第7話:謁見
王国、王宮。
王国への定期報告のため、ミレイユは久しぶりに王国へ戻ってきていた。
見慣れた廊下も、窓から差し込む光も以前と変わらない。
けれど、今のミレイユには、以前とは決定的に違うものがあった。
その隣を歩くアロイスである。
今回は護衛として随伴しているが、もう二人の距離をわざわざ隠すつもりはない。
自然に並んで歩く二人へ、廊下のあちこちから視線が集まり、小さなざわめきが起こる。
それでもミレイユは気にせず、アロイスも何も言わない。
ただ、二人はそのまま歩いていった。
*
訓練場では、乾いた剣戟の音が響いていた。
アルベルトは一人で剣を振っている。
動きに無駄はなく、一振りごとの軌道も鋭い。
けれど、どこか詰めきれないものがあるのか、数度打ち込んだところで剣を止め、静かに息を吐いた。
その時、背後に人の気配を感じた。
アルベルトが振り返る。
そこにいたのはミレイユだった。
そして、その隣にはアロイスがいる。
一瞬、アルベルトの視線が止まった。
ミレイユの手元。
そこに光る指輪を見れば、もう何も説明されなくても分かる。
理解は早かった。
けれど、胸の奥に生まれた感情だけは、少し遅れてやってくる。
アルベルトはゆっくりと剣を下ろし、二人のもとへ歩いていった。
「……アルベルト」
ミレイユが名前を呼ぶ。
久しぶりに聞く声だった。
アルベルトはすぐには答えず、まずミレイユの手へ視線を落とした。
「……似合ってる」
短い言葉だった。
余計な感情は乗せない。
それでも、ちゃんと見ていることが伝わる。
やがて視線を上げ、ミレイユをまっすぐ見つめる。
「ちゃんと、自分で立ってる顔だな」
ミレイユの目がわずかに揺れた。
「……はい」
小さく頷く。
その時、アロイスが一歩だけ前へ出た。
アルベルトは動じることなく、今度は彼へ視線を向ける。
「支えられてるんだな」
帝国の公爵と真正面から視線を合わせ、静かに続ける。
「でも、寄りかかってるんじゃない。ちゃんと自分で立ったまま、隣に立つ人を選んだ」
見抜かれていた。
アロイスは短く答える。
「ああ」
それだけだった。
けれど、それで十分だった。
しばらく沈黙が続く。
やがてアルベルトが小さく息を吐き、ふと空を見上げた。
その横顔には、一瞬だけ悔しさが滲んだ。
だが、それもすぐに消える。
自分の中へ飲み込み、再び前を向いた。
「……なるほどな」
ぽつりと呟く。
「守るだけが、“護衛騎士”じゃなかったんだな」
それは誰かへ向けた言葉というより、自分自身へ言い聞かせるような声だった。
その言葉を聞いて、ミレイユは静かに息を吐く。
何か言おうとは思わなかった。
きっと、言葉にしないほうがいい。
アルベルト自身が、自分の答えを見つけたのだから。
アルベルトは二人を見て、ほんの少しだけ笑った。
「じゃあな、ミレイユ」
「……はい」
「また王国に戻ったら、顔くらい見せろ」
ぶっきらぼうな言い方だった。
けれど、それがアルベルトらしかった。
ミレイユは小さく笑う。
「はい。また来ます」
「ならいい」
それだけ言うと、アルベルトは二人に背を向け、先ほど置いた剣を拾い上げた。
そして、もう一度構える。
一振り。
今度は、迷いがなかった。
鋭く、綺麗に剣が抜ける。
ミレイユはその姿をしばらく見つめ、それから小さく頭を下げた。
届かない距離だった。
けれど、それでよかった。
アロイスは何も言わない。
ただ、ミレイユの隣に立っている。
それで十分だった。
*
訓練場の端にある木陰には、二つの気配があった。
最初から、そこにいた。
シルヴァンは腕を組んで木にもたれながら、訓練場を眺めていた。
「……あ~あ」
軽い声に、けれど少しだけ寂しさが混じる。
「切ないねぇ」
その隣では、リディアが腕を組んで立っている。
「人の事情を覗き見るとは、相変わらずいい趣味だな」
容赦のない言葉だった。
シルヴァンは苦笑して肩をすくめる。
「まあね。でも、見守ってた身としてはさ。最後くらい、ちゃんと見届けたいじゃない?」
二人の視線は、アルベルトへ向いている。
剣を振る彼の背中。
先ほどまであった迷いが消えた、その動き。
シルヴァンはほんの少し目を細めた。
リディアは何も言わなかったが、ほんのわずかに頷いた。
やがてシルヴァンが、ふと思い出したように横を見る。
「ところでさ、殿下の護衛はいいの?」
リディアの眉が、ぴくりと動いた。
一瞬の沈黙。
「……当面の危険性が減ったから」
低く、淡々とした返答だった。
「殿下が『少し休め』と」
そこで言葉が止まる。
ほんの少しだけ間が空いた。
「……交代制に、させられた」
最後だけ、妙に重かった。
シルヴァンは黙った。
そして、理解する。
――あ、これ、生き甲斐を削られて逆に辛いやつだ。
けれど、顔には出さない。
「そっか」
少しだけ声の調子を落とす。
「時間、持て余してるんだ?」
リディアが鋭く睨む。
「持て余してなどいない」
即答だった。
ただ、返事までにほんのわずかな間があった。
シルヴァンは、それを見逃さなかった。
「じゃあさ」
一歩だけ距離を詰める。
「デートする?」
あまりにも軽い調子だった。
一瞬、沈黙。
「断る」
即答。
間もない。
シルヴァンは天を仰いだ。
「即答かよ」
呆れたように言いながらも、どこか楽しそうだった。
リディアはそっぽを向く。
けれど、その視線は再び訓練場へ戻っていた。
アルベルトが剣を振る。
そして、遠ざかっていくミレイユとアロイスの背中。
しばらく眺めた後、リディアが小さく呟いた。
「……悪くない結末だ」
シルヴァンは何も言わなかった。
ただ、同じ方向を見る。
そして、少しだけ笑う。
「だね」
風が木々を揺らす。
訓練場には、再び剣の音だけが響いていた。
*
王宮、謁見室。
高い天井の下、静かな空気が満ちている。
中央には玉座。
即位してからも変わらない存在感を放つエリシアが座り、その両脇には近衛と侍女が控えていた。
そして、玉座の一歩後ろ。
剣を携えた騎士が立っている。
以前とは違う。
立つ場所も、背負うものも変わった。
鋭い視線には、もう迷いがない。
やがて扉が開く。
ミレイユが入室し、その隣をアロイスが歩く。
二人は自然に並び、一定の節度を保ちながら玉座の前まで進んだ。
そして、揃って一礼する。
「久しいですね、ミレイユ」
エリシアが微笑む。
「ご無沙汰しております、陛下」
ミレイユも丁寧に頭を下げた。
言葉遣いも姿勢も以前と変わらない。
けれど、エリシアには分かる。
今のミレイユには、以前にはなかった芯がある。
エリシアの視線が、ゆっくりとミレイユの手元へ移る。
そこにある指輪を見つけた瞬間、ほんの少しだけ目を細めた。
「……なるほど」
それだけで、すべてを理解したようだった。
続いて、アロイスへ視線を向ける。
帝国の公爵。
そして、ミレイユの隣に立つ男。
「……あなたが」
柔らかな声だった。
「彼女の“隣”を選んだ方ですか」
問いかけではある。
けれど、答えなど分かっているような目だった。
アロイスは迷いなく答える。
「はい」
そのやり取りを、アルベルトは少し離れた場所から見ていた。
何も言わない。
視線も動かさない。
ただ、そこに立つ二人を静かに見ている。
エリシアは小さく頷いた。
「報告は受けています。今後の共同研究の件、それに付随するいくつかの事情についても」
ミレイユは一瞬だけ息を呑んだ。
だが、もう目を逸らさない。
「はい」
はっきりと答える。
エリシアは満足そうに微笑んだ。
「あなたは、選んだのですね」
その言葉に、ミレイユは一度だけ目を伏せる。
そして、ゆっくり顔を上げた。
「はい」
その瞳には、一切の迷いがなかった。
「自分で、選びました」
その答えを聞いて、エリシアは深く頷く。
「よろしい」
短い言葉だった。
けれど、王としての重みがある。
「ならば、それを支えるのが、この国の役目です」
謁見室の空気が、わずかに変わった。
王国として、ミレイユの選択を認める。
そして、その未来を支える。
それは、かつて彼女が王国を離れた時とは、まったく違う意味を持っていた。
その瞬間、アルベルトの指先がほんのわずかに動く。
だが、それだけだった。
エリシアがふと視線を後ろへ向ける。
アルベルトと目が合う。
二人は何も言わなかった。
けれど、それで十分だった。
アルベルトはほんの少しだけ頭を下げる。
騎士として。
自分の役目を果たす者として。
ミレイユは、その気配を感じ取った。
言葉はない。
それでも、伝わっている。
ミレイユもまた、静かに頭を下げた。
それが、彼女なりの答えだった。
謁見室には、穏やかな沈黙が満ちていた。
争いもない。
軋轢もない。
ただ、それぞれが選んだものを、それぞれが受け入れている。
ミレイユはアロイスの隣に立っていた。
もう、誰かに決められた場所ではない。
自分で選び、自分で立つと決めた場所。
そして、その隣にいる人もまた、自分で選んだ。
二人は静かに、同じ未来を見つめていた。




