第19話 クラーケン襲来! パラディンの裏切りと本物の騎士
レオンとティアのペアは、無言のまま薄暗い洞窟の最深部へと足を踏み入れていた。
先ほどの『落石ドン(未遂)』の一件以来、二人の間には極めて冷え切った空気が流れている。レオンは苛立ちを隠そうともせずスタスタと前を歩き、ティアは冷めた目でその後ろ姿を追っていた。
「……行き止まりか。チッ、ハズレルートを引かされたらしいな」
レオンが舌打ちをした。
二人の目の前には、巨大な地底湖が広がっていた。波一つない不気味な水面が、たいまつの光をヌメヌメと反射している。
「戻りましょう。これ以上進んでも無駄みたいですし」
ティアが踵を返そうとした、その時だった。
ゴボッ……ゴボゴボゴボッ……!!
地底湖の水面が突如として大きく泡立ち、洞窟全体が激しい地震に見舞われた。
「きゃっ!?」
バランスを崩したティアがその場にしゃがみ込む。
ザバーーーーーーーンッ!!!
水柱と共に姿を現したのは、洞窟の天井に届くほどの巨大な八本の触手と、無数の不気味な眼球を持つ巨大なイカの化け物――ボスモンスター『クラーケン』であった。
「シャアアアアアアッ!!」
鼓膜を破るような咆哮が洞窟に響き渡る。
レイドボス級の圧倒的な殺意と威圧感。ゲームの画面越しではなく、現実の肉体で感じる『本物の死の恐怖』がそこにあった。
「な……っ!?」
聖騎士レオンは、その場に完全に縫い留められていた。
彼の頭の中にある『恋愛シミュレーション攻略マニュアル』には、好感度の上げ方やデートの選択肢は載っていても、「規格外の巨大モンスターとの実戦的立ち回り」など1ページも書かれていない。
プライドが高く、安全な場所から『完璧な王子様』を演じていただけの男にとって、この理不尽な暴力は完全にキャパシティを超えていた。
「レ、レオン様! 武器を……ッ!」
ティアが叫ぶ。
しかし、レオンの口から出たのは、情けない悲鳴だった。
「ひ、ヒィィィィッ!! く、来るなァァァッ!!」
ガシャンッ!
レオンはあろうことか、腰に差していた聖騎士の剣を放り捨てた。そして、腰を抜かしているティアの肩を乱暴に突き飛ばし、クラーケンの方へと押しやったのだ。
「えっ……?」
「ヒロインなら、大人しく僕の囮になって時間を稼げッ!!」
それは、保身のために女を犠牲にする、人間の最も醜い『素顔』だった。
レオンは恐怖で顔を引き攣らせながら、ティアを振り返りもせずに、洞窟の出口へ向かって一目散に逃げ出してしまった。
残されたのは、丸腰のシスターただ一人。
「ウソでしょ……。最低のクズじゃない……!」
シューゥゥゥッ……!
クラーケンの巨大な触手が、無防備なティアを完全に標的に定め、空高く振り上げられた。
大気を切り裂く音と共に、丸太のような触手がティアの華奢な身体へと叩きつけられる。
(あ、これ……本当に死ぬ……)
逃げることも防ぐこともできない。ティアがギュッと目を瞑り、死を覚悟した、その瞬間。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!!!!
洞窟の岩壁が、内側から爆発するように粉々に吹き飛んだ。
もうもうと立ち込める粉塵の中から飛び出してきたのは、漆黒の重鎧に身を包んだ一人の騎士。
「……間に合ったぜ」
ガァァァァァァンッ!!
アヴァロンが、両手で構えた大剣で、ティアに迫っていたクラーケンの触手を真正面から受け止めていた。
「アヴァ、ロン……!?」
ティアは信じられない思いで目を見開いた。
別ルートを探索していたはずの彼が、壁を物理的にぶち破って駆けつけてきたのだ。
「遅くなって悪かったな、ティア。リリスと一緒にお宝見つけたんだけどよ、嫌な予感がして壁ブチ抜いてショートカットしてきたわ」
アヴァロンは、触手の尋常ではない膂力に歯を食いしばりながらも、ニッと不敵に笑った。
「それにしても……あの逃げてった金髪野郎。お前を置いてったのか?」
「……っ」
ティアが唇を噛むと、アヴァロンの目から、いつものお調子者の色がスッと消え去った。
「そうかよ」
アヴァロンの全身から、底冷えするような、しかし燃え盛るような『怒り』のオーラが立ち昇り始める。
「俺のパーティーの大事なヒロインを……囮にするようなクズが、騎士を名乗ってんじゃねぇぞッ!!」
咆哮と共にアヴァロンが大剣を弾き返し、クラーケンの巨体を大きく仰け反らせる。
その背中を見つめながら、ティアの胸の奥で、今まで感じたことのない激しい鼓動が鳴り響いた。
(バカ。バカアヴァロン。……あんた、どうしていつもそうやって、真っ直ぐなのよ……!)
一億円のための打算も、清楚なシスターの計算も、そこにはなかった。
ただ、自分のために激怒し、命を懸けて背中を守ってくれるこの「不器用な暗黒騎士」への、抑えきれない愛おしさが込み上げてきた。
ピロロロロロロンッ!!!!!!!
洞窟内に、神のシステムさえもバグを起こしたかのような、けたたましいファンファーレが鳴り響く。
『システムアナウンス! エラー! エラー! アヴァロンさんの極限の守護欲求と、ティアさんのリミットブレイク級の胸キュン(完全な陥落)が共鳴!!』
『アヴァロンさんに《愛の力・バフ(暗黒騎士の真の覚醒・物理法則無視)》が付与されました!!!』
ズドォォォォォォォォン!!
アヴァロンの漆黒の鎧が弾け飛び、その内側から、星の瞬きのような眩い光のオーラが噴き出した。
それはもはや暗黒騎士の力ではない。愛する者を守るためだけに顕現した、正真正銘の『ヒーロー』の力だった。
「おっしゃあ! いくぜ、ティア! 俺の、いや……俺たちの愛の力だァァァッ!!」
アヴァロンが跳躍する。
そのスピードは音速を超え、彼の大剣から放たれた光の斬撃は、地底湖の水を真っ二つに割り、巨大なクラーケンの巨体を唐竹割りに両断した。
「ギ、ギャアアアアアアアッ……!!」
断末魔の悲鳴と共に、レイドボスが光の粒子となって霧散していく。
静寂が戻った洞窟内。
光のオーラを散らしながら着地したアヴァロンが、大剣を肩に担ぎ直し、ゆっくりとティアの方へ振り返った。
「怪我、ねぇか? ……ティア」
その顔は泥と汗にまみれ、決してスマートとは言えない。
だが、ティアの目には、どんな計算し尽くされた王子様よりも、彼が一番カッコよく映っていた。
「……アヴァ、ロン……っ」
ティアはフラフラと立ち上がると、そのままアヴァロンの胸の中に勢いよく飛び込んだ。
「うおっ!?」
「バカッ! あんたなんて、ただのバカなんだから……っ、無理しないでよ……!」
ボロボロと涙をこぼしながら、素のヤンキー口調でしがみついてくるティア。
アヴァロンは一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに優しく微笑み、大きな手でティアの頭をポンポンと撫でた。
「わりぃ。でも、絶対にお前を守るって約束しただろ?」
打算の仮面が完全に砕け散り、二人の間の隔たりが完全に消え去った瞬間。
最強のバフを生み出した二人の絆は、この恋愛サバイバルにおいて、もはや誰にも引き裂けない本物の『愛』へと昇華しようとしていた。




