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第3話【火曜日】秋月の徹底再教育


「……脈拍、正常。レム睡眠から覚醒状態へ移行。おはよう、佐藤くん。10年と16日ぶりの、村でのまともな朝ね」

薄暗い視界が晴れると、すぐ目の前に秋月の端正な顔があった。

至近距離。まつ毛の一本一本が見えるほどの距離だ。彼女は表情一つ変えず、手元のタブレットに猛烈な勢いで何かを打ち込んでいる。


「秋月さん……!? なんで先生の寝室に……っていうか、まだ朝の6時だぞ」


「火曜日は私の管理日。あなたの睡眠効率、心拍数の変動、そして寝言の回数。すべて村のデータベースにリアルタイムで同期させてもらったわ。昨夜、一度だけ『都会の牛丼が食べたい』と呟いたわね。……都会のジャンクな毒が、あなたの潜在意識にまで泥を塗っている証拠よ。不潔だわ。今日中にその記憶領域、徹底的に再教育フォーマットしてあげる」

秋月は事務的に告げると、俺の胸元に冷たい指先を這わせた。


都会ならこんな事は許されないがこの村ではこれが「インフラ点検」として正当化されている。彼女の眼鏡の奥の瞳は、恋する乙女のそれではなく、最新鋭のAIを観察する科学者のように冷徹で、そして底なしに深い執着を孕んでいた。


「さあ、立ちなさい。まずはその都会の柔軟剤の匂いを、村指定の石鹸で洗い流して。私の管理下では、不純な匂いは1分子たりとも許さない。3分以内に浴室へ」


先生の家から学校へ向かう道中も、秋月の「管理」は凄まじかった。俺の横を歩きながら、常にタブレットで俺の歩行フォームをチェックしている。


「佐藤くん、右に3.5度傾いているわ。都会でスマホばかり見ていた弊害ね。10年前のあなたはもっと背筋が伸びて、村の山々を真っ直ぐ見据えていたはずよ。……はい、矯正」

背後から秋月にグイッと背中を押され、軍隊のような足取りで歩かされる。

一歩でも歩幅が乱れると「修正が必要ね」と腰に手を回される。

ふと横の茂みを見ると、ガサリと音がした。巨大な望遠レンズがこちらを覗いている。


「……記録。……秋月さんに調教……じゃなくて、歩行指導される先輩……超いい。保存容量、あと3テラしかない……今日中にパンクする」


「紬! お前、昨日から一睡もしてないだろ! 早く家に帰って寝ろ!」

叫んでも、紬はシャッター音を残して消えるだけだ。


学校に着いても、秋月の猛攻は止まらない。1限目が終わった瞬間、彼女は俺の席へやってきて、さっき書いたばかりのノートを検閲し始めた。


「この漢字の書き方、都会の癖が出ているわね。もっと丁寧に、10年前のあなたが書いていたような、素朴で力強い筆致を思い出しなさい。……無理ではないわ。私が直接、入力してあげる」

秋月は俺の背後に回り込み、俺の右手を自分の手で包み込んだ。


「……こうよ。指先に力を込めて。あなたの身体は、この村の一部なの。勝手な変化は許されないわ。……ふふ、少し脈拍が上がったわね。都会で失った『生の実感』、私の管理下で取り戻させてあげる」

手のひらから伝わる熱が、心臓まで響く。


クラスの連中も、この光景を「尊いもの」として温かい目で見守っている。一人で机に伏せていた都会の休み時間より、こうして強引に自分を書き換えられる方が、なんだか安心しちまう。俺、もう相当毒されてる。


しかし、その静寂をぶち壊す音が響いた。


「秋月さん! さっきから駆くんを独占しすぎだよ! 共有財産なんだから、私の筋肉とも触れ合わせて!」

教室の扉を蹴り破って、プロテインを片手に凛花が乱入してきた。


「あら、凛花さん。火曜日は私の管理日よ。彼は今、都会の毒を洗浄中なの。野蛮な筋肉を近づけないで。あなたの汗の飛沫が彼にかかったら、除菌作業が1時間増えるわ」


「なんですって!? 駆くんには私の汗と根性が必要なんだよ! ほら、駆くん、おんぶの時間だよ!」

火花を散らす二人を遮るように、廊下から黄金のオーラを纏った麗奈が執事を連れて現れた。


「おーっほっほっほ! お二人とも、お黙りなさい! 駆さんの『教育』に必要なのは、知性でも体力でもなく、圧倒的な『資本』ですわ! さあ駆さん、わたくしがヘリで取り寄せた『一粒万倍の金箔弁当』を召し上がれ! 庶民のノート検閲なんて放っておいて、わたくしが買い取った学校の屋上で、わたくしと優雅にランチを楽しみますわよ!」


「……不浄。……みんな……声が……うるさい……」

いつの間にか影から現れた零が、俺の首元に新しい「守り砂」の袋を押し当てた。


「……駆……。……みんな……あなたの『外側』しか見てない……。……私は……あなたの『心』を……呪術で繋ぎ止める……。……今夜……あなたの枕元で……一晩中、帰還の経を……唱えてあげる……」


「怖いよ!! お経とか一番勘弁してくれ!! 全員一回落ち着け!!」

結局、昼休みが終わるまで、俺の腕や足は四方八方に引っ張られ、フォアグラをねじ込まれ、お経を聴かされるというカオスな状況が続いた。


放課後、全ての行事を終えて(というか逃げるように)松田先生の家に戻ると、先生はリビングで優雅にビールを飲んでいた。


「お疲れ様、佐藤。秋月の教育、身体に効いたかしら?」


「先生……この村、本当に休憩時間がないんですね。共有財産って、24時間営業なんですか……?」


「そうよ。あの子たちは10年間、あなたがいない空白を『理想のあなた』を妄想することで埋めてきたんだから。それが今、本物が目の前にいるのよ? 全員、10年分の『空腹』状態なの。覚悟を決めなさい」

先生は俺をソファに座らせると、ポンと肩を叩いた。


「ま、今日はゆっくり休み。……といっても、窓の外の『視線』は消えないけどね」


窓の外を見ると、秋月が庭に新しいセンサーを設置し、紬のカメラのレンズが月の光を反射させていた。


都会のみじめな孤独なんて、もう思い出せない。

俺を飲み込もうとするこの狂気じみた愛が、重すぎて、苦しくて……けれど、もうこの重みがないと生きていけないような、奇妙な依存心が芽生え始めていた。


「……さあ、寝なさい。明日の水曜日は、紬による『全方位記録ライフ』よ。一瞬も、瞬きできなくなるわよ?」


俺は先生の家の畳の匂いの中で、深い眠りへと落ちていった。




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