ、誰もこちらへ近づいてこない。

――近づかないようにしている。

それに気づいたミレイユは、思わず苦笑した。

(……空気、読んでくれてるんですね)

ありがたいような、少し恥ずかしいような、何とも言えない気持ちになる。

そんな夜、ミレイユは一人でバルコニーに出ていた。

夜風が頬を撫で、遠くに見える帝都の灯りが揺れている。

明日、結婚式を挙げる。

そう思うと、見慣れた景色まで少し違って見えた。

身にまとっているのは、いつもの服だ。

それなのに、明日を思うだけで落ち着かない。

胸の奥には、どうにも落ち着かないものがある。

背後から足音が近づいた。

振り返らなくても、誰なのか分かる。

アロイスはミレイユの隣まで歩いてくると、同じように帝都の街を見下ろした。

しばらく、二人とも何も言わなかった。

その沈黙は気まずくない。

今はただ、こうして隣にいることが心地よかった。

「……静かですね」

「ああ」

「珍しいです」

「そうだな」

短いやり取りなのに、なぜか二人とも少し笑ってしまう。

ミレイユは夜風に髪を揺らしながら、ゆっくりと息を吐いた。

「……少し、緊張してます」

正直に告げると、アロイスがこちらを見る。

そして、意外なことを口にした。

「俺もだ」

「……え?」

思わず顔を向ける。

アロイスはいつもと変わらない顔をしていたが、冗談を言っているわけではなさそうだ。

ミレイユは目を丸くしてから、ふっと笑った。

「そうなんですね」

「ああ」

その一言が、妙に嬉しかった。

ミレイユは空を見上げる。

「ここまで来るなんて、思ってませんでした」

王国から帝国へ来たばかりの頃は、こんな未来を想像したことなどなかった。

共同研究のために滞在し、アロイスの傍で仕事をして、少しずつ彼のことを知っていった。

最初は、後見人と、王国から派遣された魔術師だったはずなのに。

いつの間にか、その距離は変わっていた。

「でも……来ましたね」

アロイスは同じ方向を見たまま頷いた。

「ああ」

そこに迷いはなかった。

やがてアロイスが少しだけ距離を詰める。

触れた手が、そのまま自然に重なった。

ミレイユは指を絡めるように握り返す。

アロイスが繋いだ手を見下ろした。

「……明日、式が終われば」

そこでミレイユを見る。

「正式に、お前は俺の伴侶になる」

確認するような言葉だった。

けれど、それはもう二人で選んだ未来だ。

ミレイユは小さく頷く。

「はい」

視線が重なる。

もう、逸らさない。

アロイスはミレイユを見つめたまま言った。

「だから、命をかけて大切にする」

飾り気のない言葉だった。

けれど、その重みは十分すぎるほど伝わった。

ミレイユは繋いだ手に力を込める。

「……私も」

そして、まっすぐに返した。

「命ある限り、隣に立ちます」

アロイスは何も言わなかった。

ただ、握った手に同じだけの力を返す。

それだけで十分だった。

やがてアロイスが身を寄せ、ミレイユも逃げることなく受け入れる。

二人の額が触れ合った。

「……明日だな」

「はい」

それだけを確かめるように、二人はしばらくその場に立っていた。

*

そして、翌日。

帝国の大聖堂は、朝から華やかな喧騒に包まれていた。

使用人たちが忙しそうに行き交い、庭園では式の準備が進められている。

帝国の貴族たちが次々と到着し、騎士たちも警備に加わっていた。

その中で、ミレイユは何度も入口へ視線を向けていた。

式を前にして落ち着かないのはもちろんだが、それとは別に、待っている人がいる。

やがて扉が開き、見慣れた二人の姿が現れた。

「……レオニード様!」

ミレイユの表情がぱっと明るくなる。

その隣にはシルヴァンもいた。

「お越しいただいて、ありがとうございます」

自然とかしこまった口調になったミレイユに、レオニードはいつものようにまっすぐ頷く。

「当然だ。王国の魔術師が他国で人生の門出を迎える。立ち会わぬわけにはいかん」

厳格な言葉の中に、どこか誇らしげな響きがあった。

するとシルヴァンが横から口を挟む。

「ついでに、上司の胃も限界だからね」

「黙れ」

間髪入れずにレオニードが返す。

ミレイユは思わず笑ってしまった。

その顔を見て、レオニードもわずかに表情を和らげる。

「それと、預かっている」

そう言って差し出したのは、上品な装飾が施された小箱だった。

「女王陛下からだ」

「……陛下から?」

ミレイユは驚きながら両手で受け取った。

さらにレオニードは、封蝋の押された書簡を差し出す。

「書簡もある。それから、リディアからも」

そして最後に、もう一通。

「アルベルトからもだ」

封に触れたミレイユの指が止まった。

「……アルベルトも」

胸の奥が、少しだけ熱くなる。

シルヴァンが肩をすくめた。

「みんな来たかったんだけどね。女王陛下はそう簡単に動けないし、護衛は張り付きだし、出世した騎士様も職務を放り出せないし」

軽い調子だった。

けれど、それぞれが今日という日を祝ってくれていることは、十分に伝わってくる。

ミレイユはゆっくり頷いた。

「……はい」

それから、もう一度入口を見る。

誰かを探すように。

その視線を見逃さず、レオニードが尋ねた。

「……クロウレイか」

ミレイユは目を瞬かせ、それから小さく頷く。

「……はい」

「来ない」

はっきりとした言葉だった。

「本人の意思だ。行かない、と言っていた」

ミレイユが目を見開く。

するとシルヴァンが、少し困ったように笑った。

「『泣いちゃうから』って言ってたよ」

「……」

胸が、きゅっと締めつけられる。

いかにも先生らしい。

格好をつけているようで、こういうときだけ妙に正直なのだ。

「伝言を預かっている」

レオニードの言葉に、ミレイユは顔を上げた。

「幸せに」

その一言に、瞳が揺れる。

「いつでも帰ってこい。我々は待っている」

厳格な口調の中に、確かな温かさがあった。

ミレイユの目に涙が滲む。

レオニードはわずかに口元を緩め、それから思い出したように付け加えた。

「それと……泣かされた場合は、“地獄”を見せるそうだ」

「怖いって、それ」

シルヴァンが吹き出す。

ミレイユも、涙を浮かべたまま笑った。

「……ありがとうございます」

声が少し震えた。

少し離れたところでは、アロイスがその様子を見ている。

何も言わない。

ただ、彼女の故郷から届いた祝福を、そのまま受け止めていた。

*

やがて式の時刻が近づき、大聖堂の庭園に設けられた式場へ人々が集まり始めた。

白い花が飾られ、柔らかな光が庭を包んでいる。

列席するのは、帝国の貴族、騎士、魔術師たち。

皇家からも、第一皇子と第二皇子が姿を見せていた。

華やかな祝いの場であると同時に、帝国公爵の婚姻という大きな意味を持つ場でもある。

やがて音楽が流れ始め、ざわめきが収まっていく。

人々の視線が入口へ向いた。

そこに、ミレイユが姿を現す。

純白のドレスに身を包んだ姿は、普段の彼女とはどこか違って見えた。

胸の鼓動は速い。

それでも、もう揺れてはいなかった。

ミレイユはまっすぐ前を見る。

その先には、アロイスが立っている。

いつものように背筋を伸ばし、彼女だけを見つめていた。

一歩、また一歩。

ミレイユは、その距離を縮めていく。

隣を歩くのはレオニードだ。

やがて最後の数歩を残したところで、彼が足を止めた。

「……よく来た」

短い言葉だった。

けれど、ミレイユには十分だった。

「胸を張れ」

「はい」

レオニードはアロイスを見る。

二人の視線が交わる。

「……託す」

それだけだった。

アロイスが頷く。

ミレイユの手が、レオニードからアロイスへ渡された。

その瞬間、レオニードが一歩下がる。

挿絵(By みてみん)

すかさず、その隣へシルヴァンが立った。

「いやぁ、絵になるねぇ」

「シルヴァン、黙れ」

「はいはい」

張り詰めていた場が、わずかに和む。

そして、式が始まった。

司式者が二人へ向き直る。

「誓いを」

アロイスがミレイユを見る。

昨夜、二人だけの場所で告げた言葉を、今度は多くの人々の前で口にする。

「命をかけて、大切にする」

短く、飾り気のない誓い。

ミレイユも、まっすぐに彼を見つめ返した。

「命ある限り、隣に立ちます」

昨夜は二人だけの約束だった。

今は、それを皆の前で誓う。

風が吹き、白い花が揺れた。

そのとき、ミレイユの脳裏にレオニードから聞いた、クロウレイの伝言が浮かぶ。

――幸せに。

もう、迷いはなかった。

指輪が交換される。

アロイスの手がミレイユの指に触れ、今度はもう外すことのない場所へ新たな指輪が収まった。

ミレイユも同じように、アロイスの指へ指輪を通す。

二人の手が重なった。

司式者が告げる。

「ここに、両名の結びを認める」

静寂のあと、拍手が広がった。

最初は控えめだった音が次第に大きくなり、庭園全体を包んでいく。

その中でも、一際大きな音を立てている男がいた。

「おめでとぉぉぉぉ!!!」

ライナーだった。

「声が大きいです」

エドガーは呆れたように言いながらも、きちんと拍手を送っている。

ヴァルターも満足そうに頷いた。

「つつがなく完了しましたねぇ」

「式を任務扱いするな」

ライナーが横から突っ込む。

その少し後ろでは、ルドルフが目を閉じていた。

「……よかったです」

マルガレーテは涙を拭っている。

「……本当に」

メイドたちも、誰一人として平静ではいられない。

今日は、赤飯もブロッコリーもない。

さすがに結婚式でそれを出すほど、公爵家は壊れていなかった。

……たぶん。

シルヴァンはそんな様子を眺めながら笑った。

「やっとだねぇ」

レオニードは腕を組んだまま頷く。

その表情にも、わずかな誇らしさが浮かんでいた。

皇家の席では、第一皇子も満足そうに頷いている。

「見事だ」

第二皇子は会場を見渡し、楽しそうに笑った。

「盛大だな」

多くの視線と祝福の中心で、アロイスとミレイユは並んで立っていた。

少し前までなら、二人の間にはわずかな距離があった。

手を繋ぐだけで騒がれ、少し近づくだけで屋敷中が大騒ぎになった。

けれど、今は違う。

二人が隣にいることは、もう当たり前なのだから。

ミレイユがそっと隣を見る。

アロイスもこちらを見る。

視線が重なり、ミレイユが小さく笑った。

アロイスも、わずかに目を細める。

言葉は必要なかった。

それぞれの故郷から届いた祝福と、多くの人々の温かな視線に包まれながら、二人は並んで立っている。

自分たちで選んだ場所に。

これから同じ道を歩いていく人の、隣に。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。