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声のない世界の歌  作者: みえない糸


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第六話 落下

ミナは理解していた。


(もう、戻っても同じだ)


身体は限界に近い。


胸の痛み。

呼吸の乱れ。

皮膚の変色。


どれも、下層の子どもたちが辿った過程と同じだった。


何人も見てきた。


最初は、少しだけ動きが鈍くなる。

次に、呼吸が乱れる。

その次に、作業中に倒れる。


そして——


戻ってこない。


あるいは、戻っても数日で消える。


(順番が来ただけ)


それだけの話だった。


特別ではない。

例外でもない。


この世界では、それが“普通”だった。


ミナは海底で立っていた。


暗い。

静か。

変わらない景色。


(あと、何日)


考える。


三日。

もしかしたら、五日。


それ以上はない。


帰還しても、同じ。


白い部屋で、静かに終わるだけ。


誰にも触れられず、

誰にも見送られず、

ただ、ログとして処理される。


《対象消失》


それで終わる。


(それなら……)


思考が、自然に一つに収束する。


あの歌。


あの海溝。


あの“何か”。


(もう一回、聞きたい)


理由はない。


理解もできない。


だが、それだけがはっきりしている。


それを聞いて、終わる。


それでいい。


ミナはゆっくりと進路を変えた。


通常ルートから外れる。


深度を下げる。


さらに下へ。


《進路逸脱》

《帰還ルートを維持してください》


警告が流れる。


無視する。


《命令違反》

《是正を要求》


関係ない。


(もう、帰らない)


その思考が確定した瞬間、

身体が軽くなる。


迷いが消える。


ミナは、裂け目の縁に立った。


黒い。


底が見えない。


光も届かない。


ただ、沈んでいる。


(ここだ)


一度、呼吸を整える。


意味はない。

装備が補助している。


それでも、習慣として。


そして——


ミナは、自分の意志で踏み出した。


落下。


今度は、事故ではない。


選択。


身体が、ゆっくりと沈んでいく。


重力は弱い。


だが、確実に下へ引かれる。


何も掴めない。

何も止められない。


ただ、落ちる。


《異常行動》

《直ちに上昇してください》


通信が届く。


遠くから。


(もういい)


ミナは目を閉じない。


このまま、見ていたい。


暗闇。


何もない。


上下の感覚が消えていく。


どちらが上か、分からなくなる。


ただ、自分が“どこかへ移動している”ことだけが分かる。


時間の感覚も消える。


どれくらい落ちたのか。


一分か。

十分か。

それ以上か。


分からない。


《通信強度低下》


警告が弱くなる。


《……応答……確認……》


途切れる。


《……帰還……命……》


消える。


完全な無音。


完全な孤立。


(静か……)


それが、最初の感想だった。


怖くない。


むしろ、これまでで一番“余計なものがない”。


VRもない。

命令もない。

評価もない。


ただ、自分だけ。


(ここでいい)


身体の力が抜けていく。


抵抗をやめる。


流れに任せる。


落ちる。


どこまでも。


意識が薄れていく。


呼吸のリズムが崩れる。


酸素が減っている。


(もうすぐ……)


終わる。


そう思ったとき——


何かが、変わった。


暗闇が、わずかに揺らぐ。


光。


微か。


点のような。


最初は一つ。


次に、二つ。


三つ。


無数に増える。


(……?)


視界がぼやける。


だが確かに、そこにある。


白い粒。


ゆっくりと、漂っている。


雪のように。


だが、落ちているのか、浮いているのか分からない。


上下の感覚がない。


ただ、空間全体に満ちている。


(きれい……)


それが最初に浮かんだ感情だった。


死んだ海の底。


何もないはずの場所。


そこに、光がある。


微弱な発光。


マリンスノー。


死んだ生物の残骸。


分解されずに漂い続ける、有機物の破片。


それが、なぜか淡く光を放っている。


理由は分からない。


だが、その光が、海底を照らしている。


暗闇ではない。


静かな、淡い光の世界。


ミナの身体が、ゆっくりと着地する。


衝撃はほとんどない。


ただ、そこに“辿り着いた”。


(ここ……)


海底。


だが、これまでの場所とは違う。


光がある。


色がある。


静かに、揺れている。


ミナは、その光の中に横たわった。


身体が動かない。


力が入らない。


呼吸も浅い。


(もう……)


意識が遠のく。


だが、不思議と恐怖はない。


むしろ、穏やかだった。


(きれいだな……)


最後に、そう思う。


光が揺れる。


白い粒が、ゆっくりと流れていく。


まるで、世界が静かに呼吸しているように。


その中で、ミナの意識は再び沈んでいった。


だが——


今回は、まだ終わらなかった。

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