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イグニスのセカイ

 ……炎だ。


 全てが燃えている。

 広大なこの地下空間をただ灼熱の劫火が……埋め尽くしている。

 視界(セカイ)はただ、ひたすらに紅(アカ)い。


「……あたしから離れるなよ! 黒コゲにされてしまうぞ!!!」


 自分のすぐ前に立つゼクロアが叫んでいる。

 ……離れる? そんな事ができるはずがない。

 レンヤは今ゼクロアの作る薄く淡く水色に光っているドーム状の障壁(シールド)で炎から守られているのだ。

 彼女から離れれば、この障壁の外に出れば言われている通りに一瞬で消し炭にされることだろう。

 ゼクロアのすぐ後ろからレンヤは動くことができない。


(……どうする!!! これ……何ができるってんだ!!!??)


 灼熱の炎の中でレンヤは必死に頭を働かせているがまともな案(プラン)など出てきはしない。

 それどころかパニックに陥らないように心を抑えつけるので精一杯。

 ゼクロアは動けない。

 レンヤを守る為に彼の前に縫い付けられてしまっている。

 彼女が攻撃の為に前に出れば残された召喚主(あるじ)が炎に巻かれてしまうから。


 イグニスは空中で動いていない。

 その背後の不死鳥も羽ばたくのみで呼び出された位置のまま。

 真紅の髪の少女はただ睥睨している。

 地上で何もできずにいる主従をただ、静かに。


 これが……これが、紅蓮のイグニス。

 彼女の実力(セカイ)。


「……………」


 そんな攻防以前の状態の二人の生徒を銀色の髪の男が冷静に見つめていた。


 レイオニール教官。杖を突いた隻腕の男。

 彼は自分を淡い白い輝きで覆って炎と熱の中で平然と立っている。

 どうやら召神(デュナミス)の能力らしいが、その召神は姿を見せていない。


 イグニスの不死鳥(エクセリシオール)が姿を現してからおよそ一分が過ぎ去った。

 既に状況は膠着してしまっている。


 レンヤは……彼の主従は動けない。


「そこまでだ。双方止め」


「……なッッ!!!?」


 その低い声はごうごうと唸りを上げて燃え盛る炎の中でもはっきりと聞き取る事ができた。

 戦闘の終了を告げたレイオニールに愕然となるレンヤ。


 待ってくれ……そう言いかけるがその言葉は実際の音にはなってくれなかった。

 頭の片隅に酷く冷静な自分がいて、そいつが言っているのだ。

 反抗してどうなる。何ができる、と。


 まだ、まだ自分たちは、ゼクロアは何もしていない。

 いや、何もさせてもらえなかった。

 イグニスは何もしていない。彼女はただ自分の召神(デュナミス)を呼び出しただけだ。

 戦うと言いながらも双方攻撃の一発も出したわけではないというのに……。


 それでも、自分たちは……負けたのだ。


 エクセリシオールが高い声で鳴く。

 そして不死鳥は主人に顔を寄せてクルクルと喉を鳴らすように穏やかに息を吐いた。

 そんな自分の召神(デュナミス)の頬を優しく撫でるイグニス。

「いい子ね」と言っているかのようだった。


 紅蓮の鳳が異界へと帰っていく。

 コツン、とブーツの爪先を鳴らしてイグニスが地上へ帰還した。


「……………」


 レンヤは項垂れていて、そんなイグニスの方を見る事もできない。


「異存はあるか」


 レイオニールの問いはレンヤではなく、その召神(デュナミス)であるゼクロアへ向けて放たれた。

 金色の髪の女神が静かに首を横に振る。


「いや、ない」


 ゼクロアは淡々と自分たちの敗北を認め、レイオニールが肯いた。


「レンヤ・クサナギ」


「……………」


 レイオニールに名を呼ばれてレンヤはようやくゆっくりと顔を上げる。

 返事もない。彼は茫然としてしまっていた。


「力のある召神(デュナミス)と契約できたようだな。だが……それでお前が召喚士(あるじ)として強くなったという訳ではない。お前が彼女の力を十全に引き出して、イグニスと互角に立ち回れるようになるまでにはまだまだ積み重ねていかなければならないものがあるだろう」


 普段はぶっきら棒で口数の少ない教師(レイオニール)が静かに、そして穏やかにレンヤを諭している。


「召喚士の中には自分が召神を選んでやったのだと思い上がる者もいるが、そうではない。我々は互いに選び選ばれたのだ。お前が彼女を選んだように、彼女もお前を選んだ。彼女の選択が正しかったのだと証明する為に研鑽を積め」


 以上だ、とレイオニールは二人に背を向けて闘技場を出ていく。

 その後ろ姿にレンヤとイグニスが深く頭を下げた。


 ────────────────────────


 白い月が夜空に高く浮いている。

 時刻は既に深夜になっていた。


 自室に戻ってきているレンヤたち。

 あれから彼は黙りこくったまま……夕食も取っていない。

 今も床の上に直に胡坐をかいたまま、彼は微動だにせずに床の一点を見つめ続けている。


 そんなレンヤの側に寝転がっているゼクロア。

 制服のままのレンヤと違って戻って私服に着替えている彼女は雑誌を広げてなんとなく眺めているが……。

 もう何時間もその状態なのだ。

 そんなにその雑誌に読む部分があるとも思えない。


(こういう時は何て言えばいいんだ……? というか、お前から話を振れよ! あたしは誰かとこういう空気になったことがないんだぞ!!)


 見てはいるが、文章は頭の中に入っていない。

 雑誌を読んでいるフリをしながらゼクロアはレンヤにどう声を掛けたものかと先程からずっと悶々としているのだった。


(気にすんなよ~、とか言ったらこいつますます凹みそうだしな……)


 元気付けてやりたいと思っているのだが、相応しいと思う言葉がどうしても思い浮かんではくれない。


 正直な所、ゼクロアは自分たちが勝てないであろう事は想像できていた。

 しかしそれでも尚悔しいのはレンヤが全然本来の力を発揮できなかったという事だ。

 実戦に慣れていない彼は完全にイグニスに……彼女と彼女の召神(デュナミス)に飲まれてしまっていた。

 圧倒されて何もさせてもらえなかった。


 彼のメンタルさえ万全であればあそこまで一方的な勝負にはならなかったのに。

 召神の強さは召喚主の状態に大きく左右されるのだ。

 前回ベルトリュートと戦った時と違って戦う気持ちになれなかった、させてもらえなかったレンヤはほとんどゼクロアに魔力(ねんりょう)を供給出来ていなかった。


 そこも込みで勝てないだろうなとは思っていたのだが……。


「……ゼクさん」


「あん?」


 ようやく、レンヤが口を開いた。

 ゼクロアは雑誌を置いて顔を上げる。


「すまなかった!! ゼクさん……!! 俺が、俺が不甲斐ないばっかりにゼクさんの顔にまで泥を塗っちまって……」


 絞り出すように謝罪すると座った姿勢のままレンヤが深々と頭を下げる。

 そんな彼にゼクロアは半眼になった。


「おい」


「へ……?」


 間の抜けた声を出しながらレンヤが顔を上げると、そこにはイグニスの右手があった。


「このアホ」


 ばちん!!!!


 凄まじい音を響かせてゼクロアのデコピンがレンヤの眉間のやや上を打つ。


「ぐああああッッッ!!!!!」


 そのあまりの威力にレンヤは叫びながら思い切り仰け反った。

 打たれた場所から出血している。

 戦闘では傷一つ負わなかったというのに戦闘以外でやたらと出血する日が続く。


「な、何を……」


 打たれた額を手で押さえながら涙目になっているレンヤ。


「お前な、勝手につまらないものを背負ってるんじゃない。あたしはなんとも思ってない」


 レンヤの事を軽く睨みながらゼクロアは口を尖らせている。


「負けたことが恥ずかしいって? そんな事あるか。負けて恥ずかしいのはその事を認められない奴と、そこから立ち上がれない奴だ。覚えとけ」


「ゼクさん……。お、おう」


 顔を寄せて真剣な語り口で言うゼクロアに気圧されて肯くレンヤ。


「……よし、じゃあこの話はこれで終わりだ。一晩寝たら元に戻っておけよ」


 ふわりと浮き上がってベッドの上段に入るゼクロア。

 するとそこからポイポイと彼女の衣服が飛んでくる。


「ゼクさん、ありがとう」


 上のベッドに向けてそう呼び掛けると白い手が上がって二三度ヒラヒラと揺れるのだった。


 ────────────────────────


 ゼクロアにああ言われて気持ちを切り替える気にはなったレンヤであったが……。

 それでもすぐに眠る気にはなれなかった。

 明かりを落として月明かりだけが照らす部屋で彼は椅子に腰を下ろして夜空を見上げている。

 今日の事や、これからの事。

 色々と考えながら。


 すると……窓がコンコンと叩かれる。

 今は深夜で、ここは二階だというのに。


「なんだ……? うおっ……!!」


 眉を顰めて窓を見て、そして驚くレンヤ。

 見れば……窓を叩いていたのはイグニスだった。

 彼女は無言で「開けろ」のゼスチャーをしている。

 結局あの試合の後で彼女とは一言も言葉を交わせず終い。

 それが今になってどうしたというのだろうか。


 鍵を開けて窓を開くと彼女はまるで重力などないかのようにスルリと部屋に滑り込んできた。


「な、なんだなんだ……!」


「様子を見に来たのよ。あんたが落ち込んでメソメソしてないかってね」


 そう言うと制服姿のイグニスはレンヤの顔をじっと覗き込んでくる。

 彼女の美しい澄んだ瞳に頬を引き攣らせたレンヤの顔が映っている。


「ふうん……もう平気みたいね」


「いや、凹んではいたけどよ。すげえカッコ悪かったしな……俺」


 くっ、と悔し気に思わず顔を伏せるレンヤ。

 イグニスを目の前にするとさっきの自分のありさまが生々しく脳内に蘇ってきて居た堪れない。

 自分から勝負を持ちかけておいて……あの体たらくである。


「よかったじゃない」


「うぇ……?」


 ふふっと笑った幼馴染。

 よくないよ? と表情を歪めてレンヤがイグニスを見る。

 何故彼女はそんなことを言って余裕の笑みを見せるのか。


「今あんたが感じている情けなさも悔しさも、全部あんたがちゃんとした召喚士になったって証拠。今まではあんたはその気分を味わう事もできなかったんだからね」


 言われてみれば、それはそうか……と、レンヤにも納得する部分はあった。

 今までの自分には召神(デュナミス)がいなかった。

 負けたと言うのは少なくとも勝負はできたという事で、今まではそれも叶わなかったのだから。


「それに私に負けたからと言ってこの学園にそれを恥だと思う人はいないわ。試しに聞いてみなさいよ、誰かに。イグニス・ファルメイアに負けたんだけどそれって恥ずかしい? ってね。きっと全員が何言ってんだコイツって顔で見てくるわよ」


「……………」


 何という尊大さ。

 これぞイグニスといった感じである。

 自分に挑んで敗北する事など当たり前の事で、それを気にする者はいないと彼女は言っているのだ。


「……まあ、それはそれとしてあんたは敗者で私は勝者。貰うものは貰ってくわ」


 オマケに彼女は傲岸不遜に胸を反らしてこちらを見下ろしながらそんな事を言いだした。


「えぇ……? ちと待ってくれ、なんか賭けたりは……」


 それ以上言葉は続かなかった。


 何故なら、不意に顔を寄せたイグニスが唇を重ねてきたから。

 レンヤの頭の中が一瞬で真っ白になって何も考えられなくなる。


「ん……」


 十数秒間の後に離れていく彼女の唇。

 薄桃色の唇が流星のように尾を残していくような気がしてレンヤはぼんやりその軌跡を目で追った。


「貰っていくわよ、あんたのファーストキス」


 ぺろっと小さく舌を出して自分の唇を舐めたイグニス。

 そして、彼女はふと眉を顰めて半眼になった。


「……初めてよね?」


「い、い、いや、そりゃそうだろ……。誰とするんだよ、こんなん……」


 日中、不死鳥の炎の中で絶体絶命だった時よりも心臓をバクバク言わせながら掠れ声を出すレンヤ。

 その返事にイグニスが薄笑みを浮かべる。


「ならよし。当然私も初めてだから。あんたの初めてのキスの相手は私で、私の初めてのキスの相手はあんただって事、忘れるんじゃないわよ」


 ニヤリと笑って自分の鼻先に白い指先を突き付けてくるイグニスに何と返事をしていいのかわからずレンヤはただ目を白黒させるだけだ。

 そんな彼の間抜け面を見ていてイグニスがふと考える。


(……しかしコイツ、本当に全然顔はフツーよね。輪郭はいいのに目も口も妙に大きいし、三白眼気味だし。滅茶苦茶三枚目半だわ。頭つんつんのボサボサでオシャレもロクにしたことないのよね。まあいいわ。ヘンに色気付かれて今以上に誰かに寄って来られたら面倒くさいし。私がこの顔で構わないのだから、それが全てよ)


「……??」


 怪訝そうなレンヤ。


「……別に。自分が面食いではないなって再確認していただけよ」


 あっけらかんとそう言って紅い髪の少女は白い歯を見せてひひ、といつもよりちょっとお転婆な笑みを見せた。

 そんな彼女が年下の幼馴染を見る視線は優しい。


「慌てなくていいわ。あんたはあんたのペースで強くなりなさい。私はいつまでも待っててあげるから」


「イグニス……」


 結局……戦いの時もそうでない時も彼女には飲まれっぱなしだ。

 追い付いて横に並んで、そして前に出てやると意気込んでいたレンヤであるが果たしてその日はいつになる事やら。


 ともあれ彼女はまたも一方的に自分を翻弄し、やってきた時と同じく窓からひらりと身を躍らせる。

 そして、真紅の長い髪を風に靡かせて手を振って夜の闇の中に飛翔して消えてしまうのだった。

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