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ネズミの歯(中編)

 風呂上陸寸前に、歯科治療室へ呼び出された主計科の阿久津二等水兵は眉間に深い皺を寄せていた。

 本人は心底がっかりしているだけなのだが、傍から見ると出入り前のヤクザにしか見えない。


「阿久津、出かける前に悪かったな。ちょっとネズミを見てもらいたくてな」


 藤澤が嬉しそうに先程の軍手を差し出した。阿久津は無言のまま、外出用の風呂敷包みを静かに床へ置き、軍手に手を通した。


「主計科の秋山一水が上陸のためにネズミを二匹捕まえたのだが、これが野生か飼育かを、獣医師の目で見極めて欲しいのだ」


 小林が口にした秋山という名前に、阿久津の眉がわずかに動いた。藤澤がそれを見逃さず、横からすっとにじり寄る。


「何か知っているのか?」

「いえ……秋山一水は実家が呉で、妹が近々祝言を挙げると話していたのを思い出しただけです」

「そうか、妹の祝言か……。よし阿久津、しっかりと検分してくれ」


 阿久津が小林が持つネズミの木箱へと一歩近づくと、箱がガタガタと揺れ始めた。小林が驚いた表情を見せる。

 阿久津が小林の方へもう一歩踏み出す。箱の揺れが大きくなる。さらにもう一歩……


「ギーギーギエェェェェ!」


 ネズミが雄叫びのような鳴き声をあげて、木箱の中を走り廻りはじめた。


「な、なんだこの暴れようは!」


 小林衛生兵長が情けない悲鳴をあげて木箱を落としそうになる。

 先ほどまで丸くなって大人しくしていた二匹が、壁にぶつかり、金網によじ登り、阿久津のいる方をへ向かって威嚇を始めた。

 

 剥き出しの黄色い前歯で金網をガリガリと噛み、またキーキーと鳴き叫ぶ。金網がなければ阿久津に飛び掛かる勢いだ。

 阿久津はネズミの様子を数秒間ほど眺めた後、ため息をついて静かに木箱から離れた。


「この凶暴性は間違いなく野生だな。さっきまでは眠かったんだろう」


 藤澤が欠伸をしながら小林の方を見た。小林がおずおずと阿久津に視線を向ける。


「藤澤中尉のお見立てでよろしいかと」


 阿久津がドスの効いた低い声で応じる。


「よし、検分終了だな!」


 藤澤がポンと手を叩き、ニヤリと口元を吊り上げた。


「これだけ凶暴なら文句なしに野生、従って艦の害獣駆除だ。小林兵長、秋山一水に『ネズミ上陸』の認印を出してやれ。妹の祝言に遅れたら可哀想だからな」

「は、はい! 本日はご多忙のところありがとうございました」


 小林は一礼をすると、木箱ごと治療室から去っていった。

 扉が閉まり、静けさを取り戻した治療室で、阿久津が静かに軍手を脱いだ。


「で、阿久津。お前の見立てはどうなんだ?」

「先程申し上げた通り、藤澤中尉と同じですよ」


 藤澤の口元がまた悪戯な笑みを湛《たた》えた。


「あの切歯の伸び具合と、毛並みの良さ、肉付きはおそらく飼育ネズミだな」

「秋山一水は真面目な兵です。今回限りのことだと思います」


 阿久津が軍手を野々山に手渡し、風呂敷包みを持ち上げた。


「通船に遅れますので」

「ご苦労だった」

 

 急ぎ足で阿久津が出て行き、部屋には藤澤と野々山が残った。


「それにしてもネズミを飼育して捕獲に擬装するとは……ん、待てよ」


 藤澤が何かを思いついたように手を叩き、その目がキラリと光った。

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