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選択の魔女  作者: めいあん
第三章:大陸編
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第12話:古代帝国

皇宮中央棟、第一会議室。

帝国でも最高位の会議が開かれるその部屋には、重厚な長机が据えられ、高い天井から朝の淡い光が差し込んでいた。

普段なら厳かな静けさに包まれる場所だが、この日は違う。

机の上には、大量の資料が積み上げられていた。

地下旧層の記録、側妃家系に伝わっていた文書、古代文字の翻訳結果、地下導線の構造図、精神波動の測定結果――。

皇宮魔術師団の術士たちが慌ただしく資料を整理し、会議室のあちこちで確認作業を続けている。

その中央で、第一皇子は無言のまま資料を読み進めていた。

表情は変わらない。

だが、その無表情こそが周囲の緊張を強めていた。

向かいでは第二皇子が、いつも通り穏やかな笑みを浮かべている。

一見すれば普段と変わらない。

しかしヴァルターは知っていた。

あの人は、本当に警戒している時ほど笑う。

だからこそ、今の笑顔は決して安心できるものではない。

やがて第一皇子が資料を閉じた。

「……つまり」

低い声が、会議室へ響く。

「これだけの資料を、お前は今まで秘匿していたわけか」

第二皇子は肩をすくめるように微笑んだ。

「正確には、母方の家系がだけどね」

「そういう問題ではない」

短い一言で、その場の緊張が一段増した。

ライナーが小さく呟く。

「うわ、本気で怒ってる」

「当然でしょう」

エドガーは淡々と返した。

第一皇子は机へ資料を置き、一つずつ確認するように言葉を並べる。

「地下旧層。古代構造。精神感応型媒体。そして『真なるもの』」

視線が第二皇子へ向いた。

「これだけの危険情報を、なぜ共有しなかった」

第二皇子はわずかに目を細める。

「確証がなかったからだよ」

声音は穏やかなままだった。

「残っていたのは童話や怪談ばかりだ。そんな話を皇族会議へ持ち込めば、無用な混乱を招くだけだろう?」

第一皇子は数秒黙ったあと、答えた。

「だが今は違う」

その一言で、第二皇子の笑みが少しだけ薄れる。

「……そうだね」

窓の外へ目を向け、小さく呟く。

「もう“向こう”が目を覚まし始めている」

誰も、すぐには言葉を返さなかった。

その中で、ミレイユは俯いていた。

耳の奥に、微かな声が響く。

『帰っておいで』

優しく、甘く、すべてを包み込むような囁き。

だからこそ恐ろしい。

知らず知らずのうちに意識が引き寄せられそうになった、その時だった。

机の下で、軽く手首を叩かれる。

はっと顔を上げると、クロウレイが穏やかに笑っていた。

「こっち戻っといで」

小さな声だったが、不思議とよく届いた。

ミレイユは頷き、ゆっくりと息を吐く。

第一皇子はその様子を見て、わずかに眉を寄せた。

「……状態はそこまで悪いのか」

ヴァルターが答える。

「帝都滞在中も、継続的に“声”を受信しています。地下旧層へ侵入して以降、その頻度も強さも増しました」

エドガーが続ける。

「現在では、地下へ近づかなくとも干渉を受ける状態です」

第一皇子の視線が地下構造図へ落ちた。

「帝都全体が媒体になっているということか」

「現時点では、まだ可能性の段階です」

エドガーは図面を広げた。

「ただ、その後の調査で、旧層から伸びる導線の一部が、現在の地下水路や都市魔力網と重なることが確認されています」

指先が、図面上を滑る。

「旧層内で完結せず、帝都各所へ伸びている。少なくとも、中枢装置を支える広域基盤として都市全体が利用されていた可能性は高いでしょう」

ライナーが顔をしかめた。

「つまり?」

シルヴァンが肩をすくめる。

「簡単に言えば、今の帝都そのものが装置の一部になってるかもしれないってこと」

「……最悪じゃん」

「ええ」

エドガーは迷いなく頷いた。

「最悪です」

その時、一人の老術士が資料を抱えて立ち上がった。

手がわずかに震えている。

「……翻訳が終わりました」

室内の視線が一斉に集まる。

老術士は、古代文字が記された写しをゆっくり広げた。

「『孤独は苦痛である』」

誰も口を挟まない。

「『故に我らは繋がる』」

「『全てを一つとし、争いを終わらせる』」

さらに続く。

「『心を共有すれば、悲しみは分かち合われる』」

「『恐怖は消える』」

「『孤独は消える』」

その言葉を聞いた瞬間、ミレイユの肩が小さく震えた。

――『苦しくない』

地下で聞いた“声”と、まったく同じ思想だった。

クロウレイの笑みが消える。

ヴァルターが呟いた。

「……精神共有社会、ですか」

第一皇子も目を細める。

「古代帝国は、人の精神そのものを接続していたのか」

「可能性は高いですねぇ」

ヴァルターが頷く。

「精神共有による感情同期。争いの抑制。社会全体の安定化」

エドガーも資料をめくりながら続けた。

「実際、古代帝国末期の記録には、大規模な内戦がほとんど確認できません」

そこで一度、言葉を切る。

「もちろん、それが精神共有によるものだったと断定はできません。ただ、当時の規模を考えると、不自然なほど大きな内乱の記録が少ないのは事実です」

シルヴァンが眉をひそめた。

「つまり……」

その問いに答えたのはクロウレイだった。

「みんな、繋がってたのかもしれないねぇ」

ライナーが思わず漏らす。

「……気持ち悪」

「正常な感想です」

エドガーは淡々と頷いた。

しかし、問題はそこではない。

第一皇子が老術士へ視線を向ける。

「……その先は」

老術士はゆっくり息を吸い、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。

「記録上では、精神共有が深化するにつれて、“個”の認識が曖昧になる可能性について触れられています」

一同の表情が険しくなる。

「他者との差異が薄れ、自我と他者との境界が失われていく」

一拍置いて、老人は告げた。

「最終的には……すべてを“一つ”へ近づけることが、理想とされていたようです」

しばらく誰も口を開かなかった。

やがてシルヴァンが、引きつった笑みを浮かべる。

「……それ、もう人間なの?」

答えたのはクロウレイだった。

「少なくとも、僕が知ってる“人間”とは違うね」

柔らかな声だった。

だが、その言葉は重かった。

もしこの思想が実際に古代帝国社会へ広く適用されていたのなら、争いは減ったのかもしれない。

孤独も、苦しみも、彼らなりの方法で和らげられたのかもしれない。

だが、その代償として“個”を失っていたのだとすれば――。

第一皇子が資料へ目を落とした。

「……救済思想か」

ヴァルターが頷く。

「ええ。かなり危険な形の、ですが」

シルヴァンは腕を組み、難しい顔をする。

「でもさ」

全員の視線が向いた。

「気持ちは分からなくもないんだよね」

少しだけ肩をすくめる。

「孤独って普通にしんどいし、苦しいのも嫌だ。全部分け合えるなら楽だって考える人は、絶対いると思う」

ライナーがぽつりと漏らした。

「お前、意外と真面目だよな」

「失礼だなぁ」

苦笑するシルヴァンを見ながら、クロウレイはゆっくり頷いた。

「そうなんだよ」

少し間を置く。

「苦しい時に、“もう頑張らなくていい”って言われたら、そっちへ行きたくなる人はいる」

ミレイユの指先が僅かに動いた。

クロウレイは続ける。

「だから危ないんだ」

その言葉に、ミレイユは小さく息を呑んだ。

頭の奥で、また声が響く。

『一人じゃない』

『全部、分け合える』

『苦しまなくていい』

甘く、穏やかで、どこまでも優しい。

だからこそ、拒みきれない。

知らないうちに指先が震え始める。

その震えに、アロイスはすぐ気づいた。

机の下で、そっと彼女の手を包み込む。

強く握るわけではない。

ただ、逃がさないように。

現実へ繋ぎ止めるように。

挿絵(By みてみん)

ミレイユが驚いて目を見開く。

アロイスは前を向いたまま言った。

「聞くな」

それだけだった。

だが、その声は不思議なほど真っ直ぐ届いた。

ミレイユはゆっくり息を吐く。

頭の中で渦巻いていた“声”が、ほんの少し遠ざかった。

クロウレイはその様子を見て、小さく目を細める。

(……ちゃんと戻してくれるんだねぇ)

昔は違った。

ミレイユが精神干渉へ引き込まれそうになるたび、手を引く役目は自分だった。

だが、今は違う。

その役目を、別の誰かが担い始めている。

少しだけ寂しくて、少しだけ嬉しかった。

第一皇子が再び口を開く。

「古代帝国は、なぜ滅んだ」

老術士たちは顔を見合わせた。

やがて一人が慎重に答える。

「精神共有社会そのものが、崩壊の原因となった可能性はあります」

「どういう意味だ」

第一皇子の問いに、今度はエドガーが説明を引き継いだ。

「すべてを接続するということは、一か所の異常が全体へ波及する危険も抱えるということです」

地下構造図へ視線を向ける。

「仮に一つの中枢へ精神接続が集中していたのなら、その中枢で異常が起きた場合、接続された側へ連鎖的な影響が及ぶ可能性がある」

ヴァルターも頷く。

「もし“真なるもの”がその中枢だったなら、制御不能になった時の被害は帝国全域へ及んだかもしれませんねぇ」

シルヴァンが顔をしかめた。

「怖……」

エドガーはさらに資料をめくる。

「そして現在まで、“真なるもの”に対応する制御石板は確認されていません」

ライナーが眉を寄せる。

「ないのか?」

「分かりません」

エドガーは即答した。

「最初から存在しなかったのか、失われたのか、別の方式で制御されていたのか。それすら不明です」

第一皇子が低く呟く。

「……つまり、制御手段そのものが分からない」

「はい」

その場の誰も笑えなかった。

その時だった。

ミレイユが小さく顔を上げる。

全員の視線が集まった。

彼女は青ざめたまま、胸元へ手を当てる。

「……焦っています」

アロイスがすぐ問い返した。

「何がだ」

ミレイユは息を整えながら答える。

「“真なるもの”です」

クロウレイの表情が変わる。

「今までと違うの?」

その問いに、ミレイユはゆっくり頷いた。

「ずっと呼んでいます。前より強く……」

一度、言葉に詰まる。

「起きたがっているんです」

第一皇子が目を細めた。

「なぜ、そう分かる」

ミレイユ自身も、それをどう説明すればいいのか分からなかった。

ただ、その感情だけが流れ込んでくる。

焦り。

渇望。

そして、その奥にあるもの。

「……一人だから」

誰も動かなかった。

ミレイユは胸元を押さえたまま、もう一度呟く。

「ずっと、一人だったから」

その一言で、室内の緊張が別のものへ変わった。

帝都地下の遥か深く。

誰にも届かない場所で、巨大な何かが長い年月、ただ一つで存在し続けている。

そんな像が、嫌でも脳裏に浮かぶ。

そして同時に、別の疑問も生まれる。

なぜミレイユは、その感情まで分かるのか。

長い沈黙のあと、第一皇子が口を開いた。

「結論を出す」

全員の意識が向く。

「“真なるもの”は危険存在として扱う」

視線が一同を巡る。

「古代帝国の滅亡との因果関係は、まだ分からない」

「だが、現在の精神干渉を見れば、放置できる状況ではない」誰も異論を挟まない。

「ならば、我々は古代帝国と同じ判断を繰り返すわけにはいかない」

静かな声だった。

それでも、決意は揺るがなかった。

第二皇子は兄の横顔を見つめ、小さく笑う。

「……兄上らしいね」

その笑みは、いつもよりずっと薄い。

彼も理解していた。

これは、軽々しく利用を考えていい力ではない。

一歩間違えれば、帝都どころか、それ以上のものを飲み込む可能性さえあるのだと。

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