いたんですか、ゼクロアさん
斜め上から突き付けられている長剣の鋭い切っ先が冷たい光を放つ。
その刃から自分まで、まだ数mの間合いがあるのだがレンヤはまるで喉仏に当てられているような心地だ。
……学年でも最強と言われているベルトリュート・シュラインゼックが使役する騎士の召神『アシュロッド』。
鏡面のように磨き上げられた全身の装甲は全身を完全に覆いつくしており、その下にいる者が人の姿をしているのかどうかも定かではない。
ただ頭部の装甲の額の覆いの下の黒い隙間には青白い輝きが二つ灯ってこちらをねめつけている。
名門貴族シュラインゼック家の当主が代々継承してきたアシュロッドをベルトリュートはアルマギアス入学時点で父から譲り渡されている。
本来ならば継承は成人後、正式に帝国軍人として配属された時になるはずだったのにである。
それは彼の召喚士としての優秀さと、彼に寄せられた一族の強い期待を表していた。
「……………」
こうして……初めてまともに対峙してみるとその圧倒的な迫力、「圧」と呼ぶべきか……は凄まじいものがある。
空中に足場があるかのように雄々しく剣を構えている白銀の騎士の姿にレンヤは全身に強い痺れにも似た戦慄を覚える。
(うおおおおッ!!! ホントに出しやがったよ……こっちは召神無しだぞ!!!?)
信じられない。そこまでやるのか。
流石にここまでの状況になると相手の意図を痛感させられずにはいられない。
……これは制裁だ。奴は自分に痛い目を見せるつもりなのだ。
何故今になって急にそんな事を思ったのかはわからないがベルトリュートはレンヤを召神を出して差し向けるほどに敵視しているらしい。
(なんであんなエリートのボンボンが俺みたいなド庶民の落ちこぼれに殺気立ってやがるんだよ!! ド庶民の落ちこぼれだからか!!?)
内心で自分を落ちこぼれと呼んで勝手に少し落ち込むレンヤである。
しかし今は悠長に凹んでいられる時ではない。
「行けッ!! アシュロッド!!!」
召喚主の号令と共に襲い掛かってくる白銀の騎士。
振り下ろされる長剣をレンヤは必死に横に跳んで回避する。
「だぁぁッッッ!!!!」
明らかに本気の斬撃ではない。
向こうがそのつもりなら今の一撃で自分は真っ二つになっていたことだろう。
とはいえ相手が手にしているのは真剣である。切っ先が少し撫でていくだけでも大怪我は必至だ。
こちらは常に全身全霊で対応するしかないのだ。
「危ねッッ……!!! うおッッッ!!!? とッッ!! ちょあッッッ……!!!」
見方によっては踊っているかのようなコミカルな挙動で必死に騎士の剣を避け続けるレンヤ。
その姿を見て大笑いしているベルトリュートの取り巻き二人組。
彼らはベルトリュートが本気でレンヤを傷付けるつもりはなく、ただ嬲っているのだという事がわかっているのだ。
流石に本気で大きな負傷をさせる気なら彼らの顔色も変わるし止めにも入る。
学園では私闘は……ましてや召神を呼んでの諍いは固く禁じられている。
破れば退学すらあり得る重大な校則違反。
しかしベルトリュートたちは事前に自主訓練を行うとして修練場の使用許可を得ていた。
これで召神を出していたことには言い訳は立つが、それでも召神のいないレンヤにもし大怪我をさせるような事にでもなればいかに学年トップの秀才であろうがただでは済むまい。
だから取り巻きの二人はそこまではやらないだろうと事態を軽く見ているのである。
「……………」
相変わらず冷徹な無表情で必死のレンヤを眺めているベルトリュート。
その瞳に憎悪の黒い炎がチラついている事に気付いている者はいない。
第二学年最高とも謡われるエリートの今、複雑な黒い感情に心中をかき乱されている。
実際、ごく最近までベルトリュートはレンヤのことなど取るにも足らない存在だとしてまったく気にかけていなかった。いないも同然の存在、そう思われているとレンヤは分析していたがそれはある時までは正解だったのだ。
それが変化した切っ掛けはある時偶然に見かけてしまった一場面である。
ファルメイアが……あの、イグニス・ファルメイアがレンヤと何か言葉を交わしている。
そんな光景。
何故あの二人が? どういう事なのかと僅かに困惑を交えながらしばし観察する。
結局二人が何を話していたのかまではわからなかったが、少なくともイグニスの方はそっけなくは見えてもあまりレンヤに悪感情を持ってはいないように感じた。
その二人の会話のシーンはその日いつまでもベルトリュートの心中に焼き付いたように残って消えてはくれなかった。
そして、それからも二人はふとした時に言葉を交わしていた。
その後も何度か同じ光景を見かけることになった。
一時になり始めると二人の逢瀬はかなり頻繁であるように錯覚する。実際はそこまでの頻度であったわけではないのだが……。
それも……どう考えても彼女の方から話しかけている。
わざわざレンヤの所にやってきて、だ。
「……………ッ!」
初めて彼の中にレンヤへのどす黒い感情が生まれた。
誰にも明かしたことはないが、ベルトリュートにとってはイグニスは特別な存在であった。
召喚士としての尊敬と、異性としての恋慕とが合わさった崇拝にも近い思いを密かに抱いていた。
強く賢く美しく……そして家柄もいい。
その……イグニスが!!
『紅蓮』の異名を持つ学園きっての英才が……!!!
何故、あんな冴えない男に。学園に留まれているのが不思議なほどの劣等生に!
許せない、と思った。
(……排除しなくては。悪影響だ)
あいつはイグニスに悪い影響を与えている。
彼女はあのような劣等生に関わるべき人ではないのに。
そうして今日も二人が話している所に行き会って、ついにベルトリュートはその歪んだ思いを爆発させたのであった。
大怪我をさせる気はないが……。
脅して、恐怖感を与えて学園から追い払ってしまうつもりなのだ。
(学園はお前などのいるべき場所ではないッッ!! それを思い知れ!!!)
何故もっと早くにこうしなかったのだろう。
一旦行動に移ってしまえばこれこそが事態打開の最適解である事を確信する。
不要なものは、いるべきではないものは片付けてしまわなければならないのだ。
それが……。
「………?」
騎士が攻撃を止める。
怪訝そうなレンヤ。激しい運動を続けて汗だくの彼は顎から滴る汗を手の甲で拭った。
自主的であれば、尚言うことはない。
「勘弁してくれる気に……なったか? それとも、弱いものイジメに……飽きたのか……?」
乱れた呼吸の中、途切れ途切れにレンヤが言う。
その彼を見て、ベルトリュートはこの男に感じていた不快感の別の理由に気が付いた。
(何故こうまでこの男には悲壮感がないのだ?)
自分から見ればレンヤは色々な意味でどん底で、崖っぷちのはずなのに……。
だというのにこの男は飄々としていてどこか余裕があるように思えるのだ。
今だってそうだ。
自分がここまで追いつめているというのに……。
どうしてひれ伏して涙声で許しを請おうとしないのだ。
「……退学しろ。学園から去れ」
殊更に無感情に無機質に言い放つ。宣告する。
「そうもいかねえんだ」
返事は即座で……そして力強かった。
疲労感が強く滲んだその顔で、それでもレンヤは軽く笑っている。
「召喚士にならなきゃいけないんでな。……召神だってもう決めてあるんだ」
チッ、と大きく舌打ちをしたベルトリュート。
そんな彼の仕草を見たことがなかった取り巻き二人が驚いている。
侮蔑と怒りの感情が普段は冷静沈着なはずのエリートの心を乱している。
「どこまで愚鈍なんだ、キサマは。理解力までそんなに低いか……!!」
主の怒気に呼応してアシュロッドが再び剣を振り上げる。
まずい、と横に跳んでそれを回避しようとするレンヤであったが……。
(!!!? やべ……ッ)
疲労から足がもつれ、彼は転んでしまった。
不測の事態にベルトリュートも表情を硬直させた。取り巻き達も顔色を失う。
……躱せない。
死ぬ?
ここで、終わりなのか。
自分へ振り下ろされた白刃がやけにゆっくりと見えている。
そうは言っても反応はできない。床に投げ出された身体は重く、言う事を聞いてくれない。
目を閉じ、歯を食いしばるレンヤ。
力んだところでこれから自分が受ける傷が浅くなるわけでもないが……。
だけどその一瞬は。激痛はいつまで経ってもやってこない。
「………?」
恐る恐る目を開いてレンヤは状況を確認する。
剣の刃は自分の脳天まで後10㎝ちょっとという所で停止していた。
騎士が止めてくれたのではない。
では、誰が……?
「そうそう、お前は召喚士になるんだよ」
この場に女性はいないはずなのに、女性の声が聞こえた。
女性のものとしては、やや低めの声で……。
それを耳にした時、グッとレンヤの胸が一杯になった。
色々な感情が溢れて漏れ出しそうになって。
ずっと聞きたかった声だ。
彼女にこうして再び出会う為に、ここまで自分はどうにかこうにかやってきたのだ。
伸ばされた手が、女の手が剣の柄を握る騎士の手を掴んで斬撃を止めてくれている。
レンヤが今息をしているのはそのお陰だ。
「……召神だと!!!!」
ベルトリュートの声には隠し切れない動揺が滲んでいる。
今、レンヤの傍らに立つのは一人の女性だ。
人の姿をしてはいるが人間ではない。
発する気配で、内包する強大な魔力量がわかる。
金色と黒色の彼女。
金色の頭髪は獅子のたてがみのようにボリュームがあって整えられてはおらずに三日月のような跳ねをいくつも同じ方向に向かって生やしている。
髪と同じく金色の長い睫を持つ目はややツリ目気味であり、凛とした美しさの中にどこか愛嬌も内包していた。
瞳は真紅。鼻筋は通っていて唇は薄桃色で小さい。
そんな彼女はアシュロッドの斬撃を掴み止めながら薄く笑って斜め下にいるレンヤを見ている。
彼女は武装している。
襟元に白いファーをあしらった黒い鎧。身を覆う部分はそれ程広くはなく肩当は左にしかない。
右腕は肩から肌がむき出しである。そして左右の腕はどちらも肘から手首までを同じ黒い装甲で覆っている。
胸部までを覆う鎧でそこから下は腹部はインナーウェアが露出している。
鮮やかな赤色のスカートはやはり左側のみを覆っていて右足は腿から露出している。
そして腕と同様に足も膝から下は左右共に装甲に覆われていた。
武器は……剣か。
刃が短めで幅のある剣を腰に下げている。
「それであたしを召神にしてくれるんだよな?」
金色の髪の女性がニヤリと笑ってそう言った。
本気の感じではなくてからかっているような表情や口調なのだが……それでも「カノジョ」なんて存在がいたこともないレンヤにとっては破壊力は抜群だ。
「ぬおッフ……!!!」
青年にできることといえば、思わずヘンな声を出して固まる事のみである。
白銀の騎士が金色の髪の女性の手を振り解いて下がる。
自分の召神の思考がベルトリュートに伝わってきている。
(……酷く警戒している。それ程か、あの女)
アシュロッドが他の召神にここまでの警戒心を抱くのは初めてのことだ。
自分が従えるずっと前から活動していたはずの辣腕の戦士たる英霊が全身を緊張させている。
そして、レンヤのあの腹立たしい奇妙な余裕に付いてもようやく得心がいった。
あの男は召神がいないのではなく作れないのではなく、いるのに隠してきたのだ。
熟練の召喚士である学園の教師たちまで欺いてそんな事が可能であるのかという疑問は残るが……。
レンヤ・クサナギには召神がいない。召喚契約の試みは悉く失敗する……それが周囲の共通の認識だった。
それも当然だ。既に契約している召神がいるのなら新たな召喚が上手くいくはずがない。
「小賢しい奴だ。そうやってお前は召神がいるのにそれを隠して周囲を嘲笑ってきたというわけか」
「そうじゃねえよ。そらぁ、本当のことを言わないのは悪いなとはずっと思ってきたけどよ……」
ベルトリュートに指摘され、ばつの悪さからやや言葉に力がなくなるレンヤ。
その点については彼も後ろ暗い思いはある。
「事情なんて説明してやらんでいい。どうせ此奴はお前と仲良くしようと思っていない」
そこへ金色の髪の女性が言葉を挟んだ。
その事でベルトリュートの眉間に深い皺が刻まれる。
「当然だッ!! 何故、俺がそんな卑劣な小物と懇意にしなくてはならんのだ!!!」
怒声を浴びせられても女性は堪える風もなく「ほらな?」というような表情でレンヤを見た。
「散々勿体ぶった挙句にようやく出してきたかと思えば、舌先ばかりが達者な召神だな。飼い主と一緒で不愉快極まりない」
「その言われ方ではあたしがお前と同類のように聞こえるじゃないか。それはよろしくないな」
フッ、とシニカルに笑う金色の髪の女性。
口だけなのはお前だろう? とそう言い返してきたのだ。
ベルトリュートが目を細める。
彼が身に纏ったオーラが冷たく冴えていき……それに呼応して白銀の騎士が構えを取った。
「なんであれ、これで条件は対等になった。遠慮なくそのお前の秘蔵の金色女を叩き潰してやることにしよう」
「金色はお前もだろう。被っているのも気分がよくないし名乗っておいてやる」
彼女はやや顎を上げて悠然と胸を反らした。
「あたしはゼクロア。狂える神……狂神ゼクロアだ」
「狂える神……?」
眉を顰めるベルトリュート。
不吉な異名を堂々と口にした召神ゼクロア。
金色のオーラを立ち昇らせる狂神に、銀色のオーラを立ち昇らせる鎧騎士。
……黄金と白銀の召神の戦いが始まる!!!
かと、思われたのだが……。
「まァ、あたしがソイツと遊んでやっても構わないが」
言いながらゼクロアはレンヤの真後ろにふわっと自然に回り込んできて、背後から両肩にポンと手を置いた。
「その前に、まずはあたしのご主人様が散々コケにしてくれた礼を自分でしたいそうだ」
「プェーッッ!!!??」
最大の味方であるはずの女性からの死刑宣告にも等しい発言に思わず仰天して何だか鳥の鳴き声みたいな悲鳴を上げるレンヤであった。




