第22話 魔王(ディレクター)の甘い罠
ギィィィィィン……。
重厚な扉が開き、アヴァロンとティアは魔王城の最深部『玉座の間』へと足を踏み入れた。
そこは、血のように赤い絨毯が敷かれた、底冷えするほどに広大な空間だった。
部屋の最奥、禍々しいオーラを放つ漆黒の玉座に、一つの巨大な影が座っている。頭には山羊のようなねじれた二本の角。背中にはコウモリのような巨大な翼。まさにRPGのラストボスにふさわしい、絶望的な威圧感を放つ魔王の姿がそこにあった。
――しかし。
その魔王の頭には、なぜかテレビ局のスタッフがつけるような『インカム(ヘッドセット)』が装着されており、手にはカンペ用の『クリップボード』が握られていた。
「アー、テステス! 本番入りまーす! よくぞ辿り着きましたね、最終ペアのお二人!」
静寂をぶち壊す、どこまでも軽く、そして聞き慣れたハイテンションな声。
アヴァロンとティアは、思わずポカンと口を開けた。
「お前……まさか、神か!?」
「ご名答! この『ラヴ・クエスト・アイランド』の総責任者にして、最終ボスの魔王でもあります。いやぁ、二人のイチャイチャ、モニター越しに最高に楽しませてもらいましたよ!」
魔王は、玉座から立ち上がり、パンパンと軽薄な拍手を送った。
「ふざけないで! 神様だか魔王だか知らないけど、アンタを倒せばゲームクリアで賞金一億円なんでしょ! さっさと賞金よこしなさい!」
ティアがフライパンを構え、鋭い視線を射抜く。
すると、魔王はニヤリと口角を吊り上げ、インカムのマイクを指で弾いた。
「ええ、もちろん。しかし、恋愛リアリティーショーの最終回には、視聴者が最も喜ぶ『最高のどんでん返し』が必要ですよね?」
魔王が指をパチンと鳴らす。
瞬間、ティアの目の前の空間が歪み、二つのアイテムが空中にフワリと浮かび上がった。
一つは、禍々しい光を放つ『黒い短剣』。
もう一つは――神々しい黄金の輝きを放つ、『賞金一億円の小切手』だった。
「ティアさん。いや……現実世界の『伊藤マイ』さん」
「……ッ!」
現実の本名を呼ばれ、ティアの肩がビクッと跳ねた。
「極貧のフリーター生活、朝から晩までのブラックバイト、毎月ギリギリの家賃の支払い。私はあなたの過酷な『現実』をすべて把握しています。あなたは、他の参加者のようにロマンスを求めてこのゲームに参加したわけではない。その一億円で、人生を逆転させるためにここに来たはずだ」
魔王の甘く、そして冷酷な声が、玉座の間に響き渡る。
「そこで、ディレクター権限で特別なご提案です。……今ここで、その黒い短剣で、隣にいるアヴァロンさんを背後から刺してください。そうすれば、彼は強制リタイアとなり、ゲームはあなたの単独クリア。賞金一億円は、今すぐ全額、無税であなたの口座に振り込まれます」
「な……っ」
ティアの息が止まった。
「断る、というならそれでも構いません。二人で私に挑むのも自由です。……しかし、私とまともに戦えば、あなた方の勝率は0%。必ず全滅し、ゲームオーバーとなり、手に入る賞金は『0円』になります」
魔王は、翼を広げて圧倒的な魔力を解放した。それは、先ほどのクラーケンなど比較にならない、空間そのものを圧殺するような桁外れのプレッシャーだった。二人で挑めば、間違いなく殺される。それが本能で理解できるほどの力の差。
「さあ、究極の選択です。愛する男と共に戦い、無様に散って『0円』で現実に帰るか。それとも、ここで彼を裏切り、確実に『一億円』を手に入れて人生を大逆転させるか」
魔王の残酷な笑い声が響く。
「愛なんて、現実の生活の前では何の役にも立ちませんよ。あなたが一番よく知っているはずだ。お金がなくて、どれだけ惨めな思いをしてきたかを!」
「〜〜〜〜ッ」
ティアは、空中に浮かぶ一億円の小切手を見つめた。
頭の中に、これまでの泥水すするような過酷な生活がフラッシュバックする。
店長の怒号。すり減った靴。割引シールの貼られた惣菜。一億円があれば、そのすべてから解放される。何不自由ない、まともな生活が手に入る。そのために、自分はあんなに嫌だった「猫被り」をしてまで、このゲームを這い上がってきたのだ。
一億円が、すぐ目の前にある。
手を伸ばして、隣のバカな男を刺すだけで。
「……ティア」
声がして、ティアはハッと横を向いた。
アヴァロンが、漆黒の兜の奥から、静かに彼女を見つめていた。
アヴァロンの顔を見た瞬間、ティアの手はガタガタと激しく震え始めた。
(どうしよう……。一億円が欲しい。でも、アヴァロンを裏切るなんて、そんなこと……っ)
究極の二択。
打算か、愛か。
魔王の仕掛けた最悪の罠の前で、ティアの心は千切れるほどの悲鳴を上げていた。




