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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第9話:当然の配置

帝都の街を、ミレイユとアロイスは並んで歩いていた。

昼下がりの大通りは人通りも多く、店先には色とりどりの商品が並んでいる。

以前なら、アロイスは少し離れて後ろを歩き、周囲の警戒に徹していただろう。

けれど今は違う。

二人の距離は自然に近く、ミレイユが歩調を緩めればアロイスも足を止め、彼女が何かに目を留めれば同じものへ視線を向ける。

すっかり、恋人同士の歩き方になっていた。

「……本当に来るとは思いませんでした」

ミレイユが少し照れたように言うと、アロイスは前を向いたまま答えた。

「必要だと言われた」

「誰に、とは聞かないほうがよさそうですね」

ミレイユが苦笑する。

その少し後ろ、路地の陰には三つの人影があった。

ライナー、エドガー、ヴァルターである。

「距離は適正です」

エドガーが真顔で観察する。

「雰囲気も良好ですねぇ」

ヴァルターが続ける。

その隣で、ライナーだけが拳を握っていた。

「よし……普通だ……!」

なぜか感動している。

そんな三人の存在に気づかないまま、ミレイユが店先の小さな装飾品に目を留めた。

するとアロイスは、彼女が何かを言うより先に店へ入っていく。

ほどなくして戻ってきた手には、小さな箱があった。

「……え?」

ミレイユが受け取って蓋を開けると、そこには先ほど彼女が見ていた装飾品が収まっていた。

「これ……」

「欲しそうだった」

あまりにも当然のように言われ、ミレイユは頬を赤くする。

「……そういうところ、ずるいです」

そう言いながらも、嬉しそうに笑った。

路地の陰では、ライナーが両手で顔を覆っている。

「買った……!」

「相変わらず、そういうところだけは自然ですね」

エドガーが真顔で言う。

「言葉にするより、行動のほうが早い方ですからねぇ」

ヴァルターも妙に納得したように頷いた。

「なんでそれができて、あんなに進展遅かったんだよ……」

ライナーの呟きには、誰も答えなかった。

そこで、ミレイユがふと視線を向けた。

「……」

目が合う。

「……やめてください……!!!」

「バレた!」

ライナーが叫ぶ。

エドガーは即座に踵を返し、ヴァルターは何事もなかったかのように歩き去っていく。

「逃げないでください!」

ミレイユの声が飛んだ。

アロイスは呆れたように三人を見送り、それからミレイユの肩をそっと引き寄せる。

「帰るか」

「……はい」

ミレイユは苦笑しながら頷いた。

二人の距離は、もう意識して縮めるものではない。

いつの間にか、それが当たり前になっていた。

*

その夜。

公爵邸の廊下には、またしても怪しい人間たちが集まっていた。

ライナーは腕を組み、エドガーは何かの確認を終えた顔で頷いている。

ヴァルターは手帳を開き、ルドルフはすでに嫌な予感を覚えているらしく、眉間を押さえていた。

そして、その中央にいるマルガレーテだけが、妙に晴れやかな笑顔を浮かべている。

「配置は?」

ライナーが声を潜める。

「完了しています」

エドガーが答えた。

「他の使用人には別の仕事を割り振りました。今夜、こちらへ来る者はいません」

「室内の準備も済んでいます」

ヴァルターが続ける。

ルドルフが眉をひそめた。

「……まさか、昨日に続いて何かするおつもりではありませんよね?」

「今日は閉じ込めませんわ」

マルガレーテが笑顔で答える。

ルドルフは少しだけ安堵した。

「それなら――」

「お部屋をご用意しただけです」

安堵が消えた。

「……どのような?」

「当然のお部屋ですわ」

嫌な予感しかしない。

その時、廊下の向こうからアロイスとミレイユが歩いてきた。

一同は揃って何食わぬ顔を作る。

アロイスはその前で足を止めた。

「……何をしている」

「通常業務です」

エドガーが即答する。

アロイスの目が細くなる。

そして、その視線がヴァルターへ向いた。

「お前はなぜいつも、うちにいる」

「特務捜査官ですから」

「絶対違うだろ」

ライナーが即座に突っ込んだ。

「常駐頻度が高すぎます」

エドガーまで淡々と追い打ちをかける。

ルドルフは遠い目をしていた。

「……もう誰も追い出せないのでしょうか……」

ミレイユも嫌な予感を覚えたらしい。

「……今度は何をしたんですか?」

「何もしておりませんわ」

マルガレーテが満面の笑みで一歩前へ出る。

「ただ、今夜はこちらをお使いくださいませ」

そう言って扉を開けた。

その向こうには、落ち着いた灯りに照らされた広い寝室がある。

そして。

ベッドは一つ。

当然のように、一つだけ。

沈黙。

ミレイユはしばらくベッドを見つめた。

それから、ゆっくりと振り返る。

「……」

全員、笑顔だった。

ライナーは親指を立てている。

エドガーは真顔。

ヴァルターは満足そうに頷いている。

ルドルフだけが目を閉じていた。

「……やめてください……」

ミレイユの声が消え入りそうになる。

「当然の配置だな!」

ライナーが胸を張った。

「婚約者同士ですから」

エドガーも頷く。

「実に合理的ですねぇ」

ヴァルターまで同意する。

「どこがですか……!」

ミレイユが呻く。

挿絵(By みてみん)

マルガレーテは、そんな彼女へ柔らかく笑いかけた。

「もちろん、お嫌でしたら別のお部屋をご用意いたしますわ」

その言葉に、ミレイユが瞬く。

今度は誰も、扉を閉めない。

鍵もかけない。

選ぶのは二人だった。

アロイスは寝室を見てから、ミレイユへ視線を向けた。

「どうする」

短い問いだった。

ミレイユはベッドを見る。

それから、アロイスを見る。

頬が熱くなる。

けれど。

「……ここで、いいです」

自分で答えた。

ライナーの目が見開かれる。

エドガーの眉がわずかに上がり、ヴァルターが手帳へ手を伸ばした。

「書かないでください!」

「まだ何も書いていません」

「今、書こうとしましたよね!?」

アロイスはそんな外野を無視し、部屋へ入る。

ミレイユも、その後に続いた。

自分の足で。

扉の前で振り返る。

「それから」

外野全員がミレイユを見る。

「今日は、絶対に聞き耳を立てないでください」

沈黙。

「……返事は?」

「はい」

ライナーが答えた。

「承知しました」

エドガーも頷く。

「善処します」

ヴァルターが答えた。

「ヴァルター様?」

「承知しました」

言い直した。

ルドルフだけが深く頷く。

「私が責任を持って、全員ここから退去させます」

「お願いします」

ミレイユは心から頼んだ。

そして、自分で扉を閉めた。

カチリ。

今度は、内側から鍵がかかる。

外に残された一同は、しばらく閉じた扉を見つめていた。

やがてライナーが、ぽつりと言う。

「……行ったな」

「ええ」

エドガーが頷く。

ヴァルターが手帳を開こうとする。

ルドルフがその手を押さえた。

「帰りますよ」

「まだ何も――」

「帰ります」

有無を言わせなかった。

マルガレーテは閉じた扉を見つめ、そっと目を細める。

「……よかったわね、坊ちゃん」

その声だけは、からかいではなかった。

*

寝室の中は、驚くほど静かだった。

廊下にいた人間たちの気配も、今はもう遠い。

ミレイユはベッドの端に腰を下ろし、膝の上で手を組んだ。

「……本当に、こうなるとは思いませんでした」

「俺もだ」

アロイスは正直に答えた。

ミレイユが少し笑う。

「ですよね」

しばらく、二人の間に穏やかな沈黙が流れた。

以前なら、この沈黙をどう埋めればいいのか分からなかったかもしれない。

けれど今は、隣にいることそのものが心地よかった。

やがてアロイスが隣へ腰を下ろす。

ミレイユは少しだけ迷ってから、自分からその肩へ寄りかかった。

アロイスの腕が背中へ回る。

包むように抱き寄せられ、ミレイユは小さく息を吐いた。

「……落ち着きます」

「そうか」

それだけ。

けれど、それで十分だった。

静かな部屋で、互いの呼吸だけが近い。

しばらくして、ミレイユが小さく笑った。

「……なんだか、変ですね」

「何がだ」

「昨日は、あんなに騒がしかったのに」

アロイスも思い出したのだろう。

眉間にわずかに皺が寄る。

「忘れろ」

「無理です」

ミレイユは笑った。

「扉、壊しましたし」

「鍵だ」

「同じようなものです」

「違う」

そんな他愛のない会話が、妙に心地よかった。

やがてミレイユは顔を上げる。

アロイスと目が合った。

昨日のように、誰かに閉じ込められたわけではない。

誰かに急かされているわけでもない。

ここにいることを選んだのは、自分だ。

ミレイユは少しだけ身体を起こし、アロイスへ近づいた。

その意図を理解したように、アロイスの手が頬へ触れる。

唇が重なった。

ゆっくりと。

昨日よりも穏やかに。

離れたあとも、二人の距離は近いままだった。

ミレイユは再びアロイスの胸元へ身体を預ける。

「……今日は、これでいいです」

「ああ」

アロイスの腕が、もう一度彼女を抱き寄せた。

急ぐ必要はなかった。

これから先、一緒にいる時間はいくらでもある。

今夜は、ただ同じ部屋で、同じ静けさの中にいられる。

それだけで十分だった。

*

翌朝。

食堂のテーブルには、過去最大級の赤飯が鎮座していた。

「……」

ミレイユは立ったまま、それを見つめる。

そして、ゆっくり両手で顔を覆った。

「……やめてください……」

マルガレーテは満面の笑みだった。

背後に控えるメイドたちも、必死に平静を装っている。

ただし、小声は漏れていた。

「一緒のお部屋だったのよね……」

「朝まで……」

「よかったわねぇ……」

「何も知りませんよね!?」

ミレイユが振り返る。

メイドたちは一斉に目を逸らした。

「何も聞いておりません!」

「聞くなって言いましたから!」

「ちゃんと守りました!」

守ったことだけは事実らしい。

席に着いたミレイユの隣で、アロイスはいつも通り食事を始めた。

ライナーも妙にそわそわしている。

やがて我慢できなくなったらしい。

「……で?」

ミレイユの肩が跳ねる。

「どこまでいった?」

「やめてください……!!!」

「ライナー様」

マルガレーテの声が飛んだ。

「そこまでです」

「いや、だって気になるだろ!」

「知る必要はありません」

ルドルフもぴしゃりと言い切る。

エドガーが眼鏡を押し上げた。

「昨夜については観測していません」

「詳細不明ですねぇ」

ヴァルターも頷く。

「それでいいんです!」

ミレイユが即座に返した。

「そこが一番大事だろうが!」

「大事じゃありません!」

ライナーは不満そうだったが、さすがにそれ以上は追及しなかった。

ミレイユはまだ赤い顔のまま、隣を見る。

アロイスは何事もなかったように食事を続けている。

その姿を見て、小さく息を吐いた。

「……普通にしてください」

「ああ」

アロイスが答える。

これでようやく落ち着ける。

そう思った直後。

アロイスの手が伸び、ミレイユの頭を軽く撫でた。

「……」

ミレイユが固まる。

ライナーの目が見開かれた。

「今の何だ!!!」

「日常的な接触でしょう」

エドガーが答える。

「安定していますねぇ」

ヴァルターも頷く。

「だから分析しないでください……!」

ミレイユは再び顔を覆った。

けれど、その口元には小さな笑みが浮かんでいる。

マルガレーテはそんな二人を見て、満足そうに微笑んだ。

「ええ。もう、好きになさってくださいな」

背後のメイドたちから、小さな歓声が漏れる。

「……いいわねぇ」

「ようやく普通の恋人みたい……」

「閣下が……」

ルドルフは深々と息を吐いた。

「……公爵家はいったいどこへ……」

誰も答えなかった。

ミレイユはまだ少し照れながら、それでもアロイスの隣から動かなかった。

二人にとって、その場所はもう――当然の配置になっていた。

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