第4話:外圧
公爵邸の朝。
食堂の机には、もはや当然のように赤飯が並んでいた。
昨日までなら祝いの席として受け入れられたかもしれないが、さすがに毎日となると、ミレイユも無言でそれを見つめるしかない。
「……やめてください……」
思わず漏れた呟きに、エドガーが淡々と答える。
「既に祝いの段階は終了しています。現在は定常運用です」
「定常ってなんだよ!!」
ライナーが箸を叩く。
ヴァルターは紅茶を飲みながら、いつもの調子で頷いた。
「安定しています」
「どこがだよ……」
ライナーが呆れる横で、アロイスは何も言わずにミレイユの隣へ腰を下ろした。
以前なら少し離れた位置に座っていたはずなのに、今ではそれが自然になっている。
誰も何も言わない。
ただし、全員が見ていた。
ミレイユもそれに気づきながら、わずかに身体を寄せる。
ほとんど無意識の動きだった。
当然、ライナーが見逃すはずもない。
「寄ってる、寄ってる!!」
「やめてください……!」
ミレイユが慌てて身を戻すと、エドガーが告げた。
「無意識の接近頻度、増加傾向です」
「報告するな!」
ヴァルターも続ける。
「関係は安定期に移行しています」
「だから何なんだよ!」
アロイスが口を開いた。
「……黙れ」
短い一言だったが、誰も黙らなかった。
むしろライナーが身を乗り出す。
「で?」
にやにやと笑いながら、核心を突く。
「付き合ってんの?」
食堂が静まり返った。
ミレイユの手が止まり、アロイスも動かない。
しばらく待っても返事がないため、ライナーがさらに追い打ちをかけた。
「どうなんだよ?」
ミレイユは迷いながら口を開く。
「……それは……」
けれど、言葉が見つからない。
その隣で、アロイスが先に答えた。
「定義していない」
真顔だった。
「はぁぁぁあ!?」
ライナーが机を叩く。
「しただろ今!!」
エドガーが冷静に口を挟む。
「事実関係としては、接触の発生、相互同意、継続的接近が確認されています」
そして、淡々と結論を出した。
「――成立しています」
「お前まで何を言ってんだよ!」
ヴァルターも頷いた。
「否定材料はありませんねぇ」
完全に逃げ道がなくなり、ミレイユは顔を覆った。
「……やめてください……」
だが、アロイスは否定しなかった。
その沈黙こそが、ある意味では答えだった。
ライナーは頭を抱える。
「めんどくせぇぇぇぇ……!」
その様子を見ていたマルガレーテが、穏やかな笑みを浮かべた。
「いいのですよ。言葉にしなくても、分かるものは分かるものですから」
ミレイユは顔を上げ、隣を見る。
アロイスと視線が合う。
今度は、どちらも逸らさなかった。
ミレイユは小さく息を吐き、テーブルの下でそっと手を伸ばした。
指先が触れる。
互いに動きを止めたあと、ごく自然に指を絡める。
誰にも見えない場所で。
けれど、確かに繋がっている。
その動きに気づいたライナーが固まった。
やがて顔を覆う。
「……くそ……」
諦めたように呟いた。
「尊い……」
完全敗北だった。
エドガーが小さく頷く。
「観測完了です」
ヴァルターも満足そうに言った。
「安定しています……ふふっ」
遠くでそれを見ていたルドルフは、窓の外へ視線を向けた。
「……公爵家はいったいどこへ向かっているのでしょうな……」
誰も答えなかった。
*
後刻。
帝国皇宮では、重厚な扉の向こうへアロイスが足を踏み入れていた。
室内の奥には、第一皇子と第二皇子が並んでいる。
「来たか」
第一皇子が短く声をかける。
アロイスは一礼した。
いつも通りの無駄のない動作だった。
だが、第一皇子は早々に切り込んだ。
「ヴァルターから報告を受けている」
アロイスの眉が、わずかに動く。
嫌な予感しかしなかった。
「お前もいい歳だ。身を固めるなら、早くしろ」
あまりにも直球だった。
アロイスは黙り込む。
第二皇子は面白そうに笑っている。
「決めろ」
明らかに楽しんでいた。
アロイスは鋭い視線を向ける。
「……任務に関係はないかと」
「そうだな」
第一皇子はあっさり認めた。
だが、続く言葉は容赦がなかった。
「だが、効率は上がる」
何の効率だ、と言いたげな表情を、アロイスはどうにか抑える。
第二皇子も追撃した。
「報告では、判断が遅延しているらしいな?」
完全にヴァルター経由の情報だった。
アロイスのこめかみに力が入る。
しかし、反論できない。
事実だからだ。
第一皇子が最後に言った。
「期待している」
アロイスは黙って一礼し、そのまま踵を返した。
ただし、いつもより歩みが速かった。
*
一方、皇立魔術研究所では、ミレイユが研究室へ入った途端、数人の女性研究員に囲まれていた。
「聞いたんですけど!」
「特務監査官から聞いたんですが!」
嫌な予感がした。
その予感は、次の一言で確信に変わる。
「鉄血公爵を黙らせる能力があるんですって!?」
「なにそれ、新しい精神干渉!?」
「術式はどこです!?」
「理論化できます!?」
「再現性は!?」
一気に詰め寄られ、ミレイユは完全に固まった。
「……え?」
違う。
そういう話ではない。
しかし、研究員たちは止まらない。
「対象限定効果ですか!?」
「接触が必要なんですか!?」
「有効距離は!?」
「論文化できそう!?」
「やめてください……!」
ミレイユは顔を赤くして両手で頬を覆う。
だが、その背後からさらに冷静な声が加わった。
「観測結果では、段階的接触により影響力が増大しています」
ヴァルターだった。
いつからいたのか。
誰も気づかなかった。
「やめてください!」
ミレイユが叫ぶ。
しかし研究員たちの目は、さらに輝きを増していた。
「きゃー!」
「やっぱり接触型!」
「論文化できる!」
「というか単純に羨ましい!」
「違いますから!」
ミレイユが必死に否定する。
それでもヴァルターは淡々と続けた。
「現在、安定期へ移行しています」
「本当にやめてください……!」
研究室は、もはや研究施設とは思えないほどの騒ぎになっていた。
*
その日の夕方。
公爵邸の廊下で、アロイスとミレイユは顔を合わせた。
互いに何かを言いかけ、ほぼ同時に口を開く。
「……効率」
「……論文」
言葉が重なり、二人とも止まった。
視線が合う。
ミレイユが困ったように笑った。
「……何の話ですか?」
分かっている。
けれど、聞かずにはいられない。
アロイスは小さく息を吐く。
「外圧だ」
あまりにも簡潔で、ミレイユは思わず笑ってしまった。
「……そうですね」
二人の手が自然に触れる。
今度は、どちらも離さない。
そのまま指を絡めた。
「……どうします?」
ミレイユが尋ねる。
アロイスは考えるように彼女を見つめる。
「……決める」
短い言葉だった。
けれど、そこには今までとは違う、確かな意思があった。
ミレイユの心臓が跳ねる。
それでも逃げずに頷いた。
「……はい」
二人はそのまま歩き出す。
外から押されるようにして、少しずつ進んでいる。
けれど、その方向だけは――二人自身が選んでいた。




