65. 南の結界石
翌日、辺境伯領の人たちに見送られ、私たちは南の結界石の浄化のために結界の外へと足を踏み入れた。
今までの結界石の浄化で向かった森と比べて、南の地はやはり瘴気の影響が大きいのか、闇の気配が濃く空気が重いような気がした。まるで、この場所そのものが私たちを拒絶しているかのようだ。
「ミズキ、疲れたならすぐに言ってね。すぐに休憩にするから」
「ずっと聖女を抱えておいて疲れたもなにもないんじゃないか?」
ローグのツッコミにも、ルーカスはどこ吹く風で私を軽々と抱いたまま足場の悪い森の中を歩いて行く。
しばらくして、茂みがガサリと揺れた。
目を向けた瞬間、オオカミのような魔獣が目前に飛び出してくる。
それは低く唸り声を上げ、私たちへ向かって地を蹴った。
私がびくりと肩をすくませた、その時――。
「大丈夫」
耳元で、酷く穏やかな声がした。
ルーカスは私を抱く腕に力を込め、パチリと指を鳴らす。
その瞬間、魔獣の体が炎に包まれた。
それは燃え上がるというより――内側から、炎に呑まれているよう。
断末魔すら上げる余裕もなく、魔獣は灰となって崩れ落ちた。
「…………なにが攻撃魔術は苦手、だ。お前、どれだけの力を隠してたんだ」
皆が驚いたように目を見開いている中、ヴァルトが眉間をもみながら呆れたような声を出した。
「はは、ミズキを怖がらせる訳にはいかないでしょう?――ミズキ、大丈夫?怖くなかった?」
なんでもないことのように私の心配をするルーカスに、私は小さく耳打ちする。
「ルーカスさん、魔術の実力を隠さなくてもいいんですか?」
ルーカスはエルフであるという事を隠すために、人前では魔術の実力を隠していたはずだ。心配してそう聞けば、ルーカスは迷いない笑顔で言い切った。
「いいんだ。大切なものを守るために、もう力の出し惜しみなんてしないって決めたからね」
「ルーカスさん……」
そうして、ルーカスの圧倒的な魔術のお陰で私たちは危険な目にあうこともなく南の結界石まで辿り着くことができた。
「これが、最後の結界石……」
森の中の木々がぽっかりと空いたところに佇む巨大な結界石。瘴気の影響を受けてだろう、他の結界石と同じように内側に濁った黒い霧のようなものが渦巻いている。
リヒトとローグ、マイク、ヴァルトが周りを警戒する中、共に結界石に近づいたルーカスが一瞬足を止め、かすかに眉を寄せた。
「……闇が、濃い……」
「え?」
ルーカスの言葉に、私はじっと目の前の結界石を見つめる。しかし、初めて南の結界石を見る私にはその違いが判らなかった。
「……気のせいだったらいい。けど、瘴気の影響が今までより上がっている気がする。俺の側から離れないで」
「は、はい」
ルーカスは、今までずっと歪みと瘴気について研究してきた。そのルーカスの言葉に、私は十分に注意しながら結界石に近づいた。
(この浄化が終われば、ルーカスさんと一緒にあの隠れ家に戻るんだ。そうして、また一緒に空間魔法を研究して……。いつか、きっと誰も犠牲にならずに歪みを消滅する方法も見つけられる。そうしたら、やっとルーカスさんも自分を責めることなく心から笑うことができる。そんなルーカスさんの笑顔を、私は見たい)
強い願いを込めながら、私は結界石に手を伸ばした。
緊張のせいか、その場の空気が不自然なほどに静まり返っているように感じる。
風の音すら、消えた気がした。
私はそっと震える息を吐いて、目の前の結界石に光の魔力を流し込んだ。
これまでと同じように、瘴気が浄化されていく感覚。
(大丈夫、いつも通り……)
そう思ったその時、ゾワリと背筋をなぞるような悪寒が襲った。
まるで、こちらを拒絶するように魔力が行き場をなくして霧散する。
結界石の中の瘴気の闇が、突然ブワリと膨れ上がるようにその質量を増した。
そして、
ヒビが――走る。
「……え……?」
あり得ない光景に、思考が止まる。
次の瞬間――。
パリンッッ!!!
耳を塞ぎたくなるような音が、遅れて私の耳に届く。
(な、に……?何が、起きたの……?)
理解が、全く追いつかない。
「――ミズキっ!!」
気がついた時には、私は焦燥をみせるルーカスに庇うように後ろから抱き寄せられていた。
その腕の中で、私は何もできず見ていることしかできない。
目の前で、今――結界石が、無惨に砕け散っていく。




