2話
目を覚ますと、知らない天井があった。
「……?」
俺はしばらく天井を見つめていた。
白い。
木製の梁が走っている。
見慣れない。
少なくとも、俺の部屋ではない。
「……ここ、どこだ?」
身体を起こす。
ベッドだった。
妙に硬い。
というより、布団の感触までリアルすぎる。
「……まだログイン中なのか?」
そう呟いて、視界を操作する。
いつものメニューを開こうとした。
——何も出ない。
「……あれ?」
もう一度。
メニュー。
ステータス。
ログアウト。
どれも表示されない。
「おいおい……」
嫌な汗が背中を伝った。
昨日、俺はゲーム「エンド・オブ・ワールド」にログインした。
サービス終了の日だった。
訓練施設でいつものようにNPC兵士をしごいて。
最後に宿屋へ戻った。
そして今。
「……まさか」
俺はベッドから降りて、鏡を探す。
部屋の端にある机の上に、小さな鏡が置いてあるのがすぐに分かった。
急いで鏡を手に取り、自分の顔を確認する。
映っていた顔を見て、息を飲んだ。
黒髪。
鋭い目つき。
よく知っている顔。
「ジス……」
俺がゲームで使っていたキャラクター。
その顔が、鏡の中にあった。
「……嘘だろ」
鏡を持つ手が震える。
足の裏に床の冷たさが伝わった。
妙にリアルだ。
窓へ近づき、カーテンを開ける。
「……」
街が見えた。
石造りの建物。
行き交う人々。
その向こうには巨大な城壁。
「……こんな街、ゲームにはなかったぞ」
それに、歩いている一人一人が、NPCに見えない。
話し声。
笑い声。
パンを売る店員。
子供を叱る母親。
犬のような変な動物までいる。
俺は自分の頬をつねった。
「痛っ」
夢じゃない。
頬を叩く。
「痛い」
もう一度。
「痛い!」
何をやっているんだ俺は。
だが、そんなことをしている場合じゃない。
とにかく外へ出よう。
まだゲームイベントの可能性がある。
そういえば昨日、緊急アップデートの通知が来ていた。
もしかしたら、何か大規模な変更でもあったのかもしれない。
この場所は新しく追加された新領域なのか?
確認しなければ。
そう思い、俺は部屋を出て階段を降りる。
宿屋の主人らしき男が、こちらを見た。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「あ、はい」
普通だ。
あまりにも普通。
俺は宿屋を出た。
そして——
「貴様」
「……はい?」
目の前に、巨大な男が立っていた。
身長は2メートル近い。
分厚い肩。
鍛え上げられた腕。
顔には古い傷が走っている。
「……」
凄い怖い。
「貴様、初日からなんてことをしてくれたんだ」
体がビクッと反応する。
本来の俺は小心者だ。
「何のことでしょうか?」
「とぼけるな」
男が一歩近づく。
「貴様が担当した訓練で、3人が死んだ」
「……?」
一瞬、意味が分からなかった。
「さらに2人が片腕を失い、1人は片足を失った」
「……」
「他にも重傷者がたくさんいる」
「……」
男の目が俺を睨みつける。
「なぜあんな無茶苦茶な指導をした?」
「いや、何のことか分からないんですけど……」
俺は何もしていない。
「知らないふりをする気か?」
「いやいや、知らないふりではなく、本当に知らな……」
そこで言葉が止まった。
頭の中に、昨日の光景が蘇る。
腕立て伏せ。
剣術訓練。
俺に向かってくる兵士たち。
何度倒しても立ち上がらせた。
そして最後。
誰も立てなくなった。
「……」
あれはゲームだ。
そう、NPCだ。
俺が何をやっても死なない。
そういう設定だった。
「貴様!」
胸ぐらを掴まれた。
「英雄候補を三人も殺しておいて、何を呆けている!」
英雄候補?
どうしたら弁明できる?
どうしたら誤解を解ける?
私は誰も殺してなんかいません、と丁寧に言おうとした————が、
「あいつらが弱すぎたから死んだんだ」
俺の意図とは全く違う言葉が口から出た。
「何だと……?」
大男の眉間のシワがさらに深くなった。
俺自身も固まった。
今のは違う。
「いや、今のはそういう意味じゃなくて……」
「貴様……」
男が俺の胸ぐらをさらに強く掴む。
「死んだ者の家族の前でも、同じことが言えるのか!?」
「……」
言えない。
言えるわけない。
そもそも、俺は彼らを殺したと思っていない。
昨日まで、あいつらはNPCだった。
何度ボコボコにしても翌日には全快している。
俺が剣で斬っても死なない。
そういう設定だ。
「来い」
「どこへ行くんですか?」
「修練場に決まってるだろ」
「いや……」
怖いから断りたい。
「来い!」
と腕を掴まれた。
そして引っ張られる。
「ちょ、ちょっと!」
「黙って歩け!」
「いや、だから話を——」
「黙れ!」
「……」
まずい。
本当にまずい。
何がどうなっている?
そんなことを考えながら町を歩く。
すれ違う人々が俺を見る。
誰もが何かを囁いている。
「あれが……」
「例の教官?」
「初日の指導で3人も死なせたって……」
「英雄候補を……」
胸が締めつけられる。
「……違う」
思わず呟いた。
「俺は、そんなつもりじゃ……」
すると、前を歩く男が振り返った。
「そんなつもりじゃなかった?」
「……」
「なら何のつもりだった?」
答えられない。
ストレス発散。
ゲームだから。
NPCだから。
そんな言葉、この状況では何の意味も持たない。
宿から見えた城壁をくぐり、しばらく歩くと修練場に着いた。
中に入った瞬間、俺は足を止めた。
「……」
石造りの広い場内。
武器置き場。
壁。
地面。
いつものゲーム内の訓練場——
ではない。
だが似ている。
どことなく、雰囲気が。
修練場の隅に目をやると、担架が並べられているのが分かった。
3人の顔の上に白い布がかけられている。
「……」
足が震えた。
その横には、生きている者もいた。
腕を包帯でぐるぐる巻きにされた男。
片足を失い、松葉杖を抱えている男。
そしてもう一人は、肩から先がなかった。
「……」
俺は何も言えなかった。
昨日。
俺は彼らを何度も斬った。
倒して。
立たせて。
また斬った。
死なないと思っていたから。
ゲームだから。
「……ジス教官」
声がしたから振り返る。
片腕を失った男が、俺を見ていた。
やはり違う。
いつも俺が指導していた兵士ではない。
でもなぜか俺がしでかしたことになっている。
「私は田舎に帰ったほうがいいでしょうか」
その目には、恐怖があった。
俺に対する恐怖だ。
でもなぜか——
ほんの少しだけ、怯えながらも、敬意のようなものも感じられた。
「……」
な、何か言わなければ。
そ、そうだ。
謝らないと。
私がしたことなら謝らないと。
しかし。
「何だ、その腑抜けた顔は」
「……」
まただ。
口が勝手に動いた。
「貴様、腕を失ったくらいで俺に情けない顔を見せるな」
言ってから、血の気が引いた。
隣に立っていた大男に顔を向ける。
眉間にシワが寄っている。
俺は内心頭を抱えた。
片腕の男は顔を俯かせる。
「……ジス教官」
男が少し顔を上げた。
だが私の目は見ていない。
「何だ?」
「本日の訓練は……昨日と同じような内容なのでしょうか……」
青ざめた顔でこちらの顔を伺う。
「何が言いたい?」
「昨日教官が言っていました。これくらいのことができないなら国なんか守れないと……」
「……」
言ったかどうかすら分からない。
いつも勢いで叫んでいるから。
こいつらはNPCじゃない。
れっきとした人間だ。
痛みを感じる。
腕を失う。
最悪死ぬ。
昨日の俺の行為は酷すぎた。
謝ろう。
素直に謝ろう。
「泣き言を言う暇があるなら、腕を動かしたらどうだ?まだ一本あるじゃないか」
自分の口から出た言葉に、俺は絶望した。
頭で考えていることとは違う言葉が出る。
この口はもう、止まらない。
「もっと死ぬ気で鍛えろ!」
違う!
「貴様らは国を救いたいんだろう!」
やめろ!
「死んでないのに諦めるな!この腰抜けが!」
やめろって言ってるだろ!
俺自身が叫んでいる。
なのに。
悪役教官としての言葉だけが、次々と口から飛び出していく。
「お前がこんな根性なしだとは思わなかった!」
「お前も殺しておくんだった」
「そんな情けない顔をしている暇があるなら——」
やめろ!
俺は自分の口を手で塞いだ。
ようやく止まった。
息が荒い。
周囲は静まり返っていた。
「……」
この場にいる者の視線を一身に感じるが、誰も声を出さない。
ただ、強面の教官だけが俺を睨んでいる。
「貴様、ふざけているのか?」
「いや……」
「では何だ?」
「……」
どうやって自分の行動を抑えればいいか分からない。
自然と横暴な態度を取ってしまう。
昨日までなら、全部ゲームだった。
どれだけ無茶をしても。
どれだけ斬っても。
どれだけ怒鳴っても。
全部、翌日には元通りだった。
でも。
ここでは違う。
腕を失った者がいる。
足を失った者がいる。
死んだ者がいる。
強面の教官が低い声で言った。
「貴様はクビだ」
「……」
「貴様が教官採用試験に受かったのは、何かの間違いだ」
「……」
そりゃそうだ。
修練生を殺しているからな。
ここは現実。
もう教官なんてできるわけがない。
だが口は勝手に動く。
「貴様らァ!いつまでボサッとしている!」
「このデカイだけの男にビビってるのか!?」
「こんな木偶の坊ぐらい、さっさと倒せるようになれ!」
俺は内心青ざめる。
そんな中、修練生たちは少しずつ立ち上がり、俺の周りに集まり始めた。
「今日は自分の限界が来るまで走れ!」
「俺はクビだからもう何も教えられん!」
「……」
修練生からの返事はない。
俺は震える手で胸を押さえた。
俺はもう……悪役教官の役割は無理かもしれない。
心が痛い。
だが。
俺の意思とは関係なく。
口元が、ニヤリと笑った。
「今日から全員、死ぬ気で特訓しろ!手を抜けば殺す。どこに逃げようが、必ず見つけ出して殺してやる!ここで甘えは許されない!」
修練場に、今日一番の声が響き渡った。
「1年以内にこの男を殺せ!それができれば、この俺がまた指導してやる!」
大男が信じられないような顔でこちらを凝視していた。
もちろん、俺も自分の発言が信じられない。
俺の悪役ロールは止まらない。




