第9話 肉を食べさせない料理人
「怪我人に肉を食わせるなだと?」
猟師頭のゴードンが声を荒げた。
「肉を食えば力がつく。子どもでも知ってる」
「元気な人なら、それでいい場合もあります」
担架の猟師は高い熱を出し、呼吸が浅い。長時間何も食べておらず、喉も乾いている。その身体へ、脂の多い焼肉を一度に入れれば、吐く可能性が高い。
「まず水分と、消化の軽いものを少しずつです」
「薄い汁で傷が治るか」
「料理で傷は治せません」
リディアは言った。
「でも、治ろうとする身体を邪魔しない食事は作れます」
ゴードンは納得していない。
セドリックが担架の横へ立った。
「彼女に任せろ」
「領主様まで、肉を惜しむんですか」
「肉が惜しいのではない。仲間の命が惜しい」
短い言葉に、ゴードンは拳を握り、やがて一歩下がった。
リディアは鹿肉の赤身だけを少量切り分け、包丁の背で細かく叩いた。脂は除き、刻んだ蕪と水で戻した乾燥香草を混ぜ、小さな団子にする。
鹿の骨は一度湯へ通して汚れを落とし、別の鍋で弱く煮た。灰汁を丁寧に取り、根菜の切れ端を加える。
「骨まで使うのか」
「骨の周りにも味があります」
ノアが竈の前で団子を数えた。
「一、二、三……二十七」
「怪我人の分は三つだけ」
「残りは?」
「看病する人と猟師さんたちへ」
「俺も?」
「ノアは味見係」
「大事な仕事だな」
真剣な顔で頷くので、マルタが吹き出した。
骨のだしへ鹿団子を落とす。ふわりと浮き上がったところで火を弱め、煮すぎない。塩はごく薄くした。
怪我人には、まず汁だけを匙で与えた。
一口。少し待つ。
二口。吐き気はない。
三口目で、男の唇が動いた。
「……うまい」
ゴードンが目を伏せた。
団子は半分だけ崩し、ゆっくり食べさせた。残りは夜に回す。
「もっとやれ」
「今はここまでです」
「腹が減ってる」
「だからこそ、急に入れません」
食べさせたい善意を止めるのは、食べ物を作るより難しい。
夜半、怪我人の熱は少し下がった。
リディアは安堵したが、完全に安心はできない。傷口は村の治療師が洗い、薬草を当てている。自分の役割はあくまで食事だ。
「なぜそこまで分ける」
小屋の外で、セドリックが訊いた。
「何が料理で、何が治療か。普通はそこまで考えない」
「宮廷では、料理人が何でも治せるように振る舞う人がいました」
珍しい香草や高価な酒を使い、効能を大げさに語る。食べた者が回復すれば料理人の功績、悪化すれば患者の体質のせい。
「私は、分からないものを分かったと言いたくありません」
「それで宮廷では嫌われたか」
「たぶん」
「ここでは助かる」
その言葉が、冷えた夜気の中で静かに残った。
翌朝、怪我人は自分で半椀の汁を飲めるまでに回復した。
ゴードンは無言でリディアの前へ鹿肉の塊を置いた。
「昨日の残りだ」
「こんなに?」
「肉を食わせない料理人じゃなかった。食わせ方を選ぶ料理人だった」
不器用な謝罪だった。
「ありがたく使います」
「ただし、猟師にも団子を食わせろ。あれはうまかった」
「脂身の焼肉も作りますよ。元気な人には」
ゴードンが初めて笑った。
だが、安堵は長く続かなかった。
同じ日の昼、北側の家から三人が腹痛と発熱を訴えた。
夕方には七人。
そして夜、回復しかけていた怪我人まで再び高い熱を出した。
リディアは彼らが飲んだ水を並べ、《食養眼》を開いた。
すべての椀に、食材では見たことのない黒い濁りが揺れていた。
「料理ではありません」
リディアは顔を上げた。
「井戸の水です」
その井戸は、村の半数が毎日使っている北井戸だった。




