はじめてのこうしきせん
月明りだけが室内を照らしていた。
豪奢な広い部屋である。二人部屋では見られないような家具や調度品が置かれている。
それらはこの部屋の利用者が自分で持ち込んだものだ。
ここは学生寮の特別室。選ばれたごく少数の特別な立場の生徒たちだけが利用する部屋。
この部屋の利用者となるための条件はいくつかある。
保護者が有力者、権力者である事と学園に一定額以上の寄付金を収めている事。
そして生徒自身が優秀な成績を収めている事など。
その全てを完璧に満たして彼、ベルトリュート・シュラインゼックはこの部屋で生活している。
「……………」
ベルトリュートは今、大きなベッドの縁に座って薄暗い部屋のある一点を見つめ続けている。
この日のするべきことは全て終わっている。後は眠りに就くだけだ。
しかし彼は就寝時間を過ぎているのに横たわろうとしない。
気が昂っているので眠る気になれないのだ。
(……ようやく、この時が来た。あの無様な敗北の雪辱を果たす時が)
あれから……何度もあの日の悪夢を見ている。
自分が、アシュロッドがレンヤと彼のゼクロアに敗れ去った日のことを。
本調子でなかったなどとは言い訳にもならない。
自分たちは召喚士たる者戦場でいかにベストを尽くせるのかが実力の内であると日頃散々学んできているのだから。
レンヤと彼が呼び出したゼクロアが自分にそこまでの精神的ショックを与えていたという事実も重ねて腹立たしい。
ましてやあの場は自分から持ち掛けた制裁の場であったはずなのに……。
その対象に思わぬ反撃を受けて自分は愚かにも醜態を晒したのである。
「…………ッ!!!」
奥歯を嚙み締め唇の端から赤い雫が滴る。
イグニス・ファルメイアが絡んだ嫉妬に端を発した一件であった。
だが今の彼の頭の中にはイグニスの事は欠片も存在していない。
レンヤ・クサナギ……あの男をこの手で倒さなくては。
その事だけが思考の全てを支配している。
『我が家の面汚しが!!!』
父の罵声が……頭蓋の内でずっと反響している。
振り払っても振り払っても消えてくれない。
何もない一点を見ている彼の眼は血走っていて、呼吸は乱れていた。
「俺は……俺はシュラインゼックの跡継ぎだ!!!」
常にトップを走り続けてきた。
それに見合う血の滲む様な努力を重ねてきた上でだ。
誰かがそれを阻むことなどあり得ない。
……いや、あってはならないのだ。
「今度……今度地べたに這いつくばるのはキサマの方だ。レンヤ・クサナギッ!!」
虚空へ向けて怨嗟の声を放つベルトリュート。
その膝の上に置かれた握り拳に血管が浮いて、ミシッと軋んで音を立てた。
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……レンヤの学園生活は少しザワついていて、少し落ち着かない感じになった。
例の学期末選抜戦の話が校内に知れ渡ってからだ。
「アイツが……?」
「召神いないんじゃなかったのか?」
廊下を歩いていればどこかから囁き声が聞こえてくる。
以前の自分であれば……。
ゼクロアがいなかった頃の自分であれば、きっとその声を随分気にしていたことだろう。
だが今のレンヤはもう違う。
雑音は彼の耳には届いていない。
来るべき戦いの日に向けてレンヤの精神は集中しているのだ。
……………。
「学年最強」がセオリーを破って二学期の学期末戦に参戦の名乗りを上げた。
しかもその相手に指名したのは校内でも有名な落ちこぼれだ。
……その噂話は第二学年の校舎だけではなく、他学年の校舎にまで伝わっていた。
第三学年校舎、イグニスのクラス。
休み時間の教室は多数の雑談の声が行き交い賑やかだ。
「……今の二年の最強ってアレだろ?」
「そうそう。第Ⅲの名門の家の」
そんな声がふと、文庫本を広げていたイグニスの耳に届く。
普段の彼女であれば一顧だにせぬ風聞であるが今回は様子が異なる。
その名門の誰々は知らないが、相手は自分の幼馴染だからだ。
(あんたが誰で、どれだけ凄いヤツなのか……教えてあげなさい、レン)
開いた文庫本の向こう側に隠した口元を微かに綻ばせて思うイグニスであった。
……………。
帝国軍第Ⅲ軍本部。少将エルゼリエル・シュラインゼック執務室。
エルザに届けられた一枚の書類。
アルマギアスからの報告書だ。
学園にいる父の息がかかった職員にエルザは接触し、同じ報告が自分の所にも届くように手配しているのである。
内容は現在第二学年校舎を少々騒がせている学期末の選抜戦について。
やはり……弟はレンヤと再戦するようだ。
彼の気性からしてそうなるだろうとは思っていたが。
「……ふぅ、やっぱりこういう事になるのね」
書類に目を通したエルザは呟いて物憂げに息を吐いた。
幼かった頃の弟を思い出す。
無邪気に笑って泣いて……自分の後を付いてきていた頃の彼を。
自分の前で冷たく取り繕った表情を見せるようになったのはいつからだっただろうか?
成長するにつれて彼は心からの笑顔を見せなくなっていった。
自分を殺して冷たい仮面を被った彼の姿はどうしてもエルザに一人の女性を思い起こさせるのだ。
血の繋がらない……母の姿を。
「ベルト、あなたは勘違いをしているわ……」
例えレンヤにリベンジを果たして学年最強の地位を……その自負を奪還できた所で弟が救われることはない。報われることはない。
父は彼を認めようとも褒めようともしないだろう。
我が家の闇は……問題の根幹はもっともっと深い部分にある。
弟にはそれが見えていないのだ。
「……お願いね、レンヤ」
祈るようにそう呟いて目を閉じるエルザであった。
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光陰は矢のように過ぎ去っていき……。
その日がやってきた。
レンヤ・クサナギとベルトリュート・シュラインゼックの、そのどちらにとっても特別な意味を持つ対決の日が。
まだ自分の中でも不確かな何かを得たいレンヤと、失ったものを取り戻さなければならないベルトリュート。
二人の召喚士は担任に誘われて地下へと向かう。
あの、つい最近までレンヤは存在すら知らなかった学園地下の決闘空間へ。
水色のただ広い、何もない空間で二人が対峙する。
「勝敗はどっちかの召神が現界していられなくなるか、降参の合図だ。俺が止めてもそこで終了。破れば小指詰めてケジメだぞ。いいなオラッ!」
学園にそんな規則はない。
反社みたいな見た目の担任が反社みたいな事を言っている。
完全に住む社会を間違えた男の言葉に二人の生徒が肯いた。
レンヤとベルトリュートが開始位置に立つ。
レンヤが右手を前方へ、ベルトリュートは上へ。
「頼むぜ、ゼクさんッッ!!!」
叫びと共にレンヤが白い輝きを帯びる。
そして虚空に赤く輝く魔法陣が描かれ、そこから姿を現す金色の髪の狂える女神。
完全武装したゼクロアが現界し……というか学生寮から転移してきているのだが……周囲に強い風が吹いた。
「来たれ我が盾、我が剣よ!!!」
同じく叫んだベルトリュート。
姿を現したのは当然彼の最強の従者……白銀の騎士。
虚空に出現した鎧の騎士は手にした長剣を縦に掲げて一礼する。
やはり……歴戦の召神。
改めて敵として対峙する騎士。その威圧感はかなりのものだ。
「よう、久しぶりだな」
空中のゼクロアが胸の前で右の拳を左の掌でパシンと受ける。
そして彼女は犬歯をギラリと光らせて獰猛に笑うのだった。
「なんだかご指名らしいな? 変わってるなあ、お前ら。わざわざ一度ぶっ飛ばされてる相手にもう一度やられたいなんてな」
「ほざけッッ!! 今度血反吐を吐くのはキサマらの方だッッ!!!」
ゼクロアの挑発に貴公子の仮面を脱ぎ捨て激しく反応するベルトリュート。
彼がこれまで他人にここまでの憤怒を示した事はない。
(……ほォ、どっちもいい啖呵切るじゃねえか。お前ら……いい極道になるぜ)
それを見て何やら感慨深げな担任。
「……よおし! じゃあやれ!! お互いベストを尽くせよ!!」
……そして、地下の空間に彼の開始の合図が木霊する。
「……………」
激しい剣幕の割には……。
ベルトリュート主従は開幕動こうとはしなかった。
相手の攻撃に備える待ちの構えだ。
精神が乱れていない証だ。
「ん……。なんだ、来ないのかよ」
若干興覚めした様子のゼクロアが表情を歪めた。
レンヤは動かない。言葉も発しない。
これは予め二人の間で交わしていた取り決めだ。
レンヤは召神戦闘はほぼ素人と言っていい。
ゼクロアの能力を詳細に把握できているわけでもない。
だから戦闘に付いてはゼクロアに一任する。
レンヤの役割は戦況を見定めて適切なタイミングで彼女を強化する事。
……あと気を付けるのは心を乱して彼女の足を引っ張らないようにする事だ。
「それならこっちから行くぜッッ!!!」
黄金色の輝きに包まれた狂える女神が飛翔する。
防戦の構えのアシュロッドに構わずに彼女は襲い掛かる。
拳が……蹴りが。
暴風のように容赦なく白銀の騎士を打ちのめす。
火花が散って、ゼクロアの金色の魔力が何度も爆ぜる。
まるで花火だ。
見物客のいない空間に咲く可憐な大輪の華。
滅多打ちだ。
アシュロッドはされるがまま、ただゼクロアの猛攻に晒され続けている。
(……ちっ、防御が上手いなコイツ)
ゼクロアが一瞬顔を歪める。
一見、彼女はアシュロッドをボコボコにしているように見えるが……。
実際には全てが巧みに捌かれ阻まれ有効打を与えることができていない。
当てたように見える攻撃はどれも、盾や鎧の表面を巧みに滑らされて逸らされているのだ。
元より防御型の召神であるアシュロッドの本領発揮であった。
(だけど亀みたいに守りを固めてどうするつもりだ? 徹底的に防いであたしが焦れて大技にいこうとするかムカついて隙を作るのを待ってるのか? こっちもそんな温いつもりはないが……)
怪訝に思いながらもゼクロアは攻撃を加速させる。
手は緩めないと、隙など望めないのだと思い知らせるために。
戦況を見守るレンヤも怪訝な顔をしている。
どういうつもりなのだろうか? ベルトリュートは……。
確かに見事な防御だが、あれではジリ貧だ。
いつかは凌ぎ切れなくなる。そうなればあのゼクロアの恐ろしい連打をモロに浴びることになる。
硬い表情で戦闘を見守るベルトリュートをチラリと窺う。
直立姿勢で彼は召神同士の激戦を凝視している。
……様子におかしいところは見られない。
想定通りに進んでいると言う事なのか。
一見冷静に見えるベルトリュート。
だがその内心には今激しい嵐が吹き荒れている。
(やはり……やはりアシュロッドよりもあの女は強い。認めざるを得ない。腹立たしいが)
狂神ゼクロア……得体の知れないレンヤの召神。
相当に強い召神であるという事は前回の対決でもわかっていたが……。
今日の自分は本調子だ。
つまりアシュロッドはほぼ完全性能を発揮して戦っている。
だというのに……上に行かれている。
向こうは明らかに全力を出していないのに、ゼクロアの方が強い。
ここまではいい。腹立たしい事には変わりはないが想定はしていた事だ。
問題なのは……。
「……………」
今度はベルトリュートがレンヤの顔を窺う。
レンヤ・クサナギ……。
よくわからない有力者の後押しで学園に紛れ込んでいた異物。
こちらにしてみれば顧みるに値しないはずだった小者。
なのに……それなのに!!
(お前が……お前が俺よりも上だというのか!! 平民の下らん男のお前が!!!)
その事を自覚してしまったその時、ベルトリュートは眩暈のような憤怒を、憎悪を感じた。
改めて万全の状態で対峙して……理解してしまったのだ。
自分が、召喚士としての力量でレンヤに劣っていると言う事を。
召神の性能差で敗れ去ったというのであれば、そのような召神を掴んだ相手の運が良かっただけだとまだ自分を慰める事もできたかもしれない。
だが、召喚主の性能差で負けていると自覚されられる事は今の自分にとっては死に勝る恥辱であった。
「ありえん……あり得ないッ!! 俺が、シュラインゼックの家の……跡取りの……」
呻くように言いながらよろめいたベルトリュート。
その彼のおかしな挙動にレンヤが気付く。
「お前に、お前などに……ッッ!!」
ゆっくりと歩き出すベルトリュート。
のろのろとした歩みから早足へ……そして、走り出す。
「……あ? 何やってやがる……」
その彼の挙動に中空のゼクロアが気が付いたその時、従神は動いた。
突然、バーンという破裂音を響かせてバラバラに砕け散ったアシュロッド。
「あぁッッ!!? 今度は何だ!!!!」
驚くゼクロア。
一瞬白煙が散って彼女の視界を遮る。
そしてその隙を付いて動いた影……鎧を分離して脱ぎ捨て盾も捨てた、青白い肌で銀色の髪を逆立てた鍛えた身体の痩せた男……。
「ちッッ!!! お前中身あったのかよ!!!」
身体を包んでいた重いものを取り払って加速したアシュロッドがほんの一瞬、ゼクロアの視界の外に逃れた。
これが、この一瞬が……。
主従が耐え続けて狙った機会。
生身の騎士が放った鋭い斬撃が避け切れなかったゼクロアの脇腹を切り裂いていく。
虚空に……紅い華が咲いた。
「がはッッ!!」
空中のゼクロアが身体をくの字に折って口から血を吐き散らした。
「ゼクさん……!!」
驚いて身を固くするレンヤであったが、その彼にも今ベルトリュートが迫っていた。
「レンヤ・クサナギ……お前さえ」
その手にあるのは剣呑な輝き。彼は鋭いナイフを握っている。
血走った目にレンヤの姿を映して……。
「お前さえ……いなければ……」
ベルトリュートが白刃を振り上げ、レンヤに襲い掛かった。
「うおぉぉッッッ!!!??」
突然の凶行に驚きつつもレンヤは冷静に相手が手にしたナイフを見ている。
そしてそれを持つ相手の右手を掴みながら引き込む様にして背後に倒れる。
「……ぐあッッッ!!!??」
今度はベルトリュートが驚愕に表情を歪める番であった。
下になって倒れたレンヤによって投げ飛ばされた彼が前方へ回転しながら宙を舞う。
それが巴投げという名の東方の武術の技である事を彼は知らない。
「ギぃッッッ!!!!!」
そうして、床に叩き付けられたベルトリュートが悲鳴を上げた。
「……ふーッ、危ねえ。ありがとうよイグニス……お前に教えてもらったトモエ投げが役に立つ日が来たぜ」
身を起こしながら顎に伝う汗を手の甲で拭って息を吐くレンヤ。
この技はイグニスが教えてくれたものだ。子供の頃に彼女がわざわざ家に招いた東方の武術家に師事して学んでいたもの。
そして……彼女は一々身に付けた技をレンヤにも学ばせた。実戦形式で。
技試す相手が欲しかっただけでは? と今にして思わぬでもない。
お陰で生傷の絶えない少年時代であったが、その苦労はここにきて花開いたようだ。
「……おい、大丈夫か」
気が付けばゼクロアがすぐ側まで様子を見に来ている。
「俺は平気だ。ゼクさんこそ大丈夫なのかよ」
「こんな傷何でもない。あたしを甘く見るなよ」
軽く笑ったゼクロア。
彼女は脇腹の傷口を手で押さえてはいるが、出血自体は止まっているようだ。
そして……アシュロッドは。
向こうで倒れていて、しゅうしゅうと白い煙を上げながら消えていく所だった。
ゼクロアの反撃の一撃を浴びて現界を保てなくなったのである。
鎧がない状態で彼女の一撃を浴びたのだ。一発ノックアウトだった。
………。
戦いは終わった。
レンヤたちの勝利だ。
だが……。
「ぐあああッッッッ!!!!!」
倒れていたベルトリュートが突然叫び始める。
彼は苦し気に身をよじって顔面を手で押さえていた。
その手が……真っ赤に血で濡れている。
「おい!? 何だどうした!!!」
慌てて彼に駆け寄るレンヤ。
ガシャンとベルトリュートの傍らに投げ出されて転がるナイフ。
その刃が……べっとりと持ち主の血で赤く汚れていた。




