歯からの声と少尉の甘蕉(前編)
カクヨムで中編(18話、3.5万字)として掲載していたものを加筆して長編にいたしました。
基本は連作短編で、前後編か、三話区切りで物語が進みます。(全48話、10万字)【全話執筆済】毎日19時頃に1話ずつ投稿いたします。
★カクヨムコン11、短編特別賞受賞の作者です。長編も頑張りますのでよろしくお願いします。海軍大好き!
――昭和十八年、正月明け。
大日本帝国海軍・戦艦『奥羽』。千人以上の乗員を抱える海軍屈指の巨大な鉄の城。迷路のように入り組んだ艦の奥深くにその一室はある。
クレゾールとフェノールのツンとした薬品臭が漂う――歯科治療室。
部屋の主は、海軍歯科医科士官の藤澤芳樹海軍歯科医少尉。
海軍士官になってまだ一年弱、髪は整えられているが、兵科の士官よりやや長い。小柄で笑うと少年のように見える。
今日も朝から口を押さえた悲痛な顔の下士官が、歯科治療室へと入ってくる。
「機関科の尾山一曹と申します」
「どうした? 転んで歯でも欠けたのか?」
「いえ、あの……」
藤澤の問いに尾山はなぜか言い淀み、口をもごもごと動かしている。
「煮え切らんやつだな。どうしたのかハッキリ言ってみろ」
藤澤の声に少し苛立ちが滲む。気おされた尾山がおずおずと口を開いた。
「実は、歯から声が聞こえてきまして……」
藤澤と助手を務める野々山太郎二等衛生兵曹の視線が交わる。
野々山は藤澤より八つ歳上で、頭一つ分背が高い。がっしりとした体躯に短く刈り上げた髪がよく似合う。
「それは流石に専門外だ」
藤澤が呆れたような声を出した。
「やはり、そうですよね。自分でもおかしいと思っておるのです」
尾山が悲痛な面持ちでがっくりと肩を落とす。そのまま踵を返しとぼとぼ帰りかけた背中を藤澤の声が追う。
「まぁ、診るだけは診てやる。診療台に座れ」
藤澤が、診察台の背もたれを軽く叩いた。促された尾山が座り大きく口を開く。その口を藤澤が覗き込んだ。
「どの歯から声が聞こえるんだ?」
「右上の奥歯です。少し前から艦の中央方向に顔を傾けると、人の声が聞こえる時があるのです」
「いつからその症状がある?」
「一週間前からであります」
藤澤が無言で手のひらを野々山に伸ばすと、次の瞬間にはライトが滑るように渡される。
「熱を出した、頭を打ったなど、いつもと変わったことは無かったか?」
「そのような事は何も。あっ、半月ほど前になりますか、キャラメルを食べた後から奥歯に少し違和感が生じております」
尾山が言う口腔の右奥を覗くと、第一大臼歯のアマルガム――水銀合金の充填物がわずかに欠け、縁が浮いているのが見えた。
「キャラメルの粘りで充填物が浮いたのか。野々山二曹、探針を取ってくれ」
また間髪入れずに探針―― 先端が細く尖った棒状の器具が差し出される。
「声が聞こえる方向に頭を動かしてみろ」
「はっ、分かりました!」
尾山がゆっくりと頭を左右に動かし、一点でピタリと頭を止めた。
「この方向です。今も途切れ途切れに、無線のような声が聞こえております!」
藤澤はそっとその歯に探針を当て、すぐに顔をしかめた。
「野々山二曹、ちょっと探針の柄を持ってみろ」
「私がですか?」
「いいから」
野々山が探針の柄を持ち、同じく驚いた顔をした。
「ビリっと電流のようなものが来なかったか?」
「少し感じましたね」
藤澤が尾山の顔を眺めながら、再び探針を握った。
「今もまだ声が聞こえているか?」
「はい、聞こえています」
「内容を言ってみろ」
尾山がチューニングをするように顔をわずかに艦の中央方向へ傾ける。
「『……佐世保鎮守府へ……艦長より連絡……予定……』です」
藤澤が、探針で第一大臼歯の金属を突っついた。
「ここは、アマルガム……となりの第二大臼歯には金歯が被さっているな」
もっとよく観察しようと藤澤が、顔を近づけると、尾山の口からわずかに甘ったるい匂いが漂う。藤澤が鼻をひくひくと動かした。
「ところで尾山一曹、来る前に何か甘いものを食べたか?」
「へっ? ……そう言えば主計科の友人に甘蕉――南洋から届いた貴重なバナナを一切れもらい、間食にいたしました」
藤澤はニヤリと八重歯を覗かせ、野々山の方を振り返った。
「少尉、原因がお分かりなのですか?」
「まあな。幼い頃に太郎にぃ……いや、何でもない。とにかく昔作ったアレだ」
呆気にとられる尾山を尻目に、藤澤は眉を寄せ、探針をカチャリと置いた。
「それより気になるのは、先程尾山の歯が拾った通信……『佐世保鎮守府へ、艦長より連絡』だと? おい尾山、とんでもない機密を盗聴したんじゃないだろうな」
「えっ! き、機密ですか!?」
尾山がサッと青ざめる。藤澤は野々山へ鋭く視線を投げた。
「ははは、冗談だ。さて野々山二曹、器具の用意だ。尾山の『受信機』を外してやろう」




