第6話 エリート魔道士の完璧な計算(ただし女性経験ゼロ)
ジンの音速の逃亡劇によって、アンデッドの森が物理的に更地にされていた頃。
シェアハウスから別のエリアへと転送されたもう一組のペアは、猛吹雪が吹き荒れる極寒の雪山を歩いていた。
「……くっ、視界が悪いな。グレイシアさん、僕の足跡をトレースして歩いてください。少しでも体力の消耗を抑えるべきです」
「わ、わかったわ……ありがとう、ルーファス」
金髪のエリート魔道士・ルーファスと、氷の女帝・グレイシアのペアである。
神から与えられた彼らのデイリーミッションは、『雪山デートで幻の氷結花を探せ♡』というものだった。
ルーファスは、猛吹雪の中でも涼しい顔を崩さず、手にした魔道書を開いて理知的な視線を送っている。
――しかし、彼(中身は若手エリート会社員のレイジ)の頭の中は、今歩いている雪道ではなく、全く別の『戦略』で埋め尽くされていた。
(恋愛とは、すなわち心理戦であり自己プレゼンテーションだ。昨夜の投票で、僕はすでに誰かから1票を獲得している。僕の知的でスマートなアプローチが、確実に女性陣の心を掴んでいる証拠だ!)
事実として、その1票はティアが「一番金を持っていそうだから」という極めて打算的な理由で入れたものだが、ルーファスはそれを「自分の魅力が論理的に伝わった結果」だと豪快に勘違いしていた。
(本日のターゲットはグレイシア。美しいが、どこか隙のある女性だ。ビジネス書『絶対に落ちる! 吊り橋効果のロジック』によれば、過酷な環境下での優しさは、平時の3倍の好感度を生む。ここで僕が完璧なエスコートを見せれば、彼女の心も独占できるという寸法だ!)
ルーファスは自信に満ち溢れていた。
彼には完璧な理論がある。ただ一つ欠けているのは、彼自身に『女性とまともに付き合った経験が一度もない』という致命的な事実だけであった。
一方、ルーファスの後ろを歩くグレイシア(中身は天然女子大生のリン)は、必死だった。
(さ、寒い! アバターのおかげで凍え死ぬことはないけど、雪に足を取られて上手く歩けないよぉ……! 氷の女帝なんだから、もっと優雅に歩かなきゃダメなのに!)
グレイシアは、前を歩くルーファスの頼もしい背中を見つめた。
(ルーファスさん、スマートでかっこいいな……。私なんかいつもドジばっかりだから、絶対に愛想尽かされちゃう。せめて、足手まといにだけはならないように――あっ!)
グレイシアが焦って歩幅を広げた瞬間だった。
雪の下に隠れていた木の根にヒールが見事に引っ掛かり、彼女は「きゃああっ!」という悲鳴と共に、前のめりに派手に転倒しそうになった。
(キタッ! イレギュラー発生! だが僕の予測の範疇だ!)
ルーファスのエリート脳が瞬時に状況を計算する。
(落下速度と角度から逆算し、最も自然かつ、男らしさをアピールできる45度の角度で彼女の肩と腰をホールドする。完璧なタイミングでのキャッチだ!)
「危ないッ!」
ルーファスは計算通りに素早く身を翻し、雪に倒れ込む寸前のグレイシアを、両腕でガッチリと、そしてスマートに抱きとめた。
「……っ」
ふわり、と。
猛吹雪の冷たい空気の中に、グレイシアの甘い花の香りが混ざった。
計算通りの角度。計算通りのタイミング。
しかし、ルーファスの計算に一つだけ『致命的なバグ』があった。それは、彼が想定していた以上に、グレイシアの顔が自分に近づきすぎたことである。
「あ……ありがとう、ルーファスさん。私、またドジを……」
至近距離。鼻先が触れ合うほどの距離で、グレイシアが上目遣いでルーファスを見つめた。
雪のように白い肌、潤んだ瞳。吐息が直接かかるほどの距離感。そして、腕の中に収まる、柔らかく華奢な女性の身体の感触。
――バチィンッ!!
その瞬間、ルーファスの脳内で『理論』という名のブレーカーが音を立てて落ちた。
(ちかッ!? 顔、ちかッ! え、女性ってこんなにいい匂いするの!? ていうか柔らかッ! ど、どうしよう、これどういう顔すればいいんだ!? ビジネス書には至近距離での視線の外し方なんて書いてなかったぞ!?)
女性免疫ゼロのエリート会社員は、あっけなくキャパシティオーバーを起こした。
ルーファスの顔が、耳の先まで一瞬にして沸騰したように真っ赤に染まる。心臓が肋骨を突き破るのではないかという勢いでバクバクと早鐘を打ち、全身から滝のような冷や汗が噴き出した。
ピロンッ!
吹雪の音を切り裂いて、あの能天気なファンファーレが鳴り響いた。
『システムアナウンス! ルーファスさんの致死レベルの心拍数上昇(ガチ照れ・限界突破)を確認! ルーファスさんに《愛の力・バフ(気候操作・魔力無限大)》が付与されました!』
「へ……?」
システムのアナウンスにグレイシアが小首を傾げた。
しかしルーファスは、バフのことなど耳に入っていなかった。とにかくこの尋常ではない照れ隠しをするために、何か、何か適当な魔法で誤魔化さなければとパニックに陥っていた。
「あ、あ、あああ、あ、安全確保のために周辺の温度を少し、いや、吹雪を相殺する魔法を少しだけ撃ちますねッ!!」
裏返った声で早口に叫びながら、ルーファスが杖をデタラメに振り回した。
カッ……!!!!
ルーファスの杖の先端から、視界を白く染め上げるほどの膨大な光と熱が解き放たれた。
『魔力無限大』というチートバフが乗ったその魔法は、単なる温度調節の域を遥かに超え、「大自然の気候そのものを書き換える」という神の領域の事象を引き起こした。
ゴォォォォォォォォォォォッ!!
猛吹雪が、一瞬にして蒸発した。
分厚い雪雲が円形に吹き飛び、そこから暖かな春の陽射しが降り注ぐ。足元に積もっていた万年雪はみるみるうちに溶け出し、凍てついていた土からは、青々とした草が一気に芽吹いた。
「えっ……? うそ……」
グレイシアは、ルーファスの腕の中で目を丸くした。
ほんの数秒前まで極寒の雪山だったその場所は、ぽかぽかとした陽気に包まれた「春の草原」へと姿を変えていた。
そして、二人の足元――雪が溶けた土壌のど真ん中から、キラキラと氷の粒子を纏った美しい一輪の花が、堂々と咲き誇っていた。
『ピンポーン! 幻の氷結花、ゲットです! ミッションクリアー!』
神の陽気なアナウンスが空から降ってくる。
「……す、すごい」
グレイシアは、幻の花と、気候を書き換えたルーファスの横顔を交互に見つめた。
「吹雪の中で探すのは非効率だからって、気候そのものを春に変えて、隠れていた花を強制的に咲かせたのね……!? どれだけの計算と、魔力の精密なコントロールがあればこんなことができるの……!」
グレイシアの瞳が、尊敬と、明らかな熱を帯びた「ときめき」に変わる。
「ルーファスさん……あなたって本当に、完璧でスマートな人なのね」
うっとりと頬を染めるグレイシア。
一方の完璧でスマートなエリート魔道士は、顔の赤みを必死に隠すために明後日の方向を向きながら、ガクガクと震える声で答えた。
「も、もちろんさ……! す、す、すべては僕の、計算通り……だか、らね……ッ!」
アヴァロンの物理破壊、ジンの音速逃亡に続き、今度は気候操作。
女性経験ゼロのエリートの純情(ガチ照れ)は、雪山の生態系を根本から狂わせるほどの威力を秘めていたのだった。




