第1話 化け狐の嫁入り
「俺の妻になってほしい」
凪いだ水面のように穏やかで低く、美しい声音。かの低声が紡ぐ求婚の言葉だけなら、どれほど嬉しかっただろう。けれど――
「ああ、いや。それでは語弊があるな。俺の妻に化けてくれないか」
眼前に佇む美しい青年は淡々とそう訂正した。
「化ける……?」
あまりに突拍子もないことを頼まれてしまい、絃葉は困惑した。
化けてほしいと言われたことに戸惑ったのではない。ただ、青年が化けてほしいと頼んだ意図がわからず困惑した。自分は大昔の妖――葛葉の血を引いており、変化の妖術を扱えたから。
「君は葛葉の子孫――それも生まれ変わりとされている。土御門家の子孫で稀に葛葉の血が濃く反映された白い娘が生まれるという伝承は周知の事実だ。だからこそ、俺は君を探していた」
京都で古代から名を馳せている陰陽師の名家、土御門家。陰陽師の始祖たる安倍晴明は妖狐である葛葉を母に持ち、人と妖の混血――半妖だったと伝えられている。それもあってか、晴明は人間や妖に宿っている五気の力を初めて具現化することに成功したのだった。
「俺の妻としてしばらく一緒に過ごしてほしい。これは契約結婚だ。亡き妻に化けてくれれば、妖伐局が責任をもって君を守る」
彼は軍人だった。それも、妖伐局と呼ばれる妖退治専門の。ゆえに青年の腰には雄壮な刀が佩かれていた。
これが単なる幸せに満ちた結婚――好きな人と結ばれた瞬間であったなら。何度もたらればを心のなかで繰り返す自分に嫌気がさし、絃葉はかぶりを振った。
――そもそも妖狐の生まれ変わりであるわたしに、普通の幸せなんて得られない。
得られるのは己の境遇から生まれた悲しみと絶望。青年の依頼を受けなければ死があるのみ。自分にはあまりにも敵が多すぎる。
「……わかりました」
こんな呪われた命はないほうがいいと思っていた。けれど、自分を命がけで守ってくれた人たちがいる。大切な人たちの命を、想いを――無下にするわけにはいかない。
「喜んであなたの妻に化けましょう」
微笑みながら言う絃葉に、青年――剣はわずかに息を呑んだ。
その日は晴れていたにもかかわらず、雨が降っていた。
降りしきるその雨は吉兆か、それとも凶兆か。絃葉にはわからなかったが、この愛のない婚姻によって眠っていた何かが目を覚まし、変化したような気がしてならなかった。




