↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/35

痛みの行方(前編)

――昭和十九年、秋。

 

 戦況は悪化の一途を辿り、戦艦『奥羽』も、かつてのような余裕はなくなっていた。


 それでも、歯が痛くなることだけは、戦況とは関係がない。歯科治療室には、今日も患者が訪れていた。


「左上の奥歯が割れるように痛むんだ。早く抜いてくれ!」


 藤澤芳樹中尉が昼食に行き、留守を預かる野々山太郎二曹は、高角砲の照準手であるベテラン下士官、柏木一曹に詰め寄られていた。


「藤澤中尉はただ今席を外しております。しばらくお待ちください」

「ならばお前が抜いてくれればいいじゃないか。頼むよ、なぁ」

「無茶を言わないで下さい」

 

 二人が押し問答をしていると、デザートのセイゴプリンを食べて上機嫌の藤澤が帰室してきた。


「いったい何を騒いでいるんだ?」

「ああ、中尉。砲術科の柏木一曹が奥歯の痛みで受診されております」

「そうか、では診察台へ座ってくれ」


 野々山が、柏木を診察台へと誘導する。藤澤が白衣を羽織り、診察台へと近づいた。


「痛みで頭がおかしくなりそうだ。早く悪い歯を抜いて楽にして欲しい」


 明日には敵機襲来が予想される海域に入ることもあり、柏木は焦燥しきっている。


「まぁ、そう焦るな。まずは口を開けてくれ」


 大きく開いた柏木の左上の奥歯を見るが、小臼歯も大臼歯も見た目には異常がない。藤澤が首を傾げた。


「痛むのは左上で間違いないんだな?」

「間違いない。奥から二番目の歯がズキズキと痛む」


 藤澤は柏木の第二大臼歯を、ピンセットで垂直方向に叩いた。


「どうだ痛みが響いたか?」

「いや、特には変わらない」


 今度は同じ歯を水平方向に打診をしたが、またもや異常なし。

 念の為に左上第三大臼歯と第一大臼歯も調べたが、結果は同じだった。

 

 口腔内を観察しても、あるのは左下第二大臼歯に被さるアマルガムのみ。耳下腺と顎関節を見たが、そちらにも異常はない。


「左上の奥歯はいたって健康な歯だ」

「こんなに痛むのに健康なわけが無いだろう! このヤブ医者が!」

「柏木一曹、言葉が過ぎます!」


 野々山が咎めようと前に出たが、藤澤は手でそれを制した。


「痛みで追い詰められている者に軍規を説いても無駄だ。……だが柏木一曹、ヤブと言われても、健康な歯を抜くほど、俺は馬鹿ではない」

「……抜かないというなら、他の軍医に頼むまでだ!」


 柏木が診察台から立ち上がろうとした瞬間、藤澤の平手がその肩を押し戻した。普段の飄々とした態度は消え、歯科医の目が柏木を射《さ》す。


「黙って座っていろ。まだ診察は終わっていない」

「先程、歯には異常がないと言っただろうが!」

「左上に異常はない、と言ったんだ」


 藤澤は背後の野々山に短く合図を送った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。