66. 崩壊
「そ、んな……、どうしてっ」
私は目の前が真っ黒になるような絶望感に襲われ、地面に座り込む。
目の前で、ルダニア王国を千年間守り続けていた結界石が砕け散る。
東西南北で結界石を起点に円を描いていた結界が、音もなく消え去っていくのを感じる。
魔獣を警戒していたみんなも、呆然とその光景を目にしていた。
大陸最後の砦。結界に守られたルダニア王国が瘴気に呑み込まれれば、もう人類に生きていける場所は存在しなくなる。
この世界に来て出会った人々が脳裏に浮かぶ。そして、辺境伯領で笑い合っていた人たちの笑顔も、お花をくれた幼い女の子の笑顔も。
「わ、私の、せい……?私、が……」
ルーカスに魔導書を渡さないために、出発を一日遅らせてもらった事があった。私の体調をみて、辺境伯領への旅路も休憩が多く入れられていた。
そのせいで……浄化が間に合わなくなってしまったのだとしたら……?
私のしたことは、この世界を滅亡へ導く事だった……?
私が、この国の人たちの未来を、奪ってしまった……?
ルーカスさんが守って来たこの国を、
私の、手で――
「わたし、が……」
指先から血の気が引き、全身が震える。息の仕方を忘れてしまったかのように、肺が凍りつく。息が、苦しい。
世界から色が失われ、全てが灰色に塗りつぶされていった。
周りの音が、水の中に沈んだみたいに遠くなる。
その時、耳元で叫ぶような声が私をかろうじて繋ぎ止めた。
「ミズキ!!」
必死に私を呼ぶルーカスと視線があう。
灰色の世界で、何よりも好きな翡翠の瞳の色だけが煌めいて見えた。
「俺を見て、ミズキ!」
強い声が、必死に私を引き留める。
目の前が歪む。
私は、この人の守ってきたものを、壊してしまった。
「ごめんなさい、ルーカスさん、……ごめ、なさ……っ」
壊れたように、謝罪を繰り返すことしかできない私の肩をルーカスが強く掴む。
「ミズキ!これは絶対に、ミズキのせいなんかじゃない!」
「でも、こんな展開、ゲームではなかったんです!私が、私が、浄化を遅らせたから……!」
「違う!!今までの聖女だって、現状を受け入れられずに浄化の旅への出発を何週間も遅らせてきた子はたくさんいた。ミズキは、むしろこれ以上ないほど迅速に動いてくれた。体が辛い中、誰より頑張ってくれていた。だからミズキが自分を責める必要なんてどこにもないんだよ」
「でも……」
「むしろ、責められるべきは今回の事を予想出来ていなかった俺たちだ。結界石がいくら神から贈られたものだとしても、所詮は物だ。どんなものだって、いつかは壊れる。千年間瘴気に晒され続けた結界石は、きっともう限界だったんだ。でも俺たちは、神から与えられた結界石に限界があるなんて考えてもいなかった」
「でも、じゃあ、どうすれば……」
頭の中が混乱して、もうまともに考える事が出来なくなっていた。結界が消えた今、瘴気はすぐにでもこの国へ侵入する。すぐに人に影響が出る訳でなくとも、確実にこの地は瘴気に汚染され、ひと月も経てばここは人の生きられぬ大地となってしまう。そうなったら……
「ーー俺が、歪みを消してくる」
ひゅっと、息を呑んだ。
恐れていたことが、現実になってしまう。
ゲームの中で、歪みと共に消えたルーカスの姿が重なり気が狂いそうな絶望感が襲ってくる。
だって、まだ歪みだけを別次元に転移させる魔術は完成していない。つまり、歪みを消すとはルーカスも共にどことも知れぬ次元に消えてしまう事を意味するのだ。
「や、です……やだ……いかないで……」
子供のように、自分の想いを泣き喚く事しかできない。
それでも、ルーカスを止めることが出来ないのは分かっていた。だって、彼はこの千年を、歪みを消すためだけに生きてきた。この国の人々を守るために生きてきた。
この国が瘴気にのみ込まれそうになっている今、ルーカスが自分の命を惜しむとは思えなかった。
「ミズキ、俺を見て」
思考が絶望に塗りつぶされそうになっていた時、私を包み込むような、酷く優しい声がかけられた。
私は、涙でぐちゃぐちゃな顔をそろりと上げる。
酷い顔をしているはずなのに、ルーカスはそんな私をこれ以上ないほど愛おしそうに見つめて私の涙を優しく拭った。
「ミズキ、俺はさ、ずっと歪みを消滅するためだけに生きてきた。そのためなら、命さえも惜しくなかった。……いや、むしろ、早く目的を遂げて死にたいとさえ思っていた」
ルーカスの言葉に、新たな涙が流れる。ルーカスの孤独を思うと、胸が締め付けられる。誰より苦しんできたあなただからこそ、誰より幸せになってほしかった。生きて、ほしかった。
そんな私を見つめるルーカスの表情が、ふわりと緩む。
「……でもね、今は死にたくないと思ってるんだ。君と生きたい。他の誰でもなく、俺が、ミズキを幸せにしたい。――ミズキの想いが、俺を生かしてくれているんだよ」
心から幸せそうな笑顔を浮かべたルーカスに、視界が歪んで瞳が溶けそうなほどに熱くなる。それ以上に、胸が熱くてたまらなかった。
「だからね、ミズキ。――俺は、帰ってくるよ」
真剣な翡翠の瞳が、私を真っすぐにとらえる。
「王都にいる間に、召喚魔法の陣の研究も瑞希の翻訳のお陰である程度完了した。もう少しで、別次元間での座標指定の魔術も編み出せる。……たとえ、歪みと共にどこへ飛ばされたとしても、どれだけ時間がかかったとしても。絶対に、俺はミズキの元へ帰ってくる」
「ルーカス、さん……」
命の息吹を感じる春の新緑のような翡翠の瞳に灯る決意の光に、私はグッと唇を噛む。
そして、私もまた真っすぐにその瞳を見つめて、ゆっくりと頷いた。




