表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIはマスターの夢を見るか?2  作者: 結城 黒子
第3章 捜査線上
11/15

第2節-1 数字の向こう

「今日は午後から外出になる。打ち合わせの後、そのまま直帰するかもしれない」


 鞄に資料を入れながら、ひいらぎはスピーカーに向かって言った。端末で確認した打ち合わせの場所は、ここから電車で四十分ほどの県警本部。午後1時開始の予定だった。


「承知しました。戸締まりは通常通り行います」


 ヒルダの声が応じた。業務連絡として受理した、という以上の響きはない。柊は上着を取り、研究室のドアを開けた。廊下のリノリウムの床に、靴音が反響する。正面入口の自動ドアが開いて、外の空気が顔に触れた。四月の半ばにしてはまだ冷たい風だった。


 キャンパスの中庭を抜け、正門を出る。大学から最寄り駅までの道は、徒歩で十五分ほど。道幅の広い通りを真っ直ぐ歩けば、商店街の入口に出る。


 いつもの道だった。講義のない日に学外で打ち合わせがある時や、書店に寄る時に歩く道。歩き慣れた道のはずだった。


 商店街に入ってすぐ、柊は足を緩めた。


 角のドラッグストアの入口に、手書きの張り紙が貼ってあった。「自動精算機の不具合により、当面の間、有人レジのみでの対応とさせていただきます」。張り紙のインクは新しくなかったが、テープの端がめくれていて、何日か前から貼られたままになっているようだった。店の中を見ると、有人レジの前に五人ほどの列ができていた。昼前にしては長い列だった。


 ドラッグストアの自動精算機は、在庫管理と連動するTier 2のカスタムAIが制御している——と、柊は知識として知っていた。研究棟で見ていたニュースフィードの中に、同種のシステム障害の報告が増えていたからだ。Tier 2カスタムAIの異常停止。ヒルダが統計として処理していた数字の、向こう側にある風景が、これだった。


 歩きながら、商店街の通りを見る。パン屋の前を通り過ぎる。洋品店のシャッターが半分下りていた。隣のクリーニング店は営業しているが、受付カウンターの奥にあったはずの仕上がり品管理のモニターが消えている。代わりに紙の伝票が棚に挟まれていた。


 どれも、注意しなければ見落とすような変化だった。商店街は営業している。人は歩いている。店は開いている。ただ、あちこちで小さな手作業が増えている。自動だったものが手動に戻っている。それだけのことだと言えば、それだけのことだった。


 駅に着いた。改札を通り、ホームに上がる。電光掲示板の運行情報は正常に表示されていた。電車は時刻通りに来た。車内は空いていて、柊は座席に腰を下ろし、鞄から打ち合わせ用の資料を取り出した。


 資料の一枚目は、先週ヒルダがまとめたTier 2被害統計の更新版だった。件数の推移グラフ。折れ線が右上がりに伸びている。先週の時点で前週比三割増だった数字が、今週はさらに上がっていた。増加のカーブが直線から曲線に変わりつつある。加速している。


 柊はグラフの形を眺めた。研究棟の端末で見ていた時と、同じデータのはずだった。同じ折れ線、同じ数値、同じ分類。だが、街の様子を見た後で眺めると、グラフの一目盛りの重さが変わって見えた。この一目盛りの中に、どこかの店の自動精算機が止まったことが含まれている。どこかの病院の受付が手書きに戻ったことが含まれている。どこかの倉庫で、荷物の仕分けが人の手に戻ったことが含まれている。


 数字は数字だ。だが数字の向こう側に、人の手が動いている。


 電車が揺れる。窓の外を、住宅街の屋根が流れていく。柊は資料の次のページをめくった。




 県警のサイバー犯罪対策課が入っている建物は、駅から徒歩五分ほどの場所にあった。


 打ち合わせは一時間半ほどで終わった。出席者は先日の事情聴取に来た主任刑事と、その上席にあたる管理官、そしてAICS側の実務担当者が一名。柊は調査協力者として、研究棟の防壁ログの追加分析と、攻撃パターンの推移に関する技術的な見解を提供した。


 打ち合わせの中で、一つ気になる情報があった。


 管理官が被害状況の概要を説明する中で、「被害の分布に偏りが出始めている」と言った。これまでは業種も地域も散発的だった異常停止が、ここ数日で特定のクラウドサービス基盤を利用している事業者に集中し始めているという。基盤そのものに障害はないが、その基盤上で動作しているTier 2のカスタムAIが、選択的に影響を受けている。


 柊はその情報をメモに取った。特定の基盤に集中するということは、攻撃側が無差別に拡散しているのではなく、何らかの経路——共通のAPIか、共通のデータソースか——を利用している可能性がある。ヒルダが分析していた「何かの基準を知った上でその外側を通っている」パターンとの関連があるかもしれなかった。


 直接の質問はしなかった。調査協力者の立場で、捜査の方向性に踏み込むのは適切ではない。ただ、情報としては記録した。研究棟に持ち帰って、ヒルダと照合する材料になるかもしれない。


 打ち合わせが終わり、柊は建物の外に出た。午後3時を過ぎていた。空はまだ明るかったが、風が冷たくなっていた。


 帰りの電車の中で、柊は窓の外を見ていた。行きと同じ風景が、逆方向に流れていく。住宅街の屋根、高架下の駐車場、コンビニの看板。見慣れた郊外の風景。その中のどこかで、自動だったものが手動に戻っている。見えない場所で、小さな不便が積み重なっている。


 ヒルダの統計で見ていた数字のことを、考えていた。Tier 2カスタムAI。感情機能なし。代替可能。損害は経済的損失として計上。——そう分類されている存在が止まると、ドラッグストアに張り紙が出て、クリーニング店で紙の伝票が使われるようになる。代替可能だと言われているものが止まった時、代わりに動くのは人の手だった。代替しているのは、人間の方だった。


 最寄り駅に着いた。改札を出て、商店街を抜ける。有人レジの列は昼前よりは短くなっていたが、行きに見たドラッグストアの張り紙はまだ同じ場所に貼ってあった。


 大学のキャンパスに入り、研究棟が見えてくる。建物の外観はいつもと変わらない。正面入口の自動ドアが開き、廊下のリノリウムの床に靴音が響く。空調の低い駆動音が、壁の向こうから聞こえてくる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ