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湯の華(後編)

「艦長、助かりましたが……私に解決しろですか?」

「ああ、そうだ。中尉の手腕に期待しているよ」


 藤澤は口を横に開き、シーシーと息を吸い込んで、しばらく考え込んだ。


「佐藤は阿蘇の出身だと言ったな。生まれもそうなのか?」

「はっ。生まれも育ちも阿蘇になります。尋常小学校を出てからは海軍に入るまで実家の畜産を手伝っておりました」

「ずっと阿蘇か。それならば……野々山二曹、風呂屋の番台で手電灯と箸を借りてきてくれ」

「はっ」


 野々山は風呂屋の番台へと急足で向かった。数分後、手電灯と竹箸を手に戻ってくる。


「竹箸をこちらに。野々山は電灯で口の中を照らしてくれ」


 藤澤は、佐藤を道端に座らせ、自分もしゃがみ込むと口腔内の診察をはじめた。

 竹箸で唇を内側から広げ、薄暗い灯りに目を細めながら、観察をする。


「この歯は、阿蘇出身で間違いないな……ん、これは……野々山、右上第二大臼歯を照らしてくれ」


 藤澤の指示に野々山がハッとしたような顔になり、電灯を動かした。


「もう切っていいぞ」


 藤澤が鈴木の方を向き直る。そして鹿島も含めた聴衆をぐるりと見渡した。


「他人の空似だな」

「えっ、でも、コイツは間違いなく魚町にいた佐藤ですぜ!」

「歯を見たら分かる。野々山、もう一度灯りを」


 藤澤が鈴木と鹿島を手招きした。二人が揃ったところで佐藤に口を開けさせ、前歯を竹箸で指し示す。


「前歯が少し小さいのが分かりますか? そして表面に白濁した斑点がある。犬歯が分かりやすいかもしれません」

「確かに斑点があるように見える」


 鹿島が大きく頷いた。鈴木が少し弱気になった視線で藤澤を見る。


「だ、だから何だって言うんですか!」

「これはフッ素中毒による斑状歯《はんじょうし》だ。火山帯の近くに住むものに特徴的に見られるものだ」

「か、海軍に入ってから歯が悪くなった可能性は? 例えば雲仙に勤務とか……」


 鈴木の言葉に藤澤が首を横に振った。


「これは幼少期のフッ素摂取で決まる。大人になってから移り住んでもこうはならんよ。阿蘇かどうかは分からんが少なくとも福岡市内ではないだろう」

「人違いだったか。本当にすまねぇ」


 鈴木がその場に膝を折って座り、頭を地面に擦り付けた。


「俺が外洋に出ている時、妻が浮気をしたと聞いて頭に血がのぼっちまった。佐藤、俺を殴ってくれ!」

「いや、怪我はしていないし、殴って怪我をさせたらこちらの仕事が増える。もう気にしないでくれ」


 衛生兵長らしい苦笑いで佐藤が宥《いさ》めた。鈴木が立ち上がると、鹿島がお互いの手を取り握手をさせる。


「無事に解決したところで、私は失礼させてもらうよ」


 鹿島は軽く手を振り、藤澤らが来た方向へと歩き去って行った。


「中尉、冤罪《えんざい》を晴らしてくださりありがとうございます」


 佐藤が藤澤に深々と頭を下げた。


「いや、それより佐藤、『鳴瀬』に勤務していたことはないか?」


 佐藤がハッと息を呑み、驚いたように目を見開いた。


「そ、そんなことまで歯を見て分かるのですか……!?」

「普通は分からん。だが……」


 藤澤が言葉を濁すと、佐藤は合点がいったように手を打ち、自ら右の唇を指で押し上げた。


「もしかして、奥歯の刻印でしょうか? 」

「ああ、そうだ。その刻印について、何か知っているのか?」

「ええ。以前、海南に立ち寄った際、歯科軍医の方に臨時で治療をしていただきましてね」


 藤澤と野々山が顔を見合わせた。


「そのついでに、万が一艦《ふね》が沈んだ時の目印だと彫って下さいました。実験的な試みだと軍医長がおっしゃられ……」


 そこで佐藤が俯き、言葉を切った。


「私はその後、不注意で怪我をしてしまい『鳴瀬』を降りました……その間にあの艦は……」


 佐藤の言葉に嗚咽が混ざる。藤澤は少しだけ上を向いた。


「何体かの遺体を検案させてもらった。歯の刻印、助かったぞ。貴官の仲間は無事に家に還れた」

「中尉……重ね重ね……ありがとうございます」


 佐藤、鈴木と別れ『奥羽』に向かう藤澤の足取りは暗かった。口数も少ない。


 結局、佐藤から聞けた情報はそれだけだった。

 強いて言うなら、その歯科軍医に「親などに何か伝えたいことがあるか?」と聞かれ何も無しと答えたことくらいだ。


 港の灯りが見えはじめたところで、ようやく藤澤が、ポツリと口を開く。


「なぁ、太郎にぃ。あの数字はただの識別番号だろうか……」

「佐藤兵長の番号は何だったのですか?」

「『.70』だ。暗かったので、もしかしたら点はただの汚れかも知れんがな」


 春の夜風が吹き、藤澤は外套の襟元をキュッと締めた。


「遭難時の識別番号か……なぁ、太郎にぃ。手越がこんな単純な謎で終わらせるはずはないと思うんだ」

「考えればいいじゃないですか。私たちは生きているんですから」

「そうだな……ところで艦長は、若林の姉の店に行ったと思うのだが」


 藤澤が今来た道を振り返る。


「歩いて行かれた方向から、可能性はありますね」

「それならば、言付かった大学芋、食べてしまったら駄目かな?」

「それは駄目ですね」

「やはり駄目か」


 風が今度は、少しだけ春の匂いを乗せて吹き抜けていくのだった。

【ミニコラム】

 歯のフッ素症(Dental fluorosis)は、エナメル質の形成時期に、過剰量(1~2ppm以上)のフッ化物を長期間摂取した場合に、エナメル質の減形成や石灰化不全を生じるものです。

 斑状歯は出生後、高濃度のフッ素を含んだ地下水を飲料水として摂取すると、永久歯が生えて来る6~8歳頃に出現します。昔は温泉地などで見られていました。

 すでに生えている歯がフッ素によって白濁することはありません。


 と偉そうに書いておりますが、ネタ拾いに歯科法医学の教科書を読んで初めて知りました。へぇ。

 歯へのフッ素塗布で起こることはありませんのでご安心くださいませ。

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