幼馴染は早朝にノックする
ある朝のこと、学生寮のレンヤの部屋の戸を早朝からノックする者がいた。
ドンドン、とその音はやや強めである。
そこはかとなく不穏な空気を感じる。
寝ぼけ眼でドアを開けると、そこには鮮やかな真紅の髪の美少女が立っている。
思わず目も覚める美貌の持ち主であるが、いかんせんレンヤは慣れもあってそこまで眠気が飛んではくれなかった。
「……イグニス?」
「おはよう。入るわよ」
そう宣言し、部屋の主の確認も取らずにずかずかと踏み入ってくるイグニス・ファルメイア。
ツンと澄ました彼女の様子からは別段いつもと変わったところは見られないが……。
少なくとも男子寮は女子禁制なのである。
「……あんたの召神を見に来たわ」
そう言った彼女の眼光はやや冷たく鋭かった。
何となく……レンヤにはイグニスの言いたいことがわかる。
恐らく彼女は……断罪にやってきたのだろう。
大事なことをずっと隠してきた自分を。
「イグニス、話せなかったのは……」
「わかってる。そういう契約内容だったって言いたいのでしょう?」
……流石は理解のある幼馴染だ。
レンヤは長年胸につかえが下りるような気持になった。
説明を受けなくても彼女はゼクロアの事をレンヤが自分に告げることができなかった理由をほぼ正確に言い当てた。
レンヤにとってはイグニスは長年の年上の友人であり常に自分の味方でいてくれた人だ。
彼女に秘密を持つのはとても辛いことであった。
「……………」
やや乱暴にレンヤのデスクの椅子に腰を下ろしたイグニス。
そうして、彼女は形の良い足を組んで二段ベットの上に視線を注いでいる。
そこから聞こえてきているスースーという寝息。
ゼクロアがそこで寝こけているのである。
……ちなみに全裸だ。
「……何で、裸なのよ」
低い声で言ってからレンヤを見るイグニス。
明らかに先ほどまでより表情に険が増している。
何かを言われる前からレンヤは椅子に座っているイグニスの前で正座をしている。
「どうしても……寝るときは何も着たくないとの事でして」
重苦しい声で弁明するレンヤ。何故か敬語。
あれから色々と服を用意はしたのだが、どうにも彼女は寝るときは全裸派らしく主義を曲げてくれる事はなかった。
「おかしな事にはなっていないでしょうね?」
ジロッと目を細めて聞くイグニス。
「……? おかしな事って?」
それに対して怪訝そうな表情をするレンヤ。
すると、イグニスは一呼吸置いてからフーっと鼻からため息のような長めの息を吐いた。
「まあいいわ」とでもいうかのように。
どういうワケだかレンヤにはわからなかったが、自分の反応で勝手に彼女は納得してくれたようである。
「言っておくけど……」
イグニスは腕組みをして、そして口を尖らせた。
わかりやすいご機嫌斜めのゼスチャーである。
根柢の部分が理性的な彼女は周囲に自分の気分を悟らせるために仕草でそれを示す。
「……理解はしたけど、それと納得はまた別の問題よ」
鋭いままの視線をベッドの上段からレンヤに向けたイグニス。
「本当はすぐにでも話を聞きにきたかったけど、気持ちを落ち着けるのに数日かかってしまったわ。あんたが私に隠し事をしていた事も、私がそれに気付けなかったことも……どっちにもハラが立つ」
どちらかと言えば隠し事をされていた事よりもそれを看破できなかった自分の方に怒りの比重が大きいように感じる。
確かにレンヤの事ならイグニスは大体のことはお見通しだ。
それでも彼女にゼクロアの存在をここまで隠し通せたのはレンヤが細心の注意を払ってきたからだというのと、さすがの彼女もそんな事になっているとは想像が及ばなかった為だろう。
ムスッとしているイグニス。
外では彼女がこういう表情を見せることは非常に稀だ。
彼女は「余所行き」の顔を徹底しているので。
「……はい、じゃあ話して。彼女の正体は露見してしまったのだから、もう詳細を私に聞かせても構わないでしょう?」
「う、うん。えーっと……」
手招きして促すイグニスにレンヤが脳内で過去の記憶を引っ張り出す。
もう10年近く前のこと、自分は帝都郊外で暮らしていた。
近くにはイグニスの父が、病弱な妻の保養の為に建てた別荘があり当時はイグニスもそこで母と生活をしていて……それで、自然と彼女と親しくなった。
「子供の頃にさ……近所にイグニスとは別にもう一人金持ちのヤツがいただろ?」
「あぁ……」
気のない返事を返すイグニス。
当時の彼女はその子を嫌っていて、その子がいる時は自分が遊びの輪から外れてしまっていたので接点はほとんどない。
自分が嫌っているとはいっても彼女は周囲を同調させてその相手を排斥しようとするような子供ではなかったのだ。
「あの下品な子ね。好きではなかったわ」
きっぱりと言い放つ赤い髪の美少女。
彼女が言うようにその男の子は成り上がりの……財を成して貴族位を得たいわゆる「成金」の家の一人息子で、自慢したがりで少々意地の悪い子供であった。
だが、そのあたりレンヤはあまり深く気にしなかったのでその子と遊ぶ機会が多かったのだ。
「それでいつだかにあいつの家ってか、屋敷にいってさ。そこで遊んでたら俺、でかい石像をぶっ壊しちゃって……」
その子の家はよくわからない異国の美術品で溢れかえっていた。
父親の趣味らしい。そういうものが好きだというのではなく、自分に箔を付ける意味でよくわからないのにとにかく買い漁っていたのだ。
その中の一つに……ある石像があった。
台座に据え付けられたそれは黒っぽい石で作られていた。
当時のレンヤの背丈と同じくらいの大きさで……恐らく人間で、恐らく女性なのだろうなと辛うじて判別できるくらいのシュールなデザインをしていた。
「かくれんぼか何かしててさ、その像の後ろに隠れたんだよ。それで寄りかかってちょっと体重掛けたら……前に倒れて、パカーンって割れちゃってさ」
割れたというか、木っ端微塵になった。
石像は重量はあったが構造からバランスが悪かったのだ。
そして……その瞬間にレンヤは純白の輝きに包まれ、やっと目が慣れてきたと思ってもやっぱり真っ白な世界にいて……。
『お前か、あたしの眠りを覚ましたのは』
目の前には、彼女がいたのだ。
金色の雄々しくも美しい……狂える女神が。
「つまり彼女はその石像に封じられていた、っていうワケね。それがどうしてつい最近までずっとレンが庇って隠しておくことになったの?」
「そりゃー、あたしがボロボロだったからだ」
声は……頭上から聞こえて。
イグニスはそれに驚いた様子もなくゆっくりとそっちを見上げた。
そこにはいつのまにか目を覚ましていたゼクロアが二人を見下ろしてニヤニヤと笑っているのだった。
……そうだ。
あの時も確かに彼女はそう言った。
自分は深く傷付いていて、それを癒すためには長い眠りを必要としているのだと。
同時に彼女はレンヤに自分の召喚主として組んで召喚士になるつもりはあるのかと問うたのだ。
一も二もなく肯いた。即座に了承した。
この国に……帝国に生まれた男子で召喚士に憧れない者などほとんどいないだろう。
ましてやこんな綺麗な女性をパートナーにできるのだとなれば……。
子供らしい純真さも相まってほとんど悩むことなくレンヤは彼女を受け入れた。
『わかった。それならあたしはこれからお前の中で眠りに就く。恐らく何年も眠り続けることになるだろう』
屈んだ彼女が自分に顔を近付ける。
吐息がかかるほどに接近した美しい顔にレンヤの鼓動が早まった。
『あたしには敵が多い。いつかあたしが目覚めるその時まであたしの事を誰にも話さず秘密にできるか?』
肯く。
誓う。
子供ながらに、これは自分が信用に足る相手なのか試されているのだと思った。
『よし、それでいい』
ゼクロアは満足げに笑った。
『目を覚ましたら……その時はあたしがお前の最強の相棒になる』
……それが自分がずっと、何年も抱えてきた秘密。
幼い日の純白の思い出だ。
そして現在。
金色の美女と真紅の美少女が視線をぶつけ合わせている。
ゼクロアはどこか面白がるように、イグニスは真剣な眼差しながらもどこか余裕を感じさせながら。
二大女傑の初顔合わせにレンヤはこれから何が起こるのかと不安を隠しきれないのであった。
「とりあえず……」
口火を切ったのはイグニス。
「何か着なさいよ、貴女」
「お前もそういうカンジなのか……面倒くさいな」
ハァ、と嘆息してからゼクロアがごそごそと枕元のシャツを着る。
仰向けに転がって下着を身に着ける彼女の長い脚が見えてレンヤが慌てて目を逸らした。
「……何をやって貴女は石像に封印なんてされていたの? 敵って誰の事?」
「不躾なヤツだな~、イグニス・ファルメイア」
詰問するかのような鋭い口調で言うイグニスにゼクロアはヘヘッと呆れたように口の端を上げる。
そうして金色の狂える女神は肩を竦めた。
「そんな事を会ったばかりのお前にペラペラ喋るワケないだろ? まぁ、あたしはレンヤの中にいたからお前の事もよおーく知ってはいるけどな」
レンヤの精神の深層で眠り続けていたゼクロアだが、その間も彼を通して外界の情報は断片的に入手し続けていたのだ。
そしてレンヤが誰にどういう感情を頂いているのかもぼんやりとではあるが共有している。
「自己紹介の手間が省けるのは助かるわ」
お前の事を知っている、と言われてもイグニスは平然としている。
彼女は上品な所作でその長い髪を優雅に後方へ梳き流す。
「お前の事はキライじゃない。お前はずっとレンヤの味方だったからな」
「……………」
薄笑いを崩さずに言うゼクロア。
その言葉にイグニスはふと表情を消した。
発言の真意を読もうとしているようにレンヤには見えた。
会話が途切れる。
イグニスとゼクロアは互いに相手の心の内を覗き込もうとしているかのように相手の目を見ていた。
「……残念だけど、今はここまでね」
立ち上がったイグニス。
その前に一瞬彼女は壁の時計をチラリと見ている。
これ以上は遅刻になると判断したようだ。
彼女はドアへ向かって歩き出す。
「楽しかったわ。またお話しましょう。……だけど普段はきちんと服を着るようにしなさいね」
そしてイグニスが振り返った。
どことなく挑戦的な、そんな勝気な笑みを口元に浮かべて。
「レンヤ、淑女の方が好みよ」
「む」
その一言を残してイグニスはドアの外に消える。
残されたゼクロアは小さく唸って口をへの字にした。
「そうなのか?」
「いや、まあ……何といいましょうかね……」
眉を顰めて聞いてくるゼクロア。
レンヤは困り顔で口籠った。
そりゃ健康的な青少年として婦女子の衣服の下の肢体に興味が無いではないが……。
かといって日常丸出しで過ごしている女性は何だか色々な意味でビミョーな気がするのである。
「普段は服を着ててくれる女性の方がイイ……かなぁ?」
「チッ、それならそうと早く言え、バカ!!」
散々口にしてきた気がするのだが何故か罵倒された。
世の中は理不尽である。
「それにしても……」
ふっとゼクロアが真顔になる。
「初めてナマで見てみたが……あれがイグニスか。めちゃくちゃ強いな」
「うん、強いよ」
レンヤが何の迷いもなく同意する。
半年ほど前のことだ。
前年のアルマギアス学園卒業生総代……つまりはその学年で最強の召喚士と当時三年生に上がったばかりのイグニスが勝負をした事があった。学園は五年制なのでイグニスにとっては対戦相手は三つ上の先輩という事になる。
場所は帝都の闘技場。
いわゆるエキジビジョンマッチであり多くの帝国軍の上位士官や七響天も数名、そして皇帝までもが観覧に来た。
レンヤは試合を直に観たわけではないので後で結果だけを聞いたのだが……。
イグニスが勝った。だが彼女が人々を驚愕させたのはその勝ち方。
召喚士同士の戦いだったのに、彼女は召神を見せずに勝った。
ほんの一瞬……召神の一部分だけを呼び出して一撃を放ち、それを見た卒業生は戦意を喪失し降伏したのだ。
相手が弱かったわけではない。
むしろ彼も十年に一人と言われている俊英であった。
『紅蓮のファルメイア』……その名が人々の記憶に刻み込まれた一戦であった。
「……よし、決めたぞ」
「?」
少しの間何かを考えこんでいて、その果てに何事か決定したらしいゼクロアがそう言った。
洗面台の前で歯を磨いていたレンヤが怪訝そうに彼女を見る。
「あたしとお前で……イグニスを倒す」
「ンぶグッッ!!!??」
思わず喉の奥に歯ブラシを突っ込んでしまったレンヤが目を白黒させる。
「ゲホっっ!!! ごほッッ!!!! ……ちょ、な、何言ってんだ!! どうして俺とイグニスが……理由がないだろ、そんなの!!!」
涙目になって噎せ返りながらも必死にレンヤが訴える。
そんな彼を「何言ってんだ」というかのような半眼で見るゼクロア。
「理由ならあるだろ。あいつメチャクチャ強いんだから。あたしらが最強を目指すなら避けて通れない相手だろ?」
「……!」
彼女の口にした「最強」の一言がレンヤの胸の奥に重く響く。
確かに彼女は初めて出会った時から口にしていたではないか。
自分がレンヤの最強の相棒になるのだと。
「お前なー、あたしが目を覚ましたってのに、まだお前はこれまでみたいに周囲の顔色を窺って生きてくつもりなのか? お前はどうしたいんだよ。なりたいものはなんだ?」
「なりたい……もの」
呆然と呟いて深く考え込む。
そんな事をしていたらいつしか始業のベルが聞こえてきて、自分が遅刻したことに気付いて愕然となるレンヤであった。




