第5話 勇者たちは村で働く
目を覚めた。
鉄格子を叩く不快な金属音もない。
看守の吐き捨てるような怒鳴り声も、重い靴音もない。
半開きになった納屋の隙間から、薄青い朝の光が差し込んでいる。
耳を澄ませば、遠くで風が木々を揺らす音。
鳥の羽ばたき。カチン、カチンと金属が石に当たる音や、人の話し声が低く響いていた。
「……そうか」
俺は体を起こし、隣を見た。
薄い布にくるまった不滅は、規則正しい小さな胸の上下を繰り返し、深く眠っていた。
牢獄では、わずかな物音に跳ね起きて怯えていた少女が、今は一度も目を覚ますことなく眠り続けている。
俺は音を立てないよう静かに立ち上がり、納屋の外へ出た。
ひんやりとした朝の空気が首筋を撫でる。
眼下に広がる小さな村では、すでに何人かの村人たちが働いていた。
畑の土を鍬で耕す老人。
井戸から水バケツを引き揚げる女性。
傾いた木の柵に杭を打ち込んでいる男。
誰もこちらを気にする様子はない。
(……ぼーっと立っているのも、落ち着かないな)
ただ部屋を借りて世話になるだけというのは、どうにも性に合わなかった。
俺は腕まくりをしながら、村の細道へと歩き出した。
◇
「……ぬ、ぬぅ……っ!」
公民館の脇で、昨日話した少し若い村人の男――作蔵が、顔を真っ赤にして唸っていた。
足元には、土と大きな石が詰まった太い竹の担ぎ桶。天秤棒を肩に担ぎ上げようとしているが、ピクリとも動かない。
「手伝いましょうか」
俺が声をかけると、作蔵は驚いたように顔を上げた。
「あ? ああ、あんたか。……いや、いい。これは崩れた水路の補修に使う石だ。めちゃくちゃ重い。素人が無理すると腰をやるぞ」
「足元、持ちますよ」
両方の桶の底にサッと手を差し入れた。
そのまま、膝を少し曲げて垂直に持ち上げる。
ずっしりとした手応え。
両手で二つの重い桶を持ち上げたまま立ち上がった。
「……え?」
「どこへ運べばいいですか?」
「あ、いや……そこを下りたところの水路だが……おい、あんた、それ二人掛かりで運ぶやつだぞ? 肩掛けの棒も使わずに手で持ってんのか?」
「持ちやすい形だったので」
俺がそのまま平然と山道を下り始めると、作蔵は引きつった顔で俺の後ろをついてきた。
水路の現場に着き、指示された場所に石詰めの桶を下ろす。
「……お前、力あるな。……いや、力があるとかそういうレベルか?」
「身体を動かすのは慣れていますから」
「そうか……? まあ、助かったよ。一人じゃ半日かかる仕事だった」
作蔵は頭を搔きながら笑った。
◇
水路の片付けを終えて戻ってきた頃には、日が高くなり始めていた。
納屋の入口近くに、小さな影がぽつんと立っているのが見えた。
不滅だった。
起きて俺の姿がないことに気づいたのだろう。
不安そうに視線を泳がせ、道を行き交う村人たちから目を逸らしている。
「不滅」
声をかけて近づくと、彼女の肩からスッと力が抜けた。
トコトコと駆け寄ってくると、当然のように俺の服の裾を掴む。
「……どこ行ってたの」
「少し仕事を手伝っていただけだ。……よく眠れたか?」
「……うん」
不滅が小さく頷いた、その時だった。
「おーい、あんたたち!」
公民館の方から、作蔵が手を振って歩いてきた。
不滅が反射的に俺の背中に隠れる。
「作蔵さん、どうかしましたか」
「どうもこうもあるか。午前の作業は終わりだ。……あんたたち、朝飯は?」
「……食べていません」
「じゃあ、食ってけよ。ちょうどウチのババアが飯の準備をしてるところだ」
俺は少し眉をひそめた。
「いいんですか? 俺たちはただの通りすがりで……」
「仕事手伝ってもらったんだから当然だろ。腹減ったままじゃ力も出ねえ。……おい、その子も連れてこいよ。二人分くらい、どうにでもなる」
作蔵はぶっきらぼうにそう言うと、背を向けて歩き出した。
後ろで裾を掴む手に少しだけ力が入った。
「……行こうか」
不滅はコクリと頷いた。
◇
案内されたのは、作蔵の自宅だった。
古びた木造の家屋。引き戸を開けると、香ばしい醤油の匂いと、炊きたての米の湯気が漂っていた。
「親父、昨日言ってた二人だ。ちょっと手伝ってもらったから飯食わせるぞ」
奥の畳敷きの部屋に上がると、ローテーブルを挟んで、昨日の老人――村長が座っていた。
「……ふん。勝手に上がれ」
村長は気難しい顔で煙管をふかしていたが、追い出すような素振りは見せなかった。
やがて、作蔵の母親らしき老婦人が、湯気の立つお椀や皿を運んできた。
大きな碗に盛られた白米。
大根と豆腐の味噌汁。
畑で採れたという野沢菜の漬物。
少量の山菜の煮物。
「さあ、冷めないうちに食べな」
老婦人に促され、俺と不滅は向かい合わせに座った。
不滅は目の前に置かれたお椀と箸を交互に見つめ、固まっている。
「食べないのか」
不滅は慎重に箸を持ち上げ、小さな手でお椀を抱えた。
そして、白米を一口、口に運んだ。
ぎこちなく口を動かし、飲み込む。
「……おいしい」
「そうか」
俺も箸を取り、白米を口に含み、味噌汁を啜った。
味噌汁の熱が、冷えた身体に入ってきた。
「……あんたたち、東京から流れてきたんだろ」
作蔵が味噌汁を飲みながら、なにげなく聞いてきた。
「ああ」
「向こうに、家族は?」
俺は不意を突かれたように手を止めた。
「……いない」
「そうか」
作蔵も村長も、それ以上は何も聞いてこなかった。
横を見ると、不滅が一生懸命に山菜を口へ運んでいた。
作蔵の母親が「たくさん食べな」と、彼女の皿に漬物を添えてやる。
不滅は少し驚いたように体を強張らせたが、すぐに小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます」
俺は黙って、お椀の米を最後の一粒まで口に運んだ。
◇
食後、お茶を飲んでいると、俺は村長に向き直った。
「村長さん」
「なんだ」
「……俺たちを、しばらくここに置いてもらえないだろうか」
村長は煙管の煙をふぅと吐き出し、俺と不滅をじっと見つめた。
「身元も分からん奴を、タダで置くわけにはいかんぞ」
「働きます。力仕事でも、畑仕事でも、何でもやります」
「……」
村長は少し考え込むように目を細めた。そして、作蔵の方を見る。
「作蔵、お前どうだ」
「俺は助かるけどな。今日の水路の件もある。この兄ちゃんの腕力は本物だ」
「……ふん」
村長は煙管をトントンと灰皿に叩きつけ、俺を見た。
「……働けるなら、構わん。納屋は好きに使え。ただし、村のルールは守れよ」
「……もちろんだ。ありがとう」
俺が深く頭を下げると、作蔵の母親が不滅に向かって優しく声をかけた。
「それじゃあ、あんたは私の方を手伝っておくれ。野菜を洗ったり、洗濯物を畳んだりね」
不滅は目を丸くし、自分の胸を指さした。
「……私も?」
「当たり前だろう。二人とも食べたんだから、二人とも手伝うんだよ」
「……うん。やる」
不滅は、はっきりとそう答えた。
◇
夕方。
茜色に染まる山道を歩き、俺たちは納屋へと戻ってきた。
不滅は今日一日、作蔵の母親と一緒に井戸端で野菜を洗っていたらしい。小さな手が少し泥で汚れていたが、その顔に怯えはなかった。
納屋の前に立ち、不滅がふと足を止めた。
「……おじさん」
「ん?」
振り返ると、夕日を浴びた不滅が、俺を見上げていた。
「……今日、楽しかった」
「そうか」
「うん」
不滅は納屋の中に入り、敷かれた藁の上へちょこんと座った。
俺はその背中を眺めながら、半開きの引き戸から外の景色を見た。
村のあちこちから、夕飯の煙が立ち上っている。
需要有りそうなら続けます!




