歯からの声と少尉の甘蕉(中編)
野々山が器具の用意をする間、藤澤がこれからの治療について説明をはじめた。
「まず声が聞こえた理由だが、『鉱石ラジオ』の原理だ」
「鉱石ラジオ……ですか?」
尾山が、まるで分からないという顔をした。藤澤の瞳がきらりと光り、興奮した口調になる。
「ああ。浮いたアマルガムと金歯の接触面に、甘蕉の酸を含んだ唾液が入り込んで酸化被膜を作った。それが検波器の役目を果たしたというわけだ」
藤澤が、尾山に向き直り第一、第二大臼歯を探針で指し示す。
「異なる金属の間にはガルバニー電流も生じる。そこに艦内無線の電波が飛び込んで、奇跡的に電波を受信、検波して声として聞こえたわけだ。噂には聞いていたが、実際に起こるとは……」
尾山が驚いたように眼をぱちぱちと開閉し、弾かれたように声を出した。
「……治療方法はあるのですか?」
「ああ、どちらかの金属を外してしまえば接触面がなくなって簡単に解決する。やるか?」
尾山が深く頷くと、藤澤はすぐ野々山に指示を飛ばした。
「浮いているアマルガムを除去する。その後セメントで充填だ」
野々山が手際よく器具を並べ、セメントを用意する。藤澤は直ぐに尾山のアマルガム除去に取り掛かった。キュキュリと金属を削る乾いた音が響き、摩擦の匂いがわずかに漂う。
治療が始まると、何も言わずとも藤澤の欲しい機材が欲しいタイミングで手渡される。まさに阿吽の呼吸だった。
「どうだ、声は消えたか?」
尾山は、治療を終えた後、藤澤に促され、頭を色々な方向に向けた。
「藤澤少尉! 声は全く聞こえません!」
「それはよかったな。ああ、セメントが固まるまで、二時間は飲み食いをしないように」
「はっ、ありがとうございました!」
「それと、傍受した無線の内容が何かは知らんが他言せぬようにな。万が一機密であるとまずい」
「もちろんであります!」
小さく敬礼をした後、尾山が軽い足取りで部屋を出ていく。治療室の扉が閉まった瞬間、藤澤はやる気のない顔で机に突っ伏した。
「少尉、まだ年末のことを引きずっているんですか? いい加減に気持ちを切り替えてください」
野々山が使った治療器具を片付けながら、呆れた視線を藤澤に投げかけた。
「だって年末に予約していた甘味詰め合わせが買えなかったんだぜ? もう俺は働く気が全く起きない……」
藤澤は机に右頬をつけたまま、口を尖らせている。そんな様子を見つめながら、野々山が深いため息をついた。
藤澤は人が来た時はきちんと振る舞うものの、年末からずっとこの調子であった。
「芳樹坊ちゃんは昔からすぐ拗ねますよね。子どもの頃からちっとも進歩がない」
「その呼び方はやめろ。俺ももう大人だ」
「私にとっては、幾つになっても本家の芳樹坊ちゃんですよ。出来上がった鉱石ラジオを嬉しそうに聴いていらしたことが昨日のように思い出されます」
不貞腐れる藤澤とは対照的に、野々山は淡々と手を動かしている。藤澤は野々山の大人びた横顔を眺めたあと、ふいっと逆を向いた。
「太郎にぃが歯科医になれば良かったんだ。俺なんかよりずっと器用だし」
「馬鹿なことを言わないでください。私は女中の息子ですよ? 旦那様のお情けで中学に行かせてもらっただけでもありがたい」
「まぁ、いい。それよりも重要なのはこれだ」
藤澤が引き出しから一冊のノートを取り出した。表紙には雑な字で『甘味横取リ犯探シ帳』と書いてある。
「俺の取り置き分を掠め取っていったのは『頬がパンパンに張った太った男』だそうだ。今日の歯科検診で、犯人を突き止めて痛い目に合わせてやる!」
「芳樹坊ちゃん、甘味くらい良いじゃないですか。次の停泊の時に私が買ってきて差し上げますよ」
「全然良くない! このご時世、砂糖は貴重品だ! しかも、あの甘味詰め合わせは水交社で数量限定販売のものだ。給糧艦『間宮』の羊羹も入っていたというのに……」
藤澤は真剣な目でノートを睨みつけている。
「それを……取り置き棚にあった俺の甘味を……横取りして買った奴がいる」
涙を滲ませ怒りに震える藤澤の隣に、野々山がすっと歩み寄る。
「坊ちゃん……」
野々山の手が、そっと藤澤の白い頬に伸びる。涙を拭うかと思いきや、一呼吸のあと、野々山は藤澤の頬を軽くつねるように引っ張った。
「いい加減にしてください。これから歯科検診ですからね!」
「はひ……ごめんなさい」
呆れきった野々山が手を離し、カルテを用意した、その時だった。
重い鉄扉がノックと同時に開き、長身の士官がひょっこりと顔を覗かせた。小脇には、何やらふくらんだ紙袋を抱えている。
「やあ、藤澤少尉、今日はよろしく頼むよ」
白い歯を見せて爽やかに笑うその男は――戦艦『奥羽』の最高責任者、鹿島豊大佐だった。




