哀れな道化師の叙情歌
数百万人が暮らす大陸でも有数の巨大都市、帝都の中心部に聳え立つ威容。
黒鉄の帝国城ヴァルケンシオンス。
三重の城壁に囲まれた城の敷地の広さは小さな町に匹敵する。
それぞれの内側には勤務している人間たちの居住区も存在し、城壁内だけでも一万人近くが常在しているという。
建物の大部分は光沢のある黒い金属で構成されており、そこに僅かな金色の縁取りがある。
軍事要塞そのものだ。この城は帝国が大陸の覇者となってから建造されたものであるというのに。
そして現在、その帝城の一室にピリピリとアラーム音が鳴り響いている。
窓にシャッターが下ろされ薄暗い室内は酷い有様であった。
そこかしこに書類や本が散乱していて足の踏み場もない。
「んん……っ、あぁ、もう朝か。なんだい、騒々しいねえ」
デスクに着いていた女性がもぞもぞと身じろぎをした。
どうやらそこで眠っていたらしい。
黒いロングコート型の軍服を着た女性だ。黒に近いほど濃い緑色のストレートの長髪から覗いているのは先端が尖っていて長い耳……彼女はエルフ種族なのだ。
そして彼女は度が強すぎる眼鏡を掛けていてレンズの向こう側の瞳はボヤけていてよく確認できない。
鼻筋や顎のラインからは彼女が美しく整った容姿の持ち主だと推測できるが……。
「……ハイハイ、もしもし私だよ。……………おおっ! これはこれは先生、どうもお久しぶりです」
煩わしそうに通信機の受話器を持ち上げたエルフ女性が通信に応じる。
すると、寝ぼけ顔だった彼女が急にシャキーンと覚醒した。
「いえいえとんでもない! 私がどれだけ偉くなろうがいくつになろうが先生は先生でしょう? ……ハッハッハ!」
そして目の前にいない相手に向かって胸を逸らして高笑いしている。
遜っているんだか尊大なんだかよくわからない態度。
そんな彼女の挙動に合わせて室内の止まり木にいた大型のカラフルな羽色のオウムが「センセイ! センセイ!」と鳴き声を上げながら翼を羽ばたかせた。
通信機からは「先生」の低い声が僅かに漏れている。
通話の相手の話を聞いているうちに彼女の表情は満足げなものに変化していった。
「そうですか、それは朗報だ。ふふふ、推薦者としても鼻が高いですよ。……引き続き大切に導いてあげてください。彼はひょっとしたら我々帝国の次代の希望になれるかもしれない逸材ですからね」
ではまた、と女性は受話器を置いた。
そして椅子から立ち上がると大きく伸びをする。
長い間ヘンな姿勢で固まっていたボディのあちこちがボキボキ鳴っていた。
「……そうかそうか、ようやくお目覚めか。まあ想定していたよりも若干お寝坊さんだったかな?」
立ち上がって棚に歩み寄り、そこから小瓶を取り出す女性。瓶の中身はヒマワリの種だ。
それをオウムに与えながら彼女の口元は妖しい笑みを形作っている。
「楽しみだねえ、マックスウェル。彼は本当に帝国の希望になるのかな? それとも……」
分厚く霞んだレンズの向こう側の瞳が冷たく細められ鋭い光を放つ。
「私はとんでもない厄災を引き当ててしまったのかな?」
「クサナギレンヤ! クサナギレンヤ!」
飼い主の言葉に応じるかのようにレンヤの名前を連呼しながら羽ばたくオウムのマックスウェルであった。
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勝負してカッコ悪く負けても……それでも朝はやってくる。
すっかり寝不足のレンヤが欠伸を噛み殺しながら登校中。
結局昨晩はほとんど眠ることができなかった。
昨日は一日で色々な事がありすぎた。
情緒がおかしくなってしまっているレンヤは未だに心の一部が麻痺したままだ。
そして、変化は彼だけのことには留まらない。
(おかしい……)
教室に入って席に着くと感じる、周囲の何かよそよそしいというか微妙な感じの空気。
時折こちらをチラッと窺ってはヒソヒソと何事かを囁き合っているクラスメイトたち。
これはもしや……。
(昨日の勝負の話がどっかから漏れちまってるのか……。皆「身の程知らずが!」って言いてえんだろうなぁ……まったくその通りでございますよってんだ)
ハッ、と乾いたシニカルな笑いが口から漏れる。
何を思われようがみっともないのは事実だ。しょうがない。
「よっ! ブラザー」
不意にバンと強めに背中を叩かれ思わず顔を顰めたレンヤ。
見上げれば日焼けしたニヤけた二枚目が自分を見下ろしている。
「ニック……」
「聞いたぜブラザー。お前も随分チャレンジャーな男だったんだな」
早速例の話を振ってきたニコラス。
ニヤニヤと笑ってはいるもののそこに陰湿なものは感じない。
まあ、ヒソヒソやられるよりかはこっちの方がまだマシか、とレンヤは思った。
「まあな……ちっとチョーシに乗っちまってたよ」
「ハハッ! 気にすんな気にすんな!! そんなんこの学園にゃ掃いて捨てるほどいるぜ。お前もそこに仲間入りしたってだけさ。すぐに誰もなんも気にしなくなるって!」
……?
掃いて捨てるほど? そんなにいるのかイグニスと勝負した奴は。
彼女は自分が挑戦を受けるだけでも特別なことだというように言っていたが……。
「とはいえ失恋のキズはやっぱ女の子に癒してもらわなきゃな。任せなブラザー、俺がイイ娘を紹介してやっからな」
「……ふぁ!? オイちっと待て!!」
ポケットから取り出したアドレス帳をペラペラとめくり始めたニコラスに驚愕するレンヤ。
この男は学園でも有名な遊び人であり、連絡先を知っている異性の友達は百人を優に超えると豪語する……と、そこはレンヤでも知っているが。
何かがおかしい。
微妙な話の食い違いを感じる。
「もしかして……俺ぁイグニ……いや、ファルメイア先輩にフラれた事になってんのか?」
「ああ、昨日三年の知り合いから連絡貰った時は流石の俺もぶったまげたぜ。なんかお前んとこのクラスの奴が先輩に告って玉砕したらしいぞってな。けどよ、ブラザー……俺はお前の味方だぜ」
わかってる、というかのように妙に優しくこちらの肩に手を置いてくるニコラスだ。
「………………」
しかしそんな彼に対してその辺の苦虫を大量にかき集めて嚙み潰したみたいな顔でレンヤは固まってしまっている。
そういうことか……。
思えば、一昨日は周囲のことなど全然気にもせずに三年の校舎に押しかけてイグニスと接触してしまった。
そして二人で連れ立って姿を消した。
確かに傍から見ればイキった後輩が告白しにきたように見えたことだろう。
そこから先の結果は皆の想像なのだろうが、現時点で自分とイグニスがカップルになっている訳でもないのでそこを否定できる材料が何もない。
そうではない、と力の限り否定してしまうと今度は、じゃあ何だったんだと説明しなくてはならなくなる。
勝負を挑んで手も足も出ずに敗北したとなれば結局みっともないのは一緒。
しかも普段は誰かの挑戦を避けているらしいイグニスにとっても、レンヤの挑戦には応じたと言われることは少なからぬマイナスになるだろう。
(……アカン! 詰んだわ!! 俺このままフラれマンとしてやってくしかねえじゃん!!!)
何かを言いかけ口を開くも……結局言うべきセリフが頭の中に思い浮かんではくれず。
水槽の中の金魚のようにただ口をパクパクするだけのレンヤなのであった。
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放課後になった。
今日は一日クラスの内外で他生徒たちの好奇の視線に晒され続けたレンヤは精神的にグッタリと疲弊して寮に帰ってきた。
「ただいま~っ。聞いてくれよゼクさん……俺ぁすっかりクラスの道化者になっちまって……」
「おかえりィ……」
靴を脱ぎながらため息をついた彼を出迎えたのは地獄の底から響いてくるかのような低い声。
自室の奥から寒風が吹いてきた気がしてレンヤは首を窄めるのだった。
(……えっ、何?)
思わず動揺してしまう。
見れば座布団に胡坐をかいて座卓に肘を突き、その手に顎を乗せているゼクロアがじっとりとした目でこちらを睨んでいる。
(あれっ……? 昨日寝る前に分かり合ったカンジになってたよな? 俺たち……)
ギロリとこちらを睨んだままゼクロアは視線を外してくれない。
剣呑。不穏。
レンヤとしては喉元に刃物を突き付けられているような気分であった。
「え、ええと……ゼクさん? どうか、したのか……?」
「別にィィ」
そう言う彼女の口はへの字だ。完全にぶんむくれている。
そういえば……朝もこんな感じだったような?
朝はレンヤの方も余裕がなさ過ぎてそこに注意を払う事もできなかったが。
そう、ゼクロアは不機嫌MAXであった。
昨日の深夜からずーっとだ。
原因はといえば、それはレンヤがまさか彼女に知られているとは思ってもいないイグニスとの逢瀬である。
(クソッ!! キス!! キスしていきやがったアイツ!! よりにもよってあたしのすぐ近くでええええ……!!! ふんがーッッッ!!!!)
ゼクロアはイグニスの来訪に気付いていたのだ。
正しくは既に眠っていたが彼女が入ってきたことで目が覚めた。
(バカかあたしは!! あん時デコピンなんてしてないであたしもそうすりゃよかったんだ!! いけただろ完全にあの時!!! そうすりゃアイツに先越される事もなかったってのに!!!)
ギリギリと奥歯を鳴らしている狂える女神。
かつてない相棒の憤怒の相に怯えるレンヤ。
何よりもゼクロアを腹立たせているのは、恐らくイグニスはあの時自分が起きていることに気付いていたであろうという事である。
あの口付けは半分は自分への牽制……というか、挑戦状と解釈するべきか。
(あれは半分はあたしへの威嚇だろ……。こいつは自分のだから手を出すんじゃないって言ってったってことだよな。くっそぉ~っ!! 自分ばっかレンヤの事を知ってると思ってんじゃないぞ!!!)
座卓の上に置いたゼクロアの拳が細かく振動している。
その小刻みな揺れは真正面に座るレンヤに伝わって彼までバイブレーションしていた。
自分だって幼いころのレンヤと一体化してそれからずっと彼の成長を見守ってきているのだ。
その意味では自分だって幼馴染だ。
……いや、こっちは幼くなかったし一方的な間柄なのでちょっと違うか。
「レンヤが覚えたての頃一日何回シコってたのかも知らないクセにッッッ!!!!」
「ボぶッッッッッ!!!!!」
突然とんでもない事を叫び始めたゼクロアにレンヤは丁度口に含んだ所だった水を勢いよく噴出した。
というか知られていたのか彼女にそんな事を。
「とにかくあたしに勝つまではイグニスはレンヤに近付くのは禁止だからな」
「昨日ボロクソに負けたばっかなんですけど……」
沈痛な表情でそう言うと項垂れるレンヤであった。
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放課後の学園。
終業のベルの音を聞いてもイグニスはすぐに席を立ち上ろうとはしなかった。
何となく窓から外を眺めている彼女。
その表情にいつもの彼女の人当たりの良い柔らかい微笑はない。
普段とは違ってどことなく物憂げな彼女。
クラスメイトたちはその原因を少しだけ噂になっている下級生に告白された件と結び付けて下手に彼女に接触しようとはしなかった。
興味のない相手にまた言い寄られて憂鬱な気分なのだろうと。
そして実際イグニスが考えているのはレンヤの事であったが、内容は周囲が推測しているようなことではない。
昨日の勝負を経て彼女は彼女なりに思ったこと、考えていることがある。
(私のエクセリシオールが……怯えていた)
長年苦楽を共にしてきた召神のあんな反応を見たことはこれまでに一度もない。
確かに不死鳥は内心でレンヤの召神に対して恐れの感情を抱いていた。
勿論彼女の自慢の相棒はそれで怯んで動きが鈍るようなことはない。
恐怖の感情も勇敢さで蓋をして相手に立ち向かうことのできる召神だ。
(大体が何よ、『狂神』って。狂った神様? なんて不吉な二つ名なのよ)
初めて目にするレンヤの召神。
それも出自のよくわからない石像に彼女は封印されていたのだという。
出所からして普通の召神とは大きく異なっている。
通常、召喚士と召神は召喚の魔術的儀式を経て出会い契約へと至る。その時点で齟齬が生じれば契約は成されない。
しかしレンヤは幼いころに誰も知らない所で契約してしまっている。
何も知らない、わからない子供が……。
イグニスは記憶を辿り続ける。
帝国で生まれた子供は必ず十歳の時に召喚士の適性を検査される。
レンヤもそこで適正有りの診断を得ていた。
召喚士ならば……アルマギアスに入学する資格がある!
イグニスは父親の力を借りたりあれやこれやと手を回して自分の援助でレンヤも学園に通えるように手配した。
そうしてある日、彼女は学園の制服を持って意気揚々と幼馴染の生家を訪ねたのだが……。
「喜びなさい! レン! あんたも私と一緒の学校に……」
セリフは最後まで続かなかった。
扉を開け放ったその先で……レンヤはもうアルマギアスの制服姿だったからだ。
「なんで……あんたがその制服を着てるのよ」
「いや、なんか……ここに通えって」
どことなくばつが悪そうにレンヤが視線を送った先には机の上にある書類。
箔押しに封蝋の立派な封筒が近くにある。
公的機関の出す書類だ。……それも相当にレベルが高い。
書類を手に取りイグニスが目に通す。
内容は学費その他必要なものを全て負担するのでアルマギアス学園に通うようにという指示書であった。
平民のレンヤにしてみればほぼ命令と同義であり拒否する術はない。
紋章は帝国のものに「V」が重なっている。
署名は帝国軍第Ⅴ軍指揮官……『七響天』
(ギア・メルフィナ……七響天、『識天のギア』!)
……………。
七響天が優秀なアルマギアス生を在学中から取り込もうとしたような話ならいくつか聞いたことがある。
実際にイグニスにも複数の七響天の使者が接触してきている。
だが入学から送り込んでくるなんて話は聞いたことがない。
それも召神を得られなくても追い出すなという厚遇ぶり。
(レン……あんた私の知らないところで何をヘンな話に巻き込まれてるのよ)
は~ぁ、とクラス中に響き渡るような大きなため息をつくイグニス。
その事でビクッと身を震わせる数名のクラスメイトたちであった。




