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あいつが好きな君が好き

 ……その男は神であった。

 すべてを支配するものであった。


 玉座にいるのは長身の男。

 肩幅が広くやや痩せている。

 身に着けているのは布製の簡素な装束であり、その身なりだけを見るのならそこまでの地位にいる者とは思われないだろう。


 かなりの老齢であるはずだが無造作に伸ばされた黒髪には一房の灰色も混じることはなく、顎から胸元まで垂れた髭も同じ。

 餓狼の如しと若いころには恐れられた鋭い眼光も当時のまま。


 皇帝ヴェルガナン。

 帝国の頂点にいる者にして大陸の覇王である。


「……敗れたというのか、ギアよ」


「はい。陛下」


 低く静かな声であるというのに、まるで全身に染み込んできて身体の芯を揺さぶられるかのような圧倒的な存在感がある。


 玉座の前に立つ七響天(セブンレゾナンス)……識天のギアは深く頭を下げた。

 戯れですとも本気ではなかったとも、彼女が言い訳を口にすることはない。

 周囲に控えている側近や高官たちは全員が表情を強張らせ、頬に冷たい汗を伝わせていた。


「そのような小僧がいるか。……くくく、我が帝国の未来は明るいな」


 冷たく鋭い眼光はそのままに喉を鳴らした皇帝が僅かに口の端を上げた。

 ヒリつく玉座の間の緊張感は相変わらずだ。


「その小僧は召神ともども引き続き大事にしてやれ。可愛がっておるのだろう」


「御意のままに」


 ギアは再び深く頭を下げる。

 そうして、彼女は皇帝への謁見と報告を終え退出していった。


「……甘いんじゃないですか?」


 周囲のものたちがホッとしたのも束の間。

 聞こえてきた地獄の底から響いてくるかのような怨念のこもった女の声に再び彼らは震え上がった。


「言いたいことがあるのか、『哭天(こくてん)』よ」


 鷹揚にやや顎を上げたヴェルガナン。

 いつの間か、玉座の傍らに漆黒のフードとマントを着込んだ何者かがいた。

 フードを目深に被っていて顔はよく見えないが……身長は150台半ばといったところか。


「このような事でも負けは許されないのが七響天(セブンレゾナンス)なんじゃないですか? 聞いた限りこちらの実力(チカラ)を見せつけて負かして制御下に置くべき案件だったと思います。それをあんな……若輩に後れを取ってヘラヘラしてるとかありえません」


 喋っているうちにどんどん早口になってくる哭天。

 その声に呼応するかのように周囲に彼女の影が広がり、そこに無数の瞬きする目や牙の並んだ開閉する口が浮かび上がる。

 なんとも禍々しい、この世のものとも思えぬ光景だ。


「あれは頭が切れる。諸々は考慮の内であろう」


「………だといいのですが」


 皇帝の言葉に軽く頭を横に振った黒フード。


「思うところがあるのならお前も件の小僧を実際に見てくるがいい」


「よろしいのですか? 場合によっては向こうが不幸なことになりますが」


 皇帝は答えない。それは了承と同意であった。

 フードから覗く鼻から下のあたりの……その口元がニヤリと三日月の形になった。


「……哭天オルトワージュに万事お任せ下さい。陛下」


 頭を下げ、そして七響天(セブンレゾナンス)オルトワージュ・ミュンツァーはずぶずぶと自らの影の中に沈み込んで消えていく。


 玉座の間を覆っていた不気味な湿った冷気がようやく晴れていく。

 何人かの側近たちが密かに安堵の息を漏らした。


 そんな中でただ静かに超然と玉座に座す皇帝であった。


 ────────────────────────────────


 まだ包帯やら絆創膏が全て取れたわけではないが……。

 動くとたまに涙が出るくらいどっか痛かったりもするが……。

 ようやくレンヤはどうにか登校できる程度には回復した。


「おい~っす」


「ようブラザー。ゴキゲンな朝だな」


 教室に入って来て挨拶をしたレンヤをいつもの二枚目スマイルで迎えるニックと軽く肯いただけのベルトリュート。

 彼らとはあの日以来、お互い何があったのどうなったのという話はしていない。

 何も言わないし、何も聞かない。

 お互いに負傷していると言う事を除けば以前までのまま。友情もそのままだ。

 いつかは話す時が来るのかもしれないが……今はこれでいい。

 朝の教室に変わらずに三人の姿があるという、それだけで。


 ……………。


 図書室のユーリ様は、今日も窓辺で静かに読書をしている。

 それを遠巻きにしている彼女のファンたちが密かに黄色い歓声を上げているのもそのまま。


 ゼクロアは……いない。

 きっと今日も彼女は静かで過ごしやすい場所を見つけて今頃は夢の中にいるのだろう。


 ────────────────────────────────


 放課後になった。

 ぎくしゃくしながら寮に帰ってきたレンヤが自室のカギを開けて中へ入る。


「ただいま~っと、はー、まだ体がイテーぜ」


「おかえりなさい」


 ……待っていたのは真紅の髪の美少女で。

 ソファに座っていたイグニスはレンヤに向かって小首を傾げて見せる。

 可愛らしくあざとい仕草……のはずだが彼女がやると何だかただ気だるげに見える。


「うおわッち!!!??」


 驚いてのけ反ったレンヤ。

 耳の奥に身体の各所からパキパキと鳴る音が聞こえて彼は痛みに涙する。


「何でそんなヘンな顔をしているのよ」


「ヘンな顔で悪かったな……。いや、いるからさ」


 痛みに表情を歪めつつ靴を脱ぐレンヤ。


「私がここにいる事の何がおかしいのよ」


「俺の部屋ですよ!!?」


 何をゆってんだみたいに眉を顰めるイグニスに向かってレンヤが目を剥いた。

 そして彼はハッと気付く。


「……ちと待って。俺今鍵開けて入ってきたよな?」


「そうね」


 イグニスがそれを認めて肯く。


「鍵を持っていらっしゃる……?」


 ポケットから取り出したキーを振って見せるイグニス。

 いつどうやって手に入れたのかは不明である。

 しかし彼女がその気であれば入手は容易いことだろうなというイヤな信頼もある。


 ……没収せねば。そう、レンヤは思った。

 5秒後に無理だ、と悟った。彼は諦めた。

 フーッ、と目を閉じてうつむいたレンヤが長い息を吐きだす。


「感心しませんぞお嬢様。年頃の娘さんがそんな男の部屋にホイホイ上がっちゃぁ」


「何をお年寄りみたいな事を言ってるのよ。私がこんな事をするのはあんただけなんだから、あんたがよければ世間は関係ない」


 苦言を呈してみたものの、当然そんな事ではイグニスは微塵も揺るがない。


 イヤならイヤだといえば彼女はやらなくなるだろう。

 だけどそうは言えなかった。

 何故って……イヤではないから。


(こうして、改めて考えてみると俺ってずっと昔からイグニスに惚れてたんだなぁ。頑張ってそう考えないようにしてたってだけで……)


 冷静になって考えてみれば好きにならない要素が何一つないのである。

 完全無欠の美少女が、ちょっと態度が乱暴とはいえ自分にずっと優しくしてくれていたのだから。


「……で、今日はどうしたん?」


「お見舞いよ。本当に辛いときに来られても迷惑だろうから、あんたが登校できるようになるのを待っていたの」


 座りなさい、と仕草で告げるイグニスに従ってレンヤも彼女の隣に腰を下ろした。


「後は話を聞こうと思ってね。……何があったの?」


 お前は私の知らない所で何を勝手にボロボロになっているんだ、と彼女の細めた目が語っていた。

 こうなったらしょうがない。彼女には適当にぼやかしても通用しないだろう。


 腹を括って全てを話す決意をするレンヤであった。


 ……………。


 話している内に……イグニスの機嫌がどんどん悪くなっていっていることに気付いてレンヤは嫌な汗をダラダラと流している。


「それで何? あんたは私に黙って行っちゃう気だったっていうの?」


「だっ! だってしょうがねえだろ!! 急だったし、お前を巻き込めるはずがねえって!!」


 自分と一緒に学校辞めて逃亡者になってくれとか言えるはずがないのであった。


「まあね。そこで一緒に来てくれと言われても私は行かなかったわ」


 そこは彼女もすんなり認める。

 それはそれとしてバッサリいかれた事にそこはかとなく心が痛むレンヤ君だ。


「一緒に逃げてもジリ貧だからね。私はこっちに残ってこっちからどうにかしようとしたと思う」


 そうなったら見捨てると言っているのではなかった。

 親分は冷静で頼りになるなぁと思うレンヤであった。


「とりあえず話はわかったわ。色々大変だったみたいだけど、ゼクロアの事は認めてもらえたしギア将軍も割としっかりあんたの味方でいてくれそうでよかったじゃない」


 ……そのギア将軍に好きですと言われて交際を申し込まれたことだけは流石に話せなかった。

 こういう時だけ今の身体の痛みがありがたい。これがあって表情がヘンだからバレずに済んだが素の顔でいたらバレていたかもしれない。


 立ち上がったイグニスが鞄を持ち上げる。

 後は……いくつかのトートバッグ? 随分な大荷物だが。


「今日は晩御飯は私が作ってあげるから。光栄に思いなさいよ」


「えぇっ!? お前料理なんかできたんか!!??」


 驚くレンヤをイグニスがキッと睨む。


「知ってるでしょあんただって!! 作ってあげたことあるじゃない!!」


 ……言われて、ようやく思い出した。

 そんなのえらい昔の話だ。それこそゼクロアと出会って間もない頃ではなかろうか。

 何の料理だったかも味も正直覚えていない。


「いや……前過ぎて」


「そうね。滅多にしないからね。何度かやってみてどうも私は料理が好きではないらしいと思ってやらなくなったわ。でもね……興味がないからできません、はイグニス・ファルメイアの主義に反する」


 言いながら彼女はカバンから取り出した調理器具をキッチンにガチャガチャと並べている。


「と、あれこれ言わずに言いたいことは味で語る事にするわ。あんたはそこでドッシリと出来上がりを待ってなさい」


 ソファのレンヤを振り返り、フフッと自信ありげに笑うイグニスなのであった。


 ────────────────────────────────


 イグニスの作ってくれた料理は、品数は多いもののどれも殊更豪華なメニューと言うわけではなく平民の食卓でもよく見るようなあり触れた家庭料理ばかりであった。


「……やあ、これは素敵なディナーだね」


 食器を並べているユーリ。

 彼女とゼクロアはイグニスが食事の支度をしている間に戻ってきた。


「これって……」


 ゼクロアが誰にも聞こえないような小声で言う。

 彼女は気が付いたのだ。イグニスが作った料理の意味に……。

 レンヤと同じ記憶と同じ感覚を長く共有してきたからこそ、彼女も知っている。


「うおお、俺の好きなやつばっかじゃねえか!!!」


 レンヤが食卓を見て目を輝かせてテンションを上げている。

 そう、イグニスが作った料理はどれも昔からレンヤが好物としていたものばかりだった。


「いやあ好物もこんだけ一気に並べられると夢みてえだな。ガキの頃よくこんな食卓を妄想したぜ」


「はいはい、夢ではないわよ。慌てずに食べなさい。量は十分に作ってあるから」


 エプロンを外しながらイグニスも食卓に着く。


 こうして、楽しい夕食の時間が始まった。


「美味い!! 滅茶苦茶美味い!! これも美味い!!!」


 バカスカと凄い勢いで料理を口に押し込んでいくレンヤ。

 時折喉詰まりして慌てて水を飲み、ユーリに背を擦られている。


「………………」


 一方であまり箸が進んでいない様子のゼクロアだ。


「あら、お気に召さなかったかしら」


「いや……」


 余裕の表情で微笑むイグニスと、何故か追い詰められているような焦りを感じさせるゼクロア。

 ゼクロアだってこれらの料理は嫌いではない。どころかむしろ好きだ。

 レンヤの好きなものだと思うと自分も特に美味に感じられるから。


 だけど、これは……。

 こんな事をされればレンヤはますますイグニスに惹かれてしまう。

 元々レンヤはイグニスの事が好きなのに。

 そう思うと金色の女神は言いようもなく居た堪れない気分になるのだった。


「……落ち着きなさいよ。取りはしないわ」


「!!!」


 まるで自分の心の中を読んだように言うイグニスに驚いたゼクロアが顔を上げた。


「あなたにはこれからもレンヤの力になってもらわないといけないし。切り離すことはできないしね。レンヤがあなたの事が好きで大事にしているというのなら、あなたも私の身内のようなものよ」


「お前……」


 驚いたゼクロアが固まってしまっている。


(……と、まあこうでも言って自分を納得させないとね。私の見立てではレンは彼女のことも私のことと同じくらい好きだと思うし、そうなれば常に一緒にいて心でも繋がっている召神(デュナミス)相手だと流石の私でも少々苦戦が予想されるわ。だから、しょうがない)


 一方でイグニスはイグニスで高速で頭を働かせつつ色々と思うところはあるのであった。


「諸共に喰らってしまえばいいのよ!!」


「なんか覇王様みたいな事言い出した!!!?」


 急に叫んだイグニスに驚いてあんぐりと口を開くレンヤであった。


 ────────────────────────────────


 そんな事があって、数日後……。


 休日の男子寮に大型荷運車が停まっていて作業着姿の体格のいい男たちが忙しく動き回っている。


「棚はそこで、机はこっちでお願いします」


 レンヤの部屋で家具の配置を指示しているのはイグニスだ。

 そんな彼女を見て浮いているゼクロアがギリギリと奥歯を鳴らしている。


「ちょっと気を許したら一気に浸食してきやがった!!」


「大袈裟ね。予定のない週末はここで過ごす事にするってだけでしょう。その都度あれこれ持ち込むのも持ち帰るのも手間だから置いておけるものはそうするというだけよ。どうせ空間を持て余してるんだから」


 じっとりした目で自分を見ているゼクロアに軽く肩をすくめて見せるイグニス


 そうして、彼女が買ってきた家具の配置が終わって業者たちは引き上げていった。

 新たな家具はどれも元からそこにあったかのように当たり前に部屋に調和している。


 ……と、それはいいのだが。


「何でベッドがないんだよ。これだけ持ち込んでおいて」


「ベッドは場所を取るもの。週末たまに一泊するだけなら新しく置くべきではないわ」


 ふっふっふ、とお互いちょっと怖い顔で笑いながら二人は視線をピリピリとぶつけ合わせている。


「……おい、レンヤ! お前からも何か言ってやれよ! この部屋お前の部屋だろ!!」


 援軍を求めるようにレンヤの方を見るゼクロア。


「おァ?」


 ……しかし、そこではレンヤが切ったリンゴをユーリに「あーん」で食べさせてもらっている真っ最中。


「ウワーッ!!! お前はお前でちょっと目を離したら何してやがるんだよ!!!」


「ふふふ、ライバルとバチバチするのも結構だが、あまりそっちにばかり集中すると意外な伏兵に足をすくわれかねないよ。注意したほうがいいんじゃないかな?」


 フォークをタクトのように振って余裕の笑みを見せるユーリ。


「……クソっ!! そういうのがいいんだな!! 口開けろレンヤ!!!」


 ぷんすか怒りながらゼクロアがまだくし形に切り終えていないリンゴの残りの半分の方を掴んで思い切りレンヤの口へ突っ込んだ。


「もがーッッッ!!!??」


 目を白黒させながら椅子ごと後ろに倒れるレンヤ。

 ドタバタしている彼らを見ながらイグニスは呆れたように嘆息している。


「そっちで私のライバルになるのは……まだまだ遠そうね」


 ……………。


 この日も遅くまでレンヤの部屋には明かりが灯っていた。

 そして楽し気な喧噪もまた深夜まで続いていたのだが、そちらは完全な防音のお陰で他の部屋へ漏れることはなかったのだった。

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