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選択の魔女  作者: めいあん
第一章:王宮魔術師編
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第10話:残り火

レオニードの執務室には重い空気が漂っていた。

先日の老伯爵の一件から数日。

王女派の貴族たちの間では、表立っては語られない不安が静かに広がり始めていた。

レオニードは机上の報告書へ目を通しながら口を開く。

「……次の被害者だ」

その声に、ミレイユとアルベルト、そしてシルヴァンが視線を向けた。

レオニードは一枚の書類を机へ置く。

「先進派筆頭、クルーゲ伯爵家夫人」

ミレイユは僅かに目を見開く。

聞き覚えのある名前だった。

「数日前から幻覚に苛まれていると報告を受けている」

静かな声。

だが内容は深刻だった。

シルヴァンが口笛を吹く。

「えー……クルーゲ伯爵夫人?」

椅子にもたれながら肩をすくめる。

「社交界で幅利かせてる人だよね」

そして軽く笑った。

「すごい美人さん」

レオニードが額を押さえる。

頭痛がしているらしい。

「お前は毎回そこなのか」

「大事な情報だと思うけどなぁ」

まったく悪びれない。

ミレイユは話を戻した。

「……精神干渉攻撃でしょうか」

「断定はできない」

レオニードは首を横に振る。

「だが可能性は高い」

そして視線を向けた。

「ご婦人方の社交の場も、ある意味では戦場だ」

淡々と告げる。

「そこを抑えているクルーゲ伯爵夫人の欠席は痛手になる」

王女派貴族たちの結束にも関わる。

放置はできない。

「出向いてくれ」

レオニードは短く言った。

「攻撃を受けているのであれば介入しろ」

ミレイユは静かに頭を下げる。

「承知しました」

その日の午後。

ミレイユとアルベルトはクルーゲ伯爵邸を訪れていた。

王都でも有数の大貴族らしい壮麗な屋敷だった。

広大な庭園。

磨き上げられた白い石壁。

門前には警備の騎士まで立っている。

ミレイユは馬車を降りながら屋敷を見上げた。

(……ロシュ家との交流はなかったけれど)

幼い頃を思い出す。

まだ淑女教育を受けていた頃。

社交界の話題として何度も名前を聞いた女性だった。

聡明で。

社交的で。

先進派貴族たちをまとめる中心人物。

その評価は幼いミレイユの耳にも届いていた。

屋敷へ通される。

応接室の扉が開いた瞬間。

ミレイユは息を呑んだ。

そこにいた女性は、美しかった。

年齢を重ねてもなお気品を失わない貴婦人だった。

だが、目の下には濃い隈がある。

顔色も悪い。

頬は僅かに痩せていた。

何日もまともに眠れていないのだろう。

伯爵夫人はミレイユを見る。

そして目を細めた。

「あなたは……ロシュ家の」

掠れた声だった。

「保守派……反王女派よね」

ミレイユは静かに首を横へ振る。

「今は、ただの王宮魔術師の一人です」

穏やかに答える。

「……ロシュ家とは、もう離れております」

伯爵夫人はしばらくミレイユを見つめていた。

やがて微かに笑う。

「そう……」

懐かしそうだった。

「大きくなったわね」

九歳で社交界から姿を消した少女。

それを覚えていたらしい。

そして、その笑みはすぐに消えた。

不安が戻る。

恐怖が戻る。

「……私を、助けてくれる?」

その声は弱々しかった。

助けを求める人の声だった。

ミレイユは迷わず頷く。

「もちろんです」

椅子の前へ進む。

「一体なにがあったのですか」

伯爵夫人は視線を落とした。

震える指先を握る。

しばらく沈黙したあと、小さく呟く。

「……夢を見るの」

部屋が静まり返る。

「毎晩」

声が掠れる。

「昔の夢」

そして語り始めた。

幼い頃、生家が火事に見舞われたこと。

夜空を染める炎。

逃げ惑う人々。

焼け落ちる屋敷。

何人もの使用人が亡くなったこと。

「昔のことは割り切っているの」

そう言う。

だが。

「毎晩、夢に出てくる」

声が震えた。

「この屋敷も燃えるの」

伯爵夫人の目が恐怖に染まる。

「子供たちが火に巻かれる」

呼吸が浅くなる。

「使用人たちも」

震えが止まらない。

「皆、苦しみながら死んでいくの」

ミレイユは何も言わない。

ただ聞いていた。

「夢だと分かっているの」

伯爵夫人は俯く。

「分かっているのに」

涙が零れた。

「消えてくれない」

握った手に力が入る。

「毎日見るの」

「毎日……毎日……」

追い詰められた声だった。

「いつか本当にそうなるんじゃないかって」

震える。

「もう……夢なのか現実なのかも分からないの」

ミレイユの胸が痛んだ。

これは拷問だ。

一晩でも苦しい。

それを何日も。

何日も。

何日も繰り返されている。

隣ではアルベルトが顔を歪めていた。

嫌悪感を隠そうともしない。

「……胸糞悪い」

低い声だった。

伯爵夫人は目を伏せる。

「……助けて」

ミレイユは静かに椅子の前へ膝をついた。

「大丈夫です」

優しく告げる。

「少し、入らせてもらいますね」

伯爵夫人の両手を包み込む。

温かい。

だが震えていた。

挿絵(By みてみん)

ミレイユはゆっくりと目を閉じる。

意識を沈める。

伯爵夫人の精神へ。

深く、静かに。

そして見た。

燃えている。

巨大な屋敷が、夜空が、赤く染まっている。

悲鳴が響く。

助けを求める声。

逃げ惑う人々。

崩れ落ちる柱。

焼け焦げた匂い。

熱気。

絶望。

そして。

焼け跡に残された黒い塊。

人の形をした炭。

ミレイユは思わず息を呑んだ。

あまりにも生々しい。

あまりにも鮮明だった。

だが、本当に恐ろしいのはその記憶ではない。

その記憶が。

何度も。

何度も。

何度も。

伯爵夫人の精神へ突き立てられていることだった。

まるで傷口へ刃を押し込むように。

休む間もなく、終わることなく繰り返されている。

ミレイユの眉が寄る。

(なぜ……)

怒りが込み上げた。

政治の場で争うことはあるだろう。

派閥が違うこともあるだろう。

だが。

(こんなやり方、間違っている)

人の心を壊すためだけの攻撃。

それは許されるものではない。

ミレイユは静かに手を伸ばした。

記憶そのものは消せない。

恐怖も消せない。

それは本人の人生だから。

だが、外から加えられた歪みなら跳ね返せる。

一つずつ、丁寧に、刺さった棘を抜くように。

絡みついた攻撃を剥がしていく。

やがて、最後の一つを弾いた瞬間、視界が白く揺れた。

ミレイユが目を開く。

現実へ戻る。

応接室だった。

*

伯爵夫人は震える指で目元を押さえた。

涙が止まらない。

けれど先ほどまでとは違う。

恐怖ではなかった。

「……静かだわ」

ぽつりと呟く。

「え?」

ミレイユが首を傾げる。

伯爵夫人は自分の胸へ手を当てた。

「頭の中が……静か」

信じられないように。

「何日ぶりかしら」

小さく笑う。

「ずっと、火の音がしていたの」

炎が燃え広がる音。

崩れる柱の音。

助けを求める悲鳴。

眠っていても。

起きていても。

頭の奥から消えなかった。

「今は聞こえない」

信じられないという顔だった。

「どうして……」

ミレイユは優しく微笑む。

「……もう、大丈夫です」

伯爵夫人は声を失った。

「クルーゲ伯爵夫人」

ミレイユが呼ぶ。

夫人が顔を上げる。

「あなたは、本当に家族を愛しているのですね」

夫人の目が揺れる。

「夢の中で、最後まで心配していたのは、ご自身ではありませんでした」

ミレイユは続ける。

「お子様たちでした」

沈黙。

夫人は唇を震わせる。

「……見られてしまったのね」

苦笑する。

「恥ずかしいわ」

そう言いながら涙を拭う。

しばらくして。

小さく、本当に小さく。

「……ありがとう」

そう呟いた。

*

屋敷を出たあと。

ミレイユはふらついた。

「おい」

アルベルトが咄嗟に腕を掴む。

倒れそうになった身体を支える。

「大丈夫か」

ミレイユは苦笑した。

「少しだけ」

精神への介入は消耗が激しい。

特に今回は長かった。

アルベルトは眉をひそめる。

「胸糞悪い」

珍しく感情が出ている。

「人の弱いところばかり狙いやがって」

ミレイユは黙る。

アルベルトは続ける。

「戦うなら正面から来い」

本気で怒っている。

だが手は離さない。

ミレイユは空を見上げた。

そして小さく呟く。

「……嫌ですね」

声は静かだった。

「勝手に人の心へ踏み込むなんて」

怒りを押し殺している。

アルベルトには分かった。

「許しません」

その言葉は、驚くほど強かった。

ミレイユの瞳には、静かな決意が宿っていた。

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