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歯からの声と少尉の甘蕉(後編)

 戦艦『奥羽』の艦長、鹿島豊《かしまゆたか》大佐は、海軍内でも名うての色男であった。


 顔の造作は中の上といったところだが、なぜだか女性に好かれる、いわゆるMMK(もててもててこまる)な男だ。


 各地の鎮守府《ちんじゅふ》に愛人がいるだとか、めぼしい料亭の女将《ゴッド》とはすべて懇ろな仲だとか、その手の艶聞《えんぶん》に事欠かない人物であった。


 藤澤と同じ軍衣のはずだが、すらりと着こなし、かなりスマートに見える。

 鹿島は優雅な動きで診療台に座り、口を大きく開けた。長い足が少し窮屈そうに見える。


 艦長が相手ということで、藤澤の表情はいつもより硬い。それを悟られぬよう、落ちついて歯を一本一本確認していく。


「右上、八、欠《ケツ》、七から一、ヨシ。左上、一から七、ヨシ。……八は……抜去済」


 両上奥歯の抜けを確認した藤澤がハッと息を飲んだ。


「右下、七から一、ヨ、ヨシ。左下、全てヨシ」


 検診を続ける藤澤の声が心なしか震えはじめた。野々山を手招きし、そっとカルテ記録を開き、共に確認する。


 そこには『左上、右上の第三大臼歯(智歯《おやしらず》)の抜歯が必要であり、海軍病院宛に紹介状を作成。なお多忙につき両側同時の処置を希望』と記されていた。


 日付はつい最近、昨年末のものだ。甘味を買い損ねたショックで完全に失念していたが、確かに紹介状を書いた覚えがあった。


 藤澤は軽く咳払いをし、鹿島に結果を告げる。


「艦長、現在処置が必要な歯はありません」

「それは良かった」

「ところで右上、左上、親知らずの抜歯痕……かなり綺麗に治癒していますが、年末は相当腫れたのでは?」

「ああ、両側同時の治療は欲張りすぎた。年末は腫れのために顔が変形して周りの人に驚かれたよ。飯を食うのも苦労したな。粥ばかり食べていたよ」

「……顔の腫れですか。艦長、そういえば年末、私が水交社で予約した甘味が、太った士官に買われてしまったのですよ」


 藤澤が頬をぷっくり膨らませた後、人差し指で何度か叩き、鹿島に見せつける。鹿島はその様子を無言で見つめている。


「両頬が腫れたら、スマートな御仁も肥えて見えるかもしれませんねぇ」


 藤澤がわざとらしく鹿島の頬を見つめた。


「……参ったな、我が艦の歯科医は海軍特別警察隊より勘が鋭い。早めに降参するとしよう」


 鹿島が苦笑して両手を軽く上げた。診療台から颯爽と立ち上がると、傍らの荷物置き場から紙袋を掴み、藤澤に差し出す。


「懇意にしている料亭の娘がどうしても美味い羊羹が食べたいと言ったのでね。……だが安心しろ、君の分はちゃんと別で確保してある」


 藤澤が慌てて受け取り、紙袋を覗くと、そこには憧れの『間宮』の羊羹と、甘蕉が一房入っていた。


 検診が終わり、野々山が片付けをする横で、藤澤の機嫌はすっかり直っていた。


「甘味詰め合わせの代わりに羊羹と甘蕉か。まぁ、悪くないな」


 藤澤は甘蕉を房から一本ちぎると、半分ほど皮を剥いて野々山の口元へ差し出した。


「太郎にぃにも分けてやるぞ」

「あいにく今は手が塞がっています」

「このまま齧りつけばいいだろ?」

「坊ちゃん、子供のような悪ふざけはおやめください」

「それじゃあ、こうだ」


 藤澤は、消毒済みのピンセットを甘蕉の上部に突き刺すと、一口分のところでその実を折り取る。


「まったく、余計な仕事を増やしてくれますね」


 野々山は軽くため息をついたあと、ピンセットに顔を近づけ、白い実をガブリと一口に齧りとった。


「坊ちゃん、硬いですよ。……まだまだ青いですね」


 野々山が甘蕉を咀嚼しながら、少しだけ笑う。


「少尉の甘蕉は甘くない、といったところです」

「ふーん、未熟で悪かったな」

「おや、私は甘蕉の話をしただけですが?」


 拗ねた顔をした藤澤に野々山が思わず苦笑する。


「しかし、坊ちゃん。先ほどの『太った男の正体』は『鉱石ラジオ』に続いて名推理でしたね」

「……ふん。艦長、年末は智歯の抜歯の後に頬がひどく腫れていた。それを店員が『太った男』と見間違えたというわけだ」


 藤澤はそう言い切ると、まだ青く固い甘蕉を、意地になったようにガリリと齧った。


「しかし、艦長がああだと、先ほど拾った通信も、軍事機密どころか今夜の逢瀬《おうせ》の手配じゃないかと邪推してしまうな」

「滅多なことを言うものではありませんよ、坊ちゃん」


 戦艦『奥羽』の歯科治療室に、消毒液の匂いに混ざって少し渋い甘蕉の香りが漂う。


「そうだ、太郎にぃ。さっき停泊の時に甘味を買ってくれると言ったな」

「艦長から甘味を頂いたなら、もう良いのでは?」

「いや、甘味はいくらあってもいい。次に佐世保に上陸する時は、俺に予定を合わせろ」


 野々山は何も言わずに、また器具の片付けを始めたが、その口元は少し綻んでいるのだった。

藤澤少尉の推理はいかがだったでしょうか?

ご感想など頂けると励みになります。


次回より、毎日19時頃更新になります。


【ミニコラム】

 医科に比べて歯科軍医の歴史は短く、海軍に設置されたのは、昭和16年5月28日からになります(陸軍は昭和15年から)。


 戦艦、旧国名にすれば良かったと途中で気づきましたが、『奥羽』が気に入ったのでこのままいきます。架空の戦艦ですし。モデルになった艦、わかりますか?


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― 新着の感想 ―
モテて困るほどの色男の艦長さんが甘味を買った人だったとはw 甘蕉を食べさせてあげるところめっちゃいいですね!
note、カクヨム版からパワーアップしてなろうへ!好きなシリーズがまた読めて嬉しいです。 MMK!小気味の良いフレーズ!素敵です。 のんびりですが追いかけていくのでよろしくお願いします!
カクヨム掲載時から好きで読んでいます。 甘味大好き太郎にぃがいるとダメ人間な坊っちゃんとドライに見えて実は坊っちゃん大好きな太郎にぃのお話がまた読めて嬉しいです。
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