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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第3話:通常運転

公爵邸の朝。

食堂の机には、またしても赤飯が並んでいた。

しかも、以前より明らかに量が増えている。

なぜ増えたのかは、誰にも説明されていない。

ミレイユが席につくなり深いため息を吐くと、向かいに座っていたマルガレーテが満面の笑みで頷いた。

「これはお祝いです!」

何のお祝いなのか。

聞くまでもない気がして、ミレイユはもう何も言わなかった。

隣ではライナーが箸を伸ばし、赤飯を一口食べる。

「うめぇな、これ」

完全に通常運転だった。

エドガーが淡々と補足する。

「昨夜、再度の未遂が確認されましたので」

「未遂を確認するな!」

ミレイユが思わず顔を覆う。

その横で、ヴァルターが小さく頷いた。

「進展あり」

「ログ更新みたいに言わないでください……」

ミレイユの声は弱々しい。

アロイスは何も言わない。

ただ、耳だけがわずかに赤かった。

それを見たライナーが、にやりと笑う。

「で?今日はどこまでいく?」

懲りていない。

エドガーが即座に答えた。

「本日は“通常運転”です」

「何の通常運転だよ」

ライナーが呆れたように言う。

だが、その時、ミレイユとアロイスの視線が重なった。

すぐに互いに逸らす。

それでも、昨日までとは何かが違っていた。

二人の距離は、確実に近くなっている。

*

昼過ぎ。

ミレイユは書類を抱え、廊下を歩いていた。

角を曲がったところで、向かいから来たアロイスと軽くぶつかる。

「……あ」

肩が触れた。

いつもなら、すぐに離れるところだった。

けれど今日は、なぜか互いに動かなかった。

気づけば距離が近い。

昨日のまま。

誰もいない廊下には、二人の呼吸だけが響いている。

ミレイユは小さく息を整え、顔を上げた。

アロイスと目が合う。

今度は、どちらも逸らさない。

やがてミレイユが、ほんの少し意地悪そうに笑った。

「……昨日の続き、ですか?」

アロイスの目がわずかに細くなる。

「そうなる」

迷いのない返事だった。

ミレイユの呼吸が乱れる。

それでも動かない。

アロイスの手が伸び、ミレイユの肩へそっと触れた。

そのまま軽く引かれ、二人の距離がさらに縮まる。

背後は壁。

逃げ場はない。

けれど、ミレイユは逃げようとしなかった。

アロイスが顔を傾ける。

そして、ミレイユの額へ唇を触れさせた。

ほんの一瞬。

軽く、優しく。

それだけだった。

けれど、ミレイユには時間が止まったように感じられた。

目を見開き、遅れてそっと閉じる。

やがてアロイスが離れると、ミレイユは顔を両手で覆った。

耳まで赤い。

「……反則です」

小さく呟く。

アロイスは何も答えなかった。

ただ、その口元がわずかに緩んでいる。

その時。

物陰から声がした。

「……接触、成功」

ヴァルターだった。

当然のように記録している。

続いてエドガーの声。

「段階進行を確認」

そして、

「やっとかよぉぉぉ!!!」

ライナーの絶叫。

さらに、

「きゃあああああああ!!!」

と、メイドたちの歓声まで重なった。

ミレイユはその場にしゃがみ込み、顔を覆う。

「……やめてください……もう本当に……」

それでも、指の隙間から見える表情には笑みが浮かんでいた。

アロイスはそんなミレイユへ手を差し出す。

ミレイユはその手を取った。

今度は迷わない。

そのまま二人は、昨日より近い距離で歩き出した。

もう、昨日とは違う。

確実に、進んでいる。

*

翌朝。

公爵邸は異様なほど静かだった。

――いや、違う。

静かにされている。

廊下を歩いていたライナーは、鼻歌交じりだった。

昨日の出来事を思い出しているのか、すこぶる機嫌がいい。

「いやー、今日こそは進展――」

その瞬間、脇の扉が開いた。

中から現れたのは、満面の笑みを浮かべたマルガレーテだった。

「ライナー様」

優しい声だった。

だが、なぜか逃げ場がない。

「ちょっとこちらへ」

「え?ちょ、待っ――」

腕を掴まれ、そのまま部屋へ引きずり込まれる。

扉が閉まった。

鍵が、外から掛けられる。

「……え?」

ライナーが固まる。

「え???」

扉の向こうから、マルガレーテの優しい声が響いた。

「今日はおとなしくしていなさい」

「ちょっと待てぇぇぇ!!!」

扉を叩く音が響いた。

もちろん、誰も助けない。

別の廊下では、ヴァルターがいつも通り歩いていた。

「本日は進展の――」

そこへ、別の扉が開く。

エドガーが立っていた。

「こちらへ」

「何故ですか」

「観測過多です。本日は不要です」

ヴァルターが眉を寄せる。

「……合理的ではありません」

「そうですか」

そのまま押し込まれる。

扉が閉まり、鍵が掛かった。

しばらくして、部屋の中から冷静な声がする。

「……監査対象が消失しました」

誰も返事をしなかった。

*

食堂では、メイドたちが整列していた。

その前に立つマルガレーテは、完全に指揮官の顔をしている。

「本日の任務を確認します」

全員が姿勢を正す。

「――外野の完全排除」

一斉に頷く。

「「「了解!」」」

気合いが違った。

挿絵(By みてみん)

マルガレーテは続ける。

「対象は二名、ミレイユ様と坊ちゃんです」

場の空気が引き締まる。

「二人きりの時間を確保します!邪魔はさせません!」

そして、きっぱりと命じた。

「総員、配置につきなさい!」

メイドたちは一斉に散っていく。

完全に軍隊だった。

*

その頃、ミレイユは書庫にいた。

本を手に取り、ページをめくる。

「……珍しいですね」

思わず呟いた。

いつもなら、どこかに誰かがいる。

物陰から覗いている気配もある。

けれど、今日はそれがない。

妙に静かだった。

その時、扉が開いた。

振り返る。

アロイスだった。

目が合う。

そして二人とも気づく。

――誰もいない。

本当に、誰もいない。

ミレイユが息を呑む。

「あの……」

アロイスも周囲を見渡し、ようやく状況を理解したようだった。

「……そういうことか」

ミレイユも頬を赤くしながら頷く。

「……そういうこと、ですね」

逃げる気はない。

ただ、少し緊張している。

外の音すらほとんど聞こえない。

誰も来ない。

いや、正確には――来られないようにされている。

今までとは違う緊張が、二人の間に流れていた。

ミレイユが一歩近づく。

自分から。

アロイスは動かず、それを受け止める。

距離が縮まる。

昨日より、確実に近い。

やがて二人の目が合った。

どちらも逸らさない。

そして、二人とも分かっていた。

今回は――止まらない。

ミレイユが小さく言った。

「……今度は、止めませんよ?」

声は小さいが、はっきりしていた。

アロイスの目がわずかに細くなる。

「止める理由がない」

その言葉とともに、距離が消えた。

唇が触れる。

軽く、確かめるような接触だった。

すぐには離れない。

けれど、長くもしない。

初めてのキス。

やがて二人の唇が離れる。

それでも距離は近いままだった。

ミレイユは目を閉じたまま、乱れた呼吸を整える。

アロイスは何も言わない。

ただ、もう一度だけ顔を近づけた。

今度は、少しだけはっきりと触れる。

短く。

けれど、さっきより確かに。

そして離れる。

もう未遂ではない。

ミレイユがゆっくり目を開ける。

視線が合う。

今度も逸らさない。

頬を赤くしたまま、それでもミレイユは笑った。

「……反則です」

嬉しそうな声だった。

アロイスは何も言わず、自然な動作で手を伸ばす。

ミレイユの手を取る。

今度は迷いなく、指を絡めるように繋いだ。

少し距離を空けても、手は離さない。

書庫には二人しかいない。

それだけで、十分だった。

*

数分後。

書庫の外では、メイドたちが耳を澄ませていた。

誰も喋らない。

しばらくして、一人が小さく呟く。

「……静かすぎない?」

マルガレーテの目が見開かれる。

「まさか――」

扉が開く。

――シーン。

そこには、手を繋いで立っている二人の姿があった。

距離は少しだけ近い。

それだけ。

誰も動かなかった。

そして次の瞬間。

「きゃああああああああああああ!!!!!!!」

大爆発だった。

遠くからライナーの声が響く。

「どうなったぁぁぁぁぁ!!!」

エドガーが即答する。

「成功です」

さらに遠くから、ヴァルターの声がした。

「監視できませんでした……」

その声には、ほんの少しだけ悔しさが滲んでいた。

ルドルフは目を閉じ、深く息を吐く。

そして、いつものように呟いた。

「……公爵家はいったいどこへ……」

誰も止めない。

もう、止められなかった。

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