逃亡中です、レンヤくん
小雨の降る広い学園敷地の一角で隻腕の教師が生徒たちと対峙している。
教師レイオニール……戦場帰りの片腕の男。
表情のない大きな傷跡のあるその顔の怜悧な瞳がレンヤたちを映している。
単身かつ不自由な身体の男であるはずなのに……彼の放つオーラが生徒たちを圧倒していた。
「……見送りに来て正解だったな、こりゃ」
後頭部を掻きながらニックがハァと嘆息する。
そうだ。初めから彼らはこの事態を想定してここに来ている。
二人のクラスメイトはレンヤの視界を塞ぐようにレイオニールとの間に立った。
「行け、レンヤ」
振り返らずにベルトリュートがいった。
「……いや、そう言われたってよ」
激しく動揺しているレンヤ。
覚悟を決めて寮を飛び出してきたはずなのに……まさかこんな事になるとは。
自分のことだけならいい。
だが友人二人を巻き込んでしまった。そして彼らは今教師に歯向かおうとしているのだ。
もう校則違反がどうだというレベルの話ではない。
帝国軍に歯向かうことは皇帝への……帝国への反逆だ。
自分の巻き添えで二人の友人が未来を失うかもしれないのだ。
「行け!」
「無理言うなって!! こんなん行けるわけねえだろ……!!!」
友人の背に向かってレンヤが必死に訴える。
「なあ落ち着け。離れててくれよ……お前ら巻き込めるか! 友達だろうが!!」
「だから行けと言っている!!!!」
雷喝するベルトリュートに絶句するレンヤ。
怒鳴っても彼は興奮しているわけでも自棄になっているわけでもないという事が伝わってきて……だからレンヤは言葉を失った。
あぁ……もう。
とっくに自分も、そしてベルトリュートもどちらも引き返すことのできない場所まできてしまっているのだ。
それならもう、自分のやるべきなのはここで駄々をこねている事ではない。
色々な感情をグッと飲み下して、ただ感謝を。
「ありがとうなお前ら!! この恩は忘れねえぜ!!!」
二つの後ろ姿にそう言葉を投げ掛けて……レンヤは彼らに背を向けて走り出す。
「……死ぬなよな!!!」
「……………」
ついでに不吉なことを叫んでいきおった。
微妙な表情になるベルトリュートたち。
レイオニールは目の前の生徒たちのやりとりの間は無言だった。
沈黙を保ったまま成り行きを見守った。
そして、レンヤたちが走り去っていく今彼は再び口を開く。
「お前たち、自分が何をしているのかわかっているのか」
それは決して強い調子の言葉ではなかったがそれでも一瞬、ベルトリュートたちは辛そうに表情を歪める。
「……まぁ、友達が一番苦しい時に助けてやれなかったってなっちまうと、この先一生何言ってもカッコ付かなくなっちまうんで」
ヘヘッと苦笑しながらニックが肩をすくめた。
それを受けてレイオニールはもう一人へ視線を移す。
「シュラインゼック、首席のお前もか」
首席……かつてはもっとも価値があると思い込んでいた肩書。
でも今はもう違う。
無価値になったとは思っていないが、それよりも大事なものがいくつかできたのだ。
「すいません、先生」
謝罪を口にしながらも、その男の右の眼が青い炎を宿す。
「でも、俺はもうこれ以上……自分を嫌いになりたくないんです」
「仕方がない」
フゥ、と軽く息を吐いたレイオニール。
「お前たちを制圧してからクサナギを追う」
「……!!!!」
息を飲む生徒たち。
今までも息苦しくなるほどのプレッシャーだったのに……。
相手はあんな創痍だから……。
二人でかかればどうにかなると心の中で思っていたのかもしれない。
だがその認識は甘すぎたことを二人は今痛感させられている。
「来たれ、我が守護神」
レイオニールの呼び掛けに応じ、虚空に描き出される輝く魔法陣。
その中から姿を現し、ゆっくりと降下してきたのは……。
盾だ……紋章盾。
横を向いて翼を広げた大きな王冠を被った鳥がデザインされている鋼色の盾。
(盾……ッ!!!)
(……器魂型召神か!!!)
初めて見る師の召神。
それは盾だ。
盾を装備した何者かというのではなく、盾そのもの。
身構えるベルトリュートたち。
二人とも既に自分の召神を呼んでいる。
『器魂型召神』はレアな召神である。
武具や道具の形状をしている召神で、基本的には召喚士によって扱われる事でその真価を発揮する。
つまりは強さが召喚士本人の戦闘技量に直結しているといえる。
レアだとされるのはその性質によるもので、自ら武器である召神を手にして別の召神と戦闘を繰り広げられるような召喚士は非常に限られるからだ。
だが、その特異性だけに他の召神にはないオンリーワンの能力も持っている。
器魂型召神は他のタイプの召神たちと違って、唯一同化せずに触れているだけで召喚主を『同調』状態にできる。
(……えっ、でも、なんぼ『同調』て言ったって先生自分で戦う気かよ!)
左腕は義手なのに、左足を引きずって杖を突いているのに……。
二対一で、しかも相手は体が不自由なのに自分が戦わなくてはならない器魂タイプの召神で。
出てくる情報が全て自分たちの有利を示しているというのに。
……それなのに微塵も希望を感じない。
それどころか。
「日頃の学びの成果を見せてもらおう」
杖を手放し地面に転がしてレイオニールが盾を構えた。
「こちらは本気を出すような大人げない真似はしない」
「……!!」
その言葉が……。
相手は大人とはいえ、教師とはいえこちらを露骨に下に見てきたと言う事が。
二人の悪ガキに火を着けた。
『うおおおおおおおッッッッ!!!!』
雄叫びが唱和する。
自分たちの召神と一緒に二人も走っていた。
あの盾を、奪い取るだけで勝敗は決するのだ。
それなら戦闘は召神に任せて本体で掴みかかればいい。
四対一だ……!
小雨の降る早朝の校舎裏で教師の厳格な規律と生徒の意地がぶつかりあう。
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ベルトリュートが言っていた通りに、学園の裏門を出て大通りに向かうと路肩に例の軍用特別仕様車が停まっていた。
慌ただしく後部座席に乗り込むレンヤたち。
「急ぎなさい、あなたたち! 出すわよ!!」
運転席にいるのは当然エルザである。
彼女は後部座席の扉も閉まりきらない内に車を出発させる。
早朝の大通りを黒い特別車が爆走する。
「こんな事しちゃっていいのかよ、エルザ姉」
言うべきではないかとは思っても……やはりどうしてもその言葉は口から出てしまう。
何しろミラー越しに見る運転席の彼女は当事者である自分たち以上に悲壮感に満ちた顔をしているので……。
「いいわけないでしょう! ……でも、しょうがないじゃない!!」
半ば悲鳴のように言うエルザである。
「第Ⅴ軍はこっそり動いてるから検問は敷いていないはずよ。この車で行けるところまで行くわ」
そして彼女は半分は自分に言い聞かせているかのように言葉を続ける。
「何とか帝都の外まで出してあげるから、そこから先は自分たちだけでどうにかするのよ。本当はずっと一緒にいてあげたいけど……」
「いやいやいやいや、そこまでしてもらうワケにもいかんだろ」
遠慮するレンヤをミラー越しにジト目で見るエルザ。
「何なのよもうこのにぶちんは! 最後の最後まで!!」
キー、と運転しながら彼女は取り出したハンカチを噛んでいる。
……あぶない。
その時、窓の外を眺めていたゼクロアが口を開いた。
「なぁ、車で行くより飛んでしまえば早いんじゃないのか?」
「いや、それはダメだね」
その言葉を否定したのはエルザではなくユーリだった。
芝居がかった優雅な仕草で彼女は肩を竦める。
「空は見張られているよ」
「そうよ。帝都の防空網を甘く見ないでちょうだい。一定以上の高さで飛べば一発で捕捉されるし低ければ下から丸わかりだし、飛ぶのは最悪よ」
ユーリの言葉をエルザが補足する。
「あなたたちはとにかく見つかる前になるべく遠くまで逃げなきゃいけないのよ。目立つようなことは厳禁。これからもそのことだけはずっと頭に置いておいて」
エルザは真剣だ。
彼女は帝国軍にいるので帝国軍に恐ろしさを一番わかっているのだ。
「長くかかるわ。少し眠っておきなさい」
エルザはそう言うが、流石に気が昂っていて眠るどころではない。
窓の外を高速で後方へ流れていく帝都の景色をなんとなく眺めるレンヤ。
この風景ともお別れなのだ。
いや……風景だけではない。
イグニスの事を思い浮かべる。
なんだかんだこの先もずっと一緒にやっていくのだと思っていた腐れ縁の幼馴染。
自分が彼女の人生から切り離される日が来るなんて思ってもみなかった。
……だけど、きっと彼女は自分がいなくてもあの性格で栄光まみれの人生を送ることだろう。
(すまねえ、イグニス。将来的にはお前のあれこれを手伝ってやる予定だったんだが……)
だが、自分は召喚士になった。
ゼクロアという召神を迎えた。
そのゼクロアが危機に陥ったのならば何より先に自分が味方をしなくてはならない。
実家と両親は……。
親不孝はするが、もうしょうがない。
バカな息子でスマンとレンヤが心の中で詫びる。
そんなこんな、あれこれを考えているといつの間にやら彼は眠りに落ちていた。
……………。
それからどのくらいの時間が経ったのだろうか?
突然の轟音。
……次いで内臓全部がひっくり返りそうな程の振動。
それによってレンヤの眠りは強制的に終了となった。
「うおおおおおおおぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!!!????」
車内を跳ね回り、あちこちに身体をぶつけながら必死に叫ぶ。
一秒ごとに天地が入れ替わっている。
車体が……高速で横転しているのか。
何をどうする事もできずにただ翻弄されていると誰かが自分を掴んで車外へ飛び出した。
「大丈夫か!! レンヤ……!!!」
ゼクロアだ。
彼女に抱かれながら地面に投げ出されて転がったレンヤ。
その視界の先で、完全に腹を空に向けた特別車が炎に包まれている。
……エルザは。
あっちだ。
彼女はユーリが救出してくれたようだ。
目を閉じてグッタリとしているエルザはユーリの腕の中で動かない。
いつの間にか都市部を抜けていたのか、周囲は荒涼とした剥き出しの土の地面が続く荒野である。
「攻撃を受けた」
レンヤを起こしながら言うゼクロア。
彼女の視線は……虚空のある一点に注がれている。
その方向を見て。
レンヤは心臓が凍り付いたような気がした。
誰かが……そこに浮いている。
肩に羽織った軍用コートの、その中身のない袖が風になびいている。
シャコー帽のひさしの下のメガネがキラリと冷たく光を放つ。
ギアが……七響天が。
『識天』が来ている。
というか……。
おそらく彼女はもうずっと前からこちらを捕捉していたのだ。
攻撃を仕掛けてきたのは街の中を抜けたから。
ここなら、遠慮する必要がないから。
「……馬鹿な選択をしたねえ」
ふふ、と少し困り顔で笑ったギア。
離れた場所から囁くような声で言っているのに何故だかよく聞こえる。
「ぎ、ギア様……! だってよ、あんた俺にゼクさんとよく話をしろって……!!!」
「うんうん。言ったね。ただ、その話の云々で帝国軍の彼女への対応が変わるとは言っていないよ。私としては君に真実を知って覚悟を決めてもらいたかったのだが……」
ふわりとゆっくり降下したギアが地上に降り立つ。
「悪い方へはっちゃけてくれたものだ。……だがね、私はキミが子供のころからずっと目を掛けてきた。勝手ながら保護者のつもりでもいる。そんな可愛いレンヤにここで最後のチャンスをあげようじゃないか」
抱擁する相手を迎え入れようとするかのようにギアが両手を広げる。
「ゼクロアを私たちに引き渡すんだ。……勘違いしているかもしれないが、私たちは何も彼女を殺そうとか封じ込めようというのではないよ。帝国の施設で監視下で暮らしてもらうことになるが、言うとおりにしてもらえるのならある程度の自由も約束しよう」
「……………」
……いや、信用できない。
現時点では本当にそのつもりなのかもしれないが、やはり危険だという事になっていつかゼクロアを処断しようとするかもしれない。
帝国軍には絶対の価値基準がある。
帝国の為、皇帝の為。
それが最優先であり、その為に行われる全てが正義なのだ。
帝国の為にならない、と彼らがそう判断した時点で……。
全ては闇に閉ざされる。
ゼクロアを見た。
同じようにレンヤを見ていた彼女と目が合った。
その視線が言っている。
全てを自分に任せる……と。
それで。
覚悟を決める。
「ダメだ。……ゼクさんは渡せねえ!!!」
「そうかぁ」
ぴしゃん、とギアは自分のこめかみのあたりを手で叩いた。
あちゃー、みたいな仕草。
「……それじゃもう力ずくで引っぺがすしかないなあ」
その言葉とほぼ同時にレンヤの左右を疾風が駆け抜けていく。
ゼクロアとユーリだ。
黄金の輝きと蒼い輝きに包まれた二神が低空で飛翔しギアに迫る。
……そうだ、今なら。
まだ彼女は召神を呼んでいない!!
「おや、来るかい?」
嗤っている。
七響天が……口の端を上げている。
高速で迫る敵はどちらも神格級、それなのに。
「はぁぁぁぁッッッッ!!!!」
ユーリの斬撃がギアに襲い掛かる。
あの鉄壁のアシュロッドですら捌くことができなかった彼女の高速の剣閃が……。
「召神を呼んでないから一気にやってしまおう……。なるほど、常道だね」
緊迫感のない台詞を口にしつつギアは身体ごと斜め前を向いた。
その事で先ほどまで彼女が立っていた位置からほんの数cmずれて空間ができた。
ユーリの刃はその僅かな空間を通過していく。
攻撃を空振りした形でギアのすぐ脇を通り過ぎていくユーリを……。
「だけど七響天のことももう少し警戒するべきではないかな?」
ギアが肩で当たって真横に弾いた。
「くはッッ!!!!」
レンヤには軽くぶつかったようにしか見えなかったが吹き飛んだユーリは苦悶の声を上げながら荒れた地面を激しく転がっていく。
ギアがしたことはそれだけではない。
身体を傾けた時にゼクロアの放った黄金のオーラに覆われた拳も回避している。
「まだ召神を出していないのは油断ではなく余裕……そういう視点が欲しかったな!」
そして……カウンター気味に放たれたギアの拳が。
「ぐ……フッッ!!!」
ゼクロアの腹部にめり込んでいる。
血を吐いて膝を屈したゼクロア。
その光景を目の当たりにしてレンヤは絶句する。
「如何かな?」
自分の……召神たちが。
あの無敵の二人が。
「本体で召神と戦れるから……『七響天』なのだよ、少年」
圧倒的な強さを見せつけ……ぱんぱんと白手袋の手を払って微笑むギアであった。




