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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第17話:見つけた

その日の午後、一行は再び北方国採掘場付近の遺跡へ向かった。

北方馬の蹄が雪を踏みしめる音だけが、白く閉ざされた世界へ静かに響いていく。

吹雪は昨日よりも幾分弱まっていたが、視界はなお悪く、山肌を覆う雪は容赦なく冷気を運んできた。

山岳集落を抜け、狭い雪道を進んだ先。

裂けた岩肌の奥に、その遺跡は口を開けていた。

半ば雪へ埋もれた黒い石壁。氷に覆われた入口は、前回よりもさらに崩れかけている。

それでも、そこから漂う気配だけは、以前とは比べものにならないほど濃かった。

ミレイユは足を止め、小さく息を呑む。

「……近い」

その声は震えていた。

『おいで』

頭の奥へ直接響く囁きに、思わず肩が揺れる。

アロイスがすぐ隣へ立ち、低く問いかけた。

「聞こえるのか」

ミレイユは苦しそうに頷く。

「……います」

掠れた声だった。

「すぐ下に……」

その一言で、場の空気が張り詰めた。

イリーナも険しい表情で遺跡を見つめる。

「昨日より……ずっと強い」

灰色の瞳がわずかに揺れる。

ヴァルターは入口を見上げながら、小さく息を吐いた。

「どうやら完全再起動の段階へ入りつつあるようですねぇ」

誰も軽口を返さなかった。

一行は慎重に遺跡内部へ足を踏み入れる。

途端に、外の吹雪が嘘のように静まり返った。

冷え切った空気。

深い闇。

氷壁へ反射する淡い光。

そして、その壁一面を這うように伸びる黒い導線が、ゆっくりと脈を打っていた。

まるで巨大な生き物の血管だった。

シルヴァンが顔をしかめる。

「毎回思うけど……趣味悪いなぁ」

「同感です」

エドガーも静かに頷く。

「休眠していたとは思えませんね」

奥へ進むにつれ、低いうなり声のような共鳴音が響き始める。

以前ミレイユが休眠させたはずの装置は、再び淡い蒼白い光を宿し、心臓の鼓動のように規則正しく脈打っていた。

どくん。

どくん。

その音に合わせるように、ミレイユの呼吸が浅くなる。

『帰っておいで』

『一つになろう』

『苦しくない』

優しい声だった。

だからこそ恐ろしい。

クロウレイがすぐに肩へ手を添える。

「まだ大丈夫?」

問いかける声は穏やかだったが、その目には強い警戒が浮かんでいる。

ミレイユは返事ができなかった。

呼吸を整えるだけで精一杯だった。

「……かなり近いです」

ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しい。

「"真なるもの"が……」

その時だった。

壁面を調べていたエドガーが、不意に足を止める。

「これは……」

氷を払い落とすと、その下から古代文字が姿を現した。

幾重にも刻まれた術式。

複雑に絡み合う紋様。

ヴァルターが目を細め、ゆっくりと文字を追う。

「"深層接続"……」

さらに視線を滑らせる。

「"中枢への逆流"、ですか」

その言葉に、場の空気が変わった。

ライナーが眉をひそめる。

「何だ、それ」

エドガーは刻印へ視線を走らせながら答えた。

「逆接続術式です」

「装置から命令を受けるのではなく、中枢へ逆方向から精神接続するための術式と思われます」

シルヴァンが露骨に嫌そうな顔をする。

「それ、絶対ヤバいやつじゃん」

「ええ」

エドガーはあっさり頷いた。

「かなり危険です」

ヴァルターも静かに続ける。

「ですが、理屈は通ります」

「中枢が装置群網全体へ命令を送っているのであれば、その流れを逆から辿ることで、命令そのものへ干渉できる可能性があります」

静かな沈黙が流れた。

ライナーはゆっくり全員を見回し、苦い顔で呟く。

「……で、それを誰がやるんだよ」

誰も答えない。

答えは、最初から一つしかなかった。

全員の視線が、自然とミレイユへ集まる。

ミレイユは壁面の古代文字を見つめたまま、小さく息を呑んだ。

黒い導線。

脈打つ装置。

そのさらに奥。

地下深くから、誰かがこちらを見つめている。

『おいで』

優しく。

寂しそうに。

まるで、ずっと誰かを待ち続けていたかのように。

ミレイユの視界が、ゆっくりと揺らぎ始めた。

*

視界が揺らぐ。

気づけば、冷たい闇の中に立っていた。

寒い。

暗い。

果てが見えない。

まるで、地の底へ一人閉じ込められているような感覚だった。

長い。

あまりにも長い時間。

誰も来ない。

誰にも届かない。

そんな孤独だけが、胸いっぱいに流れ込んでくる。

ミレイユの身体がふらりと傾いた。

「ミレイユ!」

アロイスが咄嗟に腕を伸ばし、その身体を抱き寄せる。

ミレイユは苦しそうに息を震わせ、小さく呟いた。

「……ひとり」

その声を聞いた瞬間、クロウレイの表情が変わる。

「接続が始まってる!」

普段の飄々とした雰囲気は消え失せ、鋭い声が遺跡へ響いた。

ヴァルターが低く問いかける。

「遮断できますか」

クロウレイは苦しげに首を振る。

「無理だねぇ」

静かな声だった。

「ここまで来た時点で、向こうがミレイユを掴んでる」

その言葉に、全員の背筋が冷えた。

『苦しくないようにしたかった』

頭の奥へ、初めて聞く言葉が流れ込む。

ミレイユの瞳が揺れる。

『争わなくていいように』

『泣かなくていいように』

『皆が、一つになれば』

責める声ではない。

怒りでもない。

ただ、切実な願いだった。

本当に人を救いたかった。

その想いだけは痛いほど伝わってくる。

だからこそ恐ろしい。

ミレイユの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

『どうして拒むの』

その声は、幼い子どものように寂しげだった。

その瞬間、肩を強く掴まれる。

「ミレイユ」

低く、迷いのない声。

アロイスだった。

真っ直ぐに自分を見つめる黒い瞳。

冷えた遺跡の中で、その体温だけが確かな現実を教えてくれる。

「戻れ」

短い言葉。

それだけなのに、不思議なくらい胸へ届く。

ミレイユの呼吸が、ほんの少しだけ落ち着いた。

けれど、"真なるもの"の声は止まらない。

『一人は苦しい』

『全部、分け合えばいい』

『君も、そう思ったでしょう』

その瞬間、記憶が濁流のように押し寄せた。

母が亡くなった日。

冷たくなっていく手を、幼い自分は泣きながら握り続けていた。

返事は、もう返ってこなかった。

唯一残っていた母の肖像画。

炎の中で燃え落ちる笑顔。

義母の冷え切った視線。

狭く暗い部屋で、寒さに震えながら朝を待った夜。

誰も来ない。

誰も助けてくれない。

ずっと、一人だった。

その記憶へ寄り添うように、優しい声が囁く。

『だから、もう一人にならなくていい』

ミレイユの身体が震えた。

理解してしまう。

"真なるもの"は、人を支配したかったのではない。

孤独を終わらせたかっただけなのだ。

だからこそ、その救済は甘く、抗いがたい。

「ミレイユ!」

クロウレイの叫びが響く。

「そっちへ行っちゃ駄目だ!」

意識が揺れる。

闇へ沈みそうになる。

その時だった。

アロイスの手が、そっとミレイユの頬へ触れた。

冷えた指先。

けれど、そこには確かな温もりがあった。

「お前は一人じゃない」

低い声が、真っ直ぐ胸へ届く。

ミレイユの瞳が震える。

アロイスは迷わず続けた。

「勝手に全部抱えるな」

「戻ってこい」

その一言が、深く心へ突き刺さる。

ミレイユの唇がかすかに震えた。

「……私は……」

その瞬間だった。

どくん――。

遺跡全体が、巨大な鼓動を響かせる。

壁を這う黒い導線が一斉に蒼白く輝き、凍てついた空気が震えた。

イリーナが青ざめる。

「まずい!」

ヴァルターも即座に叫ぶ。

「総員、後退!」

全員が反射的に身構える。

だが、もう遅かった。

遺跡のさらに深部。

厚い氷壁の向こう側で、巨大な何かがゆっくりと目を覚ます。

地鳴りのような振動が足元から伝わり、空気そのものが軋んだ。

それは姿を見せない。

それでも確かに分かる。

"こちら"を認識したのだと。

その瞬間、ミレイユの頭へ最後の声が響いた。

『――見つけた』

優しく。

嬉しそうに。

ずっと探していた相手を見つけたように。

挿絵(By みてみん)

ミレイユの瞳から光が消える。

「ミレイユ!」

アロイスがその名を呼ぶ。

しかし、その声も届かない。

意識は音もなく沈み、白い雪よりも深い闇へ引き込まれていった。

遺跡には、再び重く低い鼓動だけが響いていた。

どくん。

どくん。

それは、長い眠りから目覚めようとする何かの鼓動だった。

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