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カスター・プリン(後編)

 藤澤が力強く机をバンバンと二回叩いた。


「卵黄の色が出ないなら、食用の黄色色素を一匙垂らせばいい。これで視覚はかなり補える」

「食用色素ですか。それもご用意できますね」

「あとはバニラ香料で香りを付け、上に焦がし砂糖のカリメラを流し込めば、どこからどう見ても立派なプリンの完成だ!」

「藤澤中尉!」


 背後から、野々山の冷ややかな声が飛んだ。


「人の病気にかこつけて、私利私欲のデザートを厨房に強請《ねだ》るおつもりですか?」

「強請るとは人聞きが悪い! これは顎の筋肉を痛めた遠山少尉への、正当なる『医務部監修のプリン』だ! 患者一人分だけ作るわけにはいかないだろう? 味と硬さ確認のため、私が検食をせねばならん!」


 完全に目が血走っている。 卵を失った絶望から一転、執念でプリンへの活路を見出した藤澤の迫力に、阿久津は額の冷や汗を拭った。


「……わかりました。そこまで仰《おっしゃ》るなら、士官の調理担当者と相談いたします」

「よし、交渉成立だ! 阿久津、頼んだぞ!」

 

 藤澤は満足げに腕を組み、野々山に笑みを向けた。


――同日、昼過ぎ。


 士官次室の片隅で、藤澤と遠山がテーブルに座る。そしてなぜか白衣姿の野々山がその背後に立っていた。


 テーブルの中央には、深皿に伏せられた見事な円錐台の物体。 上にかかった焦げ茶色のカリメラが、白熱電球の光を浴びて艶やかに輝きを放っている。


「……中尉、これは?」


 遠山が腫れた頬を押さえ、目を丸くした。


「見たまえ、遠山少尉。歯科治療食兼、特別滋養菓子の『擬似《ぎじ》カスター・プリン』だ」

「擬似プリンですか……?」

「卵は入っていない。練乳と粉乳をベースに、片栗粉、ゼラチンで絶妙な柔らかさに固めてある。甘味は甜菜糖《てんさいとう》だ。ほぼ噛まずに食える。さあ、遠慮せずに食ってみろ」


 藤澤が促す。その横で、藤澤自身の手にもすでに銀のスプーンが握りしめられていた。


 遠山はおずおずとスプーンを取り、プリンの端をすくい取った。

 匙先から伝わる感触は、本物のカスター・プリンよりもわずかに弾力がある。そっと口の中へ運び、舌で上顎に押し当てた。


「…………っ!」


 遠山の目が、見開かれた。


「あ、甘い……! 噛まなくても、本当に溶けていきます……練乳の濃厚なコクと、この少し苦いカリメラが……疲れた身体に染み渡るようです……!」

「そうだろう、そうだろう!」


 藤澤は我が意を得たりと頷くやいなや、自分の割り当てとして確保していたもう一つの深皿を引き寄せた。


 迷うことなくスプーンを突き立て、掬い上げて大口へと放り込む。


「んんんーーーーっ!!」


 藤澤の眉間と口元が幸福そうに歪んだ。


「これだ! 卵の風味こそないが、この乳と甜菜糖の甘み、喉を通る冷たい滑らかさ……! 昨夜の睡眠不足が吹き飛ぶ美味さだ!」

 「中尉、本当に美味いです……生きていてよかった……」


 遠山は痛む顎も忘れ、涙目になりながら二口、三口とスプーンを運んでいる。

 時化の恐怖と、歯と顎の激痛に耐え抜いた若い士官にとって、その甘みは何よりの褒美だった。


「ふむ……まあ、病人の栄養補給という名目だけは、辛うじて果たせたようですね」


 野々山が小さな声で呟きながら、藤澤の皿を横目で見た。すでに皿の半分以上が消え失せている。


「主計科のやつ、いい仕事をしたな! 野々山二曹も一口どうだ?」

「いえ、私は結構です。それより中尉」

「ん? なんだ?」

「厨房から言付かっております。『材料費の追加徴収は、中尉に回しますので悪しからず』……とのことでした」


 スプーンをくわえたまま、藤澤の動きがピタリと止まった。


「……な、なんだと? 全部俺持ちかよ……」

「自業自得です。さあ、治療食の検食が終わったら、仕事です。昨夜の診療記録の整理が山のように残っていますよ」


 淡々と言い放つ野々山の横で、遠山が「美味い、美味い」と幸せそうにプリンを平らげていた。


「まあ、遠山が美味そうに食っているなら、それで良いか」


 藤澤は残りのプリンを舌で転がし、仕事前の甘みを楽しんだ。


 時化の名残で、『奥羽』が上下に揺れる中、士官次室の白熱灯が、空になった白い皿を穏やかに照らしていた。

【ミニコラム】

 カスター・プリンはなろう版で新しく入れた話になります。実はこの話、浅草橋の某お店で、ドイツ軍の再現食、卵無しのプリンを頂いたた時に思いつきました。


 ドイツ軍のレシピはゼラチンでなくコーンスターチや片栗粉です。卵が無い分腐りにくいメニューだと思います。


 食べた感想。質感としては手作りのカボチャプリンに似てる感じで、甘さも控えめです。卵ないのに美味しい。しかしエネルギーは……高カロリー!そりゃ戦地ですもの。


 もちろん日本海軍のカスター・プリンも砂糖たっぷり高カロリー。

 舞鶴市が公開している海軍四等主計兵厨業教科書にあるレシピは以下の通りです。


カスター・プリン(10人前)

鶏卵0.4kg、牛乳0.8L、砂糖300g、香料(レモン油、ワララ油)


 計算すると、カリメラ(カラメル)ソース抜きで1人前(150g)あたり約225kcalです。カラメルソースを35kcalとすると260kcal。


 グリコ Bigプッチンプリン 160gが212kcal(150g換算で198kcal)を考えるとやや高エネルギーですね。


 なんか無性にプリンが食べたくなってきたな……。


挿絵(By みてみん)



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― 新着の感想 ―
坊っちゃんの甘味に対する熱意がすごくて思わず笑ってしまいました。頭の良さをへりくつを捏ねることに費やしているのも、最後の残念な結果も坊っちゃんらしくてほっこりしました。
やっぱり、なろう小説にはグルメネタが必須
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