お掃除ですよ、レンヤくん
七響天の一人『識天』のギア・メルフィナ。
彼女は将軍であると同時に、召喚という魔術的システム全般を主題とする研究者でもある。
学術方面でも多大な成果を上げて、その分野での研究の進捗を一人で数百年分進めたと言われている彼女。
太古の昔から召喚というものは国家や社会の成り立ちに深く関わってきた。
その意味では彼女は世界そのものの謎にメスを入れる存在であるとも言えるかもしれない。
時は現在……帝国軍第V軍、研究室。
相変わらず書物やら書類やらで雑多に散らかっている部屋の中。
ギアはデスクで書類の束に目を通している。
軍服の上に白衣を羽織った姿で、椅子に腰掛け足を組み。
マグカップでコーヒーを飲む間も彼女の視線だけはずっと書類の文字列を追い続けている。
「目覚ましい活躍ぶり、と言うべきか」
室内に低く良く通る男性の声が響いた。
誰かがいる。
この部屋の主ではなく、彼女の可愛がっているオウムのマックスウェルでもない。
壁際に立つ、体格のいい何者か。
陰になっていて姿は良く確認できない。
「物足りないねえ、これでは私は大いに不服だよ」
つまらなそうにそう言うとギアは机の上に書類を投げ出した。
バサッと音を立てて机の上に広がる数枚の書類。
その全てはレンヤと彼の召神に付いての報告書である。
「……世界をぶち壊すかもしれない男の暴れっぷりがこの程度ではあまりにもささやかと言うものじゃないか?」
「彼は学生だ。外野が騒いでみたところでどうしようもあるまい」
低い声には僅かな嘆息が混じっている。
「あの破壊神が相方に選んだんだ。実はとんでもない能力やら野心やらを秘めている可能性が大きいのになぁ。あーぁ、研究室へ呼んで調べまくりたいよ~。解剖したい~」
「やめておくことだ」
ギアの提案を即座に否定する低い声。
本気では無かったのか眼鏡のエルフはへらへらと笑った。
「……冗談だよぉ。待つ身はツライねえ。うーん……いっその事私も偽名でもう一度入学しようかな? 学生を名乗るには流石にセクシー過ぎちゃうかな?」
立ち上がったギアが恐らく本人的には色っぽさを表しているのであろうポーズをくねくねと取っている。
「やめておけ。教官たちの胃に穴が開く。やっと卒業してくれて胸を撫でおろした者も多いだろう」
「どういう意味かなぁ? 私は優秀で愛らしい理想的な生徒だったよぉ」
ジロッとレンズの向こう側の半眼で壁際の誰かを睨むギア。
「召喚士と召神の出会いは運命だ。そして、それから主従が何を為すのかもな。周りがどう掻き混ぜてみようがそれは変わる事はない」
「大変ロマンティックなご意見どうもありがとう。……年寄りはこれだから」
その台詞の最後らへんはほとんど聞き取れない程の小声である。
「何か言ったかな」
「いいえぇ~なぁんにも~?」
わざとらしく明後日の方を見て口の端を上げるギア将軍であった。
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朝の教室に一人の生徒が入ってくる。
ボサボサのつんつん頭に三白眼の……ブサイクでもなく美男子でもなく……。
そんな少年に何となくクラスの視線は集まる。
最近何かと噂になる事が増えた男……レンヤ・クサナギ。
「よおっす」
入って来たレンヤが声を掛けたのは長身のブロンドの美男子。
振り返ったベルトリュート・シュラインゼックの左目は黒い眼帯で覆われている。
その下がどのようになっているのか、何故そのようなものを身に着ける事になったのかを彼が誰かに語る事はない。
「……ああ」
レンヤの合図に短く応じるベルトリュート。
……それだけだ。二人のやり取りは、それだけ。
しかしたったそれだけのやり取りであっても、それまでの彼らの関係性を考えれば劇的な変化と言わねばなるまい。
挨拶を交わす二人を奇異なものを見る目でクラスメイトたちが眺めている。
……………。
二学期の学期末戦が終了し、学園は間もなく休暇に入る。
期間は十日ほどだ。
その間を学生たちは実家に帰ったり、どこかへ息抜きに出たりと思い思いに過ごすことになる。
「どこへ出るにしても申請だけは忘れんな。……いいかぁ? お前らは栄えあるこのアルマギアスの学生なんだからな。そこいらのドサンピンの若ぇのみたいな真似するんじゃねえぞ」
相変わらず反社の人みたいな担任が休暇の心構えみたいのを説いているが……。
既に生徒たちは半分上の空であり、あんまり真剣に耳を傾けている者はいないのであった。
「……ブラザーはどっか行くのか?」
うしろからひそひそ声で話しかけてきたニック。
「いや、どうなんだろうなぁ……」
レンヤは腕組みをして、ううむと唸った。
これまでに彼は学期間の休暇の使い道を自分で決めた事がないのである。
レンヤが自分の意志で実家に帰る事はない。
家族仲はそこそこに良い方ではあるが実家はとにかく放任主義なのだ。
というより、幼少時からレンヤはイグニスの付属品みたいな感じでファルメイアの家の人々が面倒を見てくれていたのでそちらに丸投げしていたというか……。
何しろレンヤの父はイグニスの父の部下であり彼の運営するワイン醸造所の責任者をしている。
家ごと身内みたいなものだ。そのように扱ってもらっている。
そんなワケで、休暇はイグニスが帰省するのであれば同行する。
そうでないなら学園に残る。
それがレンヤの休みの過ごし方。
今回は今の所何も話がないので、イグニスは恐らく帰省しないのだろう。
「なんだ居残り組か? 俺もそうだぜ。女の子とどっか行きたいなら声掛けてくれよなっ」
「行きたくなくはない、が……」
いよいよレンヤの眉間に刻まれた皺は深くなり、彼の深刻そうな感じはマシマシだ。
「生憎とこう、先立つモンが……な」
「何だよそんな事か。全部こっちで出すから気にすんなって!」
ニックの家は貴族ではないが、大企業の代表を務めている。
彼も実家から、レンヤが聞けば思わず「ハハッ」と乾いた笑いが出てしまいそうになる程の額の小遣いを貰っていてまったく金に困ってはいないのだ。
しかし、軽く言って笑って奢るというニックであるがレンヤとしては「じゃあお願いします」という訳にもいかないのである。
性格もあって、他人の財布で遊んでいても素直に楽しめないのだ。
(そーなんですよ。お財布がなぁ……。実は最近、結構ヤベえ)
まだそこまで深刻ではないが、ここしばらくレンヤをビミョーに悩ませているのがその問題であった。
これまでは彼も金に困った事はない。
必要経費は全て第Ⅴ軍から出ているし、それとは別に生活費という名目で金も受け取っている。
それだけで十分以上に身の回りの事は賄えていたのだが……。
そこにゼクロアという扶養家族が加わったのだ。
彼女は他の召神とは異なり異界に戻っていると言う事がなく、普通の人間と同じようにして生活している。
幸いにして衣食住の内の食と住はレンヤと共同生活を送る事で金は出ていないが、衣とその他雑々した物であれやこれやと出費が増えた。
結果として、受け取っている生活費だけでは回り切らなくなってきている。
生活費は第Ⅴ軍に申請すれば増額してもらえる事になっているのだが、そうも言いだしにくい。これも性格によるものだが。
元々が人の金で学園に通っている事を引け目に感じていた身だ。
となれば……自分でどうにかするしかないのである。
(バイトか……。そういうのってどうすりゃいいんだろうな? 担任に相談してみっか)
世知辛い、と軽く嘆息する悩める学生であった。
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話を聞かされたパンチパーマの中年男は盛り上がった眉の肉の下の小さな目をギョロリとレンヤに向けてきた。
「……バイトだぁ?」
改めて見ると……というか改めて見るまでも無く本当にこの人ガラ悪いな、と思ったが口には出さないレンヤ。
「そうかぁ、そういうのもあんだなぁ。俺ぁよ、ここで二十年以上教師やってるがよ。生徒からバイトしたいなんて言われたのは初めてだぜ」
何やら感慨深げな反社みたいな見た目の担任教師。
……初めてか。
それもそうかとレンヤは納得する。
ここは、子供にそんな事をさせる必要がまったくない家の者だけが通う学園なのだ。
一年間の学費が、確か平民としては結構貰っているはずのレンヤの父の一年間の稼ぎを上回ると聞いている。
「つってもよォ、お前。学園付近で働こうったってウチの学生だなんつったら取ってもらえねえぞ」
「う……」
それもまた、納得してしまう所だ。
何しろここに通う学生たちの親はとんでもない有力者ばかり。
休日に街へ出ても、どこの店でも学園の制服を着ていれば店員は平伏せんばかりの対応になる。
働かせてくれなどと言っても「畏れ多い、とんでもない」となるだろう。
まして短期だ。
「しょうがねえな。いるモンはいるだろうしな……。ちっと庶務に掛け合ってやっからよォ」
顔に似合わず面倒見の良い所を見せる担任教師に、おねがいしますと頭を下げるレンヤであった。
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かくして、学期間休暇の初日がやってきた。
「……掃除? なんでお前がそんな事しなきゃいけないんだ?」
休みの日だというのに、朝食を済ませて早々に運動着に着替え始めたレンヤにゼクロアが眉を顰めている。
「バイトだよバイト。学園の中で仕事貰えて助かったぜ」
レンヤの説明に対してゼクロアは「ふーん」とよくわかっていないそうな反応をしている。
一緒に生活しながらあれこれと話をしてきてわかったのだが、どうもゼクロアはこれまで買い物というものをした事がないらしい。
なので「お金」と言うものについて今一つピンときていない部分があるのだ。
買い物という取引形態やお金の存在自体は知ってはいるようなのだが……。
だが、レンヤにしてみればそれでいいのだ。
そんなものは召喚主の甲斐性の問題であり召神が頭を悩ませるような事ではない。
ゼクロアは自分にとっては勿体ない程の最高の相棒だ。
強くて美しくて、性格だって自分から見て文句はない。
そんな彼女に金の心配なんてさせたくはないし、バイトを手伝ってもらう訳にはいかない。
彼女にはそういう話からは離れた所にいてほしいのである。
行ってくる、と挨拶するレンヤに向かって「頑張れよ」とあまり気のない様子で手を振るゼクロアであった。
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レンヤにアルバイトとして与えられた仕事は学園地下の清掃である。
期間は休暇の間。内部をできる限り綺麗にしてくれと。
地下と言われてここ最近で何度か行っている決闘空間のような近代的な施設を想像していたレンヤであったが……。
「……うお、なんじゃこら」
目の前に広がる光景に驚いて固まっているレンヤ。
石造りの霊廟? それとも神殿というべきか?
年代はまったく判断が付かないが相当に古いもののように見える。
近代設備ばかりの学園だと思っていたがこういう場所もあるらしい。
そもそもこの土地は帝都になる前の王朝の王家の宮殿だったもので、当時の名残は地上部ではもうあまり見られないものの地下にはこのように残されてもいる。
白い石で作られた静謐な空間。
この地下神殿は奥に女神様が祀られており、教師たちは揃って年に一度は参拝するのだそうだ。
「つってもコレ、十分綺麗じゃねえかよ」
周囲を見回してレンヤは肩を竦める。
気合を入れて頭にタオルを巻き、モップやらバケツやら雑巾やら洗剤やらを持ち込んで来ている彼。
しかし、周囲は古いとはいえ清掃は十分に行き届いているらしくパッと見て汚れや補修の必要な箇所はまったく見当たらないのであった。
「まあ楽でいいっちゃいいけどよ……」
ちょっとやる気が空回りするのを感じつつもレンヤは地下神殿を一回りしてみることにした。
作業の目星を付けるためである。
一通り回ってみた感じ、内部はちょっと不規則な構造になっているようだ。
中央に大きく通った通路の先に広い聖堂があり、そこに至るまでにいくつかの枝分かれしている通路があって、その先にもそれぞれ部屋がある。
枝分かれしている部屋は生活空間らしきスペースだったり、倉庫だったりするようだ。
そんな部屋の一つで彼は大きな台座に乗った凛々しい戦乙女の像を見つけた。
丁度等身大のサイズか。
背に翼のある鎧を着た乙女が勇ましく剣を空へ掲げている。
ウルフボブというのか、やや短めの髪の毛の凛々しい顔立ちの像。
台座のプレートに何か記されてはいるがレンヤには読めなかった。
「おー、いいじゃねえかカッコいいな。んじゃここから始めるとするか」
像が気に入ったレンヤはこの部屋から清掃を開始した。
鼻歌交じりに床をモップ掛けし始める。
すると、何か掃除の音とは違う物音が彼の耳に届いた。
「……ん?」
低い……羽音のような。
ブウウンというようか感じの音がしたが……。
音は目の前の像から聞こえているような。
「なんだ?」
怪訝な表情でレンヤが像へと近寄ったその時。
突然周囲を閃光が満たした。
「ぐおおおッッッ!!!??」
もはや暴力的と言える程のあまりの眩しさに視界が効かなくなる。
腕を目の前に翳してレンヤは必死に眩しい光を遮断しようと試みた。
だが、幸いにして光はすぐに収束し始める。
周囲は元の通り、照明の明かりだけが照らす空間に……。
「……………」
レンヤの手からモップが離れ、ガタンと音を立てて床に落ちた。
目の前に……鎧を着た女性がいる。
青銀の髪の、白い鎧を着た戦乙女が。
女性がいるというか、あの石像が生身に変化してしまったというべきか。
背の翼を羽ばたかせて彼女は台座からレンヤと同じ床の上へ降りてきた。
白い羽が舞う中、二人は邂逅を果たす。
「……あぁ、ようやく」
涼やかで怜悧な目元。エメラルドグリーンの瞳がレンヤの姿を映し出すと、その目は眩し気に細められた。
美しくも凛々しい美貌。例えるなら氷の華か。
彼女の薄桃色の唇が動いて言葉を放つ。
「ようやくお会いできましたね。我が主君」
朗々としていてよく通る声。
舞台上の口上のようにそう言って、彼女はレンヤに膝を屈して深く頭を下げる。
「悠久の眠りの中でただこの日だけを夢見て参りました。今日、この時よりこのユリアーシア・リュセルをどうか御身に従う剣の一振りとお思い下さいますよう」
微笑んで優雅に一礼する美麗なる翼の戦乙女。
しかしそれを向けられたレンヤはとてもそこに見惚れていられるような精神状態ではなく……。
「……いえ、そのですね、あの、まだ……掃除中でして……」
等とたどたどしく告げる事しかできない。
内心で、この像まさか俺が壊したって事にならないだろうな……と思いながら。




