5話
昨日は町の中央付近を色々と見て回ったので、今日は南側の様子を調べようと思い、朝から移動を開始した。
歩き始めてから、すでに2、3時間ほどが経過している。
ここまでは特に変わったものはなく、町の中央から南側にかけての大まかな地形も大体分かった。
そして、今は遠くに青く広がる海と、ズラッと並ぶ多くの漁船が見えていた。
「おお……きれいな景色だな」
この町は南側に海があると聞いていたが、実際に目にすると、やはり気分が違う。
このまま海岸まで行ってみるのも悪くない。
そう思ってしばらく歩くと、何やら大きな建造物が建っているのが見えた。
「何だあれは……?」
俺は思わず足を止め、前方を凝視した。
高台の上に、巨大な門が建てられている。
「……いや、でかすぎだろ」
思わず呟いた。
遠くから見ているだけなのに、その大きさがはっきりと分かる。
左右にそびえる石造りの柱。
その上に架けられた、巨大なアーチ状の構造物。
細部までは確認できないものの、表面には複雑な装飾が施されているようだった。
まるで、古代の遺跡か何かを思わせる威圧感がある。
なぜあんな場所に門があるんだ?
観光名所か何かか?
この町は英雄育成機関があることで有名らしいし、歴史的な建造物があってもおかしくはない。
しかし、どうにも気になる。
俺は目を細め、門の周辺を観察した。
門の前には何台かの馬車が止まっている。
その周囲には、武装した人間が何人も立っていた。
観光客という雰囲気ではない。
馬車から降りた商人らしき男たちが、門衛と思われる男に書類のようなものを見せている。
門衛はそれを確認し、何やら質問をしているようだった。
やがて、何らかの確認が終わったらしい。
門衛の一人が合図を送ると、商人たちは再び馬車に乗り込み、ゆっくりと門へ向かっていく。
「……ん?」
俺は首を傾げた。
何をしているんだ?
門をくぐるだけなら、あんなに厳重な確認をする必要はないだろう。
そもそも、あの門の向こう側には何がある?
この位置から見る限り、門の先には崖しかないはずだ。
道が続いているようにも見えない。
なのに、なぜ馬車を通しているのだろう。
少し離れた場所で立ち止まり、俺はその様子を見守った。
すると、先頭の馬車が門の中へと進んでいった。
その瞬間だった。
「……は?」
馬車が門の内側へ入った途端、その姿がすっと消えた。
まるで、最初からそこに存在していなかったかのように。
続いて、二台目。
三台目。
馬車に乗っていた商人たちも、馬も、荷物も、何もかもが門の中へと吸い込まれるように消えていく。
「えっ!?転移門!?」
俺は思わず声を上げた。
数台あった馬車は、あっという間にすべて姿を消した。
そして、最後の馬車が消えてから間もなく、門の周囲は再び静かになった。
まるで、今の出来事など何もなかったかのように。
「…………」
俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
転移門。あるいはゲート。
ゲームの中では、何度も見たことがある。
遠く離れた町へ一瞬で移動できる便利な施設だ。
ただし、ゲーム内の演出として見慣れていたものと、実際に目の前で起きる現象とでは、まるで印象が違う。
馬車が、目の前から消えたのだ。
人間も、荷物も、馬も。
それらすべてが、何の前触れもなく。
「……マジかよ」
口から出たのは、そんな間の抜けた言葉だった。
まさか、現実の世界でも当たり前のように転移できる装置が存在するとは思わなかった。
あれほどの規模の装置を維持するには、一体どれだけの技術や魔力が必要なのだろう。
そもそも、どこへ転移しているのか。
門の向こう側に別の施設があるのか、それとも遠く離れた別の町へ直接つながっているのか。
考え始めると、疑問が次々と湧いてくる。
「……技術レベルは前世以上なのか?」
思わず、そんなことを考えてしまった。
俺が前世で暮らしていた日本には、当然ながら、こんなものは存在しなかった。
新幹線や飛行機を使えば遠くへ移動することはできるが、あくまで物理的に移動しているにすぎない。
目の前から一瞬で消えるようなことはない。
そう考えると、少なくとも魔法や転移技術に関しては、前世の科学技術をはるかに超えているのかもしれない。
いや、待てよ。
そう単純な話でもないか。
あの商人たちが乗っていたのは、トラックでも自動車でもなく、あくまで馬車だった。
道路を走る車も見かけていないし、機械仕掛けの便利な道具が町中に溢れているわけでもない。
転移という一分野だけが突出して発達している可能性もある。
科学技術と魔法技術は、そもそも発展の仕方が違うのだろう。
「……まあ、考えても分からないか」
俺は小さく息を吐いた。
実際に使ってみれば、何か分かるかもしれない。
いや、そもそも使えるのだろうか。
あれだけ厳重に管理されているのだから、誰でも自由に利用できるとは思えない。
だが、気になるものは気になる。
せっかくここまで来たのだ。
遠くから眺めているだけで帰るのも、少しもったいない気がする。
俺は好奇心に負け、門へ近づいてみることにした。
◇◇◇
近くまで来ると、門の巨大さがさらに際立った。
見上げると、首が痛くなりそうなほど高い。
石造りの柱には細かな紋様が刻まれており、その表面には淡い光を帯びた文字のようなものも見える。
魔法陣の一部だろうか。
門の内側には、薄い膜のようなものが揺らめいていた。
空気が歪んでいるようにも見える。
これが転移の仕組みなのかもしれない。
「凄いな……」
俺は思わず感嘆の声を漏らした。
ゲームの知識があるとはいえ、実物を前にすると圧倒される。
これを作った人間は、一体どれほどの技術を持っていたのだろう。
そして、どれほどの年月をかけて完成させたのか。
考えているだけでも、興味が尽きない。
もう少し近くで見てみたい。
そう思って一歩踏み出したところで、門衛の1人に声をかけられた。
「町を出るんですか?」
「……え?」
何人かいる門衛の中でも、比較的若い男だった。
鎧を身につけ、腰には剣を差している。
表情は穏やかだが、こちらの動きを注意深く見ているようだった。
「ああ、いえ……」
俺は一瞬、返答に迷った。
別に町を出るつもりはない。
ただ、門がどんな仕組みになっているのか気になっただけだ。
「この門が、どんな技術で動いているのか気になって見に来ただけです」
できるだけ自然な口調で答える。
門衛は俺の顔を見て、それから門へと視線を移した。
「見るだけなら構いませんよ。ただし、調査は駄目ですからね」
「……調査?」
思わず聞き返してしまった。
調査というのは、具体的にどこまでを指すのだろう。
門を触ったり、内部を調べたりすることだろうか。
それとも、仕組みについて詳しく聞くことさえ許されないのか。
「なぜダメなんですか?」
「さあ、それは私にも分かりません。上の方針なので」
門衛はあっさりと答えた。
どうやら、詳しい事情までは知らされていないらしい。
まあ、重要施設なら、情報を制限するのも当然か。
それにしても、見るだけならいいというのは少し意外だった。
俺は改めて門を見上げた。
「ちなみに、誰でも気軽にこの門を使って移動できるんですか?」
「え?それはできませんよ。ここはこの町の最重要施設ですから、入るにも出るにも、所定の書類が必要です」
「最重要施設……」
なるほど。
やはり、ただの観光名所ではないらしい。
それにしても、町の最重要施設が、こんな場所に設置されているとは。
俺は門の向こう側へと視線を向けた。
薄い膜のようなものが、相変わらず揺らめいている。
一度でいいから、あの向こう側がどうなっているのか見てみたい。
「……どんな書類が必要なんですか?」
純粋な好奇心から、そう尋ねた。
門衛は少し不思議そうな顔をした。
「……来るときに説明されてますよね?入場時の申請書と、退場時の申請書ですよ」
門衛はわずかに怪訝そうな表情を浮かべた。
「……あ」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
「ええ、そうでしたね」
俺は曖昧に笑って誤魔化した。
まさか、そんな制度があるとは知らなかった。
いや、正確には、そこまで厳格な制度だとは思っていなかった。
町の中央を歩いているときは、そんな話を耳にしなかったからだ。
そもそも、俺はどうやってこの世界に来たのか分からない。
入場手続きなどは当然していない。
「ちなみに、申請書をなくした人はどうしているんですか?」
俺は何気ないふりをして尋ねた。
単純に気になったということにしておけば、不自然ではないだろう。
門衛は少し考えるような仕草をしてから答えた。
「中央の施設で再申請をしないといけません。ですが、大変ですよ」
「大変、というと?」
「事細かに説明を求められた上で、相当詰められるでしょうからね。いつ、どこで、何をしていたのか。なぜ書類をなくしたのか。そういったことを、細かく確認されるそうです」
「……なるほど」
俺は平静を装いながら頷いた。
どうやら、書類をなくしただけでも簡単には済まないらしい。
厳しい制度だな。
まあ、重要な施設を利用するための書類なのだから、管理が厳重なのは当然なのかもしれない。
だが、それなら一つ気になることがある。
「面倒だからといって、申請書を適当に作って通ろうとする人もいるんじゃありませんか?」
「それはめったにありませんよ」
門衛は少しだけ表情を引き締めた。
「そんなことをしたら死刑ですから」
「し、死刑ですか……?」
思わず声が裏返りそうになった。
いやいやいや。
そこまで重いのか。
申請書を偽造しただけで死刑?
この世界の法律が厳しいのか、それとも、この町の制度が特別なのか。
俺には分からない。
だが、門衛の口ぶりからすると、冗談で言っているわけではなさそうだった。
「ええ。この町は出入りの管理が世界で一番厳しいんです。この町の出入り口は、ここだけですからね」
「…………」
俺は言葉を失った。
出入り口は、ここだけ。
その言葉が、妙に重く響いた。
つまり、この町に出入りする人間は、原則として全員、この門を通らなければならないということだ。
そして、通る際には書類の確認が行われる。
それなら、誰がいつ町に入ったのか、誰がいつ町を出たのか。
すべて記録されていても不思議ではない。
「……他の国の人が、海から船で来たりはしないんですか?あるいは山の方からとか」
俺は気になっていたことを尋ねた。
南側には海がある。
北側には山がある。
それなら、船や山の向こう側から直接この町にやってくる人間がいてもおかしくないはずだ。
時間はかかるかもしれないが、別にこの門を利用しなくてもいいんじゃないか?
しかし、門衛は首を横に振った。
「私も初めはそう思いました。ですが、この町ができて三百年余りの中で、過去に一度もそんなことは起きていないそうです」
「……一度も?」
「ええ。不思議ですよね」
「……不思議ですね」
俺は曖昧に頷いた。
三百年以上。
その長い歴史の中で、この転移門以外からこの町に来た人間が一人もいない。
そんなことが本当にあり得るのだろうか。
この周辺の海域そのものに、何か特別な仕組みがあるのか。
あるいは、この町自体に近づくことができないようになっているのか。
いくつもの可能性が頭に浮かんだが、今の俺には確かめようがなかった。
「離れて見るだけなら構いませんので」
門衛はそう言って、再び持ち場へと戻っていった。
俺はその背中を見送りながら、しばらく黙り込んでいた。
さっきまで、俺の頭の中は転移門への好奇心でいっぱいだった。
どんな仕組みなのか。
どこへつながっているのか。
自分も利用できるのか。
そんなことばかり考えていた。
だが、今は違う。
別の問題が、頭の中を埋め尽くしていた。
「…………」
俺はゆっくりと、自分の置かれている状況を振り返った。
この町の出入り口は、ここだけ。
入場時と退場時には、申請書が必要。
そして、その管理は厳重で、偽造すれば死刑。
さらに、三百年以上もの間、海から侵入した者はいない。
つまり、この町にいる人間は、ほぼ例外なく、正式な手続きを経て入ってきた人間ということになる。
……まずい。
これは、かなりまずいぞ。
俺は思わず額に手を当てた。
そもそも、俺はこの町にどうやって来た?
いや、正確には、この世界に来てから、気がつけばこの町にいたのだ。
当然、入場申請などしていない。
申請書を受け取った覚えもなければ、門を通った覚えもない。
そもそも、俺はこの町に来るまでの経緯を、まともに説明できないのだ。
そんな人間が、この町の最重要施設の前に立っている。
もし、何かのきっかけで身元を調べられたら?
入場記録を確認されたら?
俺が正式な手続きを経ずに、この町へ入り込んでいることが発覚したら?
「…………」
嫌な想像ばかりが浮かんでくる。
さっきの門衛は、俺を見ても特に不審には思っていなかった。
今のところ、何かを疑われている様子もない。
だが本格的な調査が始まれば、どうなるか分からない。
この町の管理体制が、俺の想像以上に厳しいことは分かった。
そして、俺にはその管理をすり抜けるための書類も、説明できる経歴もない。
「……どうしよう」
思わず、声が漏れた。
転移門の仕組みを知りたい。
そんな軽い好奇心から近づいただけだったのに。
まさか、自分が町にいることそのものが問題になりかねないとは思わなかった。
俺は改めて、巨大な門を見上げた。
先ほどまでは、ただただ圧倒されていた。
だが、今ではまるで、町の外へ出ることを許さない巨大な檻のように見える。
もちろん、実際には違うのだろう。
ここは英雄を育てるための町であり、世界中から人々が集まる場所なのだから。
それでも、今の俺にとっては、笑い事ではなかった。
入場記録がない。
その事実が知られれば、死刑になる可能性すらある。
「……とりあえず、余計なことはしない方がいいか」
俺は小さく呟いた。
今すぐ何かできるわけではない。
下手に騒いで、自分から不審な人間だと名乗り出るような真似をする必要もないだろう。
まずは落ち着くことだ。
焦って行動すれば、かえって事態を悪化させるかもしれない。
俺は一度深呼吸をして、門から少し距離を取った。
そして、来た道を振り返る。
「この町から出たくても出られないな……」
そう呟いて、俺は来た道を戻り始めた。
この町は、俺が思っていた以上に特別な場所なのかもしれない。
やっぱり町を調べに来てよかった。




