必殺、平凡な人類パンチ
初めて出会った時も、彼女はやはり自分のことを狂える神と呼んだ。
唐突に頭の中に濁流のように蘇った記憶が流れ込んでくる。
ある意味でそれは「レンヤ・クサナギ」という存在を形作った。その在り方を決定した記憶と言ってもいい。
自分は召喚士になるのだと……進む道を定めたその原風景。
雄々しく美しい女性が自分の前に立っていて、腰を抜かしたように尻餅を突いている子供を見下ろしている。
そんな場面。
周囲には二人の他には何もなく、ただどこまでも白い。
まっさらな純白の世界。
「あたしは……『狂える神』だ」
……キレイだ!! すっごいキレイな女の人!!!
一瞬で脳内を満たしたのはそれ。
少年の頭の中には彼女の事を表現できるそれ以上の言葉はまだなかったのである。
いや、当時もそうだが今だってない。
他に言いようが無かったのでキレイと思ったものの……キレイだ美しいだと、そのどれもがズレている気がする。適切ではないと。
そんな言葉は陳腐に響くほど、彼女は幼いレンヤの考える「良いもの」の全てを満たしていたのだ。
目を奪われ心も奪われて麻痺したように動けない。
思えばあれが自分の初恋だったのだろうか。
当時の自分は情愛も親愛も友愛も……どれも区別がついていなかったが。
単に容姿が、という話ではない。イヤ、見た目だって十分すぎるほど美しいのだが。
だけど自分が魂を囚われたのは……惹かれたのは彼女のその佇まいというか、纏っていた空気、雰囲気とでもいうべきか。
表情から、姿勢から、呼吸からも……。
伝わってくる彼女の内面のしなやかな強靭さ。
存在の強度……完成度。
そんな所が一目見ただけの自分にも伝わってきた。
心に容赦なく焼き付けられた。
……とにかく、幼い自分はたった今出会ったばかりのその女性に魅了されたのだ。
「狂神ゼクロア。それがあたしの名前だ。覚えておけ」
彼女は女性のものとしてはやや低い声でそう言った。
言葉は耳ではなく直接脳に染み込んでくるかのような……そんな異様な迫力と存在感を持っていた。
……………。
「……うお」
思わず声が出た。
現実逃避して回想してしまっていた。
……というかひょっとして走馬灯と言うのだろうか、これは。
そうしていざ我に返ってみても目の前の状況はまったく変化していない。
目の前には殺気立った白銀の騎士の主従が敵意が溢れすぎている目付きの怖い顔をしているし。
背後のゼクロアはそんな彼らに自分を差し出すかのように背後にいる。
……戦れと?
生身で召神に立ち向かい男を見せてこいと?
(そんな事したって、見せられるのは男じゃなくて俺の新鮮な臓腑だぜ!?)
両断された自分を想像して青くなるレンヤ。
召神が自分が一念発起して吶喊したくらいでどうにかなる相手なら召喚士はここまでの権勢を誇ってはいない。
何なら召神相手ではなく、その召喚主が相手でも余裕でボコられてしまうだろう。
ベルトリュートは召喚士である事を差し引いてもエリート軍人候補生。
本体の実技面も当然学年トップクラスだ。こちらも正直レンヤでは勝負にならない。
「ゼクロアさん、無理です。死にます。ビックリするくらい犬死です」
一応は言うべきことは言っておこう。
後になって自分の墓前で「ダメとは言ってなかっただろ」とか言われてしまわないように。
「……お前な、そのまま突っ込めなんて言ってないだろ。あたしを何だと思ってるんだ」
やや不機嫌そうに言われた。
……何だと言われても彼女に対する知識は名前以外は強そうでカッコいいということ位しか知らないのであった。
「あっち二人なんだからこっちだって二人だ。ホラ、いくぞ」
その言葉を残してゼクロアの姿が淡いグリーンの輝きとなって消失する。
と、同時にレンヤがその淡い輝きに包まれた。
何かが自分の内側に入り込んでくる……そんな感触がある。
それは決して不快な侵略ではなく、心地よく仄かな温かみのある融合であった。
「おおッ!? おおお……!!!」
体の奥底から湧き上がってくるパワーに思わず唸るレンヤ。
これが自分か!?
まるで今ならなんでもできそうだ。
……それこそ、目の前の召神と互角の立ち回りを演じたりだとか。
『上手く使えよ~、あたしのチカラ。主はお前だ。振り回されるなよ』
意識の中にゼクロアの声がする。
そうか、これは「同調」だ。
召喚士と召神であれば誰でもできる基本的な能力である。
(同調だと? ……バカか、どういうつもりだ?)
そして、そんなレンヤたちを見ているベルトリュートは表情には出さずに内心で訝しんでいた。
同調とは召神が召喚主に同化して強化するという能力だ。
召喚主本来の身体能力や魔力に召神からの強化分が上乗せされる。
……と、言っても召神の力が丸々主人に乗るという訳ではない。
そんな事をすれば主の肉体の方が耐え切れずに壊れてしまう。
人間の体とは召神の全力に耐えられるようにできてはいないのだ。
だから同調で主が得られる強化はせいぜいが召神本来の力の二割程度と言われている。
つまり召神としては同調などせずに自ら戦闘した方がずっと強いのだ。
同調とはあくまでも、どうしても主の身体で何かしなければならない時とか理由があって召神が実体化できない時の補助としての能力だ。
ベルトリュート主従にしてみればこれからケンカしようとしている相手が勝手に弱体化したという事になる。不可解さを感じるのは当然だ。
(俺も同調で来いということなのか?)
一瞬そう考えたベルトリュートだが、すぐにその考えを否定する。
乗ってやる義理などない。相手の意図も不明だ。
あっちは正体不明で、しかもかなり強力な召神であることに間違いはないのだ。
迂闊にこちらが不利になる動きなどするべきではない。
(当初の予定の通りにいくだけだ。……これは粛清だ。容赦なくこちらの力を見せつけて奴の心に消えない敗北感を刻み込んでやるのみ!!!)
前進、を指示するかのように右手を前方に力強く突き出すベルトリュート。
無言の白銀の騎士が空中を駆けるように飛翔しレンヤに襲い掛かってくる……!!
(……速い!!!)
先ほどまでの動きとはまったく異なるアシュロッドの本気の挙動。
一瞬で疾風と化した騎士はレンヤまでの約10m程の距離を即座にゼロとし斬り掛かってくる。
だが……見える。
レンヤにはその動きが見えている。
先ほど余裕をもって嬲られている時ですら紙一重で必死に逃げ続けていた彼が。
そもそも今のアシュロッドの動きを「速い」と認識できているのが驚くべきこと。
先ほどまでのレンヤであれば攻撃があったと認識する前に斬り捨てられている。
『……ふふっ、それでいいんだよ』
頭の中でゼクロアの少し笑いを含んだ声が聞こえた。
明らかに楽しんでいる。この状況を面白がっている。
……と、同時にレンヤが感じ取れたのはゼクロアは自分たちの勝利を疑っていないという事だ。
それならもう、思い切りやるしかないか……。
レンヤの覚悟は決まった。
借り受けた彼女の力を全力で叩き付けてやると。
そこからは妙に時の流れがゆっくりになったように感じた。
向かってくる騎士の長剣。白刃をミリの単位で躱す。
通り過ぎていく刃はレンヤの髪の毛を数本散らして頬に僅かな熱を残していった。
そのまま騎士に肉薄する。
拳を握り締めながら。
『カッコいい所をさ……あたしに見せてくれよ』
「うおおおおッッッッ!!!!!!」
吼えた。これまで人生で一度も発したことのない心の底からの咆哮だ。
それはこれまでのレンヤの過ごしてきた日々の……。
鬱屈した毎日からの解放の雄叫びであったのかもしれない。
叫びと共に放たれた拳がアシュロッドの胸甲のド真ん中に轟音を立てて炸裂する。
分厚い白銀の装甲は大きく凹んで歪み、放射状にヒビが入った。
「………ッッッ!!!??」
驚愕に大きく表情を歪ませるベルトリュート。
そして、主の目の前で回転しながら吹き飛んだアシュロッドが修練場の壁に激しく激突し瓦礫や破片をまき散らしながら床に落下した。
「………………」
呆然としているレンヤ。
やってしまった。同調を受けているとはいえ、生身の自分の拳が……。
あのベルトリュートのアシュロッドを、学園の第二学年最強と言われている召神をブッ飛ばした。
あり得るのか。そんな事があっていいのか。
勝利を喜ぶ余裕もなくレンヤは混乱中である。
「……き、貴様ぁぁッ!!! よ、よくも」
レンヤを睨み、喘ぐように言うベルトリュート。
しかし流石の彼もそこから二の句が継げない。
何しろ自分の最強の従者は敗れ去ってしまったのだ。
消滅するほどのダメージではないが、この様子ではもう当分戦闘行為は不可能である。
しかも、相手の召神に敗北したのではない。
その力のごく一部を借りた生身の人間に敗れた……!!
せいぜいが二割程度の力を貸してやった人間がこれだけの事ができるというのなら……。
狂神ゼクロア、その力は果たしてどれだけ強大なのか。
一方的に相手を叩きのめした者と叩きのめされた者がどちらも絶句して固まってしまっているという状況の中、修練場の外が俄かに騒がしくなってきた。
慌ただしい数人分の足音が近付いてくる。
さっきの決着の一撃の衝撃は外部にも大きく伝わっていたのだ。
「どうしたぁッッ!!? 何があった……!!!」
勢いよく扉を開け放ち修練場に駆け込んできたのは数人の厳めしいグレーの軍服姿の教師たち。
士官学校でもあるアルマギアス学園の教師たちは全員が帝国軍人でもあり普段から彼らは軍服である。
「………………」
言葉もないその場の四人。
レンヤもベルトリュートも、取り巻き二人組も。
なんと言えば良いのか。取り繕えばいいのか。
全員そこに考えが至れるほどにショックから思考が回復していない。
教師たちは眉を顰めて生徒たちと、破壊された壁を見る。
無残な破壊の跡。召神同士の模擬戦も想定して特別に強化してある壁面が……。
大きく抉れて崩れてしまっている。
「話を聞かせてもらうぞ。……来なさい」
やがて少し間を置いて教師の一人が渋い顔で嘆息交じりにそう言ったのだった。
────────────────────────────────
……数時間後。
もうすっかり月が天高い位置に座すような時刻になってようやく解放されたレンヤは寮の自室に戻ってきた。
二段ベッドの置かれた二人部屋だが、現在はここをレンヤは一人で使用している。
一体どのような配慮の果てに自分が二人部屋を単独使用することになったのか、その経緯を本人は知らないが……あまり愉快な理由ではないのだろうということは想像している。
腫物扱いされていたのだろう、きっと。
下手に誰かと二人部屋にして、その誰かがレンヤの仲間や友人だと見なされたら気の毒だろうと。
「……疲れたぁ~」
心の底からそう呟いて上着を脱ぎ棄てベッドに放る。
それから彼は身を投げ出すようにして椅子に腰を下ろした。
……すると彼の体からスルリと幽体離脱するかのように金色の女神が抜け出てきた。
「よっ、お疲れさん。随分と絞られたな」
「あ~……まあね、そりゃしょうがない」
軽い調子でねぎらいの言葉を口にするゼクロアに苦笑するしかないレンヤ。
修練場の一件、壁を破壊した事などについてはそれほどキツく詰められることはなかった。
模擬戦が白熱してしまった結果だと言い訳をしたら案外すんなりそれで納得してもらえた。
というかもう一つの問題が大きすぎてそっちは雑に流されたという感じか。
レンヤ・クサナギに契約済みの召神がいた、という事実の判明。
こちらが教師陣にもたらした衝撃は相当にデカく……最終的には話を聞いた学園長までが指導室に顔を出した。
「オマエ、召神いるんじゃねえか!!!」
……と、いうわけだ。
こちらはゼクロアが言うように相当に怒られた。
当然と言えば当然だ。
教師陣は皆、なんとかレンヤを召神と契約させてやろうとこれまで何度も召喚の儀式を試みるなど骨を折ってくれていたのだ。
それは必ずしも善意や教師としての責任感だけから来る行いというわけではなかったが……。
それでもレンヤの事で学園教師陣が相当に骨を折ってくれていたことは事実である。
「実は契約してたんですよ」で軽く流されて済むような話ではない。
……別にレンヤだって悪気でそうしていたわけではないのだが。
「……フフッ、よくあたしとの約束を守ってくれたな。流石はあたしの相棒だ」
満足げで嬉しそうなゼクロア。
そう、全ては幼き日に彼女と交わした約束に起因している。
『これからあたしはお前の中で眠りに就く。長い眠りになる。あたしには敵が多い。お前はあたしが目覚めるその日まで自分の中にあたしがいる事を隠し通せ。誰にも言うな……絶対に』
それが……約束。
ゼクロアが幼い頃のレンヤと交わした誓約。
その日から彼女はずっとレンヤの内側に居た。
今日まで眠り続けていたのだ。
その約束をレンヤは律儀に守り続けてきた。
『目を覚ましたら……その時はあたしがお前の最強の相棒になる』
彼女の言葉を信じて。
一途に、そして頑なに誓いを守り続けてきたのだ。
「…………………」
座ったまま、急に深く頭を下げて項垂れてしまったレンヤ。
そんな彼を見てゼクロアが怪訝な表情を浮かべる。
「おい、どうした?」
「……いや、なんか」
今になって、ようやく少しだけ実感できてきたのだ。
自分はもう一度彼女に会うことができたのだと。
いつになるのかわからなかった再会の日。
その時には既に自分は年老いてしまっているのではないかと想像をしたこともあった。
「ははーん? そういう事か。お前あれだろ。あたしにまた会えた事で今更感動してるのか」
「……………」
顔を上げて肯くレンヤ。
その顔は何だか色々な液体でべしょべしょで……。
「どあッ!!? お前、鼻水は拭けよせめて!!!」
感動の余韻をぶち壊すその顔にはさしもの狂神も引き気味に仰け反った。
それから、一呼吸を置いてゼクロアはフゥと鼻で息をする。
「……見ろ」
軽く両手を広げる金色の狂神。
「あたしはここだ。本物だぞ。今、お前の目の前にいる。夢でもなんでもない……現実だ」
微笑むゼクロアに何度も肯くレンヤ。
「お前がどのくらいあたしに会いたいと思ってたかはよぉーくわかってるよ。あたしはお前の中で眠ってたがお前とは繋がってたからな……」
軽い調子で言うゼクロアだがその視線は優しかった。
「ま、これからあたしらはずっと一緒にやってくんだ。ヨロシク頼むぜ、召喚主クンよ」
そうして……彼女は茶目っ気を込めてウィンクをして投げキッスを放つのであった。




