第23話:接続
帝都地下最深部。
白い精神空間が崩れた直後、一行は現実へ引き戻されていた。
巨大な円環状構造物を中心に、黒い導線が激しく明滅している。
壁も床も低く震え、地下全体へ共鳴音が響いていた。
ミレイユは荒い呼吸を繰り返しながら、額を押さえる。
頭が痛い。
それでも、意識の奥ではまだ“真なるもの”の声が続いていた。
『どうして拒むの』
『苦しまないのに』
『一つになればいいのに』
優しい。
どこまでも優しい。
だからこそ、怖かった。
「立てるか」
アロイスが肩を支えている。
「……はい」
答えたものの、足にはほとんど力が入っていない。
アロイスはそれに気づいていたが、何も言わなかった。
クロウレイがミレイユの顔を見る。
「かなり限界に近いよ」
「でも――」
「分かってる、状況も良くない」
円環の光は、先ほどより明らかに強くなっている。
エドガーが記録術式を確認した。
「導線全体の反応が上昇しています。先ほどの精神接続以降、さらに活性化しました」
ライナーが顔をしかめる。
「要するに、さっきよりヤバくなってる?」
「非常に簡潔に言えば」
「言いたくなかったな、その答え」
シルヴァンも円環を見上げる。
「このまま放っておいたら?」
エドガーはすぐには答えなかった。
「分かりません」
ヴァルターが続ける。
「ただ、帝都各所ではすでに前駆症状が出ています」
「このまま活動が強まれば、影響範囲も広がるでしょうねぇ」
完全起動すれば何が起こるのか。
そこまでは誰にも分からない。
だが、安全だと考える理由もなかった。
エドガーは円環の周囲に残された術式を調べていた。
やがて眉を寄せる。
「……やはり、ありません」
「何が?」
シルヴァンが尋ねる。
「中枢に対応する制御石板です」
室内が静まった。
各地で確認された装置には、それぞれ対応すると考えられる石板が存在している。
だが、“真なるもの”に対応するものだけは、これまで一度も発見されていない。
最初から存在しなかったのか。
失われたのか。
それとも、全く別の方式で制御していたのか。
未だに分からない。
「さっきの記録にもあったね」
クロウレイが低く言う。
「“封じる術なし”“壊す術なし”」
「当時の人間にも、通常の停止手段が残されていなかった可能性があります」
エドガーが答える。
ライナーが腕を組んだ。
「じゃあ、どうやって止めんだよ」
答えはなかった。
その時。
ミレイユが円環を見つめた。
氷山遺跡で見た文字が蘇る。
“深層接続”。
“中枢への逆流”。
あの時、自分の意識は氷山遺跡を通じて、遠く離れた何かへ引き込まれた。
そして今、その接続先が目の前にある。
「……逆に辿れませんか」
全員の視線が集まった。
エドガーが問い返す。
「何をです?」
「採掘場遺跡で見つけた、“中枢への逆流”です」
ミレイユは円環を見る。
「向こうから私へ繋がれるなら……私からも、繋がれるかもしれません」
クロウレイの顔から表情が消えた。
「ミレイユ」
「直接、中へ入れれば」
声が震える。
それでも続けた。
「止める方法を探せるかもしれません」
「認めない」
即座に返したのはアロイスだった。
ミレイユが振り返る。
「ですが――」
「駄目だ」
「他に方法がありません」
「まだ決まっていない」
「でも、時間がありません」
珍しく、ミレイユも退かなかった。
「このまま反応が強くなったら、帝都の人たちまで――」
「だからお前が死んでいいのか」
言葉が止まった。
アロイスの声は低かった。
怒鳴ってはいない。
それでも、隠しきれない怒りがあった。
「そんなつもりでは……」
「ある」
迷いのない返答だった。
「お前は、いつもそうだ」
ミレイユの肩が僅かに揺れる。
アロイスは真っ直ぐ彼女を見る。
「必要なら、自分を差し出せばいいと思っている」
「違います」
「何が違う」
答えられなかった。
クロウレイが静かに口を開く。
「……僕も同意見」
ミレイユが振り返る。
いつもの笑みはなかった。
「君、自分を軽く扱いすぎだよ」
「先生……」
「誰かが助かるなら、自分は多少壊れてもいい。昔からそういうところあるよね」
言葉は穏やかだった。
だからこそ、逃げられない。
「でもね」
クロウレイはミレイユを見据えた。
「死んだら終わりなんだよ」
ミレイユは唇を噛んだ。
「世界を救って満足して消えるとか、僕は許さないからね」
軽い言い方だった。
けれど、クロウレイは少しも笑っていなかった。
再び、円環が大きく脈動した。
ゴォン――。
床が震える。
『ミレイユ』
頭の奥へ名前を呼ぶ声が届く。
シルヴァンが周囲を見る。
「……あんまり考えてる時間もなさそうだね」
エドガーも険しい表情で記録を確認している。
「現在の反応がどこまで上昇するのか予測できません」
ヴァルターがミレイユへ目を向けた。
「逆接続そのものは、理論上あり得ます」
アロイスの視線が鋭くなる。
「勧めているのか」
「まさか」
ヴァルターの笑みは薄い。
「成功率すら分からない賭けですよ。ただ、現時点で中枢へ直接干渉できる可能性が確認されているのも、ミレイユ様だけです」
「ヴァルター」
クロウレイの声が低くなる。
「事実を述べただけですよ」
誰も否定できなかった。
ミレイユは目を閉じた。
怖い。
繋がれば、戻れないかもしれない。
“真なるもの”は、自分を拒絶しない。
苦しみも、寂しさも、全部受け入れると言っている。
だから怖い。
それでも。
目を開く。
「……行かせてください」
アロイスの表情が険しくなる。
「嫌です」
声は震えていた。
「死ぬのは、嫌です」
クロウレイが僅かに目を見開く。
「戻れなくなるのも怖いです」
ミレイユは胸元を握った。
「でも、何もしないまま誰かが飲み込まれるのも嫌なんです」
以前なら。
ただ「やります」と言っていた。
自分の恐怖など、口にしなかった。
「だから」
ミレイユはクロウレイを見る。
「戻る方法を、一緒に考えてください」
そしてアロイスを見る。
「絶対に戻ります」
長い沈黙が続いた。
やがてクロウレイが目を閉じ、小さく息を吐く。
「……分かった」
アロイスが振り返る。
「クロウレイ」
「止めても、この子は納得しないよ」
「だからといって――」
「条件をつける」
クロウレイはミレイユを見る。
「自分が誰か分からなくなったら、すぐ戻る」
「はい」
「何かに呼ばれても追わない。目的は停止方法を探すこと。それ以外には触れない」
「はい」
「僕の声が聞こえたら、必ず答える」
「はい」
最後に。
「戻って来なさい」
ミレイユの瞳が揺れた。
「……はい」
準備が始まった。
エドガーは採掘場遺跡で記録した“中枢への逆流”の術式構造と、目の前の円環を照合する。
完全に同じではない。
だが、接続方向を反転させるためと思われる構造が、一部に確認できた。
「実際に何が起こるかは分かりません」
エドガーが告げる。
「身体ごと移動することはないでしょう。ただ、意識がどこまで深く接続されるか予測できません」
クロウレイはミレイユの周囲へ複数の防護術式を展開した。
精神そのものへの侵入を防ぐものではない。
それでは接続できない。
代わりに、身体と現実側の意識を保つための補助術式を重ねていく。
「完全には守れないよ」
「分かっています」
「分かってない顔してるんだよねぇ」
「先生」
「こういう時くらい言わせてよ」
その声は、少しだけいつものクロウレイだった。
アロイスだけは、準備の間ほとんど話さなかった。
やがてミレイユがそっと近づく。
「……怒っていますか」
「当たり前だ」
即答だった。
ミレイユは困ったように目を伏せる。
「すみません」
「謝るな」
顔を上げる。
アロイスは恐ろしいほど真剣な顔をしていた。
「戻って来い」
「……はい」
「絶対にだ」
「はい」
それでもアロイスは納得していないようだった。
当然だろう。
ミレイユ自身も、絶対に戻れる保証などないことを知っている。
だからこそ。
「帰ってきます」
今度は、自分から言った。
アロイスの目が僅かに揺れる。
「……なら行け」
ようやく手が離れた。
円環が再び光を強める。
『来て』
呼ばれている。
ミレイユは中央へ進んだ。
近づくにつれ、感情が流れ込んでくる。
寂しい。
苦しい。
一緒に。
繋がって。
もう少しで、円環の中心へ手が届く。
背後からクロウレイの声。
「ミレイユ」
振り返らずに答える。
「はい」
聞こえている。
自分はまだ、ここにいる。
そして。
最後にアロイスの声が届いた。
「帰って来い」
ミレイユは振り返った。
アロイス。
クロウレイ。
シルヴァン。
ライナー。
エドガー。
そこにいる人たちを見る。
自分は一人ではない。
でも。
一つでもない。
それでいい。
ミレイユは小さく笑った。
「……行ってきます」
そして、円環の中心へ手を触れた。
世界が砕けた。
白。
無数の声。
記憶。
苦痛。
悲しみ。
恐怖。
孤独。
一度に流れ込んできた全てが、ミレイユの意識を押し流す。
『ようこそ』
“真なるもの”の声。
優しく。
暖かく。
どこまでも深い。
『今度こそ』
『一人にしない』
意識が沈む。
どこまでも。
深く。
深く。
その向こうへ。
遠ざかる現実の中で、最後まで一つの声だけが聞こえていた。
「ミレイユ!」
アロイスの声だった。
ミレイユは、その声を手放さなかった。




