狂神の誕生
学生寮へ戻って来たレンヤたち。
上着を脱いでネクタイを緩め、水を飲んでようやく彼は少しだけ落ち着いた。
ふーっ、と大きく息を吐いてソファに身を沈めたレンヤ。
ゼクロアたちは黙って彼を見ている。
何か言うのを待っているのだ。
「……帝国軍の、偉い人が来てさ」
ぽつりぽつりと語り出すレンヤ。
「ゼクさんが危ないかもって、なんか……ゼクさんのいた世界から来た別の召神に話を聞いたらしい」
「……!」
ゼクロアの瞳が一瞬揺れた。
腕組みをしていて、ちょっとムスッとしている様子の制服姿の彼女。
激しくショックを受けた様子はないものの、彼女は憂うように虚空に視線を漂わせる。
「そうか」
少しの間を置いて彼女は呟くように言った。
そして、少しの間部屋は静けさに包まれる。
「私は……ちょっと外の空気を吸ってくることにしようかな」
何かあれば声を掛けて、と言い残してユーリが部屋を出ていった。
レンヤとゼクロアが話をしやすいようにと気を使ったのだろう。
そうして部屋に残された二人。
空気は……微妙に重い。
座っているレンヤは拳を握っている。そこにじわりと汗をかく。
疑心という名の蛇が足元に這いよってきているのがわかる。
その事が焦りを生んでいた。
早くそれを……取り払ってしまいたい。
彼女を、自分の召神を信じたい。
……だって、彼女に危険がない事は自分が一番知っている。
あまり長い間とは言えないが、それでも今日まで一緒に過ごしてきて。
「いつかは話さなきゃならないと思ってた。……先延ばしにしてる内にタイミングは最悪になってしまったな」
「……聞くよ」
苦い笑みを浮かべるゼクロアに肯くレンヤ。
やはり過去を明かすことは彼女にとっても痛みを伴う事なのだ。
だが、それは自分たちが一緒に背負っていかなければならないもの。
「あたしがなんで『狂神』なんて呼ばれてるのか、これはその話だ」
ゼクロアは語り出す。
淡々と……あまり言葉に感情は込めずに。
「あたしが元いた世界は、ここと良く似た世界で……。この世界よりは魔道技術がより発展していてな。大陸が丸ごと空に浮いていたりした」
そしてやはり、数多の国があり争いのある世界であった。
ゼクロアはそんな魔道技術の粋を集めて生み出された存在だ。
世界でも有数の大国が戦いの為に彼女を作り上げた。
遺伝子から厳選され、最高の素体として生まれ落ちた彼女には強大な破壊の力が人工的に付与されている。
「あたしは……全てをぶっ壊す為だけに生まれて来たんだ。どれだけの国に攻め込んで、どれだけ壊してどれだけ殺したのかは、今じゃもうはっきり思い出すこともできないが……」
何を考える事も無かった。
思う事も無かった。
自らを生んだ国家の命ずるままに、ただ彼女は赴きそして全てを灰燼に帰した。
時が流れ、ゼクロアは各地に破壊と死を振りまきながら恐怖の対象であり続けていた。
彼女を生んだ国は順調に版図を広げていった。
「ある時、急に思ったんだ。……あたしは何でこんな奴らの言いなりになっているんだ? ってな」
生まれた疑念はすぐに狂気を孕んだ暴走と化した。
突如として彼女は自分を生んだ国に牙を剥いたのだ。
自らを生んだ地を彼女は炎で消した。
そうしてようやく彼女は確たる自我を手に入れたのだ。
これこそが……自分なのだと彼女は確信する。
誰かの言いなりになるのではなく、思うがままに蹂躙するもの。
無差別な破壊の化身。
それこそが自分。
突如として暴走し自分の国を滅ぼした金色の女神。
人々は彼女を狂える女神と……狂神と呼ぶようになった。
「………………」
黙ったまま話に聞き入っているレンヤ。
握りしめた拳の内で爪が食い込んで血が滲んでいるのだが、彼はそのことにも気が付いていない。
「そこからのあたしは自由だった。誰にも命令されずに自分の意志で世界中どこでもぶっ壊して回ったよ。あの時はそれがただ楽しくてしょうがなくて、他の事は何も考えられなかった」
今それを語る彼女の表情は押し殺そうとしている苦渋が滲み出ている。
だからきっと……今の彼女はそうではないのだろう。
そうしてまた……永い時が流れた。
彼女は神話であった。伝説であった。
何十年も眠っていたかと思えば突然活動を開始して気まぐれにどこかの国を火の海に変える。
それはもう個というよりかは超自然的な厄災だ。
だが、そんな日々はずっとは続かなかった。
「ある時初めて自分の意志じゃなくて、眠ってる所を強制的に叩き起こされてな。多分、あたしを殺す為に集まったんだろうが……五人、とんでもなく強いのが集まっててあたしに戦いを挑んできた」
正しくは叩き起こされたわけではなく、眠っている所を強襲されたのである。
五人の英雄……いずれもが人を遥かに超えた力を持つ者たちばかり。
天地を揺るがす戦いであった。
天は裂け地は砕け、海が枯れた。
「それで……あたしは負けた。だけどあたしはその場で殺されなかったんだ。あいつらは自分たちの世界であたしを死なす事で、あたしがもっとヤバい何かに変化する事を恐れたんだろう。とんでもなく強いヤツが死んでとんでもなく強い大怨霊が発生したとか、そういう事があった世界だったからな」
だから瀕死の状態のゼクロアを石像に封じて、更にはその石像を異界へと『流刑』に処したのである。
「それを俺が壊しちまって……」
「そういう事だ。あたしはそれで自由になって、お前の召神になった」
石像から解放されたばかりの彼女が瀕死であり、回復の為にレンヤの中で十年間もの長い眠りを必要としたのはその為だったのだ。
彼女は五英雄にやられて、その状態で封印されていたから。
『あたしには敵が多い』
彼女の言葉を思い出す。
自分の存在を隠せと言われたのは、五英雄や関係者を警戒しての事だったのだろう。
「そこから先はお前も知ってる通りだ」
「……おう」
眠りから覚めてからの彼女は……。
よく笑って、よく怒って。
酒が好きで。
ぶっきら棒な事もあるけど、面倒見がよくて。
……大好きな、自分の相棒だ。
「もう今は世界を壊したいとか考えてねえんだよな?」
ああ、とゼクロアは肯く。
「証明しろって言われると難しいけどな。今は、そんな事は考えていない」
そこはレンヤも信じている。
理屈ではなく、わかるのだ。
自分とゼクロアは心の一部が繋がっている。
その為、常にではないが時折彼女の考えや感情がぼんやりと伝わってくる事があるのだ。
彼女が世界に向かって破壊衝動や憎悪を感じていた事など、レンヤが知る限りは一度もない。
「……あたしが、どんだけヤバいやつなのかわかったか?」
「ああ、ヤベえな。確かにヤベえ。暴れたら世界滅亡寸前までいっちゃいましたってのは、そりゃヤベえよ」
うむ、と重苦しく肯くレンヤ。
そして彼はよっこらせ、とソファから立ち上がる。
「けどよ、話してくれてよかったぜ。今はもうそういうんじゃねえって言うんなら、これから疑ってくる連中にはその辺丁寧に説明してかなきゃならねえしな」
「……あたしに、ちょっと引いたりしてないのかよ」
腕組みをしたまま、なんとなくじっとりとレンヤを見るゼクロアだ。
どことなくその仕草は、叱られることをした子供が大人の顔色を窺っているような……そんな感じだった。
「そりゃ……まぁ、ちょっとはな! だってそうだろ。自分の相棒が昔どこどこの世界を滅ぼしかけた事があります、って言っててそれをフーンってなったらアカンだろうが」
レンヤはコーヒーを淹れている。
いつもならユーリに頼むのだが外出中なので自分でやる。
「ゼクさんの過去なら俺だって背負っていかなきゃならねえもんだ。なんつってもゼクさんは俺の召神だからな」
「……………」
手渡される湯気の立つマグカップ。
黙ってそれを口にするゼクロア。
「……いや、お前、これ不味いな。ヘッタクソ」
そうして、苦笑いした彼女の目尻には涙の雫が光っているのだった。
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ゼクロアの口から過去の話を直接聞くことでレンヤのわだかまりは解けた。
彼女の過去にショックを受けないではないが、多かれ少なかれ召神とは戦うための存在だ。契約を交わす以前に何かを破壊した事も誰かを傷つけたこともない者は珍しいだろう。
……というか。
そもそも他の召喚主は自分の召神とこんなやりとりはしないのではないか。
召神とは戦うために呼び出されて戦闘が終われば異界へ戻されるもの。
普段から傍に居るというゼクロアが特異な召神であるからこそ、こうして自分は彼女の過去を知りそれと向き合うことになったのだ。
そして……普段からこの世界にいるからこそ、帝国は彼女の存在を危惧するのだろう。
(召神ってか、もう家族なんだよな。だからこそ俺は絶対にゼクさんの味方でいてやらねえとだ)
改めてそう誓うレンヤであった。
……………。
そうこうしている内にユーリが戻ってくる。
彼女は離れている間、レンヤから自分の感覚をカットしていた。
盗み聞きしないようにという配慮だろう。
だからユーリは二人がどんな話をしていたのかは知らない。
戻ってきた戦乙女はレンヤの所ではなくゼクロアに近付いて彼女の顔を覗き込む。
「ちゃんとお話はできたのかな……?」
「ああ」
肯くゼクロア。
その瞳がほんの一瞬であるが揺らいだのをユーリは見逃さない。
「……ふぅん?」
どことなく曖昧な息を吐いた戦乙女。
思わせぶりな視線をちょっとの間向けてきていた彼女だが、やがてふっとゼクロアから離れていく。
(こいつ……気が付いてるな)
それで、ゼクロアは悟った。
内心を見透かされたと。
自分はまだ全てをレンヤに話していない。
本当は彼に打ち明けなければならない事がある。
(だけど……あれは……)
ゼクロアの鼓動が早くなる。
この感情は恐怖だ。自分がずっと何百年もの間、知らずに来た心の動きだ。
世界を敵に回しても怖くはない。
死ぬことだってなんとも思っていなかった。
だというのに……。
かつて世界を滅ぼしかけた破壊の化身が、たった一つの秘密をレンヤに知られることをこんなにも恐れている。
「……レンヤ、あたしは」
「ん? なんだ? 今なんか言ったか? ゼクさん」
振り返ったレンヤに、少しだけ迷った後で「いいや」と首を横に振るゼクロアだった。
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学園の特別会議室は今、重苦しい空気に包まれている。
集った灰色の軍服の教師たちは全員が無表情かしかめっ面だ。
密かに緊急招集された彼らは特別な能力を持ち特別な権限を与えられている上位の教師陣である。
「……どうする? やるのか?」
「うちの……生徒だぞ」
静寂。
誰かが長い息を吐いた。
「やむをえまい。七響天の命令は皇帝陛下のご意思である」
「然様。我らは何よりも帝国に……陛下にお仕えする身である。従うより他はなし」
そしてまた……無音。
だが先ほどまでのような困惑の混じった沈黙ではなく、会議室を満たしているものは鋼の意思による硬質な静寂。
「決を採るまでもあるまいな」
「ああ。レンヤ・クサナギを第Ⅴ軍へ引き渡す」
硬い表情で肯きあう教師たち。
そして、数名が立ち上がった。
「明日の日中でいいだろう。夜襲など不要だ」
「うむ。我らは堂々と命に従うのみ。……そして彼も堂々と第Ⅴ軍に赴いて召神を引き渡せばよい。それだけで全ては終わる。彼も、我々にも日常が戻ってくる」
その言葉を合図にするかのように、ガタンと音がして会議室は暗闇と静寂に包まれた。
「……なんで人が残ってる内に照明落とすの?」
と、思ったら誰かが文句を言った。
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その夜は……夜半から小雨が降り始め明け方になってもそれが続いていた。
まだ夜も明けきらない頃、レンヤの部屋のドアが控え目にノックされる。
その音だけでも彼がすぐに目を覚ましたのは、やはり気が昂っていたからだろうか。
「……どなたっすか?」
寝ぼけ眼をこすりながらレンヤが応対する。
「おう、俺だ」
聞こえてきたのは抑えた男の声。
このだみ声は……。
「……先生?」
驚いてドアを開けるレンヤ。
そこに立っていたのはパンチパーマの反社みたいな担任教師であった。
レンヤが顔を出したのを見て素早く周囲を見回して他人の目がないことを確認する担任。
彼の見た目でその挙動だと違法薬物の取引にしか見えない。
「クサナギ、お前を引き渡せって第Ⅴが言ってきてる。日が昇ったらお前やられるぞ」
「……んがッ!!?」
カラすぎるカレーを食べたかのように大口を開けたレンヤが固まった。
第Ⅴ軍……ギア将軍。
ゼクロアとちゃんと話せって言ってて、こっちはちゃんと話したのに……!!
『よし話したよな? ほんじゃ行くぜ!!』
て、事なのだろうか。
いや、そもそも自分に接触してきた時点で大筋のことは既に決定済みだったのかもしれない。
その上で覚悟を決めるきっかけを与えたというだけで……。
「第Ⅴはお前から例の姉ちゃんを取り上げる気だ。言うとおりにする気がねえんなら……」
そこから先は言葉を濁す担任。
さすがに逃げろとまでは口にはし辛いか。
彼も……相当に苦しい立場であるのだろうと察せられる。
「ありがとな先生! でもよ……いいのかよ、こんなん」
言いながらレンヤはユーリが持ってきた制服に慌てて着替えている。
「よかぁねえよ、そりゃあよお。……けどよ、俺は生徒は売らねえ」
渋い顔で首を横に振る担任。
まるで警察に強制捜査を食らったかのようである。
「裏門使え。警備に口を利いてある。今なら素通りできるぜ」
肯いて……そして、慌ただしく寮を出ていくレンヤたち。
その後姿を無言で担任が見送った。
……………。
寮の外へ出たレンヤたち。
日は昇り始めている時刻だが、空には分厚い雲が垂れ込めていて周囲は薄暗い。
小雨の降る中をレンヤと……彼に追従する二人の召神が走る。
「……よっ」
そんな中、不意に場違いに明るい声を投げかけられて驚いたレンヤがそっちを見た。
制服姿で日焼けした銀色の髪の優男が手を振っている。
「ニック!?」
「おっす。サボってピクニックか? ブラザー。……にしちゃあ生憎の天気だな」
ぐずついている空を見上げ、ニックが苦笑している。
「お前、どうして……」
「俺が呼んだ」
ザッザッと足音をさせて近付いてくるもう一人の男。
黒い眼帯を左目に当てたブロンドの美青年……ベルトリュートだ。
「ベルト……」
「俺は姉から話を聞かされた。レンヤ、裏門を出たら街道へ向かえ。姉が車で待っている」
エルザが……。
彼女は第Ⅲ軍の所属だが、どういう方法でか第Ⅴ軍の動きをキャッチしたのであろうか。
「でもよ……」
こんな事に手を貸せば、ベルトリュートたちにもどのような咎があるかわからない。
レンヤが動きをためらっていると……。
「やはり、こういう事になっていたか……」
低く静かな声が聞こえた。
そして、不規則な足音が近付いてくる。
片方の足を引き摺っている音だ。
杖を突いてやってきたのは左手が金属製の義手になっている男。
創痍の教師レイオニール・クリューガー。
「……戻りなさい、シュラインゼック。そしてマクドゥーガル。……クサナギは私と一緒に来るように」
一同を見回して静かに、そして鋭く……厳格に告げるレイオニールであった。




