↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
PR
107/144

第18話:拒絶

暗い。

冷たい。

深い闇の底へ、ミレイユの意識は沈んでいた。

どこまで落ちても光はない。

足元も、自分の身体さえ見えず、輪郭まで闇へ溶けてしまいそうだった。

ここがどこなのかも分からない。

ただ一つ確かなのは、自分のものではない感情が絶え間なく流れ込んでくることだった。

寂しい。

苦しい。

そして、気が遠くなるほど長い孤独。

『どうして拒むの』

声が響く。

責めてはいない。

怒ってもいない。

本当に分からないのだ。

なぜ拒むのか。

なぜ、一つになることを恐れるのか。

『皆、一つになればいいのに』

『そうすれば、誰も苦しまない』

『誰も泣かなくて済む』

ミレイユは目を閉じた。

その願いを、完全に理解できないわけではなかった。

孤独を知っている。

大切な人を失う痛みも、一人きりで夜を明かす怖さも知っている。

だからこそ分かる。

苦しみがなくなればいいと願う気持ちは。

『君も寂しかったでしょう』

声が近づく。

温かい。

すべてを包み込み、痛みも悲しみも受け止めてくれるような温もりだった。

『もう一人じゃない』

意識が軽くなる。

自分と、それ以外の境目が曖昧になっていく。

このまま委ねれば、楽になれる。

けれど。

「……違います」

ミレイユは小さく呟いた。

『どうして』

「一人じゃないことと……一つになることは、違います」

声が止まった。

ほんの一瞬。

その静寂の中へ、遠くから何かが聞こえた。

「――ミレイユ!」

アロイスの声だった。

遠い。

それでも、はっきり分かる。

「ミレイユ!」

今度はクロウレイ。

二人の声が、闇の向こうから自分を呼んでいる。

ミレイユはそちらへ意識を向けた。

その瞬間、闇に僅かな亀裂が走る。

『行かないで』

声が変わった。

初めて、そこに明確な感情が滲んだ。

寂しさ。

「……ごめんなさい」

ミレイユは静かに答えた。

「でも、私は私でいたいんです」

『どうして』

「大切な人と、同じになりたいわけじゃありません」

一つになる必要なんてない。

違う人間だから、声を聞くことができる。

違う心だから、寄り添うことができる。

自分ではない誰かが差し伸べてくれる手に、救われることができる。

「違うままで……一緒にいたいんです」

闇が大きく揺れた。

『――――』

悲しみとも、困惑ともつかない感情が流れ込んでくる。

それが本当に“真なるもの”の感情なのか、ミレイユには分からない。

ただ、ひどく寂しかった。

「ミレイユ!」

再びアロイスの声が響く。

今度は近い。

ミレイユはそちらへ手を伸ばした。

*

「ミレイユ!」

呼び声と同時に、意識が跳ね上がった。

最初に感じたのは、頬に触れる冷たい手だった。

目を開く。

黒い瞳が、すぐ目の前にある。

「……アロイス、様……」

「俺が分かるか」

ミレイユは何度か瞬きをしてから、小さく頷いた。

「……はい」

その返事を聞いて、アロイスの肩から僅かに力が抜けた。

ミレイユは彼の腕の中にいた。

周囲には氷山遺跡の黒い壁。

蒼白く明滅する導線。

低く響く共鳴音。

そして、そのすぐそばにはクロウレイがいる。

「ミレイユ」

いつになく厳しい声だった。

「僕を見る」

ミレイユは素直に視線を向けた。

「ここは?」

「……北方国の、氷山遺跡です」

「僕は?」

「クロウレイ先生」

「今、誰に支えられてる?」

「……アロイス様です」

「よし」

クロウレイがようやく息を吐いた。

「戻ってる」

その場にいた者たちの緊張が、僅かに緩んだ。

だが、イリーナだけは青ざめた顔でミレイユを見つめていた。

「……今の、何だったんですか」

クロウレイが振り返る。

「何か感じた?」

「はい、でも……」

イリーナは胸元を押さえた。

「この遺跡じゃない」

その言葉に、エドガーが顔を上げる。

「どういう意味です?」

「分かりません。ただ……すごく遠かった」

イリーナは自信なさげに首を振る。

「ミレイユさんがここにいるのに、意識だけが、どこか遠くへ引っ張られていくような……」

ヴァルターの目が細くなった。

「遠く、ですか」

「はい」

挿絵(By みてみん)

クロウレイは壁面に刻まれた術式へ視線を向けた。

先ほど見つけた文字。

――深層接続。

――中枢への逆流。

「……まさか」

エドガーも同じものを見ていた。

「先ほどの術式ですか」

「可能性はあるね」

クロウレイはミレイユの手首を取り、脈を確認する。

「この遺跡の装置を経由して、もっと深いところへ接続しかけたのかもしれない」

シルヴァンが顔をしかめる。

「もっと深いって……この遺跡の地下?」

「違う」

クロウレイは即座に否定した。

「距離の話じゃないよ」

その目が険しくなる。

「装置群網の、もっと中枢に近い場所」

全員が黙った。

思い浮かべた場所は、おそらく同じだった。

帝都地下旧層。

未だ開かれていない巨大な扉。

その向こうに存在する可能性が高い、“真なるもの”。

ヴァルターが静かに口を開く。

「つまり、この氷山遺跡からでも、中枢へ至る経路が存在する可能性がある」

「まだ仮説です」

エドガーがすぐに釘を刺す。

「ですが、先ほど発見した術式と現象が無関係とは考えにくいでしょう」

ミレイユはアロイスに支えられたまま、蒼白く光る導線を見る。

あの闇。

あの声。

あれは、この遺跡の中から聞こえていたのではない。

もっと遠い。

けれど、繋がっていた。

「……帝都」

小さく呟く。

アロイスが視線を落とした。

「何だ」

「たぶん……あの声は、ここからじゃありません」

ミレイユは自分の胸元を押さえた。

「もっと遠くから聞こえていました」

「場所が分かるの?」

クロウレイが尋ねる。

ミレイユは首を横へ振った。

「いいえ。でも……」

脳裏に浮かぶ。

暗い場所。

長い孤独。

そして、何度も自分を呼び続ける声。

「この遺跡は……道なんだと思います」

エドガーが僅かに目を見開いた。

ミレイユは慌てて付け加える。

「そう感じただけです。確かなことは分かりません」

「それでいい」

クロウレイが答える。

「今は、感じたことだけ教えて」

ミレイユは頷いた。

「ここを通って……もっと遠いところと繋がったような気がします」

ヴァルターは壁面の術式へ視線を戻した。

「中枢への逆流……」

今度は誰も、その言葉を軽く受け流さなかった。

もし本当に、この装置から中枢へ接続できるのなら。

それは危険であると同時に、これまで存在しなかった道でもある。

“真なるもの”へ、こちら側から干渉するための道。

だが。

「駄目だよ」

クロウレイが言った。

全員の視線が集まる。

「少なくとも、今は絶対に駄目」

声は穏やかだった。

しかし、有無を言わせない響きがある。

「今の一瞬だけで、ミレイユの意識はほとんど持っていかれた」

ヴァルターが尋ねる。

「接続深度は?」

「測れるような状態じゃない。でも、今までで一番深かった」

クロウレイはミレイユを見る。

「自分で戻ってこられた?」

ミレイユは少し考えた。

「……先生と、アロイス様の声が聞こえました」

「それがなかったら?」

答えられなかった。

クロウレイは目を伏せる。

それだけで十分だった。

「撤退するよ」

ヴァルターも異論を挟まなかった。

「そうしましょう」

エドガーが記録をまとめ始める。

その時。

どくん――。

遺跡全体が大きく震えた。

「っ!」

天井から細かな氷が降り注ぐ。

黒い導線が一斉に蒼白く輝き、その光が遺跡の奥へ向かって走った。

イリーナが息を呑む。

「また……!」

「全員、入口へ!」

ヴァルターの声が響いた。

ライナーとシルヴァンが即座に動く。

エドガーも術式の記録を抱え、退路を確認した。

アロイスはミレイユを支えたまま立ち上がる。

「歩けるか」

「はい」

一歩踏み出した瞬間、膝から力が抜けた。

「……すみません」

「謝るな」

アロイスはそれだけ言うと、ミレイユを抱き上げた。

「アロイス様、自分で――」

「歩けてない」

反論の余地がなかった。

背後では、導線の光が次々と別の場所へ走っていく。

どこへ向かっているのかは分からない。

だが、ミレイユには一つだけ感じられた。

遠ざかっていく自分たちを、何かが見ている。

『行かないで』

胸が痛んだ。

ほんの少しだけ、振り返りたくなる。

けれど、ミレイユは目を閉じた。

「……帰ります」

アロイスの腕に、僅かに力がこもる。

「ああ」

そのまま一行は遺跡を離れた。

背後ではなお、低い共鳴音が響き続けていた。

どくん。

どくん。

氷山遺跡は、再び眠りにつかなかった。

*

宿舎へ戻って間もなく、ミレイユは高熱を出した。

精神干渉による過負荷に加え、これまでとは比較にならないほど深い接続を受けた反動だった。

クロウレイは寝台の傍らで診察を終えると、深く息を吐いた。

「……本当に危なかった」

アロイスが低く尋ねる。

「どの程度だ」

「あと少し深かったら、呼び戻せたか分からない」

部屋が静まり返る。

ライナーが苦い顔で頭を掻いた。

「洒落になってねぇぞ……」

「なってないよ」

クロウレイは椅子へ腰を下ろした。

疲労の滲む顔で、眠るミレイユを見る。

「でも、一つ分かったことがある」

エドガーが顔を上げる。

「氷山遺跡ですか」

「うん」

クロウレイは頷いた。

「ここに“真なるもの”がいるわけじゃない」

その言葉に、全員の注意が集まる。

「むしろ逆だ。あの装置を通して、ミレイユの意識が別の場所へ引っ張られた」

ヴァルターが目を細める。

「帝都地下」

「可能性は高いと思う」

クロウレイは断定しなかった。

「僕たちが考えていた以上に、装置同士の繋がりは深い。そしてミレイユは、その経路を辿れてしまう」

エドガーが静かに続ける。

「ならば、“中枢への逆流”という記述も……」

「使えるかもしれない」

クロウレイはそこで言葉を切った。

「でも、今のミレイユには使わせない」

珍しいほど強い口調だった。

「次も戻ってこられる保証なんてない」

誰も反論しなかった。

部屋の奥では、ミレイユが苦しそうな呼吸を繰り返している。

アロイスは寝台の傍らへ椅子を引き寄せ、黙って腰を下ろした。

その視線は、一度も彼女から離れない。

クロウレイはしばらくその背中を見つめていた。

やがて、眠る弟子へ視線を戻す。

「……絶対、死なせないよ」

誰に聞かせるでもなく、呟いた。

王国一の魔術師としてではない。

一人の師として、大切な弟子へ向けた言葉だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。