愛に埋もれる哀樹―③―
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「おい、ブルース!?」
「来るな!!」
ジュリアを庇ったロックが、石畳に叩きつけられた男に駆け寄ろうとするが、本人から制された。
狐の毛並みを思わせる髪の男が、天空を見据える。
紅い外套のロックに釣られ、ジュリアも空を見上げた。
「あらあら……もう地上が恋しくなったのかい、色男?」
アルトの蔑む声が、雨と共に降り注ぐ。
雨雲覆うリリーゲイトの夜空一面を覆わんとする、銀鏡の両翼。
夜の闇を切り裂かんほどの、銀鏡の光を放つ大きな爪の付いた両脚部。
銀鏡に覆われた猛禽類の部分から、黒いロックバンドのTシャツを纏った女性の上半身があった。
「おい……鳥女、バーベキューにしてやるよ? 味付けの好みはあるか?」
「はは!! そっちの、紅いのが……緑のコートの色男よりも、骨がありそうだね!!」
アジア系の黒髪と瑞々しい肌の女の黒眼が、猛禽のそれとなる。
「おいおい…目移りが激しいな、お嬢ちゃん?」
ブルースの不敵な一言に、お嬢ちゃんと呼ばれたアジア系の女が、ロックから視線を変える。
「目移り……? 『目移りするな』ってのが無理さ……こんな力を持って、アンタ等を地べたに這いつくばらせる程の力を手に入れ、無能な街の連中の無様を見られるんだからね!!」
両翼合わせて二メートル程の幅を広げ、瑞々しい肌と黒シャツのコントラストの女が見下ろす。
輝く眼は宝石というよりは、磨き上げられた鉛の武器を思わせた。
「ジェイド!!」
獰猛な輝きを放つ、天空の"女禽"に、ジュリアはその名前を放った。
呼ばれることを想定していなかったのか、ジェイドと言われた"女禽"が首を傾げる。
彼女の双眸にロックを押し退けて、地上から睨め付けるパーカー姿のジュリアが映っていた。
「……あらあら、ジュリア。アンタまだ生きてたのかい? くだらない街の連中――」
「黙りなさい、卑怯者ジェイド!! 力を得たとか言っていて、結局あなた達は自分の力で立ち上がろうとせず、他者はおろか自分すらも認められない"臆病者"よ!!」
毅然としたジュリアの射抜くような目線が、武器の獰猛さを思わせる輝きのジェイドを戸惑わせる。
夜空を覆う雨雲で大きく広げた翼が、収まりそうになる。
「うるさい!! 誰も分かってくれない!! 私たちの苦しみを……街の連中は誰も――」
「クリスティは、あなた達にも手を差し伸べようとした!! あなた達のことも考えて心を痛めていた!! アンタ等はカウンセリングもサボり続け、自分に向き合おうともせず、"世界"を拒み、周囲から孤立して、殻に籠り続けて、お互いの傷を舐め合うだけ!!」
優越感に浸っていたジェイドの眼つきの鋭さが増す。
ジュリアの言葉に反論しようとするが、
「あなた達の様な、救いようのないクズにクリスティは殺された!!」
ジュリアの腹から出た一言で、自身に秘めた闘志の炎が灯った。
――確かに、こんな夜……信じられないことが多かった!!
植物に覆われた人間達に追い回され、不思議な力を使う外套を覆った青年たちに助けられた。
――それでも、それでも!!
銀鏡の異形となり果てた少女に、屈してはいけない。
ジュリアは、背負っていた"ソードオフ散弾銃"を向ける。
突風がジュリアの頬を撫でる頃には、ジェイドが既に肉迫していた。
ジュリアの身体を衝撃で粉砕する前に、苔色の颶風がジェイドの突進を遮る。
「ジュリア、その気概……好きだぜ!!」
ブルースが賛辞と共に、半月に反った双刀を交差させた斬撃で、女禽のジェイドを退ける。
双子の斬光と共に、ブルースの眼光もジュリアとロックを捉えた。
「ジュリア、逃げるぞ!!」
ロックに前から抱えられると、石畳の舗装が弾け飛んだ。
前からロックの右腕に抱えられたジュリアは、樹木に覆われた人間の大群――"グリーン・マン"を見る。
連合王国軍の記章を付けた迷彩服を纏い、右手に銃を手にしていた。
その中には、男女問わず警官の姿も見える。
拳銃、軽機関銃、突撃銃に携帯型騎兵銃が、多種多様な植物から成った果実を思わせる。
彼らがジュリア達を視認すると、銃花が雨夜に咲いた。
「救助に来ていた軍人たち!?」
「ついでに言うと、ここの警官達もいるな!!」
ジュリアとロックが、植物の操り人形から逃げるが、
「ロック、スクーターは――」
ロックの向かう方角は、先ほど乗り捨てたスクーターとは正反対の方向だった。
「舌を噛むなよ?」
ジュリアの異議は、急に訪れた突風に遮られる。
ふと訪れた浮遊感と疾走感が、ジュリアに重力として掛かった。
漸く、自分がロックに抱えられていることに、ジュリアは気づいた。
しかも、街中の路地を見下ろせるほどの高さまで、飛翔している。
ジュリアは、目の前の状況に混乱した。
――ちょっと、どうなってるの!?
心の中で叫びたいが、ロックの速さは『自分の運転していたスクーター以上』出ていたのか、突風で声が出ない。
二人の側を駆ける銃弾が、瓦礫の市街の店舗や舗装を抉った。
またある銃弾は、二人の跳躍を掠らず、雨雲に消えて行く。
――あれ……狙いが?
襲撃者の銃撃は、ジュリア達を掠りもしない。
それどころか、いずれも片手で姿勢も顧みずに銃を撃つので、その反動に身体の自由が奪われていた。
「姿勢が悪くても銃を打てる限り、跳弾したら当たる確率は高い!!」
ロックの余りにもご尤もな言葉に、ジュリアは閉口した。
しかし、別問題で、
「それなら……せめて、抱える前に"一言"、言えないの!?」
異性から抱かれるという行為に不慣れ――否、余り慣れたいとも思わないジュリアの複雑な思いが頭を駆け巡る。
「……『舌を噛むなよ』と言わなかったか?」
「その言葉だけで抱えられると考えるほど、私の頭は"アクション映画脳"してないわよ!?」
ロックの弁明に、ジュリアは腹の底から精一杯叫んだ。
刹那、ロックに抱えられたジュリアの視界が、路地から町並みを見渡せる高さに到達。
雨天に覆われたリリーゲイトの町並みは、疎らに樹木が侵食していた。
上を見上げると、夜を切り裂かん火花が散っている。
担い手は苔色の外套の戦士――ブルース。
商店街の一角の屋根の上で、"銀鏡の女禽"――ジュリアの鋭利な足爪の空襲を、三日月を象った双剣で受けていた。
光景に目を奪われていると、ジュリアは高度が下がっているのに気づく。
――そういえば、放物線の頂点だったか……。
人も物も飛んで頂点に達し、その後は落ちる。
数学の微分と物理学の知識を冷静に思い出した。
「しっかり掴まってろ!!」
ロックに言われ、紅黒の外套に包まれた胴回りをジュリアは掴む。
――意外と鍛えられている――じゃなくて!!
戸惑う内に、ロックの両脚が屋根の上に到達。
着地した反作用の衝撃が、ロックの身体越しにジュリアを揺らす。
「……大丈夫か?」
ロックに言われ、言葉なくジュリアは頷く。
余りのことに思考が追いつかない。
間もなく、腹に伝わるロックの腕の感触をジュリアの身体が自覚し始める。
そして、
「……え、ちょっと……離れて!!」
ジュリアは抱き着いていたロックから腕を解いて、距離を離した。
「……抱いていたのは、そっちじゃ――」
「あなたもあなたよ!!」
ジュリアは、ロックの異議を却下する。
だが、自分の放った言葉で、すぐに頭が冷えた。
ジュリアの中で罪悪感が芽生えると、
「……いや、ごめんなさい。助けてくれてありがとう……」
ジュリアのクリスティの喪失に対する、彼の一言。
考えると、ロックは自分と同じくらい不器用ではないかということに気付いた。
「……いや、良いんだけどな……」
ロックのやや面食らった返事に、ジュリアは謝罪を受け入れられたと思った。
彼の反応を見て、ジュリアの頭の中で、唐突に頭に浮かぶ。
それは、ブルースとジェイドの戦闘の場面。
「……そういえば、ジェイドの……」
「あれか……"レディ・マドンナ"。”命導巧”によるものだ」
ロックから出た耳慣れない言葉に、ジュリアの思考が止まる。
「"ウェ……なんちゃら"について聞くと、時間が掛かりそうだから省くとして、単刀直入に……その道具を使って、どうして人間が一人で空を飛べるの!?」
ジュリアは、目の前の疑問に集中することにした。
ジュリアの知る限り、ジェイドは空想に耽るところがある。
しかし、何れも根拠のない他責思考も混ざっていたので、誰もが空想世界の産物とも言える能力の素質が彼女にあるとは到底思えなかった。
「……あれは、エチレンによるものだ」
ロックの一言に、ジュリアは"商業複合施設"での出来事を思い出した。
「待って……確か、ブルースの言葉で"グリーン・マン"というのが、それで動いていたっていうけど……? 確か、果物の熟成に使われるガスじゃ――」
「そうだ……"グリーン・マン"と同じだ。しかし、違うのが一つあるとするなら……あいつの"レディ・マドンナ"だ。本来、ジェットパックの燃料は"ケロシン"だが……」
それを燃料に単身で空を自家製の噴進機構で飛ぶ動画を観たのを、ジュリアは思い出した。
「"レディ・マドンナ"は"超微細機械"を利用して、エチレンによるバイオ燃料を作り出す……。石油の代替品や合成燃料を作る"フィッシャー・トロプシュ法"――通称、"FT法"は一酸化炭素や水素の触媒反応を利用して液体炭化水素を合成する。その際の触媒は、鉄やコバルトだが――」
耳を傾けていたジュリアの中で、違和感が青天井まで跳ね上がる。
経験上、火薬や爆発物等の可燃性物質についての知識は得ていた。
「確か……エチレンは、"オレフィン系炭化水素"に属して――」
「そう……"FT法"は一酸化炭素と水素の混合ガスによる"FT合成"で軽油などの石油代替燃料、アルコールとオレフィンという基礎化学品を合成する」
ロックの回答に、ジュリアの中に疑問が浮かぶ。
「待って……ケロシンの代わりに、エチレンを合成燃料で使ったとしても……燃料に始めから含まれている"ガム"はどうなるの!?」
航空燃料に含まれる空気中の酸素や熱の影響を受けて生成される粘着性の樹脂状物質や不溶性堆積物――それらを指して、"ガム"という。
燃料として使われる前の状態でも、燃料フィルター、噴射ノズルに燃料通路を詰まらせることがある。
だから、オレフィン属炭化水素は、燃料内に含まれても五パーセントに留めないといけない。
「そうだ……ジェイドの”命導巧”:"レディ・マドンナ"は"超微細機械"を使い混合ガスと触媒のコバルトナノ粒子も作り、炭化水素分子の長短を操り、エチレンを合成ジェット燃料にしている……本来の用途から、かなり離れているが――」
「ナノマシンとかも色々聞き捨てならないけど……ちょっと待って!! 『人間の手で分子の長短を操る』ですって!? その助けが機械で出来たとしても、そんなの――」
「分かっている……人間業じゃない。そして――」
ロックの視線に合わせ、ジュリアも屋根から路地を見下ろした。
銃を右手にした樹木に繋がった兵士や警官たちが、ジュリア達の足元に集まり始める。
「何……アレ?」
銃を持った襲撃者の後ろで、三メートル程の大きな蕾が路地を這っている。
舗装と瓦礫を蹂躙しながら、ジュリア達の立っている建物に向かっていた。
「……"グリーン・マン”の燃料タンクだ」
ロックの言葉に、ジュリアの鼻腔にエチレンの甘ったるい匂いが広がる。
「でも……燃料って、どうやって"グリーン・マン"に――」
「オオヤバヤドリギ科の寄生植物に"クリスマスツリー"というのがある……根を張り巡らせ、同種に栄養を送り、奪える……樹木と足元から繋がるナノ繊維を通して送られている」
ロックの言葉で、商業複合施設での爆発がジュリアの脳裏に過った。
「……つまり、攻撃したら引火して……こっちも?」
ジュリアの言葉に、ロックが首肯した。
「ジュリア……そういえば、ジェイドのこと……さっき『あなた達』と複数で言ってたな……? 会った時も――」
「……ああ、そのこと……」
ロックの疑問に、ジュリアの口調が重くなった。
「ジェイド……と、もう一人……彼女達も、"エクソダス作戦"の疎開でリリーゲイトに来たの」
「そして、もしかしなくてもソイツがいるのは……あそこか?」
ロックが右親指を立てて、示した場所。
そこは、整備された新市街の商店街の中心の建物を縫うように大きく伸びた樹木だった。
「……そう、教会を建て替えた図書館……。ジェイドともう一人が――」
ジュリアの言葉が、銃声に掻き消えた。
下を見ると、樹木に操られた軍人と警官が、押し寄せている。
何れも不器用に右腕で、銃器を突き上げる。
ジュリア達を蜂の巣にしようと、迫ってきていた。
「……ジュリア、行くぞ!!」
ロックに場所を問う時間は、ジュリアに無かった。
直後、彼女の全身に浮遊感が襲い掛かる。
背後で跳弾の音を耳にすると、ジュリアは両膝の裏と背中が固定されていることに気付いた。
金髪碧眼の青年――ロックの右横顔を目にして、漸く"お姫様だっこ"をされていることにジュリアは気付く。
「……すまない、一言聞くのは無理だった」
――謝るところ……そこなの!?
彼の不器用さを不思議と責めるつもりはなかった。
「……でも、どこに行くのか――」
「もう一人の場所……だろ?」
不敵な笑みを浮かべるロック。
抱かれる不快感は、ジュリアにない。
ただ、彼と同じ標的を共有できたこと。
その事実に、ジュリアの胸が熱くなった。
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