温かみのない我が家
ベルトリュート・シュラインゼック、現在のアルマギアス学園第二学年生首席の男。
文武両道、美術品のように整った容姿を持つ彼には上級生にも下級生にも多くの信奉者たちがいる。
超然としている彼は普段はあまり社交的ではないが、それでも社交界に出れば礼儀正しく人当たりが良いと好評だ。まさしく隙のない完璧な貴公子である。
そんな彼が、よりにもよって平民の出の落ちこぼれの男に歪んだ感情をぶつけて返り討ちにされた。
敗北の噂は一時校内に流れはしたものの、耳にしたほとんどの学生たちはそれを信じることはなかった。
彼を妬んだ何者かが流した悪質なデマであろうと。
ただ、その対決があったとされた日からベルトリュートが二日ほど、初めて学園を休んだ事が噂話に僅かながらの信憑性を与えていた。
その後普段通りに登校した彼はまったくそれまでの通りで何の変化も見られない。
因縁の相手であるレンヤに付いても、相変わらず視界には入れても見てはいない様子であった。
────────────────────────
ある日の授業風景。学園内修練場。
この時間の科目は「召神制御」
とはいえほとんどの生徒は召神を呼び出す事はない。技術思想を学んでトレーニングのみを行う。
様々な事情で余人の前で自分の召神を出すことができない召喚士は多いのだ。
その最たる例があのイグニス・ファルメイアだろう。
今の所はレンヤもその内の一人であり、彼はまだクラスメイトたちにゼクロアを見せてはいない。
「よし、ではそこまで。最後に模範生に模擬戦をしてもらうか。皆見学していろ」
厳つい面相で精悍な実戦技能担当教官は視線を一人の生徒の上で留めた。
「ベルトリュート、召神を出しなさい」
「はい、先生」
淀みなくそう返事をしてベルトリュートは虚空に魔方陣を浮かび上がらせ自らの従神たるアシュロッドを呼び出す。
現れた白銀の騎士の装甲にはあの日レンヤが付けた損傷はもう残っていない。
「では、相手は……」
周囲を見回す教官。
一瞬、生徒たちに緊張感が走った。
これまではアシュロッドと互角な立ち回りができる召神はニコラスのハザンくらいであったが……。
「ニコラス、お前だ」
「はい」
教官の言葉にニコラスが手を上げて応じる。
空気がやや弛緩する。誰かが……小さく息を吐いた。
ありえない事ではあるが、誰もが一瞬レンヤが指名されるのではないかと思ったのだ。
白銀の騎士アシュロッドと虎系半獣人の武術家ハザン。
共に武技に秀でた召神二体が対峙し互いに礼をする。
……修練場の空気が冷えて張り詰めていく。
そして教官の始めの合図で二体はぶつかりあった。
縦横無尽に跳び回りあらゆる角度から攻撃を仕掛けてくるハザンと、それを完璧に捌き切るアシュロッド。まさしく武術の教本を見ているかのような両者の攻防。
レンヤも息を飲んで握った拳にじわりと汗を浮かべている。
(おおッ! すっげぇな……よく俺はあれに勝てたもんだ)
一見互角に見えるが、やはりアシュロッドが一枚上手だ。
初めて見るハザンの実力も相当なものだというのにその全ての攻撃を危なげなく凌いでいる。
そしてその合間に放つ攻撃は神速にして苛烈。
だが授業中の模擬戦という事で騎士は本気で獣人を追い詰める気はない様子だ。
意識して防戦に回っている。あまり攻めていない。
一方でハザンは全力で相手に向かっていっているがアシュロッドの堅牢な守りを崩せない様子。
(考えてみりゃ、あの時は急に俺が召神を出したからあいつも内心で動揺してたのかもしれんな)
召神を持たないはずの相手が見るからに強力な召神を呼び出し、あまつさえ「同調」などという向こうにしてみれば「舐めプ」に該当する手で戦おうとしていたのだ。
ベルトリュートにしてみればかつて味わった事の無い屈辱だったことだろう。
困惑と怒りで内心平静ではいられなかったとしても無理は無い。
(大体がなんであいつは俺なんかにちょっかい掛けたんだろうなぁ? 落ちこぼれイジめて遊ぶようなタイプじゃねえだろうに)
自分より下位の者など歯牙にもかけないのがベルトリュートだと思っていた。
あの頃のレンヤは毒にも薬にもならぬ、気にしなければいないも同然の存在だったのだから尚の事因縁をふっかけてくる理由が見当たらない。
などと思いながらレンヤが模擬戦を見物していると……。
突然アシュロッドが攻勢に転じた。
盾でハザンの拳をいなしながら剣を構えて前に出る。
繰り出される鋭い突き。
その切っ先が獣人の肩口を捉えて赤い血が舞った。
クラスメイトの内の数名から息を飲む気配がする。
「……よし、そこまでだ!!」
片方が負傷した事で模擬戦の終了を宣言する教官。
「大丈夫か?」
「……あぁ、こんなモン何でもないわい」
肩の傷口を手で押さえながら教官に答えるハザンは見るからに悔しそうだ。
召神の負傷は召喚主の魔力さえあれば人間のそれとは比べ物にならない速さで癒えていく。
それでも教官は念のため授業の後に医療担当教諭の所へ行くようにとニコラス主従に指示を出す。
……………。
授業が終わり礼をしてから生徒たちが散開していく。
「それじゃ、ちょい医務室寄ってくわ。……いやぁ、ムカつくがやっぱ強いなあのボンボンは」
ニコラスも悔しそうだ。
ベルトリュートが自分より一枚上手である事を痛感させられたか。
「………………」
そして、肯いて彼を見送るレンヤは無言で表情は無い。
レンヤは今、先程の模擬戦の決着の瞬間を回想していた。
(あいつ……俺を見たよな?)
アシュロッドが刺突を放ち、ハザンが傷を負ったその瞬間……ベルトリュートは見物者の中のレンヤを見たのだ。
誰もがショッキングな召神の負傷に目を奪われていて気が付いたのは本人である自分だけだっただろう。
憤怒と憎悪の感情が透けた……冷たい目付きだった。
どうやら……ベルトリュートの中ではあの一件はまだまだ流してしまうべき過去の出来事というわけではないらしい。
その事を彼の視線から思い知らされたレンヤであった。
────────────────────────
……あの取るに足らぬはずの存在であった男に痛恨の敗北を喫した翌日。
ベルトリュート・シュラインゼックは実家にいた。
学園から連絡を受けた実家から即戻るようにと言われたのだ。
学園教師にそのような報告をする義務は無いのだが、帝国の有力者である父と繋がっている教師は複数人存在している。
彼らの内の誰かが実家に自分の敗北を連絡したのだろう。
「愚か者め!! 家名に泥を塗りおって!! 公式のものではない戯れであろうが我がシュラインゼック家の嫡男が同学年生に遅れを取る事など断じてあってはならんのだ!!!」
帰還した息子をそう言って父親は激しく叱責した。
冷たく厳しい面相の父。そういえばこの人が最後に笑ったのを見たのはどれほど昔の事であっただろうかとベルトリュートは思った。
「お前の才能に期待し、仕来りよりも早期にアシュロッドの継承を行ったというのに……。お前の未熟さで家やお前自身のみならず、我が家に代々伝わるアシュロッドまでを笑いものにする気かッッ!!!!」
書斎机の上にある獅子を象った文鎮を投げつけてくる父。
流石に自分に当てる気はないのか、文鎮はベルトリュートの脇を過ぎて飛んでいって背後の壁にぶつかった。
「父上……」
表情無くベルトリュートが深く頭を下げる。
「この雪辱は必ず我が手で」
「ふん、当然だ。……だが私闘は許さんぞ。規律を守れぬ者など三流以下だ」
冷たく鼻を鳴らして父は我が子に鋭い視線を注いだ。
……………。
礼をしてから父の書斎を退出したベルトリュートは床に視線を落として重たい息を吐いた。
平時、自分に何の落ち度がない時であっても対面するのに極度の緊張を強いてくる父である。
失点がある時に面会するのは奈落に渡された細いロープの上を歩かされているような気分になる。
「ベ~ルト、聞いたわよ。災難だったわね」
そして、そんな自分の耳に飛び込んでくる場違いに明るい女の声。
……これはまた、このタイミングでは会いたくなかった人物のお出ましだ。
「お戻りだったのですか、姉上」
「相変わらず堅苦しいわね~。昔みたいにお姉ちゃんって呼んでよね」
やれやれ、と芝居がかった仕草で大げさに肩を竦めている一人の女性……。
服装は黒い軍服……帝国軍上位仕官のもの。
ただ着崩していて首筋から胸の上部にかけてをあられもなく外気に晒している。
その奔放さも彼が姉を敬遠している理由のひとつ。
「あんたが怒られに帰ってくるって聞いたからさぁ。お姉ちゃんわざわざ休暇貰って会いにきてあげたのよ~ん」
そう言ってくすっと艶かしい紅を引いた唇の端を上げたのはベルトリュートと同じ美しい金色の髪の妖艶な美女である。
ストレートのロングヘアを背中まで伸ばしており、その先端だけは外側に跳ねを作っている。
やや垂れ目で愛嬌のある整った顔立ち。左目の下に泣きぼくろがある。
ただ、その肌の色は父親や自分のような白色ではなく褐色。
……この姉は異母姉なのだ。
エルゼリエル・シュラインゼック……ベルトリュートはこの姉が苦手だ。
気性的に合わない。
父がどこかの誰かに生ませた娘。正嫡の自分とは違う傍流だ。
何の酔狂で引き取ろうなどと父は思ったのか……。
必要な金銭だけ援助して好きに暮らさせればよかったものを。
結果として彼女は自分のように家の跡取りという重責を背負わされる事も無く、我が家の権威の恩恵だけを受けて好き勝手に生活している。少なくとも自分にはそう見える。
それでもすんなり帝国軍に仕官してとんとん拍子に出世している所を見ると優秀な人物ではあるのだろうが……。
「今日は久しぶりにお姉ちゃんと一緒にご飯にしましょうか。あんたの好きだった子羊のシチューを作ってあげるから……」
「残念ですが、すぐ戻らなければなりません。学園を休んでしまっているので」
姉の言葉を途中で遮って彼女とすれ違ってベルトリュートは歩いていく。
実際にこれ以上ここに留まっても父を刺激し続けるだけだろうとの判断もあって。
「えぇ~……? 連れない! あまりにも連れないんじゃないの弟よ~」
背後でわざとらしく姉が嘆いているのが聞こえるが構わずに歩いていく。
「……はぁ、純粋にパパに似てきちゃってまぁ。困ったもんだね」
ぽつりと悲しげに独りごちたエルゼリエル。
そこで背後の父の書斎のドアが開いた。
「何を廊下でやっている。……おお、エルザだったのか」
それまでの冷たく厳しい表情を一変させ、エルゼリエルに微笑みかける父。
「ハァイ、パパ。ベルトをお食事に誘ったのだけど、忙しいらしくて……」
「そうかそうか。あれにも色々と考えなければならない事があるのだ。許してあげなさい。……では今日は私と一緒に食事をしよう」
父は笑顔でそう持ちかけてくるが、エルゼリエルはやや眉の端を下げて困り顔になった。
「でも私がいるとお母様がご気分を害されますよ」
「そんな事は無い! いつも言っているだろう。ここはお前の家だ。誰にも何の遠慮をする事もないんだよ」
慌ててフォローする父。
彼女の言うお母様とは実の母ではなく父の正妻、ベルトリュートの母親の事だ。
書類の上では現在のエルゼリエルの母でもある彼女。
しかし夫が自分以外の女に産ませた娘であるエルゼリエルに彼女は極めて事務的に接している。
(そりゃ情は……わかないでしょう)
血の繋がらない母の事を気の毒に思うエルゼリエルであった。
────────────────────────
……そして現在。
実技授業を終えたベルトリュートがロッカールームで着替えている。
タオルを持ってくるのは取り巻きの二人。
この二人は実家からしてシュラインゼック家の従者を務めていて生まれつきの骨の髄まで取り巻きA、Bなのであった。
制服に着替えて櫛で髪型を整えながらベルトリュートが人知れず重い息を吐く。
鏡に映っているのは冷たい無表情な自分の顔。
あの日から気分が晴れたことなど一度も無い。
……あの無様な敗北の日からだ。
(……ああ、そういえば)
実家に戻って父の叱責を受けた事を思い出しながら彼は鏡の中の自分を見る。
(俺も最後に笑ったのはいつだったかな……)
言いながら彼はフッと笑っている。
唇の形を変えただけの……空しい笑みであった。
────────────────────────
放課後、寮の自室に帰ってくるレンヤ。
一度戻ってゼクロアにその日のメニューを報告してからトレーニングに向かうのが最近の彼の日課。
別にそうしようとしう取り決めがあるわけではないが、なんとなくそれがルーティンになってしまっている。
「……ただいま、ゼクさん……って、何!? うおッッ!! 酒臭ッッ!!! 何事だ!!!??」
扉を開けたと思ったら中から流れ出てくるアルコールの香り。
「よぉ~っす、戻ったかレンヤぁ。お前もこっち来て飲んなよ~」
どう見てもヨッパライ! へべれけのゼクロアが床に足を投げ出して座っていて、真っ赤な顔でこっちに向かって陽気に手を振っているではないか。
「いや、ヤベえってゼクさん!! 寮で酒飲んでたとか停学喰らっちまうよ!! ……いや、でも召神が飲んでた場合はどうなんだ? そんな話聞いた事ねえわ」
しかめっ面になってから首を傾げるレンヤ。
こっそり学生が飲酒して罰を受けたという話なら聞いた事はあるが、召神が飲んでいたという話は聞いた事が無い。
「大丈夫だって。あたしが持ってきたワケじゃなし、手土産だもん」
「どういう理屈だっての。貰いもんならイイとかそういう話じゃ……」
……そこまでやり取りしてようやく気が付いた。
ゼクロアだけじゃない。室内にもう一人、女がいる。
「ハァイ~、お邪魔してるよレンヤちゃ~ん」
「うおおおおおお誰ですか!!?? 知らんうら若き乙女が俺の部屋で俺の召神と酒飲んどる!!!!」
琥珀色の液体が満ちたグラスを片手に、これまた陽気に手を振る女性がもう一人。
見覚えの無い褐色の肌のブロンドの美人だ。
そしてまたも私服。教師や学園職員じゃなさそう。
最近自分の母校の治安が心配なレンヤである。
「……知らんってことはないだろ。こいつ、お前が前にぶっ飛ばしたあの騎士の奴の相方の姉だっつってるぞ」
ゆらゆらと揺れながらそんな事を言っているゼクロア。
相当に回っているようだ。
……んん? 待てよ。
騎士の奴の相方の……姉?
それはつまり……。
レンヤの脳裏に凍えるようなベルトリュートの視線が過ぎる。
「よろしくよろしく~、私エルゼリエル・シュラインゼックだよ~。エルザって呼んでねぇ。ベルトリュートのお姉ちゃんやってまぁ~っす。あっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ」
何が面白いのか床に転がって大笑いしている褐色の美女。
「……………………」
自分の部屋に発生してしまった予期せぬカオスに思わず呆然と天井を見上げるレンヤなのであった。




