ある終わりと、ご褒美と
レンヤによって投げられ、床に叩き付けられた時にナイフはベルトリュートの手を離れ彼の顔面を傷付けていたらしい。
彼は血塗れの顔面を押さえて激しく苦悶している。
「うおおおおい大丈夫かよ!!! ゼクさん!! ゼクさんこれどうにかできねえか!!??」
苦しんでいるベルトリュートにビビッて縋るようにゼクロアを見るレンヤ。
直前にそのナイフで襲い掛かられた事などもう気にもしていないかのように。
「……悪いけど、あたしにそういう能力はない」
必死に頼みこんでくるレンヤに狂える女神は曇り顔を横に振る。
彼女には他者を治癒できる能力はないのだ。
「……どうしたァ!!!? 何があった!!!??」
そこへ走ってくる担任。
彼は離れた場所……しかも戦う召神たちを挟んでレンヤたちとは反対側にいたので詳細を見ていなかったのだ。
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……………。
ベルトリュートはあの後すぐに学園の手配で病院へ運ばれていった。
レンヤは少しだけ教師たちによって聴取を受けたが、被害者の側という事で厳しい詰問はなかった。
解放されて校舎から出たレンヤが空を見上げる。
もうすっかり日が落ちて暗い空には星が瞬いていた。
「……お疲れ」
しゅぽん、とレンヤの身体から抜け出てくるゼクロア。
教師たちに話を聞かれている間、彼女はレンヤと同化していたのだ。
普段なら聴取など面倒くさいと自分だけ部屋に戻っていたことだろう。
そうせずに同席したのは、彼女なりにこの件の始末が気になるからなのか。
「おう。……なんか、とんだ事になっちまったよ」
はぁ、と短く苦笑しつつも嘆息してレンヤは寮へ向かって歩き始める。
その後ろを浮かびながら付いてくるゼクロア。
ほんの少しの間……二人は無言。
夜の校庭にただレンヤの静かな足音だけが聞こえる。
「あれでよかったのか?」
やがてポツリとゼクロアが言った。
「ん~……。よかったんだかよくねえんだか……」
問われたレンヤは複雑な表情だ。
レンヤは……ベルトリュートを庇った。真実をありのままに教師たちに報告しなかった。
学園では模擬戦で召喚主への攻撃が認められるのは第三学年から、更にそこで武器の使用が許されるのは第四学年からである。
その場合でも使用する武器は刃引きをして殺傷能力を落としたものとされる。
第二学年で模擬戦の最中に相手の召喚主を……それも刃を潰していないナイフで襲ったとなればそれは重大かつ深刻な校則違反。
親にどれだけ権力があろうが一発アウト。退学は確定だ。
だから……。
レンヤはベルトリュートが襲ってきたのは召神たちの勝敗が決してからだと教師たちに言ったのだ。
勝敗に納得がいなくてムカついたのだろうと。
それなら模擬戦とは無関係の単なる生徒同士の私闘になり話は一気に矮小化する。
処分もそこまで重いものにはならないだろう。
刃物の事は……ボヤかした。
自分に殴りかかってきた時には持っていなかったが、投げ飛ばした時に携帯していたものが零れ落ちたのではないか、とか何とか……モニョモニョと。
思い切りどもったし、視線も泳ぎまくっていたので教師たちに不審に思われなかったはずはないのだが問題を大きくしたくはなかったのか、深く追及されることはなかった。
「あいつはイヤなヤツだが、流石に俺との事で退学ってのはなぁ……。そこまで重いモンは背負いたくねえわな」
「そうか」
疲れた様子でボヤくレンヤからは見えていなかったが、斜め後ろに浮いているゼクロアは優しく微笑んでいる。
全部お見通しだとその視線で語って。
優しい嘘を彼女は微笑で聞き流す。
「おまえがいいなら……それでいいだろ」
召喚主の斜め後ろを飛びながら彼女は穏やかにそう口にするのだった。
…………。
結局……。
レンヤとベルトリュートの学期末戦の顛末が大きな騒動になる事はなかった。
当事者以外で見ていた者はいなかったし、学園が秘密裏かつ穏便に処理したからだ。
ただ、ベルトリュートの左の眼は深く傷付いてしまっており傷が癒えても視力は戻ることはないだろうとの事であった。
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学期末戦の情報は当然即座にシュラインゼックの屋敷へも届けられることとなった。
当主であるベルトリュートの父は自分の書斎でその衝撃の報を聞いた。
「……失明ッ!!? 何故だ!! 何故そのような事になっている……!!」
青ざめた顔で父は自分の上着を小脇に抱えて廊下へ出る。
息子が運び込まれたという病院に向かう為だ。
そして彼は廊下に出てすぐ、近くに立っているエルゼリエルの存在に気が付いた。
「パパ……」
「おぉ、エルザ……。ベルトリュートが……」
呆然と娘を見る父。
そんな彼をエルザは哀し気な瞳で見た。
「ええ、聞いているわ。模擬戦で負けて取り乱したみたいね」
父が受けているのと同じ報告はエルザの所にも届いている。
報告者の学園職員は、ベルトリュートは模擬戦で敗れて勝者にナイフで襲い掛かり返り討ちに遭って負傷したらしいと伝えてきた。
ナイフの件は被害側の生徒が庇っているので無かったものとして、そこまで大きな問題にはならないだろう、とも。
「パパ、ベルトをそこまで追い詰めたのはあなたよ。パパと、それからこの家」
「!!!?? ……な、何を。何を言うんだエルザ。私は……」
父はエルザの言葉に愕然となる。
「今までベルトがそんな風に壊れずにこれたのは、たまたま近い所に自分より優れた召喚士がいなかったから。それだけよ。だけど今回あの子は初めてそういう壁にぶつかってしまった。それが認められなくて壊れたの」
「……………」
父親を糾弾するエルザも辛そうだ。
だが、これはいつかは口にしなければならない事だった。
自分にそう言い聞かせながらエルザは言葉を続ける。
「それはパパがそうしたのよ。これまでパパがベルトにひたすらにトップでいる事を強いてきたから。パパにとってはあの子がトップかどうかなんてそれ程大きな意味を持ってるわけではなかったのに……」
父が……ぐらりとよろめく。
自分の心の奥底の、一番晒したくない弱く醜い部分を……。
最愛の女性の忘れ形見によって暴かれていく。
「パパはベルトにお母様を重ね合わせて辛く当たっているだけでしょう? 私のことを……ママと重ねて大事にしてくれているように」
「エルザ……」
亡霊を見たかのような表情で苦し気に呻く父。
そんな彼にエルザは背を向ける。
「ベルトを見舞うつもりなら、その事をもう一度考えてからにして」
そう言い残し振り返らずに歩み去るエルザであった。
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……その後、レンヤは学期末戦の次戦を辞退した。
メンタルを戦うためのコンディションに戻せなかったというのが正しい理由なのだが、召神の傷が癒えていないというのを表向きの理由とした。
本当は彼女は当日夜にはもうピンピンしていたのだが。
色々な事がありすぎてレンヤの心はずっとモヤモヤしたまま、思考はぐるぐるしたままなのだ。
こんな状態で次戦に挑んで……それで、負けるならそれでいい。ただの自業自得で話は終わる。
問題なのは、ゼクロアの強さだけで押し切って勝ててしまった場合だ。
それはあまりにも相手に、ニックに対して失礼だ。
真剣に学期末代表になろうとしている彼に対して上の空で相手になるわけにはいかない。
そう思ってレンヤは降りることにしたのだ。
これにより不戦勝でニコラスが二学期の代表生徒になった。
ベルトリュートは……まだ戻ってきていない。
彼の席は空席のまま日々は過ぎていく。
生徒たちはそれをレンヤに負けてショックで寝込んでいるのだと噂していた。
……………。
終業の挨拶の後でレンヤは担任に呼ばれた。
このまま、敷地内の駐車場に行けと言われる。
なんだかよくわからないが面会者が来ているんだそうだ。
(俺に学園外から会いに来る人なんて一人しか思いつかねえんだが……)
かくしてレンヤを待っていたのは想像していた通りの人物であった。
「エルザ姉……」
「ハァイ♪ レンヤ。お久しぶりね」
笑顔で明るく手を振っているのは……エルゼリエル・シュラインゼック。
彼女は軍服姿である。
レンヤとしては、自分が悪くはないとはいえ関係した一件でエルザの弟が大怪我してしまっているので少し気まずい気がする。
「……ど、どしたんすか?」
そういえば彼女と顔を合わせるのは、あのゼクロアを酔い潰されてレンヤの貞操が刈られかかったあの時以来か。
「ちょっと私に時間をもらえるかしら。あまり遅くはならないようにするわ」
微笑むエルザに何事かと首を傾げるレンヤ。
……………。
いつぞやの重厚な特別仕様車で再びレンヤは帝都市街を走っている。
今日はエルザにはお付きの部下はおらず、ステアリングを握るのは彼女自身だ。
「……ベルトがね、あなたに会いたいんですって」
「ぬわんですと!!?」
さらっと言われたレンヤがギョッとする。
思わず助手席から運転者を凝視してしまう彼。
そんなレンヤにチラッと視線を送ってからエルザがウィンクする。
会いたい? 死んでも会いたくないじゃなくて?
いきなりそんな事を言われても会って何言えばいいんだか、とレンヤは途方に暮れてしまう。
ちょっといきなりの事過ぎて心の準備ができていない。
「気は乗らないでしょうけど話を聞いてあげてくれる?」
「……まぁ、来いっつってんなら」
本気で気が進まないんだけどな、とは思いつつも渋々肯くレンヤであった。
……………。
ベルトリュートはもうベッドに横たわってもいなかった。
病衣の彼は椅子に座って窓際で何かを読んでいる。
何かというか……教本か。彼らしいと言えば彼らしい。
「……よ、よう。来ました……ぜ」
緊張で声が上擦ってしまっているレンヤがぎこちない動作で病室にINしてきた。
テキストから顔を上げたベルトリュートが鋭く見てくる。顔面を覆った包帯が痛々しい。
彼の視線は険しく、表情は硬い。
病室の空気はひんやりとしていて重苦しく、和解ムードとは程遠い。
「何故だ」
「……ん?」
低い声を出すベルトリュートにレンヤが怪訝そうに眉を顰める。
「何故俺を庇った。どういうつもりだ貴様……!」
あぁ、とレンヤは得心がいった。
なるほどそれはそうかと。
レンヤは嬉々として自分を断罪して退学に追い込むだろうと……そう思っていたらしい。
「俺に情けをかけたつもりか。狙いは何だ!」
混乱しているのだ、彼は。
そして……怯えている。
あらゆる意味で彼にとってレンヤ・クサナギとは理解不能な存在だった。
自分の中の世界、自分の常識からかけ離れている。
よく見てみればベルトリュートは微かに震えているようだ。
「……なんか、疲れる考え方してんなお前」
「なんだと!?」
……それで逆にレンヤは落ち着きを取り戻していた。
慌てているときに自分よりパニくっている人を見ると冷静になるものだ。
「世の中はお前が考えてるよか、もうちょい単純でしょうもねえもんなんじゃねえの? つってんだよ」
はぁ~、と大袈裟にため息を付いてレンヤが腕組みする。
「んじゃ話してやるがよ。俺なぁ、お前の姉ちゃんに飯ごちそうになった事があるんだわ。お前が退学にでもなったら姉ちゃん悲しむだろ。……そんだけだよ。その程度の話だ。御大層な理由じゃなくて申し訳ねえがな」
「……………」
呆気に……取られている。
ベルトリュートは茫然としている。
それは、何か憑き物が落ちたようにもレンヤには見えた。
「わかったらとっとと戻ってこいよな。そうでなきゃお前が休んでるのは俺のカンチョー食らって寝込んでるからだって言いふらすぜ」
固まってしまっているベルトリュートに向かってじゃあな、と手を振って病室を出ていくレンヤであった。
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帰りの車内で……。
レンヤはエルザからシュラインゼックの家庭内事情を、ベルトリュートがこれまでどんな抑圧に晒され続けてきたのかを聞かされた。
ベルトリュートの両親はいわゆる政略結婚だったようだ。
彼の母親は自分にも他人にも厳しい人だった。
家庭内に安らぎを得ることができなかった父はそれを外に求め、そしてある時仕事で訪れた地方都市でエルザの母と出会って深い仲になった。
父は金を出してエルザの母親を帝都に呼び寄せて店を持たせた。
だが元々病弱だったエルザの母は彼女を生んでしばらくして病で帰らぬ人となってしまう。
そして、エルザはシュラインゼックの家に……父に引き取られたのだ。
父は愛した女性の忘れ形見としてエルザを溺愛し、愛情の枯れた妻に似たベルトリュートに辛く当たった。
片目を失った息子を見舞った父が何を話したのかについてはエルザは聞いていない。
しかし、病室を出てきた父の顔には涙の跡があった。
「いきなりは無理でしょうけど、あの二人の関係も少しずつ改善していってほしいわ」
祈るように言うエルザである。
そして彼女自身も……長く誤解していたことがあった。
父がベルトリュートを見舞っている間、病室の外で待っていたエルザは義母と少し話をしていた。
義母は「ありがとう」と言ってエルザに深く頭を下げた。
それがなんの事だとは言わずに。
「貴女もわたくしの娘です。エルゼリエル、それを忘れないで」
とも言い添えて。
「お母様は冷たく厳しい人じゃなくて、ひょっとしたら単に感情表現が苦手なだけだったのかもしれないわ。私の人を見る目もまだまだね……」
そう言って寂しげに苦笑したエルザであった。
……………。
エルザの車が学園の駐車場へと戻ってくる。
レンヤが外へ出ると彼女も車を降りてきた。
向き合って立つ二人がなんとなく無言になる。
やがて夜風が二人の髪を揺らしていって……エルザの唇が動いた。
「色々と……本当にありがとうね、レンヤ」
「いや、俺は別に」
自分に向かって深く頭を下げたエルザにレンヤは慌てて首を横に振る。
本当に何かをしたつもりは一切ない。
ただ、ドタバタと必死に毎日を過ごしているだけだ。
そして近付いてきたエルザがレンヤに顔を寄せて……。
二人の唇が一瞬触れあって、そして離れていった。
「……カッコいい召喚士になってね」
笑顔でそう言い残して、エルザは離れていく。
再び運転席に座った彼女はもうレンヤの方を見る事はなかった。
ああ……。
直感的にレンヤは悟った。
これでお別れなのだと。
エンジン音を鳴らして遠ざかっていく黒い特別仕様車を見送りながら胸が鈍く痛む。
「……ちょっと……ってか、かなり勿体ねえ事をしたかもな」
自嘲気味に苦笑して、そう独りごちるレンヤであった。
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そして……。
ほろ苦い思い出と共に寮に戻ったレンヤを待っていたのは。
……ガン!!!!
「痛ってぇッッ!!!!!」
またもぶんむくれているゼクロアと彼女の拳骨であった。
「お前いい加減にしろよ!! いつでもどこでもキスばっかしやがって!!!」
「……あわわわ自分からした事はございませぬ!!!!」
殴られた頭頂部を押さえながら涙目で必死にレンヤが弁明する。
というか……いつでもどこでも?
前の時のもバレていたらしい。
「……ん!」
顔を真っ赤にしたゼクロアが目を閉じてやや口を突き出すようにレンヤに寄せた。
何やら必死な様子の彼女。その仕草はエサをねだる雛鳥を思い起こさせる。
「え? ……毒針を吹く?」
……ガン!!!!!
「痛えええええええ!!!!!!」
「暗器じゃないんだよ!!! お前あたしの事なんだと思ってるんだ!!!!」
怒っているゼクロアの方もちょっと涙目になっている。
そして彼女は意を決したかのように深呼吸をした後……レンヤの頭を両手で掴むと力いっぱい自分の方に引き寄せて唇を重ね合わせる。
………がちん!!!!
「んべッッ!!??」
レンヤの籠った悲鳴が上がる。
思い切り前歯と前歯がぶつかり合った。口の中がじんじんする。
「あッ!? 鼻血!!! ゼクさん……鼻血出たぜ」
どうやら唇というよりかは鼻から下全部をぶつけ合わせたような感じだったようだ。
流れてきた鼻血を指で拭ったレンヤは困り顔。
「へへっ、どうだ……見たか」
だというのに……同じように鼻から下を赤くしているゼクロアは得意げで。
「あたしのヤツが一番威力があっただろ」
胸を反らし、勝ち誇る金色の女神なのであった。




