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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第10話:結婚準備

公爵邸の大広間には、朝から人が集まっていた。

テーブルの上には資料が山のように積まれ、その周囲を使用人たちが取り囲んでいる。

会場の候補、招待客の名簿、料理、席順、衣装、式次第。

どう考えても、ミレイユが想像していた「結婚準備」という言葉からはかけ離れた規模だった。

その中央で、ミレイユは完全に固まっていた。

「……何ですか、これ」

ようやく絞り出した声に、マルガレーテが満面の笑みで答える。

「結婚準備でございます」

「……」

聞き間違いではないらしい。

ライナーが腕を組み、妙に誇らしげな顔で付け加えた。

「しかも帝国公爵の結婚だからな!」

強調する必要があるのかは分からないが、本人は大真面目だった。

エドガーが手元の資料を一枚めくる。

「式場候補が三十件。招待客は現時点で二百名ほどを予定しています」

「二百……」

ミレイユの声が消える。

その横から、ヴァルターが何でもないことのように続けた。

「皇族も出席されるでしょうから、相応の準備は必要ですねぇ」

「……」

ミレイユは両手で顔を覆った。

「やめてください……」

「残念ながら、こればかりは」

ルドルフが重々しく頷く。

「帝国公爵家の婚礼ともなれば、相応の規模になるでしょう」

アロイスは周囲の資料へ目を通していたが、やがて一枚を置いた。

「簡素でいい」

広間が静まり返る。

そして次の瞬間。

「却下!!!」

ライナーが叫んだ。

エドガーも頷く。

「不適切です」

「非現実的ですねぇ」

ヴァルターも冷静に続ける。

マルガレーテは笑顔のままだったが、なぜか目だけが笑っていない。

「無理でございます」

アロイスが眉を寄せた。

「なぜだ」

「『なぜだ』じゃねぇよ!お前、自分が帝国の何だと思ってんだ!」

「公爵です」

エドガーが即答する。

「それは本人も知ってる!」

「帝国を代表する公爵家の当主でもあります」

ヴァルターが続ける。

「それ相応の責任がございます」

ルドルフも重ねた。

そして最後に、マルガレーテが言い切る。

「何より、坊ちゃんの婚礼は、わたくしたちの誇りでもあります」

次々と畳みかけられ、アロイスは黙り込んだ。

しばらく考えた末、反論を諦めたらしい。

「……分かった」

その隣では、ミレイユがまだ顔を覆っている。

「でも……やっぱり、規模が大きすぎませんか」

マルガレーテはすぐにミレイユへ向き直った。

「当然でございます。ミレイユ様は、これから公爵夫人になられるのですから」

その言葉に、ミレイユの手がゆっくりと下がる。

公爵夫人。

改めてそう呼ばれると、胸の奥が少しだけざわついた。

今まで自分は、王国の魔術師だった。

帝国へ来てからも、共同研究という立場で一つずつ居場所を作ってきた。

けれど、その先に今は「アロイスの伴侶」という未来がある。

ミレイユは隣を見る。

アロイスもこちらを見ていた。

「……問題ないか」

ミレイユは少しだけ笑って頷く。

「……はい」

それを聞いた途端、周囲の顔つきが変わった。

「よし」

ライナーが頷く。

「言質は取りました」

エドガーが淡々と告げる。

「正式に承認されましたねぇ」

ヴァルターまで頷いた。

そしてマルガレーテが、ぱん、と手を叩く。

「それでは決めてまいりましょう!衣装、会場、席順、料理、それから――」

「待ってください!」

ミレイユが再び顔を覆った。

「まだ心の準備が……!」

「心の準備と婚礼準備は別物ですわ」

容赦がない。

ルドルフだけが遠い目をしていた。

「……公爵家はいったいどこへ向かっているのでしょう……」

*

その頃、帝国騎士団の詰所でも、別の意味で騒ぎが起きていた。

「……なあ、聞いたか?」

昼休み。

一人の騎士が何気なく口にした言葉に、周囲の顔が上がる。

「何をだ?」

「閣下のことだよ」

その一言で、何人もの騎士が反応した。

「まさか……」

「結婚するらしいぞ」

沈黙。

「……は?」

「結婚!?」

「相手はミレイユ様だろ?」

「そこは知ってる!」

「問題はそこじゃねぇ!いつの間に結婚まで行ったんだよ!」

一気に騒がしくなる。

「確かに距離は近かったけど!」

「でも、まだあれくらいの段階だと思ってたぞ!」

「俺たちが知らない間に何があったんだ!?」

誰にも分からない。

そんな中、一人の騎士が少し誇らしげに腕を組んだ。

「……俺はイルゼから聞いた」

一斉に視線が集まる。

「お前かよ!」

「なんでお前だけ知ってんだ!」

騎士は肩をすくめた。

「彼女だからな」

再び沈黙。

「……は?」

「彼女?」

「お前、イルゼさんと付き合ってんのか!?」

「ああ」

何でもないことのように頷く。

次の瞬間、別の騎士が膝から崩れ落ちた。

「イルゼさん……狙ってたのに……!」

「やめとけ」

隣の騎士が肩を叩く。

「そっちはもう負け確だ」

「慰めになってねぇよ!」

騒ぎは別方向へ広がりかけたが、重い扉が開く音で一瞬にして止まった。

全員が反射的に姿勢を正す。

入ってきたのはアロイスだった。

さっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返る。

誰も口を開けない。

だが、一人の騎士が意を決したように前へ出た。

「閣下!」

全員の心の声が一致した。

――やめろ。

しかし遅かった。

「ご結婚、おめでとうございます!」

アロイスはその騎士を見る。

わずかな沈黙のあと、短く答えた。

「ああ」

それだけだった。

だが、その一言で緊張がほどける。

「おめでとうございます!」

「お幸せに!」

次々と声が上がった。

アロイスは騒ぐ彼らを咎めるでもなく、その場に立っている。

やがて誰かが、小さく呟いた。

「……いいなぁ」

隣からも同じ声が返る。

「いいなぁ」

羨ましさはあった。

けれど、それは決して嫌な感情ではない。

いつか自分も。

そんな未来を少しだけ思い描きたくなるような、穏やかな羨望だった。

*

午後。

公爵邸の執務室では、結婚準備の資料が再び山を築いていた。

ミレイユは席順表を手に取り、しばらく眺める。

「……この席順、少し変更したいです」

向かいにいたアロイスが顔を上げた。

「その必要はない」

即答だった。

ミレイユは少しだけ眉を寄せる。

「理由を聞いてもいいですか?」

「政治的な配慮は済んでいる」

「でも、この配置だと王国側が少し浮いてしまいます」

「問題ない」

「……私には、あります」

アロイスが視線を上げた。

ミレイユはその目をまっすぐに見返す。

「優先順位が違う」

「帝国側を優先する必要がある」

その言葉に、ミレイユの手が止まった。

「……それは分かっています」

けれど、席順表を置くことはしなかった。

「でも、私は王国の人間です。これから帝国で暮らすとしても、それがなくなるわけではありません」

アロイスは黙っている。

「私は、どちらも大切にしたいんです。王国も、帝国も。だから、両方がきちんと立てる形にしたい」

「そのために調整している」

「……していません」

今度はミレイユが即答した。

「今のは、調整したんじゃなくて、最初からアロイス様が決めただけです」

アロイスの表情がわずかに変わる。

ミレイユは席順表を机へ置いた。

「私は、ただ従うためにここにいるわけじゃありません」

その声は、はっきりしていた。

「隣に立つって、そういうことじゃないでしょう?」

沈黙が落ちた。

アロイスは答えない。

ミレイユも待った。

けれど、返事はない。

やがてアロイスがわずかに視線を逸らした。

その瞬間、ミレイユの胸に痛みが走る。

「……やっぱり」

自分でも思っていなかった言葉が、口から零れた。

「私は、必要ないですか?」

アロイスがすぐに顔を上げる。

「違う」

「だったら、ちゃんと見てください……!」

声が震えた。

そこで初めて、自分が思っていた以上に傷ついていたことに気づく。

一滴、涙が落ちた。

ミレイユ自身が驚いて、慌てて拭う。

「……すみません」

これ以上ここにいたら、きっと上手く話せない。

「少し、頭を冷やしてきます」

ミレイユは席を立ち、そのまま部屋を出ていった。

扉が閉まる。

アロイスは動かなかった。

机の上には、二人の結婚式の資料が並んでいる。

ミレイユの負担を減らしたかった。

王国側との調整も、帝国内の問題も、面倒なことは可能な限り自分が引き受ければいいと思っていた。

そのほうが彼女は楽だと、勝手に決めていた。

だが結果として、自分はミレイユを「一緒に決める相手」から外してしまった。

彼女が欲しかったのは、守られるだけの場所ではない。

自分の隣だった。

アロイスは目を伏せた。

間違えた。

今度は、それが分かった。

*

廊下を歩くミレイユは、何度も目元を拭っていた。

その姿を見つけたマルガレーテの表情が、一瞬で変わる。

「……誰が」

ミレイユは慌てて首を振った。

「違います。大丈夫です」

「大丈夫な方は、そのようなお顔をなさいません」

「……」

「坊ちゃんですね」

否定できなかった。

マルガレーテの目が細くなる。

その表情を見て、ミレイユはなぜか少しだけ嫌な予感を覚えた。

*

夜。

公爵邸の庭には、月明かりが落ちていた。

ミレイユは一人、ベンチに座っている。

泣いたあとの熱はもう引いていたが、目元にはまだ少し赤みが残っていた。

足音が近づいてくる。

顔を上げると、アロイスが立っていた。

少し離れたところで足を止める。

「……話がある」

「……私も」

しばらく、互いに黙っていた。

先に口を開いたのはアロイスだった。

「さっきは、すまなかった」

ミレイユが目を見開く。

「お前の言う通りだ」

アロイスは言葉を選びながら続けた。

「最初から俺が決めていた。お前の負担を減らすつもりだった」

そこで言葉を切る。

「だが、結果的にお前を外した」

ミレイユは黙って聞いている。

「……間違っていた」

短い言葉だった。

けれど、迷いはなかった。

ミレイユは少しだけ視線を落とす。

「私、一人で決めたいわけじゃありません」

そして、もう一度アロイスを見る。

「一緒に決めたいんです」

「ああ」

アロイスが頷く。

「そうする」

それだけだった。

でも、ミレイユには十分だった。

「……もう一つ」

「何だ」

「さっきの……必要ない、って」

「違う」

今度は、言葉を探す間すらなかった。

「必要だ」

ミレイユが息を止める。

アロイスは彼女をまっすぐに見た。

「お前がいないと、意味がない」

ミレイユの目に、また涙が浮かぶ。

けれど、今度は悲しい涙ではなかった。

アロイスが手を伸ばす。

けれど、触れる直前で止めた。

ミレイユを見る。

その問いかけに、小さく頷く。

次の瞬間、身体が腕の中へ引き寄せられた。

ミレイユもアロイスの背へ腕を回す。

「……ごめんなさい」

「いや」

「でも、私も……言い方が」

「悪くなかった」

ミレイユが顔を上げる。

「え?」

「ちゃんと分かった」

抱く腕に少しだけ力がこもる。

「隣にいる意味が」

ミレイユは胸元で小さく笑った。

「……それなら、よかったです」

二人とも、相手のために何かをしたかった。

ただ、そのやり方を少し間違えただけだった。

これから先も、きっと同じようなことはある。

そのたびに話して、一緒に決めればいい。

ミレイユがほんの少し顔を上げる。

アロイスも顔を寄せた。

短く、優しく唇が触れる。

離れたあとも、二人はしばらくそのままでいた。

今度は、どちらも急がなかった。

*

翌朝。

食堂のテーブルには、昨日までとは違うものが並んでいた。

ミレイユが席に着いた瞬間、その異様な量に目を丸くする。

「……これは?」

アロイスも自分の皿を見る。

そこには、山のように盛られたブロッコリー。

「……」

隣を見る。

ライナーとエドガーの皿にも、同じような山ができていた。

「……は?」

ライナーが固まる。

一方、エドガーは特に気にした様子もなく、山から一つ取って口へ運んだ。

「私は嫌いじゃないですけどね」

「そういう問題じゃねぇよ!」

ライナーが即座に突っ込んだ。

アロイスは自分の皿へ視線を戻した。

山盛りのブロッコリー。

そして、給仕をするマルガレーテの笑顔。

(……泣かせた罰か)

理解した。

黙って一つ口に入れる。

苦い。

その隣で、ライナーが絶叫した。

「なんで俺もだよ!!!!!」

マルガレーテはにこやかに答える。

「連帯責任です」

「何の連帯だよ! 俺、昨日なんもしてねぇぞ!」

「普段から余計なことをしているでしょう?」

「昨日はしてねぇだろ!!!」

食堂に、いつもの騒がしさが戻ってくる。

挿絵(By みてみん)

ミレイユは思わず頬を緩めた。

そして、隣へ顔を向ける。

「……おはようございます」

アロイスもこちらを見る。

「ああ」

短い返事だった。

けれど、昨日までとは少し違う。

テーブルの端には、まだ結婚準備の資料が山積みになっている。

決めることは、これからいくらでもある。

王国のこと。

帝国のこと。

式のこと。

そして、その先の二人のこと。

今度は、一人では決めない。

二人で考えて、二人で決めていく。

その隣で、アロイスが何も言わずブロッコリーをもう一つ口へ運んだ。

「……」

ミレイユはとうとう吹き出した。

結婚までの道のりは、どうやら思っていたよりずっと騒がしくなりそうだった。

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