第23話 プライスレスな最強バフ
空中に浮かぶ、一億円の小切手。そして、背信の黒い短剣。
魔王の仕掛けた残酷な罠の前で、ティアの全身はガタガタと震えていた。
(一億円……。これさえあれば、もう終電ギリギリまでバイト掛け持ちしなくていい。家賃の催促に怯えることもない。私の人生、全部救われる……ッ)
ティアの視線が、ふらふらと黒い短剣へと引き寄せられる。
その時だった。
ガァァァンッ……!
乾いた金属音が、玉座の間に響いた。
ティアがハッとして横を向くと、アヴァロンが自らの武器である漆黒の大剣を、躊躇いもなく床に投げ捨てたところだった。
「アヴァ、ロン……?」
「いいぜ、ティア」
丸腰になったアヴァロンは、両手を広げ、兜の奥から極めて穏やかな声を出した。中二病の暗黒騎士の演技など微塵もない。そこにあるのは、中身の『佐藤アキラ』という一人の青年の、真っ直ぐすぎる本音だった。
「お前がずっと、すっげぇ苦労して頑張ってきたのは分かってる。だから、その金がお前を救ってくれるなら……俺を刺していいよ」
「なっ……」
「俺はお前が作った飯が食えて、一緒におしゃべりできて、それだけでこのゲームに参加した元は取れたからさ。お前が笑って現実に帰れるなら、それでいい」
自分の命を差し出してまで、彼女の幸せを願う自己犠牲。
その底抜けのお人好しぶりを見た瞬間。
ティアの中で張り詰めていた葛藤の糸が、プツン、と音を立てて千切れた。
「…………ッ」
ティアは無言で黒い短剣を手に取った。
そして、アヴァロンに向かって一歩踏み出し――。
ガキィィィィィンッ!!!!
持っていた巨大な鉄のフライパンで、その黒い短剣を木っ端微塵に叩き割った。
「えっ」
アヴァロンが目を丸くする。
「バカにしないでよ!!」
玉座の間に、伊藤マイの飾らない、腹の底からの絶叫が響き渡った。
「勝手に私の価値を決めんじゃねぇ!! たしかに一億円は喉から手が出るほど欲しいわよ! でもね……あんたみたいに、私の作ったご飯を本気で美味しいって言ってくれて、私の素顔を『最高だ』って肯定してくれて、命懸けで守ってくれる男なんて……一億円積まれたって買えるわけないでしょ!!」
ティアは、呆然とする魔王に向かってフライパンをビシッと突きつけた。
「一億円より……あんたが作る私の居場所の方が、ずっと価値があるに決まってんでしょ!! 私は金も、このバカ男も、両方持って現実に帰る! 文句あるか三流ディレクター!!」
打算を完全に捨て去り、己の魂の叫びと共に『真実の愛』を選択した瞬間。
ピロロロロロロロロロロロロロロロンッ!!!!!!!!!!
魔王城全体が激しく振動し、神のシステムが完全に制御不能の悲鳴を上げた。
空中のモニターが無数のエラーコードで埋め尽くされ、赤黒かった玉座の間が、宇宙の創世のような眩い虹色の光に飲み込まれていく。
『システムエラー! システムエラー! 打算ゼロの真実の愛、およびヒロインの強欲(両方いただく)がバグレベルの共鳴を観測!!』
『アヴァロンさん、ティアさんに《愛の力・バフ(測定不能・無限愛インフィニティ・バフ)》が付与されました!!!』
「な、なんだと!? システムが私の権限を書き換えているだと!?」
魔王がインカムを押さえながら狼狽する。
「いくぞ、ティア!」
「ええ、一発かましてやりなさい!!」
床に落ちていたアヴァロンの大剣が、二人の『無限の愛』のオーラを吸い込み、太陽を凝縮したような巨大な光の刃へと変貌する。
ティアも背中に回り、彼の大剣を持つ手に自分の手を重ねた。二人で一つの武器を構え、限界突破した魔力を刃の切っ先へと一点集中させる。
「俺たちの愛は……!!」
「一億円でも買えないのよォォォッ!!」
二人の声が重なり合う。
「「ラブ&サバイブ・インフィニティ・バスタァァァァァァッ!!!」」
振り下ろされた光の斬撃は、魔王の絶対的な防御魔法をティッシュペーパーのように消し飛ばし、そのまま魔王の巨体を呑み込んだ。
「ば、バカな……! 私の台本に、こんなハッピーエンドはァァァァァ……ッ!!」
断末魔と共に、魔王は星の彼方へと文字通り吹き飛んでいき、夜空の彼方でキラッと光る一番星となった。
ゴゴゴゴゴ……ッ!!
主を失った魔王城が崩壊を始め、分厚い暗雲が真っ二つに割れる。
そこから、クリアを祝福するかのような、暖かく眩しい朝日が差し込んできた。
『ピンポーン! 魔王の討伐を確認! 『ラヴ・クエスト・アイランド』、見事ゲームクリアです!!』
崩れゆく瓦礫の中で、アヴァロンとティアは肩で息をしながら、互いの顔を見つめ合った。
「……勝った、な。俺たち」
「……ええ。勝っちゃったわね」
顔は煤だらけで、ボロボロ。
しかし、二人の顔には、これまでのどんな場面よりも晴れやかな、本物の笑顔が浮かんでいた。




