第15話:孤独の残響
新たな報告が、第一皇子のもとへ届けられた。
北方国、採掘場遺跡。
休眠したはずの装置周辺で、再び不可解な現象が起こり始めているという。
皇宮中央棟、第一会議室。
机上に並べられた報告書を読み終えた第一皇子は、小さく息を吐いた。
「……早すぎるな」
対面で、ヴァルターが頷く。
「北方国調査団からの正式報告です。採掘場遺跡周辺で、微弱な精神波動が再観測されました」
一枚、資料をめくる。
「加えて、付近の集落では似た夢を見る者が増えています」
第一皇子の視線が鋭くなった。
「内容は」
エドガーが報告書を差し出す。
「白い光。歌声。そして、『帰っておいで』という呼びかけです」
ライナーが嫌そうに顔をしかめた。
「またかよ……」
帝都で報告され始めたものと、あまりにもよく似ている。
エドガーはさらに資料を確認した。
「装置そのものは、現在も休眠状態を維持しています。ただ、周辺導線では断続的な起動反応が確認されています」
「原因は?」
「不明です」
エドガーは首を振った。
「神聖国遺構の停止以降、各地で再び反応が確認されるようになっています。ただし、両者に直接の因果関係があるかは分かりません」
ヴァルターが後を引き継ぐ。
「各遺構が完全に独立したものではなく、相互に接続された一つの系として機能している可能性は、以前より高まったと考えてよいでしょう」
第一皇子はしばらく考え込んだ。
「一か所の異常が、他へ波及している可能性もあるか」
「否定はできませんねぇ」
第一皇子は再び報告書へ目を落とす。
やがて顔を上げた。
「確認する」
全員の意識が向く。
「シュタルク公爵以下、北方国へ再派遣。休眠状態の確認と、周辺導線で発生している反応の原因究明を命じる」
誰も異を唱えなかった。
神聖国で止めたはずの異変は、まだ終わっていない。
それだけは、もはや疑いようがなかった。
*
北方国行きが正式に決まった日の朝。
シュタルク公爵邸では、早くから遠征の準備が進められていた。
使用人たちが荷馬車へ物資を積み込み、防寒具や調査器具を次々と運び出していく。
そんな中、ライナーは荷物を括りながら盛大にため息をついた。
「……またあの寒さかよ」
心底嫌そうだった。
「前回で十分だろ。なんで二回も行かなきゃならねぇんだ」
「仕事だからです」
エドガーが淡々と返す。
「知ってるよ!」
「では諦めてください」
「お前、前より俺に冷たくなってない?」
横で聞いていたシルヴァンが吹き出した。
「帝国騎士団って寒さ耐性なかったんだ」
「あるわ!ただ文句言ってるだけだ!」
「面倒くさいタイプですね」
「エドガー、お前最近俺に辛辣じゃない?」
いつもの軽口が飛び交う。
だが、誰もが少なからず緊張していた。
一度休眠した採掘場遺跡が、再び微弱な反応を示している。
それだけではない。
帝都でも、白い光や歌声を伴う夢、理由の分からない感情の同調が報告され始めていた。
各地に残された古代装置は、本当に独立しているのか。
それとも、どこかで互いに繋がっているのか。
今回の遠征には、それを確かめる目的もあった。
その時、正門の方角から馬の嘶きが響いた。
ミレイユが顔を上げる。
中庭には、黒馬に跨ったアロイスの姿があった。
厚手の冬用外套に黒手袋。
北方への遠征に備え、普段より重い装備を身につけている。
アロイスはミレイユを見るなり言った。
「乗れ」
「……え?」
「長距離移動になる」
アロイスは当然のように続けた。
「お前、途中で倒れるだろう」
あまりにも迷いがない。
ミレイユは言葉に詰まった。
シルヴァンが吹き出す。
「真・護衛騎士様きた」
ライナーがぼそりと呟いた。
「お前、それ本人の前で言うなよ」
アロイスの視線が飛ぶ。
シルヴァンは一瞬で背筋を伸ばした。
「すみませんでした」
謝るまでが早い。
ミレイユは困ったようにアロイスを見上げる。
「ですが、私も馬には乗れます」
「知っている」
「でしたら――」
「今日は駄目だ」
即答だった。
「昨日も倒れかけただろう」
「……」
正論だった。
そこへクロウレイが苦笑しながら割って入る。
「ミレイユ、素直に乗っときなさい」
「先生……」
「今の君は、移動だけでもかなり消耗するからねぇ」
口調はいつも通りだったが、目は真剣だった。
ミレイユは少し迷った末、諦めたように頷く。
「……分かりました」
アロイスが片手を差し出す。
その手を取ると、軽々と身体を持ち上げられ、そのまま馬上へ乗せられた。
気づけば、アロイスの前に収まる形になっている。
後ろから伸びた腕が手綱を握った。
近い。
思っていた以上に、近い。
ミレイユの頬が一気に赤くなる。
それを見たライナーが口元を押さえた。
「……うわ」
エドガーも頷く。
「ええ。うわ、ですね」
シルヴァンは楽しそうに肩を震わせた。
「青春だなぁ」
「黙れ」
アロイスの返事は短い。
ただし、耳が僅かに赤い。
その様子を見ていたクロウレイは、こっそり笑った。
こんなやり取りができる。
だから、まだ大丈夫だ。
そう思いたかった。
*
帝都を離れて二日。
一行は国境へ到着すると、北方国側の関係者と合流し、正式な入国手続きを済ませた。
前回とは違い、今回は北方国側も遺跡の異変を把握している。
商人を装って国境を越える必要はなかった。
手続きを終えた一行は、採掘場遺跡へ続く街道を北上していた。
見渡す限りの雪原。
白く染まった森。
吐く息はすぐに白くなり、頬を刺す風が北方の厳しさを伝えてくる。
それでも、旅は順調だった。
ミレイユは馬の揺れに身を任せながら、雪景色を眺めていた。
以前なら、長時間の移動だけでも疲労していただろう。
今も消耗していないわけではない。
それでも、後ろにアロイスがいると思うだけで、不思議と気持ちは落ち着いた。
「気分は」
前を向いたまま、アロイスが尋ねる。
「……大丈夫です」
答えてから、ミレイユは少し迷った。
「アロイス様がいるので」
背中越しに、呼吸が一瞬止まったのが分かった。
隣を走っていたライナーが堪えきれず吹き出す。
「団長、今のは効いただろ」
「黙ってろ」
「耳赤いぞ」
「ライナー」
「はい」
返事だけはいい。
シルヴァンも面白そうに笑っている。
「初々しいねぇ」
クロウレイがにこりと笑った。
「シルヴァン」
「はい?」
「それ以上続けるなら、本当に雪へ埋めるよ」
「怖」
束の間、笑いが広がる。
だが、それからしばらく進んだ頃だった。
風の音に混じって、かすかな歌声が聞こえた。
誰かが遠くで歌っている。
そんな儚い旋律。
『帰っておいで』
ミレイユの肩が震えた。
帝都で聞いていたものと同じ。
けれど、近い。
以前よりも、ずっと鮮明だった。
「ミレイユ」
アロイスがすぐに気づき、馬の速度を落とす。
「聞こえるのか」
ミレイユは頷いた。
「……強いです」
クロウレイの顔から笑みが消えた。
「こっちへ来てから?」
「はい。国境を越えてから、少しずつ……」
ヴァルターが周囲へ視線を巡らせる。
「遺跡へ近づくほど干渉が強まっている可能性がありますねぇ」
エドガーは雪原の先を見据えた。
「採掘場遺跡の装置本体は、休眠状態を維持しているはずです」
「それなのに……」
ミレイユはそこで口を閉ざした。
何かを探るようにではなく、頭の中へ流れ込んでくる感覚を確かめる。
遠く離れた何かと何かが、細い糸で結ばれていく。
そんな感覚だった。
「……繋ごうとしてる」
全員の視線が集まる。
ミレイユは自信なさげに眉を寄せた。
「そんな感じがするんです」
「何を?」
クロウレイが問いかける。
「分かりません。でも……離れているものを、もう一度」
言葉を探す。
「“真なるもの”が、全部を繋ぎ直そうとしているような……」
クロウレイはすぐには答えなかった。
それが事実なのか。
“真なるもの”から流れ込んだ感覚なのか。
あるいは、ミレイユ自身がそう解釈しただけなのか。
今はまだ判断できない。
「分かった」
クロウレイはそれ以上考えさせなかった。
「今は追わなくていいよ」
ミレイユは小さく頷く。
雪原の先には、まだ採掘場遺跡の姿すら見えない。
それなのに。
『帰っておいで』
声だけは、確実に近づいていた。
*
その夜。
一行は北方国の街道沿いに設けられた宿営地で夜を明かすことになった。
雪は降り続いている。
焚火が赤く揺れ、白い地面を淡く照らしていた。
ミレイユは厚い毛布に包まりながら、炎を見つめている。
『寂しくない』
『全部、繋がれる』
『もう一人じゃない』
頭の奥へ、優しい声が染み込んでくる。
耳を塞いでも意味はない。
それでもミレイユは、意識を焚火へ向けた。
ぱちぱちと薪が爆ぜる音。
雪の匂い。
頬に触れる冷たい風。
今、自分がいる場所を一つずつ確かめる。
やがて、隣に誰かが腰を下ろした。
アロイスだった。
何も言わない。
ただ同じ焚火を見ている。
それだけで、まとわりついていた囁きが僅かに遠のいた。
ミレイユは気づいたが、何も言わなかった。
少し離れたところでは、クロウレイが二人の様子を見ている。
表情は穏やかだった。
けれど、意識の大半はミレイユの状態へ向けられている。
採掘場遺跡へ近づくほど、干渉は強くなっている。
このままさらに深まれば――。
そう考えた、その時だった。
ミレイユの身体がぐらりと傾いた。
「ミレイユ!」
アロイスが咄嗟に抱き支える。
呼吸が浅い。
顔色が一気に白くなっていた。
だが、ミレイユの目はアロイスを見ていない。
焚火でもない。
もっと遠く。
雪原の向こうに存在する、何かを見つめていた。
『おいで』
白い光が揺れる。
次の瞬間、記憶が押し寄せた。
幼い頃。
母の冷たくなっていく手を、必死に握り続けた日。
何度呼んでも返事はなかった。
ただ、涙だけが止まらなかった。
場面が変わる。
唯一残っていた母の肖像画。
燃え上がる炎。
義母の冷たい眼差し。
「そんなもの、いつまでも残して」
赤い炎が、母の笑顔を飲み込んでいく。
そして。
暗く狭い部屋。
寒さに震えながら、小さな身体を抱えて眠れなかった夜。
誰も来ない。
助けを求めても、誰にも届かない。
ずっと、一人だった。
『寂しかったでしょう』
声は優しかった。
責めるでもなく、命じるでもない。
ただ、幼い頃から抱えてきた孤独へ寄り添うように囁いてくる。
『もう、一人じゃない』
ミレイユの瞳から涙がこぼれた。
「……ひとり、だった」
その呟きを聞いた瞬間、クロウレイの表情が変わる。
「駄目だ!」
立ち上がる。
「アロイス君、離すな!」
アロイスは迷わずミレイユを抱き寄せた。
「ミレイユ!」
呼びかけても、反応は薄い。
『帰っておいで』
白い光が意識を包み込んでいく。
行ってはいけない。
分かっている。
それなのに、心のどこかがその優しさを求めてしまう。
その時だった。
胸を締めつけるような孤独が、突然流れ込んできた。
ミレイユ自身のものではない。
暗い場所。
誰もいない。
誰にも届かない。
どれほど長く、そこにいたのか。
分からない。
ただ、その果ての見えない孤独だけが、痛いほど伝わってくる。
「……ひとり」
涙が止まらなかった。
誰の孤独なのか。
答えを考える余裕すらない。
ただ、悲しかった。
アロイスの腕に力が籠もる。
「違う」
はっきりとした声が届いた。
「お前は一人じゃない」
ミレイユの瞳が僅かに揺れる。
「俺がいる」
それだけだった。
けれど、その声は確かに届いた。
焚火の熱。
抱き締める腕の強さ。
伝わってくる体温。
一つ一つが、遠ざかりかけた意識を現実へ引き戻していく。
『――――』
頭の奥で響いていた声が、一瞬だけ途切れた。
ミレイユの瞳に、僅かに焦点が戻る。
「……アロイス、様……」
「ここにいる」
すぐに返ってきた。
その声を最後に、ミレイユは力を失った。
「ミレイユ!」
アロイスが身体を支える。
「大丈夫、意識を失っただけ」
すぐにクロウレイが膝をつき、呼吸と脈を確かめる。
そう告げながらも、その表情は険しかった。
先ほど流れ込んできたもの。
ミレイユ自身の記憶だけではない。
彼女は明らかに、別の何かを感じ取っていた。
クロウレイは雪原の彼方へ目を向ける。
採掘場遺跡は、まだここからでは見えない。
それなのに、干渉はこれほど強くなっている。
「……急いだほうがよさそうだね」
誰も返事をしなかった。
降り続く雪の向こう。
眠っているはずの採掘場遺跡で、微かな精神波動が再び脈打っていた。




