識天のギア
アルマギアス学園、第二学年男子学生寮の早朝。
朝日が昇って間もない三階の廊下を足音を殺しながら……かつそれでも堂々と歩むものがいる。
私服姿の女性だ。
褐色の肌にブロンドのスタイルの良い若い美女。
エルゼリエル・シュラインゼック……一応は在校生の血縁ではあるものの、この寮としてはほぼ部外者といえる彼女。
その彼女が何故こんな朝早くに男子寮を不敵な感じで微笑みつつうろついているのかというと。
(……フフッ、来たわよレンヤ。貴方もそろそろ逃がした私と言うオンナの存在の大きさに気が付いて寂しく思っている頃よね? 押すばかりじゃない、これが大人の恋の駆け引きというものよ)
くくくく……と声を殺して悪い顔で笑っているエルザ。
(思いがけない再会から燃え上がる二人! その為にパパに頼んで貴方にこのフロアの部屋をプレゼントしたのよ! こっちが考えてる以上にパパとベルトが乗り気になっちゃってちょっと引きもしたけど!!)
迷惑を掛けたのだからこのくらいしてはどうか、と寮の一件を家族に持ち掛けたのはエルザだったのだ。
自分も卒業生なのでわかっている。こういう時に三階暮らしがどれだけ便利かということは。
……当然、仕掛け人である自分は合鍵も入手済み(違法)だ。
(夜討ち朝駆けは戦術の基本! フフ、待ってなさいよレンヤ! 今お姉さんが背徳の片道切符をお届けに……)
静かにドアを開けて、忍び足でメインのフロアに向けた廊下を進むエルザ。
そして……。
「……ちょっと、誰なの?」
「あれ、エルザ姉? おはよう?」
ダイニングでかなり早めの朝ごはんを囲んでいるレンヤのファミリー+イグニスの四名。
エルザを見て不審げに眉を顰めているイグニス。
「な、な、な、な……!!」
そんな四人を見て驚愕の表情で頬を引き攣らせているエルザ。
「ふ、ふしだらよ、レンヤ……!!」
そんな彼女が悲鳴に近い声を上げた。
……が、この部屋は防音もしっかりしているので安心なのであった。
………………。
早朝からドタバタしたものの……。
改めてダイニングで顔を合わせている五人。
初顔合わせの者同士が互いに自己紹介を済ませる。
「つまり……貴女は彼の幼馴染で。昨晩はここに……泊まったと」
「そうね。別に珍しい話ではないし」
どんよりとした暗いオーラを背負って自分をじっとりした目で見ているエルザにツンと澄ましているイグニス。
珍しくないって、流石に学園に来てからは当然互いの部屋で夜明かしした事なんてないんだけどなと思ったレンヤであるが余計な事を言うと災いが降りかかってきそうなので黙っている。
(……しかも、しかも!! ファルメイアって、あのファルメイアなの!!? 紅蓮のファルメイア!! その内絶対七響天の一人になるって言われている……)
紅蓮のファルメイアの名は軍部でも頻繁に聞く機会がある。
アルマギアス学園では第五学年から実際の帝国軍の作戦に訓練兵として従軍するのだ。
だがイグニスは特例として三年生で既に何度か実戦に参加している。
それどころか……。
敵軍は彼女が召神を呼び出して戦場の空を一周させただけで降伏してきたという。
「……で、でも貴女たちはまだ学生よね? そ、そ、そういうのはお姉さんまだちょっと早いと思うんだけどなぁ……」
平静を装っているエルザであるが声は震えているし、マグカップを持つ手も震えているのでコーヒーが零れちゃっているのだった。
「大体が貴女たちがいて何でこんな事になってんのよ! 素通りさせたの!? ……って、二人とも酷い顔ね」
『…………………』
何だかよくわからない怒りの矛先を向けてきたエルザに対して、これまたどんよりとした目を向けるゼクロアとユーリ。
どちらも目が血走っていてげっそりしている。
一晩中レンヤのベッドを気にしていて一睡もしていないのだ。
「……それにしても、貴女がレンヤの二神目って。どうしてまたキレイな女の人なのよ……」
改めてユーリの顔をまじまじと眺めてから、何故だかしょげ返ってガックリ肩を落としているエルザ。
「ん? エルザ姉はユーリの事知らんかったのか?」
意外そうなレンヤ。
家具を揃えてくれたのは彼女だと聞いているし、わざわざ召神たちが寝るスペースとしてベッドを二つ並べてくれているのだから当然知っているものと思っていたのだが……。
「二神目を迎えたって話は聞いていたけど、それがこんな美女だなんて思ってないわよ。……考えてもみなさい、レンヤ。私たち召喚士は契約する召神を選ぶ事はできないの。召喚の儀で現れるのはあくまでも召喚主に力量が近くて性質が合う存在というだけ。見た目や種族を希望する事なんてできないのよ。同じ人間タイプの召神が現れるってだけでも割とレアケースなのに、更にそれが異性で見目麗しいだなんて1回きりでも死ぬほどラッキーなのよ? それが二連続してるだなんて……思うわけ……ないじゃない~……うえええぇぇぇん」
何故だか途中から涙声になってエルザはそのまま泣き出してしまった。
「だからも~、あの時に頂いちゃうつもりだったのにぃ~。それをあのガキンチョがロボットのツノ無くすからぁ~……」
何だかよくわからない事を言って咽び泣いているシュラインゼック姉であった。
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結局……時間になってしまったので泣いているエルザはゼクロアたちに任せてレンヤは登校する事にした。
イグニスも帰っていったが彼女はどうするのだろうか?
そういえば自分はイグニスが普段どのように学園生活を過ごしているのかはほとんど知らない。
生真面目に優等生をやっていても、授業にほとんど姿を見せない変わり者の天才生徒をやっていてもどちらも彼女らしい気がする。
現在は召神制御の実践授業中。
授業の終わりに模範生による模擬戦が行われるのもこれまで通り。
ベルトのアシュロッドとニックのハザンが選ばれて試合を行うのもこれまで通りだ。
(……おっ、どっちも結構強くなってんなぁ)
見ていたレンヤが内心で感心している。
どちらの召神も明らかに動きが以前よりもキレておりハイレベルな攻防を繰り広げていた。
……そして、授業が終わった後。
「そろそろ姐さんを皆にお披露目したっていいんじゃねえか? どうせそのへんにいるんだろうし」
ニックがそんな事を言ってきた。
彼としては明らかに自分よりも実力者であるレンヤを差し置いていつまでも模範生に選ばれることに若干の抵抗があるらしい。
ゼクロアはもう大手を振って校内を歩ける身分になった事だしこれ以上伏せなくてもいいだろうと言いたいのだろう。
「ん~……」
腕組みをして悩んでいるレンヤ。
自分としてはまったく構わないがゼクロアは何と言うだろうか考えているのだ。
いや、そもそもが学園にいる以上そこをイヤだとか言える身分ではないのだが。
……しかし、出してこいと言われない以上は教師たちにも何か考えはあるのだろう。
ゼクロアは「特殊な召神」だし、あんまり例として皆に示すのには適切ではないとか。
「まあ、今日はゼクさんは寝不足だし……」
「はぁ? お前ら……寝ないで何やってたんだよ!」
あんまり深く考えずに言った一言だったが、明らかに朝から寝不足な様子だったレンヤの状態と結び付けてニックが深読みしたようだ。
「なんだと? レンヤ……お前は、お前はそういう感じなのか……!!」
オマケにそれを聞きつけて近くにいたベルトリュートまで来てしまった。
男子学生はエロい気配に敏感なのだ。
いや、見当違いな推理でエロ話にされているだけだが。
「落ち着けって!! そういう話じゃね……」
ガシャン!!!
急に窓かドアが力いっぱい閉められたような音が響き渡ったかと思うと……。
レンヤはただ、真っ白いだけの空間にポツンと独りで立っていた。
修練場ではない。周りにいたはずのクラスメイトたちもいない。
「なんだこりゃ……」
呆気に取られて周囲を見回すレンヤ。
「やぁやぁ、すまないね少年」
ぎょっとして背後を振り返る。
そこには……眼鏡を掛けたストレートヘアの若い女性が立っている。
「一別以来だねえ。元気にしていただろうか?」
ふふっ、と微笑んだ眼鏡のエルフ女性。
いつであったか、放課後に出会ってレンヤに「召喚士としての力量は生まれ持ったもののまま不動であり、成長する事は無い」と教えてくれた女性だ。
「いつぞやの謎の物知り美人お姉さんだよ」
「……あ、あぁ、そのセツはどーも……」
とりあえず頭を下げるレンヤであったが、急にどこかわからない空間に連れてこられてしまって内心ではまだ慌てまくっているのだった。
「ん? ああ、ここの空間かい? 心配はいらないよ少年。ここはお互いの精神を圧縮して接触させている特殊な魔術空間でね。現実の時間は流れていないからキミの貴重な時間を奪う事も無い」
人差し指を立てて得意げに説明してくれる謎の物知りお姉さん。
……という事は彼女がこの空間を作って自分をここに連れてきたという事なのか。
「突然申し訳なかったね。どうしてもなるべく早くキミと話をしておきたかったのだが、お互いに暇を持て余している身でもないだろう? そんなワケでご用意させていただいたのがこちら! 時と場合のどちらも圧迫しない優れモノさ」
なんだか……該当販売で商品を説明されているような口ぶりで言われて無言で肯くレンヤである。
「……さて、では本題に入るとしよう」
急に謎の人の雰囲気が変わった。
レンヤは背筋にピリッとした冷たい緊張感を覚える。
「キミに会う時はいつでもあまり良くない話をしなくてはいけないな。気は進まないのだがね……だが、大切な話なんだ。耳の穴かっぽじってよぉっく聞きやがれよ」
何で急に乱暴な言葉遣いなった? そこが異常に気になるが確認している暇がない。
「帝国上層部に狂神ゼクロアを危険視する向きがあるんだ」
「……!!!」
一瞬目の前が真っ暗になったような気がして。
足元が揺らいだような気がして、レンヤはグラッと傾いた。
危険? ゼクロアが……?
違う、そんな人じゃないと必死に否定したかったが、口の中がカラカラに渇いて上手く言葉になってくれない。
大体が、自分は彼女の何を知っているというのだ。
これまでずっと過去に触れるのを避け続けてきているのに……。
「ゼクさんは……」
「彼女がいた世界から来た別の召神から話を聞く機会があってね。……残念ながら、現時点での彼女の脅威度、危険度は極めて高いと言わざるを得ない」
ゼクロアのいた世界から来た別の召神……。
「ゼクさんの世界……って」
「酷い有様だそうだよ。……何が原因とは言わないがね」
少し俯き加減で女性はゆっくりと首を横に振った。
「あの……お姉さんは、誰なんすかね……」
呆然となりながらもレンヤがそれを尋ねる。
半ば答えが予想できている問いだが。
「ん? ああ、そうか。しっかり名乗っておくべきかな」
女性は右手を軽く持ち上げ、スナップを利かせてパチンと指を鳴らした。
その瞬間、彼女の装束が一変する。
黒い軍服にタイトスカート。そこから伸びているのはやはり黒いタイツに覆われた長い脚。
肩には軍用のロングコートを袖を通さずに羽織り、同じく軍用の筒状のシャコー帽をかぶっている。
「……ッッ!!!」
服を……着替えただけなのに。
一気に重力が何倍かになったかのようだ。
息をするのも辛いほどの圧迫感。
「私の名前はギア・メルフィナ。帝国軍第Ⅴ軍を任されている七響天の一人で『識天』の二つ名で呼ばれているよ」
ああ、やはり……。
彼女がずっと自分を。
昔から……自分を……。
「そして、キミを見出して学園に通わせてあげていた後援者でもある」
胸に手を当ててちょっと自慢げなギア。
「あ、あの、俺……俺は……」
これまでの援助ありがとうございますと礼を言わねばならない相手なのだが、その言葉も上手く出てこないレンヤ。
「うんうん。わかっているとも。ショックだよねえ。……いいかい? 少年。キミが本当にゼクロアの事を大事に思うのなら、逃げずに彼女の過去と向き合うんだ。ちゃんと話をしてみたまえ」
諭すように言うギアにレンヤが黙って肯いた。
そして彼は消えていき……白い世界にギアが独り残される。
「……やっぱり少し余計な事まで喋りすぎてしまったよ。情が移ると処理がしにくくなるんだがねぇ」
やれやれと嘆息し、大げさに肩をすくめる七響天であった。
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気が付くと風景は元の学園の修練場で……。
「ん? どした?」
ニックがこっちを不思議そうに見ている。
ギアの言葉を信用するのなら彼女と話をしている間、現実の時間は流れていないはずなので他の皆からすればほんの一瞬レンヤの意識が飛んだように見えているわけか。
だが、それでも異変を察知する者はいる。
「……レンヤ!!」
「何があったんだい……!!」
転移してきたゼクロアとユーリ。
レンヤの召神である二人にはほんの一瞬のことだが、彼とこの世界との接続が途絶えた事がわかったのだ。
急に姿を現した二体の召神にクラスメイトたちが何事かとこちらを見ている。
「酷い顔色だぞ。急にどうした……?」
ベルトリュートがこちらを覗き込んできて言う。
顔色を失っている事は自分でもわかっているレンヤ。
不安とショックで彼は今激しく動揺している。
ゼクロアが……。
自分の召神が。
帝国によって否定されようとしている。
レンヤにとっては帝国とは世界そのものと言っていい。
世界最大の大陸の広範囲を支配しており、完全に支配下に置く日もいつかやってくるだろう。
逃れて暮らす事などできはしない。
「ゼクさん……」
何かを訴えかけるように……ゼクロアを見るレンヤ。
それで彼女は何かを察したようだ。
「コイツ、ちょっと具合悪いらしい。連れて帰るから説明しといてくれ」
フラつくレンヤに肩を貸すとニックに向かってゼクロアが言う。
その視線には深追いはするなというかのような拒絶の光がある事をニックは悟る。
単なる体調不良であれば医務室へ連れて行くだろう。
「……わ、わかった。お大事にな」
気遣うニックに向けて肯くとレンヤを抱えて飛ぶゼクロア。
その後にユーリが続く。
そして飛び去るレンヤたちを不安げに見送るクラスメイトたちであった。




