カスター・プリン(中編)
「冷たい水は沁みるか?」
「いえ、沁みはしません。ただ……奥歯全体が重だるく痛んで、口を開いたり、噛み合わせようとすると激痛が走ります」
遠山がまた頬を押さえて、顔を苦痛に歪めた。
「痛みで朝食はとれませんでした。昼は粥を頼みました。固いものはとても食えそうにありません……」
帰るタイミングを逸した阿久津がおずおずと口を開いた。
「あの、私はもう行ってよろしいでしょうか?」
「ああ、阿久津か。もう少し待っていろ」
藤澤は、遠山の方を向いたまま阿久津に声をかけた。野々山は阿久津に椅子に掛けるよう勧めた。
「ふむ……どれ、口の外側を診るぞ」
藤澤は探針を置き、遠山の頬にそっと指を当てた。耳の前、そしてエラの上あたりを軽く押圧する。
「痛っ! 中尉、そこです!」
「……なるほどな。野々山二曹、これは齲蝕ではない。『咬筋の疲労と筋筋膜痛』だ。顎関節にもかなりの負担がかかっている」
「筋肉ですか?」
野々山が問うと、藤澤は遠山の顔を見据えて言った。
「昨夜の大時化の間、お前はどこにいた?」
「羅針艦橋の露天ウィングです。艦橋まで飛沫が上がって前が見えず……振り落とされぬよう、手すりにしがみついたまま四時間、見張りを続けておりました」
「それだ。吹きさらしの極寒と荒波の恐怖、そして何より転落を防ぐため、全身に力を込めて無意識に猛烈な力で歯を食いしばり続けていたんだ」
藤澤は机から湿布薬を取り出し、遠山の頬に手際よく貼り付けた。
「温めて安静にし、意識して上下の歯を離すようにしろ。二、三日で痛みは引く。……だが、今日明日は固いものを噛むのは無理だな」
「そうですか……。腹は減っているのに、飯が食べられないとは情けない……」
遠山が肩を落として治療室を出ていくのを、藤澤は無言で見送った。
が、藤澤が、いきなり阿久津の方を勢いよく振り返る。
その瞳からは、先ほどまでの絶望は消え去り、獲物を見つけた猛禽のようなギラギラとした光が宿っていた。
「阿久津!」
「は、はいっ!」
「遠山少尉の言葉を聞いたな!? 少尉は、顎と奥歯の激痛で固形物が食えんのだ! 時化の中、任務をまっとうした士官がこのような目に遭うとは……」
藤澤が目頭を押さえた後、わざとらしく拳を握り震わせた。
「噛まずに舌と上顎で潰せて、喉ごしも良く栄養と糖分を補給できる『治療食』が、今まさに医療の現場で必要とされている!」
「はあ……? 治療食、ですか?」
野々山がそっと藤澤から視線を外した。
「そうだ、治療食だ!……カスター・プリンが最適だと私は考える」
藤澤は机をバンと叩き、阿久津の鼻先に身を乗り出した。
「卵がないなら、別の手で固めればいい! そうだ厨房の乾物庫に、冷菓用のゼラチンがあるだろう! 違うか、阿久津!」
「は、はあ……粉ゼラチンは確かに厨房に在庫がございますが……」
阿久津は藤澤の気迫にたじろぎ、引きつった笑いを浮かべた。
「しかし中尉、卵を使わぬそれは、もはやカスター・プリンとは呼べないのでは……」
「馬鹿者! 名前は重要だ。まず、プリンと思い込む事がプリン擬きを美味しく食べる秘訣だ」
藤澤が、白紙のカルテを取り出し、嗅覚、視覚と記入する。
「加えて大切なのが嗅覚と視覚だ。鼻が詰まると味覚は鈍くなる。阿久津も、風邪の時経験があるだろう」
「あ、はい。確かに味が分かりづらくなりますね」
「視覚のみを遮断した実験でも味覚への影響を及ぼすとの結果がある」
藤澤が立ち上がり、弁士よろしく演説をはじめる。
「大事なのはな、舌触りと甘みに加え、バニラの香りとあの黄金色の満足感だ! 」
熱弁を振るう藤澤を尻目に、野々山は、何事もなかったかのように器具の片付けを始めていた。




