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選択の魔女  作者: めいあん
第一章:王宮魔術師編
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第12話:甘やかな違和

王女宮の一室は、いつもよりわずかに華やいでいた。

もっとも、それは賑やかさとは違う。

整えられた華やかさであり、計算された柔らかさであり、そして何よりも重なりすぎた香りだった。

甘い花の匂いが幾重にも折り重なり、空気そのものへ染み込んでいる。

(……重い)

ミレイユは扉をくぐった瞬間、そう感じた。

香りが強すぎるわけではない。

むしろ上品で、社交の場には相応しいものだろう。

だが、その奥に何かがある。

呼吸へ触れるような見えない層。

ごくわずかな違和感。

それなのに、一度意識すると消えてくれない。

今日はエリシア王女主催の茶会だった。

ミレイユは侍女として控えている。

控えめなドレス。

目立たない立ち位置。

隣には同じく侍女姿のリディアが立ち、少し離れた場所には護衛としてアルベルトが控えている。

壁際ではシルヴァンが腕を組み、いつも通り気楽そうな顔をしていた。

誰も視線を交わさない。

だが全員が同じものを見ていた。

――何かがずれている。

「皆さま、本日はお集まりいただきありがとうございます」

エリシアの声が穏やかに室内へ広がる。

柔らかく、優しく、そして完璧だった。

それに応じるように令嬢たちが微笑む。

華やかなドレス。

鈴のような笑い声。

和やかな空気。

表面だけを見れば、どこにでもある優雅な茶会だ。

だが。

(……揃っていない)

ミレイユはほんのわずかに目を伏せた。

笑うタイミング。

視線の流れ。

呼吸の重なり方。

どれも僅かに噛み合っていない。

まるで同じ旋律を別々の楽器で演奏しているような、不揃いな調和だった。

挿絵(By みてみん)

「最近、体調を崩される方が多いと聞きました」

エリシアがさりげなく話題を向ける。

その瞬間、空気が揺れた。

整えられていた表面に、ほんの小さな亀裂が走る。

「ええ……少し眠りが浅くて」

「夢をよく見るのです」

「目が覚めても残っていて……」

声が重なる。

だが、やはりどこか噛み合わない。

誰かの言葉に別の誰かの声が重なる。

微細なズレ。

聞き逃してしまいそうな違和感。

ミレイユの指先がわずかに動いた。

(……夢)

頭の奥に既知の兆候が浮かぶ。

精神干渉。

その影響として現れる典型的な症状。

だが。

(……断定はできない)

違和感が残る。

深さが足りない、それでいて完全には否定できない。

曖昧な境界線。

そのときだった。

一人の令嬢がふらりと身体を揺らした。

「……っ」

視線が宙を泳ぐ。

何かを見ている。

だが、その先には何もない。

呼吸が乱れ、足元がおぼつかなくなる。

室内にざわめきが広がった。

「大丈夫ですか」

「お水を」

「あら……」

不安げな声が飛び交う。

エリシアも立ち上がろうとした。

その前に、ミレイユが静かに動く。

目立たない速度で。

気付かれないように。

「失礼いたします」

小さな声とともに令嬢のそばへ歩み寄る。

触れない。

ただ観察する。

令嬢の瞳は定まっていない。

呼吸は浅く、指先は小刻みに震えている。

(……揺れている)

意識の表層が波立っている。

だが奥までは届いていない。

精神そのものが侵食されているわけではない。

それでも確かに影響はある。

(……精神干渉?)

否定はできない。

だが違和感が強かった。

均一ではない。

方向性が曖昧だ。

まるで外側から押されているのではなく、内側から崩れているような感覚。

結論は出さない。

今はまだ観察だけだ。

「……少し、お疲れのようです」

穏やかに声をかける。

それだけで令嬢の呼吸がわずかに整った。

完全ではない。

だが十分だった。

「少し休まれた方がよろしいでしょう」

令嬢は戸惑ったように瞬きを繰り返し、やがて小さく頷いた。

ミレイユは静かに離れる。

何事もなかったかのように。

戻る途中、ほんの一瞬だけアルベルトと目が合った。

言葉はない。

だが警戒は共有されている。

――異常だ。

茶会は続いた。

笑顔もある。

会話も続く。

だが誰も最初の空気には戻れなかった。

誰もがどこか落ち着かない。

理由は分からない。

それでも何かがおかしいことだけは感じ取っている。

甘い香りは変わらず漂っている。

むしろ時間が経つほど濃くなっているようにさえ思えた。

ミレイユは会話を交わす令嬢たちを静かに見つめる。

疲労。

不安。

焦燥。

小さな揺らぎがあちこちに見える。

だが精神干渉と断定するには弱い。

決め手がない。

その曖昧さが、かえって不気味だった。

やがて茶会は終わる。

最後の令嬢が退出し扉が閉まると、室内には静寂が戻った。

先ほどまで漂っていた談笑の気配と甘い香りだけが、まだ微かに残っている。

侍女たちが後片付けを始める中、エリシアは窓辺へ歩み寄った。

陽光が金の髪を照らす。

その姿は相変わらず美しい。

だが、ミレイユは気付いてしまった。

ほんの僅かに、肩の力が抜けていることに。

「殿下」

呼びかけると、エリシアは振り返った。

「どうしましたか」

いつもの微笑み。

完璧な王女の顔。

だが、先ほどより少しだけ柔らかい。

ミレイユは少し迷ってから口を開いた。

「お疲れさまでした」

エリシアは一瞬だけ目を瞬かせた。

そして、小さく笑う。

「やはり隠せませんね」

責めるような響きはない。

むしろ、どこか諦めにも似た声音だった。

「少しだけ疲れました」

窓の外へ視線を向ける。

「皆さま、不安を抱えておられましたから」

その言葉に、ミレイユは静かに頷いた。

「はい」

「恐れや不安が広がっています」

エリシアは目を閉じる。

ほんの一瞬だけ。

「だからこそ」

静かな声だった。

「支えなければなりません」

王女としての言葉。

責務としての言葉。

だが、ミレイユには分かる。

その中にある本心が。

誰よりも人を見ているからこそ、誰よりも傷付いている。

それでも前へ進もうとしている。

ミレイユは小さく頭を下げた。

「お力添えいたします」

エリシアは微笑んだ。

「ありがとう」

それは王女としてではなく。

一人の女性としての言葉だった。

「……で?」

シルヴァンが壁にもたれたまま肩を竦める。

軽い調子。

だが目は笑っていない。

「どう見る?」

しばらく沈黙が続く。

やがて。

「妙だな」

リディアが言った。

ミレイユは少し驚く。

「何がでしょうか」

「今回の件だ」

短い返答。

リディアは前を向いたまま続ける。

「私は気付かなかった」

ミレイユは目を瞬かせた。

リディアがそんなことを口にするとは思わなかった。

「毒なら気付く」

「刃なら止める」

声は淡々としている。

「だが、これは違う」

少しだけ眉を寄せる。

「異常は起きている」

「だが原因が見えん」

ミレイユは静かに頷いた。

同感だった。

「はい」

「私も断定できません」

リディアは小さく息を吐く。

「厄介だな」

それだけ言って歩き去る。

だが、その言葉には確かな信頼が滲んでいた。

『お前が見つけろ』

そう言われたような気がして。

ミレイユは小さく背筋を伸ばし、考えた。

結論はまだ出ない。

だから出せる答えも限られる。

「……可能性としては」

静かに口を開く。

「精神干渉の影響も否定はできません」

リディアの目がわずかに細くなった。

「断定はしないのか」

「はい」

ミレイユは頷く。

「干渉に似た兆候はあります」

そして続ける。

「ですが、一致しない点も多いです」

「どこが違う」

アルベルトが問う。

「深さです」

ミレイユは答えた。

「精神干渉なら、もっと明確な歪みが出ます」

言葉を選ぶ。

「今回の症状は浅いのです」

「そして作用も均一ではありません」

シルヴァンが小さく笑った。

「中途半端ってこと?」

「……はい」

その表現は間違っていない。

リディアが腕を組む。

「つまり」

「まだ分からない、ということです」

ミレイユははっきりと言った。

沈黙が落ちる。

やがてアルベルトが口を開いた。

「どうする」

「調べます」

即答だった。

「共通点を探します」

「生活、習慣、接触したもの……原因を特定できるまでは断定するべきではありません」

再び沈黙。

今度はエリシアが頷いた。

「……ええ」

穏やかな声だった。

「それがよいでしょう」

その一言で方針が決まる。

精神干渉かもしれない。

だが違うかもしれない。

だからこそ調べる。

推測ではなく事実を積み重ねる。

ミレイユは静かに指先を握った。

香りはまだ残っている。

空気の中に、そして人の内側に。

(……見極める)

これは力の問題ではない。

判断の問題だ。

その先に何があるのか、まだ誰も知らない。

だが確実に何かが始まっていた。

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