第5話 サキュバスの赤面と、音速のビビリ暗殺者
「アー、テステス。皆さん、初日の投票お疲れ様でしたー! ピンクのオーラが出ている方、おめでとうございます!」
神の能天気な声が、朝のリビングに響き渡った。
シェアハウスの空気は、昨晩とは打って変わって異様な緊張感に包まれていた。無理もない。誰が誰を想っているのか、「ピンク色のバフオーラ」という形で半強制的に可視化されてしまったからだ。
漆黒の暗黒騎士・アヴァロンは、兜の奥で目を血走らせていた。
(いったい誰なんだ……! ティアちゃんをあんなに光らせてる『両思い』の相手は!)
彼自身の身体からはオーラが一切出ていない。ティアからの票を獲得できなかったという残酷な現実から目を背け、アヴァロンは「彼女は別の誰かと両思いになったから光っているのだ」と(勝手に)結論づけていた。
(エリートぶってるルーファスか? それともデカブツのガルムか? クソッ、どいつもこいつも俺のライバルに見えてきやがる!)
一方、部屋の隅では、アヴァロンと同じく『無風(0票)』だった双剣の暗殺者・ジンが、膝を抱えて真っ白に燃え尽きていた。
(ティアちゃん……俺の初恋は、一日で終わったっす。もう暗殺なんてどうでもいい……俺の心臓が暗殺されたっす……)
そんな男たちのドロドロとした(そして見当違いな)嫉妬と絶望が渦巻く中、神は空気を読まずに今日のミッションを発表した。
「さあ、気を取り直して本日のデイリーミッション! 題して『密着必須! お化け屋敷デートで吊り橋効果を狙え♡』です!」
神が提示した舞台は『アンデッドの森』。
参加者たちは神のルーレットによって強制的にペアを組まされ、次々と森へと転送されていった。
◆ ◆ ◆
昼間だというのに、その森は鬱蒼とした木々に覆われ、薄暗くジメジメとしていた。
どこからともなく漂う、土が腐ったような酷い悪臭。遠くでカラスが不気味に鳴いている。
「お、俺の背中から離れるなよ……。いざとなったら、俺の双剣が火を吹くからな」
ジンはフードを目深に被り、両手に握った短剣を構えながら、ガクガクと震える足で前へ進んでいた。
(無理無理無理無理! 筋肉で殴れない敵は反則だろ! 幽霊とかゾンビとかマジで勘弁してくれ! おまけにティアちゃんにはフラれるし、もう最悪っすよ!)
「は、はい……。あの、ジンさん、その……」
ジンの後ろを歩くのは、過激な露出の衣装に身を包んだサキュバスのリリスだった。
彼女は顔を真っ赤にして、豊かな胸の谷間と、スリットから覗く太ももを両腕で必死に隠そうとしている。
(なんなのよこの布面積は! 公務員としての私の尊厳が崩壊するわ! 昨日の自己紹介の時も皆の視線が痛かったし、こんな格好で男の人と二人きりの森なんて、破廉恥にも程がある!)
リリス(中身はお堅い公務員のサキ)は、恥ずかしさのあまり涙目になっていた。
ビビリで心が折れかけている暗殺者と、衣装を隠すのに必死なサキュバス。
まともに戦える状態ではない二人が森の中腹に差し掛かった時、背後の茂みが、ズルリ、と不気味な音を立てた。
「アアアァァ……」
「ギギ……肉……」
地面を這うように現れたのは、土に塗れ、半ば白骨化したゾンビの群れだった。眼球がこぼれ落ち、腐肉がぶら下がった顎をガクガクと鳴らしている。
昨日のオークとは比べ物にならない、生理的嫌悪感を極限まで煽る「本物」の恐怖。
「ひっ……! いや、いやあああっ!」
リリスが悲鳴を上げ、後ずさりした。しかし、彼女以上にパニックに陥った人間がいた。
「ギャアアアアアアアア!! 出たアアアアアアア!!!」
暗殺者ジンである。
完全に理性を吹き飛ばされた彼は、アサシンとしてのクールな身のこなしなど完全に忘れ去り、目から滝のような涙を流して、一番近くにいたリリスにガバッと抱きついた。
「いやだいやだいやだ! 食われる! 呪われる! 助けてティアちゃーーん!!」
「えっ!? きゃっ……ジン、さん!?」
豊満なリリスの胸に顔を埋め、赤子のようにしがみつく筋肉質の暗殺者。
あまりにも突然の密着(抱擁)に、リリスの顔がボンッと音を立てて茹でダコのように真っ赤に染まった。
(ななな、何!? 急に抱きしめられた!? ち、近い! 男の人の匂いが……じゃなくて、これはセクハラ事案では!? でも、こんなピンチの時に私を真っ先に庇って……!)
恐怖と羞恥心、そして唐突なスキンシップによる極度の緊張。
リリスの心臓が、早鐘のようにドクン、ドクンと跳ね上がった。
ピロンッ!
二人の頭上に、あの軽快なファンファーレが鳴り響いた。
『システムアナウンス! リリスさんの極度な心拍数上昇(熱烈な胸キュン)を確認! ジンさんに《愛の力・バフ(超絶スピード・敏捷性1000倍)》が付与されました!』
「へ……?」
リリスが呆然とする中、ジンの身体が淡い緑色のオーラに包まれた。
しかし、当のジンはバフの恩恵など全く理解していなかった。彼の脳内は「ここから逃げ出したい」という本能だけで埋め尽くされている。
「イヤアアアアア!! 来んなアアアアアアア!!」
ドバアアアアアアアンッ!!!
ジンが悲鳴を上げながら「ただ走り出した」瞬間、彼の身体は音速を超えた。
目に見えないほどの超高速で森の中をジグザグに駆け巡るジン。恐怖で振り回しているだけの双剣が、通り過ぎるたびに真空の刃を生み出し、迫り来るゾンビの群れを文字通り「一瞬」でミンチに変えていく。
「いやだいやだいやだ怖い怖い怖い!!」
シュンッ! ズバババババッ!!
「帰らせろォォォォォ!!」
シュンッ! ドゴォォォォン!!
わずか十秒。
ジンが暴風のように森を駆け抜け、元の位置(リリスの目の前)に戻ってきて大の字で倒れ込んだ頃には、森にいた数百体のアンデッドはすべて、綺麗なサイコロ状の肉片に変わっていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ……」
白目を剥いて泡を吹き、完全に気絶しているジン。
しかし、その光景を呆然と見つめていたリリスの目には、まったく違う真実が映っていた。
(なんて……なんて速さなの……!)
リリスは、胸の鼓動を押さえながら、倒れたジンを見下ろした。
(敵の奇襲に一瞬で気づいて、私が悲鳴を上げるよりも早く私を抱き寄せて庇ってくれた。そして、瞬きする間に敵を殲滅するなんて……。普段は無口で怖い人かと思ってたけど、誰よりも頼りになる、凄腕の暗殺者だったんだわ……!)
ジンが恐怖で泣き叫んでいた声は、音速を超えていたためドップラー効果で掻き消され、リリスの耳には届いていなかった。彼女の脳内では、ジンの行動すべてが「クールなナイトの献身的な護衛」に美化変換されていた。
「ジンさん……素敵……」
リリスは、破廉恥なサキュバスの衣装を隠すことも忘れ、気絶したジンにうっとりとした視線を向ける。
失恋で心が折れていたビビリの暗殺者に、まさかの一途な矢印が向いた瞬間だった。
神の用意した理不尽なシステムは、今日も見事に勘違いの恋を量産していく。




